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オーディオ : 私のお気に入り


<私のお気に入り>

 JR東海のキャンペーン・コマーシャルが好きだ。

 京都の、季節ごとの新緑や紅葉や雪景色が、素晴らしい映像で映し出される。あの映像で堪らなくなって、一体、年間何人の人が京都への旅に出る事だろう。

 例えば、画面に釘付けになったとしても、諸般の都合で旅に浸かれない場合が往々にしてあるし、行きたいと思っても行けない人、現地での混雑を考えてしまって行けるのに行かない人、もいる。だから、映像に打たれたてもすぐにそれが出掛けることには繋がらならないだろう。でも、想像するに、あのコマーシャルを引き金にして、季節の放映ごとに何万人という数の人が移動しているはずだ。いや、何十万人という単位の規模かもしれない。

 あのテレビ・コマーシャルでは、歩いて眺めるような映像が大切にされている。臨場感いっぱいに広角寄りのレンズを通して美しい景色が画面に溢れるが、自分の目で眺めるような「旅する感じ」を高めているのは、実は、映像と共に流れるBGMの存在だ。いや、意味のないナレーションが無く、映像をバックに音楽が素敵に流れるので、BGMという事ではなくて、むしろその音楽は主題であるかも知れない。

 凄まじい雷鳴に恐怖する子供が、少しずつベッドルームに逃げ込んでくる。母親が無く、軍人の父に厳格に育てられた子供達が、12人目の家庭教師としてやって来る修道女の若い先生の母性を慕って集まるのだ。優しく迎え入れる彼女は、嵐に怯えた子供達を安心させるためにベットに入らせて、楽しいことや好きなものをひとつひとつ並べていく。第二次大戦前夜のザルツブルグを舞台にした古い映画の「サウンド・オブ・ミュージック」での一幕だ。  明るく優しく、少しいたずらな主人公のマリアがトラップ大佐の一家に来て、恐ろしい嵐を楽しく紛らわす事で子供達と打ち解ける、最初の晩のエピソードだ。

 泣きたいときや怖いときには楽しいことを考えて自分の好きなものを並べていくといい、と言って歌い始めるのが名曲「私のお気に入り」だ。

 この「♪ 私のお気に入り」は、テナー・サックスの名手で人気の高いジョン・コルトレーンの演奏によって、いまではジャズのスタンダードになっている。


 「そうだ、京都へ行こう」のコマーシャルは、季節ごとに映像が変わって旬の京都が写されるが、そのテーマ音楽がすべて「私のお気に入り」なのだ。

 そして、ピアノやサックスやストリングスなどの楽器の構成、リズムやテンポなど、曲は同じなのだが季節ごとにアレンジが変わる。その季節での映像の感じと流される音との両者がみごとに調和している。だから季節の変わり目に流れる新しいコマーシャルが、いつも楽しみなものになっている。

 作家は、京都でお気に入りを沢山見つけ、京都のさまざまな季節とも出合ったのかも知れない。そして、出会いでめぐり合った大切なものを「お気に入り」にして欲しい、と改めて願ったのではないだろうか。

 ほんの短い時間で流されるコマーシャルなのだが、その素晴らしい映像とジャズの演奏が大変気に入っている。
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<アート・ペッパー>

 アルト・サックスの音は、女性ボーカルの音域と同じだと聞いたことがある。

 だからなのか、アルト・サックスで聴く旋律はなんだか心に響く。響くというより、じわりと浸みてくる感じといったほうが良い。

 私が特に好きなのは、アート・ペッパーだ。今はもう亡くなってしまった(82年逝去)が、「スイングジャーナル」での記事を読んで深く印象に残っている。華麗な演奏と丹精な顔立ちのジャケット、ブルーノートの60年代のアルバムと共に半生が紹介されていた。

 麻薬におぼれる日々で、事実上の引退(投獄)から奇跡のカムバックを果たした。その物語のような人生自体が魅力的であったが、そのときに録音された名盤「アマング・ザ・フレンド」の音に強く惹かれた。

 奇跡のカムバックを果たすJAZZプレイヤーを主人公にした古い名画「五つの銅貨」が大好きだ。そのストーリーは、一度離した楽器(主人公はビック・バンド黎明期の花形コルネット奏者、グレン・ミラーなどとほぼ同世代)への「勘」を取り戻すための凄まじい格闘が大きな柱になっていた。それは、家族のために音楽を捨て港湾労働者となった後、失いつつあった家族からの畏敬と信頼を取り戻すための、さらには自分自身を取り戻すための戦いでもあった。

 その素敵な物語が、記事で掲載されたアート・ペッパーの半生を綴ったドラマと重なった。音楽だけではなくその背景である彼の屈折した光と影を伴った人生にも惹かれてやまないものが溢れている。


