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2012.04.15
赤城 大胡へ向かう(坂道その2)

走行距離;
 27km ;走行時間 1時間45分

カメラ;
 iPhone 4S  (画像添付時に約30%程度に圧縮)

本日の自転車
 FELT F−85


 人生の中でいくつかの大きな出来事がある。生老病死、それは誰でもに平等に訪れる転機のひとつだろう。その終末の出来事は遠からず介護中の我が親の身にも起こるものと覚悟はしていたが、それは予想を遥かに越えてあまりにも早くやって来たものだった。

 あの日から二週間が過ぎた。茫然自失のうちに日々を過ごしてきたが、様々にこなさなければならない長男の務めがあったればこそ、色々のものに耐えていられたのだと思う。

 一応はひと段落したと言ったところなのだが、まだまだ、やらなければいけない事柄は山積みの状態だ。

 これでよかったのだという気分になれる日もあるが、いや、これでは浮かばれまいと思い悩む日もある。そうなると、どんどんふさぎ込んできて普通に過ごしてはいられない。切羽詰った思いになるが、もはやどうにか出来るものではないのだから、そこでやり場の無い堂々巡りに陥る。

桃の木川より赤城山を望む <桃の木川CR>


駒形から赤城山を望む

 少しでも平常心を取り戻すために、なるべく普通に過ごそうと思い極め、それなら体を動かす事で心を動かそうと考えたのだった。

 池波正太郎が多くの時代小説の中で書いていた人の心の動きと言うやつだ。絶体絶命の状況で笑ってみる。するとその動作がこころに余裕をもたらす働きをする。そうして生まれた余裕で危機を脱することが出来るのだという。「鬼平犯科帳」の主人公、盗賊改め方の長官である長谷川平蔵や「真田太平記」の真田忍者の壺谷又五郎やお江が小説の中でそう言うのだった。

 どうにもならない絶望の中でも、そこで一杯の味噌汁に対したら無心にその美味しさに浸ればいいとエッセイ「むかしの味」の中にも書かれている。「ああ、旨い」というこころの動きがそれまでの絶望感を薄めて、追いやられていた元気なこころや平静を取り戻す働きをもたらすのだ、という。

 体がこころに密接に繋がっているのなら、その体を積極的に動かして<活発なこころ>の動きを取り戻そう、という事に思い至った。だから好きな自転車に乗って、こんな時こそ風を感じるべきなのだ。

 そうした訳で、また坂道を行く事にした。
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 さあ、塞ぎこんでいないで気分を切り替えようではないか。

 さて、前回の自転車行では「嶺公園」を目指したのだが、江木方面からの緩やかな坂道を考慮したにもかかわらず思いのほか厳しい内容だった。激しい登り坂に息も絶え絶えで、変速してペダリングの負荷を減らそうにも、もう下げるギヤも残っていないというような状況だったのだ。

 そこで得た教訓をもとに、今回は坂に慣れると言う事を第一の目標として、手頃な坂道である「大胡(おおご)」の町へ向かう事にしたのだった。ギヤの選択やペダリングなどを練習しよう、という目論みからだ。

 大胡は前橋の北東に位置していて、赤城山の中腹に展開している。そのせいで山間とまではないが行政域の多くは傾斜地である。町全体が緩やかな勾配のなかにある。

 だから街中を走っていても、頻繁に坂道が現れる。裏通りに入って進むと、時に急な登り坂が目の前に立ちふさがったりするのだった。

桃の木川CRをいく 桃の木川では桜が満開

 大胡の町は古くからの街路が開けているが、ここは戦国時代には城があった場所であり、土着豪族の「大胡氏」の領地となっていた土地柄だ。

 大胡氏は藤原秀郷の末裔で有能な鎌倉御家人。当初、平氏に従っていたが、後に源氏について多くの武勲を挙げる。その流れに後の剣聖、新陰流開祖の秀綱がいる。秀綱の三代前の信綱から大胡氏ではなくその南西の地である「上泉(かみいずみ)」を姓としたという。大胡や上泉の姓は、源氏の嫡流である足利氏の支族となる氏(うじ)である。

