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2012.04.29
四万 中之条から四万温泉(激坂を登る)

走行距離;
 79.2km ;走行時間 4時間15分

カメラ;
 RICOH CAPLIO GX−100 24mm F2.4 〜 72mm F4.4
 (画像添付時に約30%程度に圧縮)

本日の自転車
 FELT F−85


 今回の行程では、ちょっとキツめの<峠越え>が入る。

 この際だから「輪行(りんこう)」によって登り口まで楽に移動して、山奥の目的地へ向かうための体力を温存しようと思っている。

 移動の主な手段は「列車」による。

 JRでは自転車をそのまま載せられないが、分解して袋に収納した状態であれば、乗車運賃だけでよい。バスやフェリーなどと違って手荷物などの追加料金なしで、そのまま利用ができる。

FELT-F85;本日の相棒

愛車、FELT F85
今日の相棒も、友人H。

気の合う、
大切な友達だ。
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 前橋には「中央前橋」駅から東に進んで、ずっと先の桐生市までを結ぶちょっと可愛いいローカル線がある。

 赤城山の中腹を2両程でのんびり走る列車で、この路線は「上毛電鉄(じょうもう でんてつ)」という私鉄が営業しているものだ。  (朝の通勤時間帯などは車両は増結されて4両程度で運行されるが、逆に日中などは一両で走る場合もある。)

 このローカル線、地元では略して「上電(じょうでん)」と呼ぶのだが、その呼称には近隣住民や長年の利用者達の愛着がこもっている。

 多くの駅が路面電車のターミナルほどの大きさであり、しかも無人駅なので、車両から降りてホームに立った車掌が丁寧に改札をする。この路線では、区間、時間帯を問わず、どの列車にも自転車を剥き身で乗せることができる。JRと異なって、とことん大盤振る舞いなのだが、しかも適用日などにも一切の規制がない、というご機嫌な状況だ。

 ちなみに、前橋周辺では、高崎市から下仁田町までの区間を走るローカル線、「下仁田鉄道」が同じようにサイクルトレインを実施している。

 首都圏のJRではこうした取り組みは無理な難題なのだろうが、是非とも、少しは彼らの努力と取り組みを見習っていただきたいものだ。

 さて、今回の行程では前橋駅からJR両毛線で新前橋駅へ向かい、そこからJR吾妻(あがつま)線へ乗り換えて「中之条(なかのじょう)」駅までの距離を稼ぐ事にした。

セルフ 前橋駅
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<輪行での移動>

 今回の同行者(賛同者)は1名、都合のついた友達と2人でのツーリングとなる。

 前橋駅発9時30分の列車に乗れば(途中の新前橋駅での乗り換えは2分ほどなので階段の上り下りが厳しいのだが)、中之条へは10時17分に到着する。2台の自転車を1人で収納するわけだけれど、早朝という訳でもないのでパッキングは充分なんとかなるだろう。だから、9時10分ほどから前橋駅で自転車を輪行バックに収納し始めれば、10時半過ぎには乗り出して走る事ができそうだ。

 コース全体の難易度などを考慮した日帰りの行動としても丁度よくて、特に大きな問題は見当たらないようだ。


 Hとは中学一年生からの友人なのだが、30歳を過ぎた頃は趣味が多忙であり、40代の時期はお互いの仕事が多忙だったため、しばらくは疎遠の状況だった。それが2年前の集まりが切っ掛けで、最近は以前同様の付き合いを復活させている。

 私が自転車を勧めたこともあるが、丁度、彼自身のメタボ対策を兼ねた運動に対する方向性もあり、スポーツとして「自転車に乗る」ということが感性にもぴたりとフィットしたようなのだ。

 最初、私のロード車(Felt F85)を貸して、ウェアなど一連の用具も私が用意して桃の木川のサイクリングロードを軽く走った。伊勢崎まで行き、「島田屋」さんでもんじゃ焼きを焼いて楽しんだのだった。その後、2度目も同様に桃の木川のサイクリングロードを走った。今度は若宮町の「ホワイト餃子」を食べに行ったのだった。どちらも往復で25kmほどのコースで、そこを風を感じてのんびりと走ったのだった。

 初めは軽めの負荷(距離)設定、しかもお楽しみ付きというまったりモードで誘い込み、次第に抜き差しならない深入りを誘う、という悪だくみをしたわけではない。現状のような状態へは到達できず、しばらくはそのようにして走るのだ、と思っていた。輪行して峠を越えるという時期が、正直なところ、こうも早くやってくるとは想像もしていなかったのだ。

 2度のポタリングを経ると、彼は自分でも自転車を持とうと思い始めた。彼に変わって私が彼に合うロード自転車を選び、格安で購入できる英国からの通販で取り寄せた。Hはジムには通っているが、自転車に関しては全くの初心者であったから、サイズや車種の選択、注文、調整や調達(ペダルやライトやボトルゲージ)などはすべて私が受け持った。

