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オーディオ : FMラジオとの出会い
ラジオ以前

<ラジオ以前 その1 −そりゃ もう、テレビに夢中>

 小学生の頃の私はテレビ少年だった。

 考えてみればすでに40年以上も昔の事になるが、その当時の帯で放送される子供向けの番組は、多分全部見ているに違いない。

 さて、当時の子供向け番組の特徴は、アニメーションより実写の方が多かった、ということだろう。「実写版」などというものはもうすっかり無くなってしまって、今目にする事ができるものはといえば、休日の朝にずっと放送され続けている「戦隊もの」と「仮面ライダー」のシリーズくらいだ。ところが、そんな現在の低調さと比べ当時の子供向けの枠ではコメディからドラマまで幅広い種類があったのだった。

 「当時のテレビ放送」といっても世代の違う人には良くは判らないだろうが、今思い返してみると余りにも懐かしい。まずは、思い出すままに紹介してみよう。


 時代そのものが「のんびり」としていたためだろうか。今で言えば「ちびまるこちゃん」や「サザエさん」に相当する、ほのぼのとした『ホームドラマの系統』のものが割と多かったように思うのだ。

 最初に見たのは、若かった江利チエミさんが溌剌と演じていた「サザエさん」だ。自分の家があんな商売をしていたらと、いつも憧れながら見た「チャコちゃん」(「チャコ姉ちゃん」「チャコちゃん、ケンちゃん」「ケンちゃん」「ケン兄ちゃん」とずっとシリーズが続いた)も印象深い。  他にも、元東京都知事の青島幸雄さんが主演していた「いじわるばあさん」など、多くの秀作が製作されていたのだ。

 『ホームドラマの発展型』という趣の、舞台はごく普通の庶民の家庭なのだがそこにちょっと変わった居候がやって来る展開の物語も多かったように思う。  後に大場久美子さんのリメイク版が放送されたが、九重佑三子さんがお茶目に活躍する初代の「コメットさん」。後にアニメ化されたが最初のものは実写版で、仮面のようなアニメそのままの顔を付けていた「忍者ハットリくん」。等身大の着ぐるみが登場して活躍するいたずら好きな「大怪獣ブースカ」。いまだから「着ぐるみ」などと書いているが、当時は白黒画面なので、割とリアルな生物としての毛皮の皮膚感があった。私は一度でいいから毛足の短い犬のような模様を持ったブースカを自分の手で撫でてみたいと思ったものだ。 少し後になるが「好き好き魔女せんせい」などにも等身大の犬の着ぐるみが登場する。

 画面の中では、そうした異界からやって来て人間の世界に溶け込もうとする健気に頑張る主人公がいた。そして描かれるエピソードでは、時に失敗もあったが、小さな夢や明るい希望が画面一杯にいつも溢れていたのだ。

 忍者物とアクションを混ぜた心躍る『空想・冒険ドラマ』も多かった。今振り返ると60年代はテレビだけでなく時代小説の世界もそうした潮流があったようで、世代を超えての「忍者ブーム」だったのだろう。

 なぜか米軍のレンジャー用ヘルメットを被っていた「忍者部隊 月光」。火を噴く巨大なガマが登場し、それが夢に出てきてたびたびうなされる事になったが、大好きだった長編ドラマの「赤影参上」など、忍者を主人公としたドラマに夢中になった。

 ピブリダーやエクゾスカウトなどのメカを一心に粘土で作った、空も飛べる潜水艦が登場する「マイティ・ジャック」。ストーリーの最後まで見てしまった晩は眠れずに困った「怪奇大作戦」や淳ちゃん・一平くんの名コンビが活躍する「ウルトラQ」。

 ちょっと怖くて、画面を注視するがたまに目を閉じてしまった物語もあった。放浪する主人公が悲しかった「カッパの三平」や悪魔使いの少年が事件を解決して活躍する「悪魔くん」など、数多くの印象溢れるドラマが多かった。

 今まで揚げたドラマ、「魔女せんせい」や「赤影 参上」や「マイティ・ジャック」以外は、どれもカラーではなくモノクロでの放送だった。色の無い世界の方が、なぜかリアルで、空想力が働いたし、恐ろしさが増した様に思う。


 同じ時期、SF路線のドラマとしては、海外の秀作も盛んに放送されていた。国際救助隊「サンダー・バード」は2年生の頃にカラーで観ていた記憶がある。いや、まだ1年生だったかもしれない。マイティ・ジャックに夢中になっていたころには、STAR TREKの初期のTVシリーズの「宇宙 大作戦」が放送されて、こちらも熱心に見ていた記憶がある。(日本語の吹き替え版では操舵手のヒカル・スールーが「ミスター加藤」と呼ばれていた。そういえば、グリーンホーネットの助手も「カトウ」という名であった。)

 どれも、また観たいドラマばかりだ。これらのものは皆、超人や超能力者(まあ、忍者は分類からすれば特殊な能力者に入るか)ではなく等身大の生身の主人公が活躍するものだった。

 今も続く「ウルトラマン」のシリーズが始まって「変身」という画期が生まれたのも、この頃だ。今では慣れも在って違和感が無いが、ハヤタ隊員が変身して巨大な怪獣と戦うという信じられないストーリーで、すぐに虜になった。カラー・タイマーが点滅を始めると、テレビ画面に張り付いている私もじっとしていられなくなり、足をバタつかせた。ウルトラマン・シリーズの中では当時も今もリアルなメカや魅力的なストーリーが展開された「ウルトラ・セブン」が一番好きなものだ。