 前橋からは、片貝(かたかい)や三俣方面からなら 桂萱(かいがや)へ向かう県道を東に進んでいって、上泉、江木と抜ければ、その先が大胡になる。

 このコース取りだと、坂道は赤城の南東の山裾を横断する形になるので、坂道の登りには違いないが、ひどく緩やかな状態で走ることになる。

 前橋南部の駒形は、もう直ぐ伊勢崎市ガ始まるという境界にあるが、そこに藤岡・駒形・大胡線という県道が通っている。中心の「駒形十字路」(旧古河線との交差点)から大胡の中心地まで、まるっきりの一本道となる。それは真っすぐに北上する道なので緩やかな長い登り道なのだけれど、場所によっては多少きつい勾配の坂が現れる。

 こうした緩やかな長い登りでペースをつかんで、赤城ヒルクライムに備えた坂道の練習を積もうという算段からのコース選択だった。
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桃の木川では桜が満開 笂井(うつぼい)辺りの集落にて

 駒形から大胡へ向かう県道上を走って行くが、小島田(こじまた)の交差点で国道50号を横切り、そのすこし先で上武国道の高架を潜り抜ける。

 大きな道との交差点はその位で、あとはめぼしい交差点もなく、そのままずっと一本道を進む。でも、その道はずっと真っすぐな訳ではなくて、大筋では緩やかに東方に曲がっている。

 途中で大きく左へ周り、また右へ戻るS字でカーブする場所がある。そこが最大の斜度で、あとは、一定の勾配が大胡駅まで続く。しかし大胡駅の周辺は、さすがに上毛(じょうもう)電鉄の鉄路を通すだけあって、傾斜地ではなくて平面の状態だ。
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 大胡駅に来たのは随分と久し振りで、最後に訪れた時からもう40年以上も経っているだろうか。当時は天川(あまがわ)と呼んだ文京町から自転車を漕ぎ、一身に坂道を登ってここまでやって来たのだった。

 そうした少年の頃の印象はさすがに薄れてしまっているが、なんとなく、既視感がある。以前、同じ風景の中にいたな、という感覚だ。

 その感覚はデジャブという訳ではなく実際の体験がベースなので当たり前のことだが、あまりに長い歳月が過ぎているので、ここを訪れた事があるという事がなんだか幻の体験だったようにも思えてくるのだった。

 今の駅前は大変整備が進んでいて、記憶の中の「山の駅」ではなくなっていた。

 駅前は乗降者の自家用車も乗り入れられるバスロータリーになっている。

 ロータリーの先には小さな公園がある。嶺公園に近い大胡フラワーパーク牧場にある大きな風車を小さくしたものがモニュメントとして芝生の丘の上に立っている。こうした雰囲気の良い公園は以前はなかった様に思う。群馬フラワーパークが大胡を起点として出来た頃に整備されたものだろうか。

大胡駅(上毛電鉄) 大胡駅(上毛電鉄)
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 上毛電鉄は自転車をそのままの状態でいつでも乗せることができる特徴あるローカル線だが、大胡駅の前には、大きな駐輪場が用意されていた。

 さいたまあたりのJR駅にも多くの駐輪場があるが、それらはすべて有料だ。しかし、この駅の駐輪場は無料で開放されている。だから駅前に違法駐輪の乱雑に並ぶ自転車の姿が無い。町の玄関口としてなんと素晴らしい事なのだろう。

 大胡駅から、市街地に入ってさらに坂を上って左手(西方)へ向かえば、滝窪の集落を通って前回の嶺方面へと抜けられる。

 今回はそのコースをたどらずに、駅の先から折り返す事になっている。 登ってきた大胡・駒形・藤岡線のひとつ東隣りの尾根筋を降るのだ。

 その道は大胡・伊勢崎線で、大胡から荒砥(あらと)、二之宮(にのみや)と抜けて伊勢崎の華蔵寺(けぞうじ)公園の脇に出る。それは尾根筋の道なので、日が明るく射して来る清々しさが続く。眼前の展望が開け、雰囲気が良い田園地帯の景色が広がる。

