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2009.03.14
水芭蕉が咲く

アクセス;
 前橋市 (赤城山 南麓 市の最北部) 嶺公園(みねこうえん); 前橋駅より路線バス 30分

カメラ;
 PENTAX K10D

レンズ;
 PENTAX DA35mm F2.8 Limited マクロ
 PENTAX DFA100mm F2.8 マクロ

三脚;
  K10D:カメラの手ぶれ補正にて、三脚は不使用

 (画像添付時に約70%程度に圧縮)


 「春分」を目前にした3月14日、久しぶりに故郷の前橋へ帰省した。

 忙しさにかまけて、まるで田舎に帰っていなかった。思い返せば、去年はお盆前に一度帰ったきりだったのだ。それ以来、正月にも帰省できず、これが今年はじめての帰省になる。

 高速道路を使わない状態でも「さいたま市」から故郷の「前橋市」まではわずか3時間弱。だから、ドライブを兼ねた日帰りでも充分に移動可能な距離だ。それを思うと、時間が無くて帰省しなかった、というのは理由になるまい。

 もう少し何とかならないものか。・・・反省しきりだ。

嶺(みね)公園は赤城山南麓にある
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 故郷「前橋」へ帰省したのは暫くぶりの事になるのだが、実は今回、私の病気療養を兼ねている。

 今月(3月))の11日に入院して手術(本日の反省 (2009)>)をしたが、退院後の自宅療養が必要なのだった。重篤の状態ではない患者は早めに退院させて病院の限られたベットを開放する、というのが今の医療方針らしい。従来であれば安静期間中は「入院して過ごす事」が当たり前だったと思うが、最近の考え方はそうではない。

 そうした状況で注意が必要なのは、入院期間が短くなっても回復するための安静期間というものに関しては変わらずに必要、という大きな原則だろう。どうも、入院期間だけが強く印象されて、その後に必要となる療養期間というものを見誤る恐れがあるのでは無かろうか。

 医師に念押しして確認した安静期間だが、その間は充分な休息が必要なのだという。会社や取引先へは今回の一連の措置で休むことの了解は取っている。およそ8日間の連続休暇となるので、消えてしまった「冬休み」が取り返せる計算になるし、さらに休日出勤の代休がその倍も未消化で溜まっているので、制度的な心配も不要だ。

 いずれ安静が必要なのであれば、場所は「さいたま」であろうが「前橋」であろうが関係が無かろう。退院直後に帰省するのは、こんな機会でもなければまたいつ故郷へ帰れるか判らない、と思ったからだった。

 久しく訪れていなかった亡父の墓参りもしたい、と思っていた。思っていたような病状ではなく無事に回復できることを報告したい、と思ったのだ。一人で暮らす母への無沙汰も詫びたいし、中学生の頃からの旧友にも会って積もる話がしたかった。要するに、手術前後で、すっかり里心が付いてしまっていた、というわけだ。

水芭蕉(ミズバショウ) 水芭蕉(ミズバショウ)

 父は農家の三男で、本家筋から言えば分家(新宅)といえる。だから我が「家」にとって亡父は新仏であり、そのために墓地は新たに準備した。

 菩提寺となる天台宗の寺は、家の南へ下がった先(旧集落の入り口)にあり、そこには本家の広大な墓地がある。父が危篤となったとき、まだ元気だった伯父が「お前の家は墓地を作る権利があって、その割り当てとなる土地も用意されている」と語っていたが、その寺の横にある墓地は購入しなかった。結局、前橋を一望する赤城の麓に市が準備した広大な霊園があり、そこを購入したのだった。前橋の南部にある我が家からは、車で30分ほど北へ山腹を登った場所だった。「前橋」は関東平野の北端部であり、市の北部からはやがて三国山脈へと連なっていく山岳部が始まる。

 その霊園は、市内の寺の墓地を改修してそれを一箇所に集める、という政策に沿った性質のもので、順次区画が整備されて拡張を続けている。私が購入した区画は、斜面を切り崩して平坦とし新たに造成したブロックだった。霊園全体からすると少し奥まった部分になる。そのブロック内は四区画程に分かれ、その区画一つが菩提寺の墓地ほどの広さだ。そのスケールは実に広大だ。

 墓地を購入後に墓石を準備して納骨するまでの間に、その区画の空きはどんどん無くなっていった。前橋の最北端、もうじき赤城山麓となるような場所であり公園全体が傾斜地なのだが、墓地の開かれたブロックは平坦で、広い区画が整備されていて広大な霊園がいくつもに分かれて広がっている。

 寺の墓所との違いは、公共の霊園なので宗派に関係がないという事、ブロックごとに様式(和式の墓石か近代様式の墓石か)と規格が定まっているという事の2点になる。石の種類は任意で細部のデザインは様々だが、基本のサイズと形状は市が規定した一定のサイズ枠がありその範囲を守らなければならない。ただし、付属の花台や供物台・灯篭・卒塔婆立ては、設置の有無やそのデザインは、ほぼ自由だ。


