<周期的に訪れる枯渇感>
「オーディオ」というか、「美しい音で音楽を聴く」というか、そういう事が長年の趣味だ。
趣味であるから、やはり欲しい再生機器が出てくる。時として困るのは、それがすでに所有している機器と同じ機能である場合だ。普通の人は、故障が現れたり壊れたりすると新たな機器の購入を考えるものだと思う。ところが音楽を聴くだけでなく「再生する機械そのものが持つ機能性も好き」といった場合、少し困ったことになる。私の場合がまさにその状況だ。
メーカーは、無論、より良い再生音を目指して新たな回路や技術を開発し、それを最新機構として戦略的に発売する。だから新たに発売された時点では、その機械の持っている音響技術的な内容は世代最高のもの。しかし、技術者という集団は凄まじいもので、最高であったものをさらに凌駕する新たな仕組みを次々に考え出す。今となっては「オーディオ」もひところの人気市場ではなくなっているから、開発されてから実装されるまでには少し時間が掛かるのだろう。
それでも彼らは常に世界を市場として捕らえているので、世界規模での技術革新の競争がある。結果として私達の目に触れる形になって、つまりは実験機から実用機に搭載される形になって、あっという間に新しい機構が出現する。
そうして新たな型番が振られた改良機内に鳴り物入りで搭載された技術革新は、まるで新しい発想のものであったり、従来の問題点を改善して完全に克服したものであったり、さらに電気回路的に工夫を加えたものであったり、様々な内容を持っている。新たな機構を搭載した機器から流れる再生音からは、そうした進化があまり感じられない場合もあるが、そうした技術のポイントが数世代を経て改善されていき、数年を経た程の暫くさで改めて比較してみると、見違えるほどの鮮度をもって迫ってくる場合があるのだ。
こうして、何年かに一度、新たな音の世界に触れてしまうと、「欲しい」という凄まじい感情が襲ってくる。暫くぶりに触れる、新たな音の世界に完全に圧倒されるためだ。
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