 さすがに降りなので、ペダリングも快調。瞬く間に伊勢崎へ向かっていく。

大胡駅(上毛電鉄)前の広場
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<本日の旨いもの その1 千福食堂の焼きまんじゅう>

 あっという間に大胡を離れて荒砥に入り、やがて昼食の目的地に到着した。

 「焼きまんじゅう」が絶品の千福食堂(のんびり 行こうよ; 2011.09.24 「桃の木川CR(前橋)」)だ。

 ここで休憩をするわけだが、目当てはもちろん「焼きまんじゅう」、それに中華そば(今で言う東京らーめん、ばあ様が「支那そば」と呼んでいたもの)の雰囲気を残す「ラーメン」だ。
 
 さて、「焼きまんじゅう」は前橋や伊勢崎の名物だ。誰もが知っている味なので、それぞれが贔屓の店を持っている。

 何か身内で行事があるとまんじゅう屋さんへ出掛け、何本も焼いてもらって持ち帰って来訪者と共に皆で食べる。だから子供のころから出先の家々で色々と食べている。それぞれが微妙に違っていて好みもあるが、この店の串は美味しいと思う。だから、焼いてもらってその場で食べる。

千福食堂の焼きまんじゅう 千福食堂の焼きまんじゅう
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 焼きまんじゅうは串焼きなのだが、どの店でも一串に4個刺さっていて焼かれている。お団子がごこで食べてもひと串4個刺しなのと同じだ。
 でもこの店の串は他よりもう随分長くて、串には5個のおまんじゅうが刺さっている。実に嬉しい状態と言えよう。

 前橋の日赤前にある老舗「たなかや」さんの物も本当に美味しいが、この店もまた絶品なのだ。その事を「たなかや」さんが地元の店(つまりはおらが味)である友人Hに教えたくて、無理やり寄る事を承知させてここの串を食べさせたのだった。

 是非にも家族に食べさせたい、と言って何本かをお土産に焼いてもらっていた。最初は半信半疑だった友人も、この店の味をすっかり気に入ったようだ。

千福食堂のラーメン 千福食堂の焼きまんじゅう
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 さて、腹が満ちて私達の気持ちにも余裕が出てきたようだ。

 今日の坂は前回よりも随分と楽なので、肉体及び精神的なダメージも少ない状態だからか。


 ところで、この千福食堂からほど近くに二之宮という土地がある。そこには友人Sが住んでいて、今日はそこの祭礼が開かれている。二之宮の赤城神社(のんびり 行こうよ;2011.09.24 「桃の木川CR(前橋)」の春祭りがそれで、信心深い氏子を集めて地域を挙げて盛大に行われているのだった。

二之宮の赤城神社 二之宮の赤城神社
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二之宮の赤城神社 去年、9月にこの神社へ始めて訪れたのだが、
以前訪れてあまりのスケールに驚いてしまった。

木造桧皮葺の本殿、拝殿の作り、茅葺が重厚な社務所、
そして神楽殿や能楽堂。

実にどの建物も歴史があって、飽きない佇まいを見せている。

<二之宮 赤城神社の春の祭礼>

 友人Sから、春祭りではお神楽に出るから是非見に寄ってくれと、何度も誘いを掛けられていた。

 お神楽は、この辺りの少し歴史のある神社で催される祭礼にはつき物の行事だ。

 村内の若い衆が役をこなすのだが、実家の前の日枝神社(我が家は、この神社の氏子)にも舞台があって、お神楽が祭礼で舞われる。

二之宮の赤城神社 参道 二之宮の赤城神社 鐘楼脇
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 お神楽は勧善懲悪の寸劇になっていて、神子が見事に悪鬼・邪気・悪霊を懲らしめて、その年の無病息災と豊年満作のための充分な水、丈夫な稲の生育などを勝ち取ると言う内容だ。

 退治ではなく、どうやら改心させるという趣のようだが、その暁に、沢山のお菓子の袋を舞台から巻く。舞台を取り巻いて劇を見ていた氏子達は争ってこれを拾う。煎餅や飴玉などが入った袋だったりで、たいしたものではないのだけれど、縁起物である。これを手に入れれば、その年の災いからは逃れられるのだ。