 彼のアルバムに納められた「ベサメ・ムーチョ」やヘレン・メリルの洒落たボーカルで有名な「What's New」など、『「リターン・オブ・アート・ペッパー』 『モダン・アート』 『アート・オブ・ペッパー』などのアラジン録音が原版となるブルー・ノート・レーベルの名盤は古い録音だが、いつ聴いても素晴らしいものだ。勿論、新しい音も往年の輝きを失っておらず、非常に素敵だ。

 「古い録音」というのは、50年代後半(56年・57年のLA録音)や60年代初頭に行われたものだ。演奏の新しさや音の鮮度、今に通じて引けを取らない音楽性を聴いていると、にわかには信じがたいが、今から50年も前の演奏であり、アレンジ、録音、なのだ。歌謡曲は別としてカントリーやフォークなどのPOPSやリズム・アンド・ブルースやSOULなどと比べて考えると、モダン・ジャズがいかに「モダン」であったかということに驚かされる。  時代に流されない芸術という意味では、まさに本物の流れであったのだ。それは、確固とした「文化」としてのムーブメントであったといえる。

 大げさに言えば、天平時代の彫刻や桃山時代の絵画、江戸時代の浮世絵などが普遍・不変の芸術であるように、印象派の絵画や音楽作品などが変わらぬ鮮度を秘め、さらに眩い輝きを放っているのと同様に、彼の残した名演奏もまた、彼の生きた時代を超えて、なおも残っていくものかも知れない。
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<ピアノ・トリオ1 ケニー・ドリュー・トリオ>

 たまにはオーソドックスなピアノ・トリオを聴くのもいいかなと思って、古いCDを聴いてみた。

 夏の夜には、ピアノ、ベース、ドラムスというシンプルな構成が似合うようだ。いや、それが「春の宵」でも「秋の夜中」になっても良く似合う。すると結局、ピアノトリオの奏でる旋律は感傷的になれる夜に似合う、という事だろうか。

 わずか3台の楽器で構成された世界だが、そこから湧き出る音の広がりにはとてもそんな小編成で奏でているとは思えない豊かな表現力がある。

 さて、「ピアノ・トリオ」といえば私が聴くのは『ケニー・ドリュー』の演奏だ。

 本国のアメリカでは評価されずヨーロッパへ渡り、デンマークのコペンハーゲンを拠点に活動した名ピアニストだ。スタンダードの名演奏が多いので、「JAZZ入門」などという場合には必ず登場して紹介される。落ち着いた曲相で、馴染みやすい演奏が収められたCDが多い。惜しくも93年に亡くなってしまったが、80年代、日本での人気は非常に高く、特に女性にファンが多かった。

 「ケニー・ドリュー・トリオは どんな音?」という事で初めて彼の演奏を聴かれるとしたら、80年代の終わりに録音された次の企画盤の二枚がお勧めだ。(企画盤だったので廃盤となっているかも知れず、今も存在するかどうかは判らない。)

 『ケニー・ドリュー・スペシャル』
 「星に願いを」や「ドリーム」「いつか王子様が」「バートランドの子守唄」などのお馴染みの曲が素敵な演奏で収められている。「スター・ダスト」では主題の提示にフルートが入っていて、一寸珍しいアレンジの静かな名演が愉しめる。

 『ケニー・ドリュー・バイ・リクエストU』
 これはスイング・ジャーナル誌上でのファンリクエストで編集されたアルバムの続編だ。

 だから、ファンとしては嬉しい企画であった。「イエスタデイズ」「バイ・バイ・ブラックバード」「ワルツ・フォー・デビー」「虹の彼方に」など、どれもスタンダードの名曲であり、こちらもさきのCDと同じくお馴染みの曲。このアルバムはトリオ演奏だけでなく、「イエスタデイズ」のようにストリングスが入っているものやホーンを伴った曲が5曲ほど収められている。

 ディズニー映画の名曲も多いジャズのスタンダードは、ジャズとしての演奏で無くとも必ず一度は耳にしているだろうから、やはり馴染み易いと思う。だから「入門」編などに登場するということになるが、演奏する人の「曲の解釈」が素直に出ていて、私としてはスタンダードのそういう部分が好きなのだ。

 音楽性というか何というか。スタンダードの演奏では、センスや人生経験がストレートに問題となってくる。

 このCDを聴いているとなんだかシックなクラブで味のある演奏を聴いているようなリラックスした気分になる。それは、うまく表現できないが流れてくる「音楽が邪魔でないため」だろうと思う。曲に囚われてしまうのではなく曲の波間に漂うたゆたうというか、曲からさまざまな想いが広がる。今、NYなどで流行の『スムース・ジャッズ』はジャズのテイストをベースにしていて、ジャンルを越えた音楽性を持っている。この流行りだした音も素敵だが、安直な仕上げではないスタンダードの演奏はそれとは少し違った方向にあって、遥かな天空で煌いている。