 スポーツものも随分と多かった。稲妻落としなどの魔球が凄かったバレーボールの「サインはV」。桜木健一さん(相手はピアノの上を軽やかに歩く近藤正臣さん)演じる主役の必殺技である「地獄ぐるま」が決まる「柔道一直線」。やはり魔球が登場する「美しきプロボウラー」など、画面内で繰り広げられるドラマにいろいろと夢中になった。
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<ラジオ以前 その2 −アニメの世界>

 バラエティに富んでいた『実写もの』も素晴らしかったが、しばらくするといろいろなアニメも盛んに放送され始めた。

 最初に見たアニメは何だったろう。

 やはり「鉄腕アトム」だろうか。太陽に向かってわが身を呈して飛んでいくシーンの最終回はあまりにも記憶に鮮明だ。その鮮明さからすると、当時からのものではなくて、成長した後、三宅裕司さんが司会をする懐かしのアニメ紹介番組(「テレビ探偵団」)を見て、新たに植えられた記憶のようにも思える。今となっては、どちらが基の記憶なのか、判然としなくなってしまった。

 「宇宙少年 ソラン」か、「ワンダー・スリー」が最初だったのだろうか、あるいは「スーパー・ジェッター」か「マッハ GO GO GO」か・・。いや、スーパー・ジェッターの記憶には色が付いてて、主人公が着ているスーツや流星号はカラーで浮かんでくる。 とすると、やはり色が思い出せない「ワンダー・スリー」が私の見た最初のアニメだろうか?


 魔法や変身の世界を題材にした呪文を唱えるアニメになるが、マハリク・マハリタの「サリーちゃん」。テクマク・マヤコンの「秘密のアッコちゃん」。呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンの「はくしょん大魔王」もよく見た。はくしょん大魔王の場合は普通の掛け声だが、他の呪文は一体何語なのだろう? 言葉のベースとなった、何かのモデルがあるのだろうか・・・


 ナンセンスなギャグマンガの世界も当時すでにひとつの路線として確立されていた。楽しかったので夢中で見ていると、呆れた父によく叱られたものだ。

 七つ子が活躍する「おそ松くん」、脇役はシェーの決めポーズを持っていた「イヤミ」やいつもおでん串を持っていた「ちび太」で、むしろこちらの方が今では有名だ。ニャロメやケムンパスが登場する八百屋の「もーれつア太郎」、「天才、バカボン」(脇役は平気で拳銃を連射する目が繋がったお巡りさんやレレレのおじさん)、赤塚不二夫さんが書いていたようなこういうマンガは、今は無い。


 スポーツのジャンルは、アニメも早くから作られていた。心やさしい孤児の伊達直人(だて なおと)が単身で活躍する「タイガーマスク」を見て、世の中に存在するらしい悪を心底憎んだ。

 極貧の中でがんばっていた星飛雄馬(ほし ひゅうま)の「巨人の星」や明日のために打つべし!の「明日のジョー」では、毎日の努力の大切さと、貧しさは乗り越えられるということを教わった。猫が師匠のポッチャリ系柔道物語の「いなかっぺ大将」のように、失敗ばかりの毎日でも、ひとつのものに集中すれば道は開けるものなのだ。(プロレスが好きだった父もタイガーマスクやいなかっぺ大将、かなり後になるが野球のドカベンや柔道のYAWARAはよく一緒に見た。)


 オリンピックを目指すスポーツアニメも多かった。レスリングの「アニマル・ワン」、バレーボールの「ミュンヘンへの道」。サッカーの「赤き血のイレブン」、バレーボールの「アタックNo1」。どのアニメも熱くなって真剣に見た。
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<ラジオ以前 その3 −総括>

 こんな世界に取り巻かれていたし、ほとんど同化に近い没入の仕方をしていたので、幼い頃の私の頭の中は、いつも「次の週はいったいどうなるのか」という期待に溢れ、「絶対絶命の窮地に立たされた主人公は、果たして無事に脱出できるのか」と活躍する主人公たちやその世界の事で一杯だった。

 小学生の頃の私は、本を全く読まなかった。いわゆる「推薦図書」などの同世代が読む普通の物語が、まるで面白く感じられないのだ。読んだものといえば、星の物語(ギリシャ神話)か「かっぱ」関係の民話か、といったところで、6年間を通算してもほんの10冊くらいしかまともに読んでいないのではないだろうか。

 物語が面白く無い、と言うよりも、文章から何かを汲み取ると言う事が苦手だったように思う。思考の仕組みが幼稚なために、直截的なものでないとどうも理解できなかったのかも知れない。

 当時流行したコミック(少年ジャンプ、チャンピオン、マガジン)も買った覚えが無い。動いたり、話したりする主人公が週に一度とはいえ登場するテレビの存在を考えれば、動かない漫画に対してはあまり興味が湧かなかったのだろう。高校生になってから「火の鳥」のA4サイズのコミックを買ったり、ずっと後になって「沈黙の艦隊」のコミックを買ったりしたが、それ以外は未だに漫画、コミック雑誌は買っていない。成長してからは普通の事だろうと思うが、少年時代に漫画を買わない(読まない)というのは珍しいことだったかも知れない。わが家の子供を例にして考えてれば、3年生の頃には「遊戯王」のコミック全巻(40冊近い)、NARUTO数巻を持っていたから、そういう子供が平均的な姿だろうと思う。

 いわゆる小説や(まんが本を含んで)物語はまったく読まなかったが、4年生の頃だったと思うが、学研の百科事典(大型の参考書のようなもの)を買ってもらい、これはなぜか非常に熱心に読んだ。いつも寝る前の一時間位ほどを飽きもせずに毎晩、全部で12冊位に分野分けされていたが、それらをもうほとんど暗記するくらいに読んだものだ。


 これで、良かったはずがない。

 こうして、今考えてみれば極めて歪な精神世界が、幼少期の私の中で形作られていったのだ。

FMラジオとの出会い-ステレオがやって来た へ続く
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