 初期の投資額がかさんでしまうので、ウェアや用品の類(ヘルメットやグローブやシューズ、レーシングパンツ、インナーパンツやジャージ)などは私のストック(新品と数回の利用品など)を配給した。乗り方などに関しても熱心に講習し、その成果が現れて直ぐにビンディングシューズに昇格し、今では赤城山の麓(前橋の北部)程度の山坂道をこなすほどになっている。

吾妻線の列車に揺られて 吾妻線、中之条駅へ到着

<両毛線・吾妻線を乗り継ぐ>

 両毛線は「りょうもうせん」と読み、栃木県の小山と群馬県の高崎とを結ぶ路線。北関東を横断するJRのローカル線だ。

 なんのことか、何処とどこを結んで走るのかサッパリ判らない名称だが、これは律令時代に遡る古い地名をいわれとするものだ。群馬の古名が上野国(こうずけ;かみつけのくに:上毛国)、一方の栃木が下野国(しもつけのくに:下毛国)。 都(朝廷の置かれた京都)に近い方が上(千葉の上総や下総、新潟の上越や下越なども同じ)であるが、両方の毛の国を結んで走るのでこの鉄路を「両毛」線と呼ぶ。

 「磐越西線」のように磐梯地方と越後を結ぶや「埼京線」のように埼玉と東京を結ぶ、などであれば走っている地域も想像しやすいが、両毛線では関東圏外の方には判りづらいものだろう。

 乗り継ぐのは同じくJRローカル線の「吾妻(あがつま)線」。高崎を基点として、草津温泉の入り口である「長野原(ながのはら)」までを結ぶ。今回の行程ではローカル列車からローカル列車への乗り継ぎになるのでちょっと大変なのだが、これを利用することで自転車での移動距離が大幅に減る。無論、この選択は私が鉄っちゃん(「乗り鉄」?)だからという訳ではなく、体力のみならずこの際だから自由にできる時間も稼ごう、といった算段が働いている。
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<中之条への道のり (移動は普通は皆、車)>

 「中之条(なかのじょう)町」は吾妻(あがつま)地方(群馬県の北西部)の玄関口にあたる地方都市だ。

 もう関東平野は渋川の入り口で尽きてしまっているが、渋川から先の中之条までは緩やかな勾配が続く。まだまだ山岳地帯という訳ではないので、途中現れる坂道なども、楽な緩い登り道である。比較的に平坦な道のりなのだ。だが、中之条から先は山岳地帯となり、いよいよ本格的な山坂が始まる。

 今回は町の北方に控える峠道を越えてまっしぐらに進み、我らが目的地の「四万(しま)温泉」へと向かう、というコース取りで進む事になる。


 ところで、前橋から吾妻方面(中之条町や草津の入口の長野原町)へ向かう場合、乗り換えを必要とする列車ではなく自動車を使うのが一般的だろう。総じて群馬は公共交通が不便なため自家用車の保有台数が多いという土地柄だ。家に居る成人の数分の自家用車がある、という家庭なども珍しくない。

 「どこかに出掛ける際はまずは車で」といったところは、そうした群馬の中でも際立って不便な前橋ならではの事だろう。上州人は気性が荒いという事だが、その中でも難しい気質(短気だし、怒りっぽいし、乱暴で横柄)が溢れているためだ。車の運転を観察してみればすぐに気が付くものと思うが、われらが市民は列車を利用するような悠長な行動が苦手なのではなかろうか。

 前橋から車で行く場合は、まずは国道17号線で北方の渋川市に向かう。高速道路などではなくて、渋滞で有名な「鯉沢(こいざわ)」の交差点から吾妻(あがつま)川に沿った古くからの街道を使って行くことになる。

 群馬の道路はかなり奥まで行っても良い状態で、古くからの街道といっても旧街道そのままというわけではない。別段、旧道や林道を行くのではなく地方道として主要な県道を使って進む。舗装や補修も充分にされているので、山へ向かうといっても平地(都市部の複数車線の道路とまではいかないが)を走るのと変わらない。

 まあ、今回は吾妻線の列車に乗ってしまうので、中之条へ至る間の美しい渓流の様子(吾妻渓谷と呼ばれる)は判らないだろうが、吾妻川の早い流れを囲む新緑が、さぞや眩しい事だろうと思うし、そんな新緑は車窓からも充分に楽しめるのではと思うのだ。

激しい坂道の横で癒される桜花 峠の途中でみた見事な桜
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ミヤマスミレ たけやま館の様子

 「輪行」なので温泉の入口となる中之条までは他力に頼ることができる。

 まずは、輪行袋に詰めて列車で運びこんだ自転車を駅前で組み立てる。「組み立て」というと大げさになるが、パックを解いて、外した車輪をフレームへと組み付けるだけなので、大層な仕事ではない。