 私が気に入っている彼のアルバムとして、もう一枚を紹介しよう。こちらは企画盤では無く通常のものだが、やはり何曲かのスタンダードの名曲が収められている。

 『Recollections』 販売を気にして邦題はおしゃれにつけられている。「欧州紀行」という名前のCDだ。

 ボサ・ノヴァの名曲を都会的な洗練されたアレンジで楽しめる「ジェントル・レイン」。ボサ・ノヴァ自体が都会的な色が濃い音楽だが、さらにこの演奏には深みがある。この曲の主役はピアノでは無くベースだ。トリオを支える「ニール・ベデルセン」のベースの演奏が素晴らしい。

 ケニー・ドリューのオリジナル曲である「コペンハーゲン・ブルース」はアップ・テンポのブルースで、躍動感に溢れている。ベースのソロ、ドラムスとピアノの掛け合いがスリルに溢れ、アート・ペッパーの演奏を思い出してしまうような名演だ。

 古い映画の「おもいでの夏」のテーマ曲である「サマー・ノーズ」はアカデミー作曲賞の受賞曲だ。ジャズに限らずよく演奏されるスタンダードの名曲だが、このアルバムの演奏がいい。アレンジが饒舌では無いのに、詩情に溢れている。
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<ピアノ・トリオ2 エディ・ヒギンズ・トリオ>

 大宮のビック・カメラで、DENONのスピーカーを見ていた。

 そのスピーカは、天然木の綺麗な小型の2ウェイで、ヨーロッパ製のスピーカーか、と思うほどの秀逸な仕上がりなのだ。例えば、その音にはDali(ダリ;デンマーク)やOrtfon(オルトフォン;オランダ)などの優秀なスピーカーが持つ臨場感や表現力と同じようなきらめきがある。(このスピーカは、音楽ファンを唸らせるような優秀な製品だと思う。)

 そのスピーカーを主体としたお勧めのコンポで掛かっていたのが、「エディ・ヒギンズ・トリオ」のアルバム『Bewitched』 だった。

 量販店のオーディオ・コーナーの台の上なので、セッティングも何もあったものでは無い状態なのに、流れてきた曲には臨場感があってつい聞き惚れてしまった。丁度持っていた文庫本の裏表紙に、ヴァーブのレーベルとアルバムの名前をすかさずメモにとった。

 このときが彼のピアノトリオとのはじめての出会いだったが、これほどのピアニストに、なぜ今まで気づかずに過ごしてしまったのだろう。スイングジャーナル誌のゴールドディスク賞を何枚ものアルバムで獲得しているというのに・・・。

 『Bewitched』
 「What A Diffrence A Day Made」はアルバムの最初の曲で、トリオの楽器すべてが目の前に広がる臨場感が楽しめる。この臨場感のよさはアルバム全体の特色なのだが、最初のドラムのブラシの音で弾けてしまう。トリオなので当たり前のことだが、ピアノとドラムスとベースはこんな風にリンクするものですよ、というJAZZトリオのお手本を示されたようで、実に楽しく曲が進んでいく。本当にお勧め出来る演奏が沢山収められている。

 「Beautiful Lova」、最初からスリル溢れるドラムスのリードで、リズム感に溢れる素晴らしい演奏だ。 別のアルバム、『Ballad Higgins』にはスローテンポに落としてドラムを後ろに下げた同じ曲の演奏がある。聞き比べると面白い。(私はグラインドするこちらの演奏のほうが好きだ。)

 「Alice In Wonderland」、不思議の国のアリスだ。ディズニー映画のテーマ曲で、とても素敵な曲だ。
 「The Philanthropist」は彼の演奏として有名な曲だ。トリオの演奏やコード進行の特徴が良く出ている。実に楽しい演奏だ。

 「Estate」も有名な演奏だ。ボサ・ノヴァはもともとヨーロッパのテイストが入っているので、こうしたヨーロッパを中心として活躍するミュージシャンの演奏では、特に表現が豊かになるのであろう。


 『Ballad Higgins』
 「My Funny Valentine」は、高音のピアノとベースの響きが素敵な一曲だ。こんな、だれでもが演奏して聞きなれた曲を自分のものとして聴かせるのは難しいと思う。スタンダード中のスタンダード曲なのだが、私はなぜか新鮮味を感じた。

 「Something Cool」は、スローで甘いバラードで、都会的な雰囲気がある。これも気に大変入っていて、(「ジューン・クリスティ」などのボーカルのバラードもいいが)やはりピアノの奏でるバラードは良いな、と感じさせられる。

 「Falando De Amor (ファラン・デ・アモール)」は、ボサ・ノヴァの名曲(アルバム『アモール』のタイトル曲の「アモール」が有名で名演だが、その曲とは別の曲)だ。アントニオ・カルロス・ジョビンのオリジナル演奏も勿論素晴らしいが、そのオリジナルよりも「小野リサ」がアルバム『IPANREMA(イパネマ)』のなかで歌うこの曲が、哀愁があって好きだ。エディ・ヒギンズの演奏でも都会の物憂い感じがうまく表現されている。音の飾りがアレンジされていてアドリブも入っているので多少うるさくなっていて、旋律に豪華な味付けがされている。曲の最後でボサ・ノヴァの雰囲気が戻ってくる。
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