少しでも平常心を取り戻すために、なるべく普通に過ごそうと思い極め、それなら体を動かす事で心を動かそうと考えたのだった。
池波正太郎が多くの時代小説の中で書いていた人の心の動きと言うやつだ。絶体絶命の状況で笑ってみる。するとその動作がこころに余裕をもたらす働きをする。そうして生まれた余裕で危機を脱することが出来るのだという。「鬼平犯科帳」の主人公、盗賊改め方の長官である長谷川平蔵や「真田太平記」の真田忍者の壺谷又五郎やお江が小説の中でそう言うのだった。
どうにもならない絶望の中でも、そこで一杯の味噌汁に対したら無心にその美味しさに浸ればいいとエッセイ「むかしの味」の中にも書かれている。「ああ、旨い」というこころの動きがそれまでの絶望感を薄めて、追いやられていた元気なこころや平静を取り戻す働きをもたらすのだ、という。
体がこころに密接に繋がっているのなら、その体を積極的に動かして<活発なこころ>の動きを取り戻そう、という事に思い至った。だから好きな自転車に乗って、こんな時こそ風を感じるべきなのだ。
そうした訳で、また坂道を行く事にした。
|