 街を抜けてから続く坂道では、自力で解決して山間部へと進む必要がある。体力との格闘が始まるわけだが、峠道を踏ん張って登り詰めなければいけないようだし、その勢いを乗せてさらに奥にある四万温泉へと向かう必要がある。

 さて、今回のコース。

 JR吾妻線の中之条駅から目指す四万温泉までは、ずっと登りが続く。参考までに調べてみたら、Webで幾人かが四万への標準コースを紹介していた。それらによればコースは登り基調であるが、それほどキツクはなく、走行時間は1時間程だという。

 先ほど書いたように、今回の行程では、走行開始から日没までの余裕が充分にある。だから様々に対応ができるだろう、と考えた。昼食をゆっくりとって、その後の休憩もし、土地の風物なども楽しんで、さらに温泉にも入る、という盛り沢山の贅を尽くした楽しみが待っている。
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<四万温泉のこと>

 さて、群馬には実に多くの温泉地があるのは、すでに皆さんがご承知の通りだ。

 数ある温泉地の中でも、四万や沢渡(さわたり)などは観光化された温泉街というよりも、鄙びた湯治場の雰囲気を存分に今に伝えている。私達中年世代にとっては寛げる癒しのスポットであり、とっておきの場所といえよう。

 県内にある草津(くさつ)や万座(まんざ)、伊香保(いかほ)や水上(みなかみ)、猿ヶ京(さるがきょう)や法師(ほうし)などといった全国的に有名な温泉地と違って、小洒落た感じは少しもなくて、四万温泉などは尻焼(しりやき)や老神(おいがみ)や花咲(はなさく)などと並んで地元好みの地味な温泉地だといってもよいだろう。

 すぐ横手まで山の斜面が迫っているが、斜面の底には美しい渓流の「四万川(しまがわ)」が水量豊富に流れている。四万川の流れが広めのV字谷を形作り、そうして出来た河岸段丘の狭い領域にひっそりと懐深く、鄙びた温泉街が展開している。流れを見下ろして細長く続いている街並みには、川の下手側からの入りかたと国道を上部まで進んで、上手側から街へ入る方法とがある。

 上まで登るのも大変なので、今日の私達は下手から温泉街に入る事にする。入口の右手には山奥から続く峰の斜面がすぐのところまで迫り、その間際に一列に古い佇まいの宿が並んで続く。道を挟んだ左側には、いくらか大きめの旅館が数軒ほど立ち並んでいる。大きいといっても四万の内のことで、せいぜい箱根湯本の早川の奥の方に並ぶ旅館程の規模を思い浮かべて頂ければよい。

 この街を奥まで進むと途轍もなく古い由緒ある有名な旅館が出現するが、水上や草津のような近代的な大型旅館があるわけではないのだ。あくまでも和風の宿ばかりで、どの宿にも古びた感じが色濃く残っている様子が実にいい。

 左手に続く宿の横を見ると、地面は続いていずに建屋のすぐ横が切り立っていて、先ほどの四万川がその下に流れている。だから、ここの街並みは平面的な広がりがあるわけではなく、中央に走る道に立つとその印象はまるで宿場町のような趣きがある。


 そして、そうして眺めていると、なんだか、ぽっかり空いた時代の穴に入ってしまったような気分になってくる。

 派手なお土産屋さんや飲食店、大きな観光旅館などが有るわけでもなく、街路はあくまでも静かで落ち着いている。街が尖っていないからなのか、ふわりとした柔らかな雰囲気に溢れている。

 言ってみれば少し前の時代、どの町にもあったあの雰囲気がここにもある。たとえば少年時代を過ごした町に感じたものと同じ温かさが、ゆったりと流れているのだ。

 温泉街の入口から近い道の右手側は特に、昔の逗留宿の雰囲気が色濃く残った質素な家並みを持っている。

 実際、自炊での湯治客をもてなすための素朴な宿が、今も数件残って営業を続けているという。私の伯母なども90歳を越えたので今では外出も少なくなったが、つい先頃までの秋口や冬場、この地や草津への一週間程度の湯治を続けていたのだった。

蕎麦処けやき たけやま館前でのFELT F85。
うしろは「蕎麦処けやき」で、十割の手打ち蕎麦が楽しめる

<ファイト!って覚えてますか?>

 いったいに古い歴史を持った温泉地なのだが、地元の人しか知らない、知る人ぞ知るといった、まるで隠れ里のような感じの素朴な場所だと思う。

 しかし、2005年のNHK朝の連続テレビ小説(「ファイト」)の舞台となったためか、それ以来、メディアでも盛んに取り上げられるようになった。「すべての人にファイトを贈りたい」というのがコンセプトだったそのドラマ。次々に現れる逆境を乗り越えて15歳の主人公が夢を実現していく心温まるストーリーだった。

 普段はまるで見ることのない朝の連続ドラマだけれど、よく知る高崎の街や四万温泉が舞台だったので、放映の際にはよく見た覚えがある。デビュー4年目でまだ新人だった本仮屋ユイカさんが主役。両親役は緒形直人さんと酒井法子さんが演じていた。平和な生活を送っていた明るい家族が、事業の失敗で離散し、協力して皆で働かなければならなくなるため、高校も中退してしまう。

