さらには、実家の北側に広がる昔ながらの集落の庭先や細い道沿いに咲く花を撮ってみた。
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すこし余談となるが、実家のある地域は、集落全体が血縁関係みたいなもので、今では倍近い戸数となったが百戸位の家が、つい最近まで三家の苗字で占められていた。
そのため、地域の人々は皆、苗字ではなく当主の名前(なんと婿さんの家の場合は奥さんの名前)や屋号(「車や」などという)や氏神(神明ん家−しんめいんち−など)や本家からの家の所在位地などで呼び合っていた。
例えば、「隣ん家」や「後:うしろんち」、「前:まえんち」などと言う。後ろは屋敷から北側、前は南側、の位置になる。広大な敷地から、血縁の分地を行った結果でこうなっていると思うが、本家へ訪れたときの自分達の名乗りがこうだ。こうした名乗りのそれぞれの家自体も、その後に多くの分家となって分かれていくのだが、それでもそれぞれが広い敷地を持っている。
私の実家は父親が三男なので分家となるが、本家や後ろや前や新宅といわれる早い時期の分家とは違って集落のはずれにある。だから、とてもじゃないが位置では表現できないので、父親の名前が名乗りになっている。もう亡くなってしまっているが、それでも父の名前の最初の一字と付けて「xxがち」と言っている。例えば、三郎が名前だとすると、さぶが家(ち)という。面白いものだと思う。
(10.08 追記)
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