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2006.08.13
前橋・赤堀(花スケッチ)  (10.08 追記)

アクセス;
 JR両毛線(りょうもうせん)―前橋、伊勢崎、上毛(じょうもう)電鉄

行程;
 前橋〜新里(にいさと)〜赤堀(あかぼり)

カメラ;
 PENTAX Ist-D  
レンズ;
 PENTAX  DA18−55mmF3.5−5.6 AL
 PENTAX  F 70−210mm F4−5.6(ED)
 TAMRON SP90mm F2.8マクロ

  (画像添付時に圧縮 25%程度)


 お盆休みで帰省した。

 群馬県前橋市の南部地域は、「二毛作」で有名だ。二毛作とは、米と麦を同じ耕地で同じ年に時期をずらしてそれぞれ収穫することをいい、夏までは米、そして米の収穫後は、麦を作付けすることを言う。

 いまの時期の風景は一面の稲田だが、どちらかというと麦畑に変化したほうの風景が好きだ。田んぼから麦畑となり、柔らかな日に照らされて黄金色に輝く実家周辺の麦は、ビール麦だ。この黄金色の麦は、多分高崎の有名なビール工場に出荷されているのではないかと思う。

 帰省するたびに実家周辺の風景が変わっていくが、近年だいぶ開発が進み、あちらこちらの田んぼの中に、または古い屋敷地だった場所に忽然と建売住宅団地が出現している状況がある。

 実家のすぐ南から一面の田んぼが広がっていて、隣家といったら数百メートルは離れていたのだが、いまでは、すぐ南側から、何件もの家並みが続いている。

 しかしながら、その家並みの果てるところからは、昔ながらの田園風景がまた広がる。私は早朝に起き出して、その田園風景を写真に収めてみた。

朝日を浴びて
朝日の中で 朝露輝く。 

小さなくもの糸

よく観ると、小さなくもの糸が・・
光る稲
  
青空の予感(今日も快晴)

青空の予感

見上げると、暑い日の始まり予感させる空が広がる
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 さらには、実家の北側に広がる昔ながらの集落の庭先や細い道沿いに咲く花を撮ってみた。

―  ― ― ― ― ―
 すこし余談となるが、実家のある地域は、集落全体が血縁関係みたいなもので、今では倍近い戸数となったが百戸位の家が、つい最近まで三家の苗字で占められていた。

 そのため、地域の人々は皆、苗字ではなく当主の名前(なんと婿さんの家の場合は奥さんの名前)や屋号(「車や」などという)や氏神(神明ん家−しんめいんち−など)や本家からの家の所在位地などで呼び合っていた。

 例えば、「隣ん家」や「後:うしろんち」、「前:まえんち」などと言う。後ろは屋敷から北側、前は南側、の位置になる。広大な敷地から、血縁の分地を行った結果でこうなっていると思うが、本家へ訪れたときの自分達の名乗りがこうだ。こうした名乗りのそれぞれの家自体も、その後に多くの分家となって分かれていくのだが、それでもそれぞれが広い敷地を持っている。

 私の実家は父親が三男なので分家となるが、本家や後ろや前や新宅といわれる早い時期の分家とは違って集落のはずれにある。だから、とてもじゃないが位置では表現できないので、父親の名前が名乗りになっている。もう亡くなってしまっているが、それでも父の名前の最初の一字と付けて「xxがち」と言っている。例えば、三郎が名前だとすると、さぶが家(ち)という。面白いものだと思う。
(10.08 追記)
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ねじ花
花の名前がわからない;「shiho」さんの指摘によりユリスイセンと判明
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 私としては本当は山野草が好きなのだが、こうした人里に咲く野草にも魅力を感じている。

 宅地化がどんどん進むと、(近年のその加速度といったら本当にすさまじい)これらの草花が見られなくなる日がいつか来るような気がして、少し心配になってしまう。

「ねじ花」や「ギボウシ」が道沿いに咲く
コバギボウシ
ヒマワリ
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 前橋市から北東部は「大胡町(おおご)」で、後に柳生に受け継がれ有名になった新陰流(しんかげりゅう)の始祖 上泉伊勢守の土地柄として有名だ。