 やがて母子で住込みで働くことになるのが四万温泉なのだった。そこの老舗旅館・駒乃館の主人役に先日亡くなった児玉清(こだま きよし)さん、その脇は歌う女将役で由紀さおりさんが固めていた。議員になる前の三原じゅん子さんがそこの若女将(名物女将が現役で旅館を支えているので女将家業を見習い修行中という設定)役で出演していて、ちょっといい味を出していた。

 実は、四万温泉や中之条町は、役者になる遥か以前の児玉さんが学童疎開をしていた場所で、個人的なゆかりの深い土地だという。そして老舗旅館にはモデルがあって、それが先に書いた古い由緒ある旅館の正体だ。

 江戸時代(元禄4年に建てられた県重要文化財の本館玄関などが残る)からこの地に続く老舗旅館の「積善館」がそれである。
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2004.10.30 効能温泉号で中之条へ 2004.10.30 効能温泉号で中之条へ

<コースの実走>

 JR中之条駅の駅舎は改装がされていて、駅前のロータリーは随分と美しく変わっていた。

 JRの秋の企画、臨時列車でいく温泉の旅として「効能温泉 ゆけむり号」が11月中旬あたりに用意された。以前、私は家族連れで数年間、この企画に参加していたのだった。当初は募集枠があって先着順だったと思うが、企画が始まって数年目からはフリー参加に近い形に変わったように覚えている。期間中、新宿駅を始発として大宮駅と熊谷駅、そして高崎駅を停車駅とした旧特急列車の車両(ボンネット型の中距離特急)が専用の臨時列車で運行される。

2004.10.30 効能温泉号で中之条へ
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 イベントでは、目的地の起点となる中之条駅から専用の臨時バスが山間部を周回(乗り降り自由な巡回)してくれた。温泉への入浴だけでなく、リンゴ狩りやそば打ち体験などといった特色のあるオプションもあったのだ。それは、手軽に楽しめる盛りだくさんの素晴らしい企画で、味をしめた私達は3年ほどは連続して行ったはずだ。

 内容はその都度、簡略化される方向へ変っていったので少し不審ではあったが、残念なことにとうとう今では企画そのものが無くなってしまったようだ。 そのツアーは大型バスで山の中を移動してくれたので実に快適だった。快適さもあったが、そこで経験した様々のことがらが印象深く、色や味や香りで心に残っている。そうした理由で、その際に回った幾つかの場所を今回の目的地としている。

2004.10.30 効能温泉号で中之条へ 2004.10.30 効能温泉号で中之条へ

たけやま館の蕎麦撃ち道場で、「蕎麦打ち体験」 2004.10.30
初めて、十割蕎麦をうったのだった。

 「嵩山(たけやま)」という岩峯が中之条のすぐ北部にある。そこで、十割そばの蕎麦打ち教室に入って、手順を教えてもらいながら家族で初めての蕎麦を打った。

 その際に自ら打った蕎麦は本当に美味しかったのだが、同じ敷地には「そば処けやき」という風情ある茅葺屋根の店もあって、同じ粉を使った手打ちの蕎麦が手軽に楽しめる。たけやまの岩山を思い描くと楽しかった手作り体験の想い出が蘇ってきた。

 だから今回は、出発直後の目的地として、まずは「嵩山(たけやま)」を目指す事にしたのだった。

2004.10.30 効能温泉号で中之条へ 2004.10.30 効能温泉号で中之条へ
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けやきのメニュー

<十割蕎麦を食す>

 峠と呼んでもいいような急な坂道を登り切って、前方を見上げると、そこに巨大な岩峯が立ち上がっている様が視野に広がった。

 その岩壁の頂きに向かって、麓からは一本のロープが張られていた。そのロープには幾匹もの鯉のぼりがびっしりと重なって続く。上の方のいくつかの鯉は、風をはらんで勇壮に泳ぐ姿を見せていた。たしか草津に抜ける手前だったと思うが谷を流れる渓流に掛かったロープに泳ぐ鯉幟の群れを見たことがあって、その姿も素晴らしかったが、この昇りあげる鯉の群れもひときわ勇壮で素晴らしい。流れる汗をそのままに、しばし鯉を見上げて、そのスケールに打たれた。

 我に返って、店に入り、早速、蕎麦を注文した。

 入った直後から次々に客が増えて、すごい人数の待ち行列となった。幸い、私たちのタイミングが良くて10分ほどの待ち時間で済んで無事に注文することができたが、前に座っていた人はオーダーを飛ばされる(熟年の品のいいご夫妻は結局、一時間も待ったのにと通っていなかった注文に憮然として席を立ってしまったのだった)し、あとの人達などは私達が食べている最中も席に着くことができない状態。大分並んでいないと駄目なようだが、席についてもしばらく待たないと注文が揃わないだろう。