 霊園と書いたが、そこは自然が溢れる公園でもある。

 「嶺(みね)公園」という名前で、霊園地区の他は、桜並木や幾本かの梅の木が周りを囲む芝生のアスレチック広場や湿性花園、野鳥観察の池や、松林の樹林帯、ピクニック広場などがある総合施設だ。
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水芭蕉(ミズバショウ)

 「赤城山(あかぎやま)」は独立峰ではなく連峰なのだが、特徴的な山容を持つその一つの「鍋割(なべわり)」がすぐ間近に迫っている場所に公園はある。前橋からは海抜がかなり高くなり山も近いので、冬は木枯らしが吹いてかなり冷え込む。ただし、春先からは、樹林を渡る野鳥のさえずりや季節の花々が咲き始めて、雰囲気の良い場所だと思っている。

 四十九日を前に、ここに墓地を作り納骨も無事に済ませて、その後暫くした時のことだ。家人の元に「なんで、俺はこんな場所にいるんだんべなあ」と呟く亡父が夢枕に立ったという。先祖伝来の墓所で親戚一同と共に居ないことを、亡き父はいぶかしんだのかも知れない。

 それから早くも10年の歳月が流れたが、街を守護するように見晴かすこの場所を我が家の墓所として選択した事で、私は良かったと思っている。南斜面に広がっていて光が溢れているためだろうか、霊園、墓地、という暗さを伴ったイメージがない。例えば「谷中霊園」や「染井墓地」のように明るく、山腹ではあるが墓域を巡る園内の道を散歩する人達も多い。


 さて、「嶺(みね)公園」についてをもう少し紹介しよう。

 公園の一角には湿性花園がある。周りを松林に囲まれ、上部にある池を水源としてその水を引き込んだ湿地帯だ。雰囲気のある木道がめぐらされて、湿原にダメージを与える事無く、その中を散策することが出来る。木道沿いには、可憐な水芭蕉(ミズバショウ)の花が咲く。
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リュウキンカ

 清楚な「ミズバショウ」を囲むように、その脇には色鮮やかな黄色の可憐な花が咲く。

 「リュウキンカ」の花だ。白い水芭蕉の花とのコントラストが素晴らしい。花弁自体は小さくて、せいぜいが500円玉ほどの直径だが、一群れで咲くので案外にボリュームがある。
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ザゼンソウ リュウキンカ

 「座禅草(ザゼンソウ)」は、水芭蕉の仲間で「サトイモ科」の、早春を彩る代表となる花だが、色からは両方の花が近しい仲間である、とはとても考えられない。両方ともに「高層湿原」に咲く花なのだが、「ザゼンソウ」の方が幾分花季が早いように思う。

 水芭蕉は純白の仏炎苞(ぶつえんほう)と呼ばれる苞を開くが、実はあの可憐な白い部分は、花ではなく葉が変形したもの。黄緑色の中央にある円柱状の部分が実際の花だ。「ザゼンソウ」もこれと同じで、実際の花の部分は中央の円柱部(肉穂花序)であり、それを袈裟衣のように包む茶色の部分は同じく葉の変化したものだ。

 長野の蓼科(たてしな)・霧が峰、車山肩から続く湿原などを早春に歩くと、この「ザゼンソウ」が盛んに咲いているのに出会う事ができる。開花する際に発熱するので、積雪地ではその周りの雪を溶かしていち早く姿を現すのだ。

ザゼンソウ
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嶺公園 松林に囲まれた低湿地には
木道が回されている。

木道脇の地面は、
もうじき
水芭蕉とリュウキンカの花で
白と黄色に敷き詰められる。

 撮影したのは14日のことだ。まだ、時期が早く、水芭蕉はほんの数株ほどが咲いていただけだった。

 でも3月末には大分咲き揃って、湿原を埋めるに違いないと思う。また、その時期には「リュウキンカ」の花も水芭蕉を囲むように、辺りに盛んに咲くだろう。林を背にして暗い湿地に純白に輝く大降りな花の様は、実になんともいえない趣がある。

 嶺公園では、例年4月の下旬まで、「水芭蕉」の花を楽しめる。

 ゴールデン・ウィークになると、あっという間に葉が茂って、しかもそれがぐんぐん大きくなってくる。一株の葉が、信じられないほどの大きさに成長する。葉の長さが50cmほどになろうか。株の中心を取り巻きながら重なって広がる葉は直径で軽く1mを越すほどになる。その時期には、印象的だった白い花(実際には葉の変化したもの)もあっという間に散ってしまう。

 そうなると、もう赤城の山頂にある大沼(赤城大洞)横にある高層湿原として保護されている「覚満淵(かくまんぶち)」まで登らないと水芭蕉の花は楽しめない。ちなみに大洞(だいどう)は地元では大沼と呼んでいる。大きなカルデラ湖だが、そこまでは前橋から路線バスがでている。(現在は定期路線バスはどうやら廃線となったようだ。)

 運よくば、月末か来月の初め辺りに、もう一度、嶺公園を訪れることが出来るかもしれない。
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