 今は、市に編入されているが、上泉(かみいずみ)・大胡(おおご)・新里(にいさと;桐生市へ編入)といったあたりは赤城山の南麓で、南の伊勢崎市と接する赤堀(あかぼり;伊勢崎市へ編入)を含めて、それぞれに歴史があり風景にも趣がある。少年の頃には、市の北東部に広がるそのあたりへ小さな自転車で出かけて探検―勿論当時は水筒おにぎりを準備しての大冒険であった―したり、新里にある貝塚から化石を見つけたりしたものだ。

 さて、「赤堀(あかぼり)」であるが、ここは茶臼山古墳や女堀遺跡が有名で、この町も古くからの歴史を持っている。

イヌタデが咲く
ギボウシ
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本郭の南斜面に広がる花畑

 車で走っていると「天幕城址」という案内板が目に入ったので、立ち寄ってみた。

 天幕(てんまく)城、別名「城山」は中世の城郭跡で「赤堀城」の北2Km、「毒島(ぶすじま)城」の北東1.5Kmに位置し、土塁・堀などが残っていて公園として整備されている。

 本丸、腰曲輪、水の手、掘り切り、矢払い、などの遺構があり、赤城南麓の諸城(天幕城、赤堀城、前橋市飯土井町の明石城など)と特徴を同じくする。城自身の発生は不詳だが、那波氏、桐生氏の城となり、ある時は由良氏に攻略された事が、教育委員会の手で現地に設置された案内版に記載されていた。

 帰宅後にWeb上で検索すると、大胡(おおご)を含めた周辺の城跡の来歴があり、以下はそれらの抜粋だ。

 <那波氏の持ちとなり、桐生氏に属し、ある時は由良氏に攻略され、謙信に降り信玄に投じ、氏康の蹂躙するところとなり、勝頼に屈し波瀾にもみあげられつつ戦国期をわたり戦国末期に廃城となった。> 関東の戦国ドラマそのものではないか・・・。

早咲きのコスモス
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 今は、静かな城山(地元では磯城という)だが、天幕の名前から想像すると、多分ここは最前線の基地であったに違いない。また、天幕城にまつわる伝説に、大蛇の子を産んだ”千鳥姫伝説”がある。

 堀側への南斜面は、訪問者を楽しませようと地元の人たちが丹精した花畑となっている。サルビアや色とりどりのカーネーション、コスモスが斜面いっぱいに広がる。 

花畑の一隅 早咲きのコスモス

可憐に咲く、ギボウシ
城の本郭跡にひっそりと咲くギボウシ
城の本郭跡にひっそりと咲くギボウシ
      こちらからも一枚。
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 本郭の南側、水堀跡はその地形を利用して蓮池になっている。ちなみに「馬だし」跡は今の駐車場の場所らしい。面白い相似ではないか。

 行田にある大賀蓮(おおかはす)に似ているが、これは日中友好大使蓮といい、友好25周年を記念して中国から個人に贈られた125粒の種がもと、とのことだ。(なにも個人に送るのではなく、しかるべき協会などに贈ればよいと思うが・・)

 天幕城址は花が多く、しばしのあいだ遺構を散策し、いにしえに想いをはせるには実に静かでよい場所だ。

 もう少し秋が近づきコスモスの時期となったら、また、訪れようと思う。

モジズリ?、イヌダテ?
日中友好大使蓮
       近年、なにかと問題含みだが、日中友好大使蓮

行田の大賀蓮に良く似ている 日中友好大使蓮
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水堀から本郭を望む
水堀から本郭を望む。

今は静かな景色だが、
攻城の際には、多くの武士が、このような仰角で本丸を望み、幾度も青酸をなめたに違いない。
兵ものどもが夢のあと