 まるで、ゲレンデの食堂のような混み具合をみせていた。しかも客の混雑だけでなく、店の人たちも大分混乱していたようだった。

天麩羅 蕎麦のお供には
あっさりとした
野菜の天麩羅
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 迂闊なことだが、思えば世間はゴールデンウィークの只中だった。

 殺到する客の注文に店の仲居さん達だけでなく調理場までもが混乱していたようだ。そうした店の混沌とした状況は蕎麦つゆの味にも出ていた様に思う。

 以前は深いコクがあったように記憶していたが、この日のつゆは少しがっかりする内容だった。それは、なんだかそうめんつゆが薄まってしまったような、何とも言いようのないつゆの味だった。私のこころに残っている味は、もともと手作りの「そば道場」側での経験だったわけだけれど、その際に用意されたそばつゆは店が作ったものと同じだろう。

 勝手なことだが、大切だった想い出も一気に色あせる気がした。

十割そば 十割蕎麦
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<峠道の洗礼>

 大周りになる国道沿いに進むのではなく、少しでも距離を短くしようと考えて、駅前から直接登り始める地方道(県道53線)を選択した。

 後に、この選択が国道を進む数倍の困難をもたらすものになるとは、走り始めた時には思いもよらなかったのだが、これが、実は大変な坂道であった。走り始めから数分で、山岳登攀の真っただ中!といった事になってしまった。バスでの移動の記憶のいい加減さを呪いながら一心にペダルを漕ぐが、雄大さは増すものの、行く手に立ちふさがる岩峯はなかなか近づいてくれない。

 懐かしい「手打ちの十割蕎麦」を想う心でいっぱいだったためもあり、この岩山の雄大さまでには全く気が回っていなかったのだ。

 30分以上も急な坂道を漕ぎ上げてやっと、「たけやま入口」の幟看板を目にすることができたのだった。

 私が確認した四万温泉へ向かうというWebページの記載は、どうやらそのすべてが、中之条駅から山を巻いてまっすぐ伸びる国道を進む場合のものだったようだ。

 そこでは1時間との所要時間が記されていたのだが、県道53号線を行く私たちは、伊勢町を抜けるあたりのあまりの急登に早くも汗にまみれ、息を喘がせ、最初の目的地の「たけやま館」に着くまでに45分という時間を費やしていた。

尾根を越える
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<峠を越える>

 記憶では一旦降りてから登り返して、尾根を越えて薬王院へ向かい、そこからさらに下がって国道へと出たように思う。

 そこからUターンして今度は四万湖へ向かって登っていったのではなかったか。「たけやま」からの降り道(産石から中組公民館へ至る道)は、自転車で走ってみると斜度がきつくて随分と長い直線の坂道だった

 針葉樹の間を走ってあっという間に降り切ったが、これを登るとなると(国道側から「たけやま館」の場所へ行くとすると)かなりキツかろうと思う。ブレーキを掛け続けたためかホイールがかなり熱くなっていた。

 一旦、中組公民館まで降りて「日影」の集落に出て、そこで右に折れて「中村」、「名沢」、「馬込」と山道を登って進む。

四万湖
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 公民館のT字路をそのまま左へ折れて進めば、更に道を降って国道へと出るわけだが、公民館までの間で、なんだか折角苦労して登りつめた「たけやま」の高度から、あっけなく降りてしまった。大分降ったように思うのだが、さらに降るのがもったいなく思えてきた。だから、さらに道を降りる事を躊躇う気持が高かった。

 この選択が、実は本日の第二の落とし穴であった。 先の「たけやま館」への登り道も結構な斜度だったが、どうしてこちらの道もきつかった。最初の登りでの格闘が思いのほか辛かった。その疲れが溜まっている分、今度の坂はさらにきつい。

 後で地図を見て確認したのだが、等高線が密集している尾根を幾筋も跨いで、道は通っていた。そうした状況は当然走る際にも判っているが、次々に現れる幾度かの登りと降りを繰り返さなければ先に進めない。嫌になっても登るしかないし、残念に思っても降るしか無いのだった。

 かくして幾度もの精神的な葛藤の末に、いや坂道との肉体的な格闘の末に、やっとの思いで「新田」に登りつめ、ついに開けた場所に出た。

 三ノ原浄水場のある広い台地だ。

四万湖の脇 セルフ
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<峠を越えて四万湖を進む>

 公民館からの登りはきつく、1時間程を走ってきたと思うが、たどり着いた台地のような尾根の鞍部では、心地よい風が吹きわたっていた。

 尾根の鞍部は見渡す限りに水田が広がり、そこに吹き抜ける心地よい風に植えられた早苗が踊っていた。

 この場所も広いが、その下手側にはさらに広大な「薬王園」が広がっているはずだ。漬物(たまり漬け)で有名な沢田農協などが国道沿いにあるが、ここは農協のある尾根を越えた上部に当たる。高原と言ってもよいだろう。

