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2006.05.14
紅い薔薇咲く公園にて

アクセス;
 JR京浜東北線―与野駅、埼京線―与野本町駅

カメラ;
 NIKON COOLPIX S3

 (画像添付時に約25%に圧縮)


 子供とバラを描きに行った。

 与野公園 (なんと開園は明治10年)のバラは2000本を誇り、このあたりでは有名な花好きな家族連れや写真を趣味とする人達が数多く訪れる場所だ。

 毎年、5月20日前後の土・日曜日が「与野公園 ばら祭り」で、これはお祭りだから、普段は静かな公園がひどい人混みとなる。バラを観るのか、人を見るのか、といった具合なのだ。「バラ園」内では、そこら中の通路上で三脚を広げたカメラマンが、人通りの絶えるのを待っている。

 私も花の写真を撮るのだが、この時期に「薔薇祭り」が行われている事を想い出して、改めて公園を訪れる場合などは、大抵はすでに昼過ぎの時刻になってしまう。だから大抵は晴天下での撮影になってしまう。光がキツ過ぎるので正午に近い時間帯の公園では思うような花の色が出ない。だから折角公園へ行っても写真を撮ることは少なくなってしまうし、撮っても気に入る仕上がりのものではないことが多くなる。
 
 この公園は家からはごく近所なので、日中にではなく早朝出かけて来る事も可能だ。だが、そうした場合でも、同じことを考える人は多いようだ。早い時間から出動しているカメラマンの数が多いため、静かに撮ることがなかなか難しい。そんな状況もあって、最近では街の雑踏と化す祭り当日(土曜・日曜)はもっぱら屋台や模擬店を楽しみ、前週にゆっくりとバラの花を楽しむ事にしている。

 この日も、子供と二人でスケッチブックを片手に、(私はもう一方の手に途中で仕入れた缶チューハイを持って)公園を訪れたのだった。

 いつもスケッチするのは、深紅の花弁の薔薇が植えられた一画だ。

黄色のバラ

けやきと桜の暗い林(公園の17号バイパス側)を背に、
垂直の網板に這うようにつくられている
<あかときいろ の つるばら>。


咲き誇るその様子は、まるで、華やかな黄色い模様のついた壁のようだ。
赤と黄色のつる薔薇
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紅い薔薇(キャラ ミア)

この薔薇は、公園の入り口近くにあり、
いつもスケッチあいている花の品種だ。

(スケッチと同じアングルにて)


でも、なんとなく、今年は元気がなさそうだ。

このバラが毎年のモチーフ


 子供は、「あれ、このバラ、本当はローズマターじゃなくて『キャラ・ミア』っていうんだ」と大きな声を上げている。花名の案内板のカタカナがすっかり読めるようになり、キャラ・ミヤという名前に気付いたらしい。

 どうやら、私の教えた水彩絵の具の色名を、バラの種類の名称として覚えていたようだ。私は逆に、子供がその色名を言うとき、自分の絵のバラの色のことを言っていると思い込んでいて、お互いずっと思い違いをしていた訳だ。

 これには思わず、二人そろって笑ってしまった。

 それぞれ別のアングルからスケッチを始めたはずなのに、子供の様子をふと見ると、スケッチブックを広げずに途中で仕入れた「ねるねる・ねるね」を作り始めている。 なんという大胆さ。緻密な顔付きをしている割には、行動が雑駁に過ぎるようだ。

 そうか、スケッチする父親を尻目にして、「花より団子」と来た訳か。・・・それでは私も遠慮せずプシュっと行こうではないか。
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気になるおやつを先に

途中で買ったへんなおやつが気になって、薔薇の花どころではありません。
ねるねる ねるね 作成中

 一応スケッチが描き上がり、それぞれの絵を見せ合っていた時のことだ。

 子供は、風景と私の絵を交互に指差しながら、「これは本当の景色と違う」、といい始めた。私は、少しあせりながらモチーフの前に行き、スケッチブック片手に解説を始めた。

 ああでもないこうでもないと二人で笑いながら話していると、一人のカメラマンから声を掛けられた。

 その人が先ほどからバラの花を写しているのが視界には入っていて、手にしているのがニコンのデジタル一眼の事も気付いていた。「写真に撮らせてほしい」とのことなので、自由に撮ってよいとの返事をすると、少し離れたところからシャッターを切り始めた。

 私も写真を趣味とするので多少は判るが、自然な表情や状態を収めたいのだろうと想像し、向けられたレンズを意識せずに二人でスケッチの話を続けることにした。
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 子供に説明していた黄色いバラの一群から離れたところに、スケッチしたバラの色に劣らず紅い色をした大きなベンチがあった。子供は、それが気に入ったらしく走りよって行き、その椅子で遊び始めた。しばらくすると、先ほどのカメラマン氏が遊んでいるところをモデルにしてもう少し撮らせてほしい、との事で、私はまた了解した。

 あらためてその人と話してみると、「写真は始めてまだ数年で、あまり間が無く」しかも「デジタルカメラしか使っていない」との事だった。

 最近は写真の世界に、デジタル・カメラから入る人が多いらしい。というよりも、銀塩フィルム⇔デジタルの区別自体が無いらしい。なるほで、最近になって「小西六」として親しんだコニカフィルムやヨーロッパの雄として日本にも進出しているアグファカラーが消滅してしまうわけだ。私が最初に使ったのが中学生のころのコニカ(当時は「さくら」がブランド名だったと思う)のネガ・フィルムで、いまも利用するフィルムはコニカの<センチュリア200>、リバーサル・フィルムのブランドは同じくコニカの<SINBI 100>だ。

 カメラや写真撮影を趣味とするのに、普通のフィルムで撮った経験が無い!なんて、私の世代で写真を趣味とする者にとってはまるで想像が出来ない状況だ。これが、ジェネレーションギャップというものだろうか。

紅い薔薇をスケッチ

子供の目には、こんな風に見えている。

(親の贔屓目かも知れないが)
実に写実的なスケッチだ。

子供のバラの絵。去年のほうがうまく描けたとは本人の感想だ。

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 その人はホームページを開設していて、ページ上での写真公開の是非も聞かれ、私はそれも了解した。

 そう、この人は撮影者である前に、表現者なのだった。

 肖像権に留意し、相手の領域にズカズカと踏み込まない態度と、彼女の自然な笑顔 (ああこの人は本当に写真が好きなのだな・・・)に、私は、なんとなく次第に温かな気持ちになった。

 レンズという遮蔽物に守られて対象に向かうカメラマンは、どちらかといえば、一様に不躾で身勝手な存在ではないだろうか。こうして書きながら彼女に引き比べた自分の姿勢を改めて振り返ると、やはりそうした身勝手なカメラマンの仲間の一人だったような気がしてくる。


 子供はかなり自由な幼稚園の出身で、小学校の2年生となった今も、未だにのびのびとしていてマイペースだ。

 それは親としては大変喜ばしい事だが、こんな豊かな感性を持つ先生に接していたら、人との交わりに無理の無い多感な子供となった事だろう。そんな、素敵な幼稚園の先生との出会いだった。

紅いベンチにて

あかときいろのつるばらの壁の前に、大きな紅いベンチがある。
いつもスケッチするバラと同じ色だ。

スケッチも描けたので、さあ、あとは林の中を散歩しよう
母の日のプレゼントが完成し、ほっと一息
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