能舞台 地域で和む
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神楽殿 神楽殿の後ろは満開の桜

 子供の頃には、祭礼の日には父親に連れられて本家を尋ねて、従兄弟達とみなで神社(のんびり 行こうよ 2008.01.03 「三日とろろ(前橋 日枝神社)」)に出掛けた。

 お神楽の内容は難解で、ナニを語っているのかさっぱり判らなかったが、面をつけて踊ってくれるので、かろうじて何か悪いものを退治しているのだなということは伝わった。従兄弟などは、その劇でのタイミングをすっかりと心得ているので、そろそろだよ、などと合図をくれた。

 だからお祭りには素人の私も、充分な準備をして撒かれる瞬間に備えたものだった。
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神楽殿 能舞台

 広い能舞台が境内の奥にあり、その横に神楽殿がある。

 さらにこの裏手には、校倉の宝物殿があって、能面などの重要文化財を収納する。いや、安全を考えて文化財は県が保管しているのかもしれない。以前、紹介したが赤城神社は規模が大きく、この辺り一体の地域の要の役割を担っていたのだと思う。

 何れも趣きのある建物で絵になるが、その後ろには桜が植えられている。大きく枝を張った桜が、それらの屋根を越えて、ひらひらと花弁を盛んに散らしている。

 今が満開なのだ。
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二之宮 赤城神社の境内   広い境内

  満開の桜に覆われる

<本日の旨いもの その2 赤城神社の屋台の焼き鳥>

 長い参道は太鼓橋(水は流れていない)で境内との結界を作っている。参道入り口には大鳥居が、そして境内の入り口にはそれより小さな鳥居があるが、さらに長屋門で仕切られている。

 だから、参道側は神の領域ではなく世俗の世界。そうした理由からか、参道脇にはお祭りの雰囲気が溢れていた。道脇にも桜が植えられて見事な満開の様子を楽しませてくれたが、いくつかの屋台が出ていて子供達の人気を集めていた。

 林檎飴やチョコバナナ、カキ氷やいろいろ。そうした屋台に張り付いていた数人の少女が、今度は競って焼き鳥を買っている。

 最高だから、食べてみろと 私達にも盛んに勧めるのだった。

 いや、君達はさすがだな、と私は思わず感心してしまった。オヤジさんの焼く鳥皮は実に美味しくて、思わず合わせる酒が欲しくなってきた。

子供達に大人気の焼き鳥 出ている屋台で一押し、と地元の子供が絶賛

出ている屋台で一押し、と地元の子供が絶賛する
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神楽を舞う 神楽を唱える(朗々と語り始めた友人S)

<二之宮 赤城神社の伝統芸能 お神楽>

 友人Sが神子の装束で舞台に現れた。

 何かを語り始めたようだ。おお、天の岩戸の説話ではないか。

 朗々と唱えているが、それはかなりの長文である。しかも、全てが古語。私は高校時代、古典の時間が大好きだったので、違和感無く話の内容がわかったが、これでは子供の頃にお神楽が判らなかったのは当然だった、と思った。

 古事記のような説話を暗喩して、踊りと共に語っているのだから、大したものである。

 改めて、舞台で舞う友人Sを見つめてしまった。緊張した顔をみせていて若干のぎこちなさはあるが、どうして大した内容なのだ。いつも見ている彼よりも2周りほどもスケールが大きく感じられた。

 年をとって、地域に根付くと言う事も、まんざら捨てたものではないのだな、と思った。
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神楽を舞う 神楽を舞う

 今日は走ってみて、本当に良かった。

 坂道での爽快さを味わえたし、何より友人Sの雄姿も目にする事ができたのだから。

 体を動かした爽快感によってか、ふわりと軽くなって、心の中が温かくなってきた。

 彼の声や真剣な語りや舞いに引き込まれ、その姿に感動した。中年オヤジの快挙を目の当たりにして、私も塞いでないでこころを切り替えてなんとか力を出さねば、と深く感じ入ったのだった。
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