 以前参加したJRの列車企画では、このあたりを少し下った場所でリンゴ狩りを楽しんだ。秋にこの場所へ来れば、台地の先に連綿と続く山並みの斜面一杯を紅葉が飾る様を目にすることが出来るだろう。そして少し降った場所を走れば、豊かに実る山の香りが存分に楽しめるに違いない。

 浄水場の横まで行ってみると、その脇に暗い林道のような道が北西に向かって続いていた。後で調べると殿界戸(とのかいと?)という集落だった。そこを抜ければ国道へと下りられるという図が集落の入口の案内版に明るく出ていた。国道へ続く降り口は針葉樹(深い杉の植林)に囲まれていて少し暗くて狭い道だった。

 しかも道はぐんぐんと降っていて、恐ろしい程の斜度がある。途中で様子がおかしいなと思ったら、どうやらブレーキシューが焼き付いた様だ。まるで効かなくなったので途中で自転車を降りたら、ホイールもブレーキシューのハウジングもすごい熱を帯びていた。

 斜度がきつくて狭い道のため、減速するためにブレーキをあてるといった事ができず、頻繁にブレーキを握って減速を続けたせいか。初めて経験したのだが、仕方がないので自転車を降り、休みを兼ねて少し歩いて、熱を逃がしながら道を降った。


 松林を抜ける急坂をおりると、やっと目標の国道へ出る事ができた。そこから少し走ると、すぐ先に何とも言えない神秘的なグリーンの湖水を湛えた四万湖が広がっていた。

 四万湖を過ぎるあたりの道脇では、桜花が満開で、湖からの風にそよいで盛んに花弁を散らしていた。

この坂を登れ ハンドルの先に続く坂道
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鴎穴

<鴎穴(おうけつ)へ向かう>

 四万発電所の脇まで国道353号線をそのまま進んだ。国道はここから先にまだまだ続くが、ここからの表示は「四万街道」になる。

 もう、温泉街は目の前で、ここまでくればもう大丈夫。きつい坂はもう現れない。あと30分ほども漕げば、目指す温泉街へ入れる事だろう。

 この街道の途中には、四万川の流れが淀んで自然の力で作られた変わった場所がある。


 ところで、花咲から老神を抜けて流れる清流の片品川という河川がある。日光方面から沼田へ向かう道で、赤城の北面と地元では呼ぶあたりだ。

 この川も四万川が流れ込む吾妻川と同様にやがては利根川に合流するのだが、暮坂峠を越えた老神温泉への入口に「吹き割の滝」という有名な景勝地がある。川床全体が大きな岩板であり、その岩に溢れるように水が流れる場所だ。清流は岩畳みの上に湧き出すように膨らみながら流れてきて、2メートルほどの落差となって大きな幅をもった勇壮な滝となる。


 さて、この場所、「甌穴(おうけつ)」は、その吹き割の滝とは逆の状態。

 勢い良く流れ来た清流が、川床に壺を埋め込んだように、岩肌を丸く深く削り取っている。流れの中に滝は無いのだが、滝壺を思わせるような深みを持った窪みだけがある。

 県の天然記念物に指定されているのだが、あるものは直径2Mで深さが4Mもあるという。それほど、巨大なものは別格だろうが、大小合わせて8ヶ所程の穴が川底に見られるという。遊歩道が整備されていて、国道の道路面から川面まで、安全に階段で下りることができて、美しい川の色を近くに楽しむ事が出来る。
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鴎穴 セルフ

 岩肌が川底となっているのだが、そこに数万年の歳月を掛けていくつかの穴が出来たという不思議な状態だ。

 そこには案内板だけでなく、ミニギャラリーを持った休憩所がある。ウッドデッキに出て、木漏れ日を受けながらコーヒーを愉しむ事ができる素敵な場所だ。

 帰りの話になるのだが、ここのお土産処で漬物を買った。

 近年、その地区が中之条として合併され、その関係で新たに「あがつま農協」となったようだが、その地区の農協である沢田農協が作っていたのが県内でも有名な漬物だ。

 今では「沢田の味」とキャッチフレーズされ、「沢田農協」の名前は冠されていないようだ。保存料を利用しない、風味豊かな「たまり醤油」の漬物と、「味噌」漬けがあるが、私は醤油の漬物の方が好みに合っている。
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案内版 温泉街への入り口 

<山口露天風呂へ>

 国道を走ってきて、その右手を流れていた渓流を跨いで温泉街へ向かうために川の対岸へ渡る。

 ここから温泉街への道は川の右手(入口から奥に向かって右、川用語でいえば左岸)になる。道に入って進むと、最初に対岸に日帰り温泉の施設「四万清流の湯」が目に入る。 ここは川に向かって大きな露天風呂を持つ施設。

