父は農家の三男で、本家筋から言えば分家(新宅)といえる。だから我が「家」にとって亡父は新仏であり、そのために墓地は新たに準備した。
菩提寺となる天台宗の寺は、家の南へ下がった先(旧集落の入り口)にあり、そこには本家の広大な墓地がある。父が危篤となったとき、まだ元気だった伯父が「お前の家は墓地を作る権利があって、その割り当てとなる土地も用意されている」と語っていたが、その寺の横にある墓地は購入しなかった。結局、前橋を一望する赤城の麓に市が準備した広大な霊園があり、そこを購入したのだった。前橋の南部にある我が家からは、車で30分ほど北へ山腹を登った場所だった。「前橋」は関東平野の北端部であり、市の北部からはやがて三国山脈へと連なっていく山岳部が始まる。
その霊園は、市内の寺の墓地を改修してそれを一箇所に集める、という政策に沿った性質のもので、順次区画が整備されて拡張を続けている。私が購入した区画は、斜面を切り崩して平坦とし新たに造成したブロックだった。霊園全体からすると少し奥まった部分になる。そのブロック内は四区画程に分かれ、その区画一つが菩提寺の墓地ほどの広さだ。そのスケールは実に広大だ。
墓地を購入後に墓石を準備して納骨するまでの間に、その区画の空きはどんどん無くなっていった。前橋の最北端、もうじき赤城山麓となるような場所であり公園全体が傾斜地なのだが、墓地の開かれたブロックは平坦で、広い区画が整備されていて広大な霊園がいくつもに分かれて広がっている。
寺の墓所との違いは、公共の霊園なので宗派に関係がないという事、ブロックごとに様式(和式の墓石か近代様式の墓石か)と規格が定まっているという事の2点になる。石の種類は任意で細部のデザインは様々だが、基本のサイズと形状は市が規定した一定のサイズ枠がありその範囲を守らなければならない。ただし、付属の花台や供物台・灯篭・卒塔婆立ては、設置の有無やそのデザインは、ほぼ自由だ。
霊園と書いたが、そこは自然が溢れる公園でもある。
「嶺(みね)公園」という名前で、霊園地区の他は、桜並木や幾本かの梅の木が周りを囲む芝生のアスレチック広場や湿性花園、野鳥観察の池や、松林の樹林帯、ピクニック広場などがある総合施設だ。
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