 有料だが中之条町の直営なので料金は僅かに500円で済む。 設備が良いので混雑するためもあってか、2時間の入場制限がある。さらに温泉街を進んで、老舗旅館の山口屋を過ぎる。その少し先、喫茶店や酒屋があるあたりから道が少し狭くなってくる。

 道に沿って奥(川の上流側)へと進んで行くと、いくつかの外湯が現れる。どれも無料であり、しかも来訪者に公開されているので、時間内であれば誰もが楽しめる。

 こうした外湯は皆、建屋があって湯船は屋内に設えられている。「上の湯」という共同浴場が丁度その道の細くなった辺りにあるので、それを目指した方が私達が入ろうとしている「山口露天風呂」への入口を見つけやすいと思う。

 川の下手から道を奥へと進んでいくと道の左側に看板があるが、判りづらいので注意する必要がある。入口は狭いただの路地なのでうっかりすると見落としてしまうためだ。
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温泉街への入り口 山口露天風呂

 ちなみに露天風呂の脇には脱衣所があるが、ここにはトイレが無いので要注意。

 町の入口、先の町営の共同浴場の入口のあたりに公衆トイレがあるので、ゆっくり露天風呂に浸かろうと思ったら、あらかじめ用足しをしておくのが良かろう。

 路地を通って、川岸にある歩道橋のような鉄製の橋を渡って宿が並ぶ対岸へと渡って浴場へ向かう。橋の降り口まで行くと対岸に岩作りの露天が見えてくるので、湯船の混み具合が判るだろう。

 湯船は4か所で、温度がそれぞれ違うが、私達が訪れたときはひとつは水で、ひとつはほんのり温度がある程度のひどいぬるま湯。だから入浴できるのは主に2つの湯船のようだ。
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山口露天風呂 山口露天風呂

 早い流れの四万川がすぐ脇に流れているのだが、生憎、浴場は川岸面にある。

 宿の浴場はどれも川を見下ろすように設えてあるようだが、この露天では、お湯に浸かってしまうと美しい川の流れの様子は楽しめない。

 そうはいってもこのお湯のロケーションは素晴らしい。簡単な屋根と目隠しの囲いがあるだけの本当の露天状態なのだ。好き嫌いにも因るだろうが、実に爽快な気分。ここにくれば自然に浸る醍醐味といったものを味わう事ができるだろう。

山口露天風呂 山口露天風呂
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<四万街道を走る>

 四万温泉から中之条駅に至る国道は快適で、登り道とは比較にならない時間で走ることができた。

 途中で、暗いトンネルを潜り抜けた。車道の脇に一段高くなった歩道が用意されている。街道なので、大きな定期トラックなども走っているし、観光の自家用車も多い。そういう事情だし、そもそもトンネルは視認性が悪くて自転車にとっては危険な場所だ。なのでフリッカーを前後で点灯して準備した。街乗り用なら十分のポジション灯も、このトンネルの暗さには太刀打ちできない。路面がまるで見えないので、車道脇の一段高い歩道上を通るべきだろう。

 さらに国道を快適に下っていって鴎穴のところで小休止をとる。「沢田の漬物」を売店で買い込み、そこの活発なおば様と話をしたり、旅の気分を楽しんだ。

四万街道の見事な桜花 休憩所(旧沢田農協の直売所)
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四万街道を下る 真っ暗闇だったトンネル

 駅へ向かう国道は、四万湖の手前で僅かに道が登りになるが、後はずっと降り坂だ。だから、ペースに乗れば、本当に気分よく快走できる。

 それほど飛ばしたわけではないが、30分は掛かっていないのではないだろうか。しかし、中之条駅に着いてみると、生憎の事に下り列車の到着時刻までは間に急行列車があり、次の各駅停車までは都合一時間弱も待たねばならない状態だった。
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つむじ 本日の自転車たち

 列車の時間は確認していたのだが、中之条の駅前でちょっとユニークな建物を見つけて寄り道したのが原因で、そこで午後のひと時を寛いで過ごしたためだった。

 そこは「つむじ」という名の町営施設で、街の中心にあった。「中之条町ふるさと交流センター」が正式な名称のイベントホール兼物産館で、テナントが複数入った回廊状の憩いの場が併設された大きな施設だ。

 足湯や喫茶や食事処などのテナント店舗が物産館とイベント会場を中心としたメインの建物の周りを囲んで、雰囲気の良い中庭を作っている。偵察に立ち寄ったのだがあまりの気持ち良さに、私達はその中庭でしばらく寛いでしまった。

 回廊状のテナントに囲まれた中庭は、そよ風の吹く明るい場所だ。木製のテーブルがゆったりと置かれた芝生のオープンテラスになっている。「つむじ」ではテナントの店内だけでなく、その気持ちの安らぐ中庭のテーブルで食事や喫茶を楽しめる仕組みが用意されていた。

 私達のような客だけでなく町の人たちも多いようで、そこは憩いと集いの場になっていた。

 安価で地元の味が溢れる美味しい定食を楽しみながら「のんびりモード」で休憩をしたため思いのほか列車を持つことになってしまったが、その代償は充分なものだったと思う。潤いの溢れる、ゆったりとして実に静かな、またとない貴重な時間を過ごすことが出来たのだから。

つむじ つむじでの休憩(どうせなら腹ごしらえ)
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<復路; 吾妻(あがつま)街道を走る>

 JR吾妻線が川筋と並行しているが、吾妻の地はれっきとした上州であるが、北信(北信濃)を代表する戦国大名の真田(さなだ)氏ゆかりの地でもある。

 信州の真田の庄(川中島を見下ろす山麓の地)からその下手の上田が原(上田市)へと一族の歩地を固め、武田信玄(たけだ しんげん)騎下の上州先方衆としてさらに吾妻地方の侵略に乗り出した一族だ。

 利根川上流(水上に向かう途中)の要衝、月夜野(つきよの)にある名胡桃(なくるみ)城を内応させ、上田から菅平(すがだいら)、嬬恋(つまごい)、長野原(ながのはら)と浅間山の北面を巻いて進行し、吾妻川に沿った岩櫃( いわびつ)城を攻略する。

 さらに先の交通の要衝(新潟、栃木、さらには福島の地と群馬とを結ぶ場所;ということは関八州への入り口となる土地)、沼田城までをも手中にする。 そうした戦国の勇、真田氏の活躍の舞台となったのが吾妻街道だ。

中之条駅 吾妻街道

 ところで群馬県の北西部にあたる吾妻周辺は、新潟方面に向かわずに手軽に行けるスキーのフィールドだ。

 前橋から菅平(すがだいら)や嬬恋(つまごい;バラキ高原)や草津、春の志賀高原への道筋であり、若かった頃にはシーズン中に幾度となくこの道を通ったものだ。

 水上(みなかみ)や天神平(てんじんだいら)のスキー場の方が圧倒的に多かったが、その日の天候によって目的地を選択する場合の、外すことのできない馴染み深いルートなのだった。

 こうした真田物語への想念やスキー行での思い出などが浮かんだが、その想い(吾妻街道への思い入れ)は次の中之条駅からの行動に現れる。しかし、そうした私の中での密かな心の動きに、横にいる友人Hはまだ気付いていない・・・。
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中之条から吾妻街道を走る 吾妻街道から利根川CRへ入る

 ふと駅前の道路標識を見れば、渋川までは中之条駅から30キロの道のりと表示されている。

 下り基調の道なので、走れば1時間は掛からないのでは、と思われる。時刻も15時少しを回ったばかりなので、うまくすれば16時には渋川へ着けそうに思えて来た。

 というわけで、私の提案と説得で、私達は吾妻街道を走り抜けることにした。

 小野上(おのがみ)温泉を抜けて、岩壁がそびえる岩櫃(いわびつ)を横手に、街道をどんどんと渋川へ向けて下って行った。
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利根川CRを走る
 坂道を快調に走って16時より大分前に鯉沢(渋川)に入ることができた。

 「つむじ」で話した地元の人が、花が満開に咲いていて素晴らしいので、ぜひ寄ってみればと勧めていた「白井宿」に寄る事も算段に入れたためだ。 渋川に入ってから気にかけていたのだが、生憎と「白井宿」への入口を見落としてしまったようだ。気がつくと利根川に掛かる橋(大正橋)まで出てしまった。

 このため、結局、白井宿へは行くことができない状態。

 JR渋川駅へ向かう事も考えたが、せっかくなので、そのまま右岸に続く「利根川サイクリングロード(利根川CR)」を走ることにした。
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利根川CRを走る

緊張感がすっかり枯渇。廃人化までは行かないが、
次第に不機嫌になって、ついには背を向ける友人H。

判りやすい性格なので、助かる。

甘いものは無いか、と無理強いして、凶暴化し始めた。
利根川CRを走る

 中之条駅での提案に少し難色を示した友人Hをなんとか説得して、吾妻街道をまっしぐらに走った。

 彼としては、渋川駅を終着と考えて納得したのだろう。しかし、なし崩し的にサイクリングロードを見つけ、しかもそれが思いのほか快適で安全な道。だから、自転車乗りとしてはそこを走らなければならない。

 新しい道。未知の素敵なルートなのだ。サイクリストはエクスプローラでもあらねば、と思うがどうだろう。しかし、友人としては完全に燃焼してしまっている。コース上の花の美しい場所(吉岡休憩所)で休憩を取ったが、すでに放心状態。盛んに文句を言い始めた。無理も無い。あまりの不機嫌さに恐れたわけではないが、これは私が悪かった、と反省し始めた。

 あまりの快適さに火がついて、つい先行して走ってしまったのだった。(元々先導だから、私が先を行くしかないのだが。)中之条駅から渋川までは下り道。 正確にはこの利根川サイクリングロードもごく緩やかな下りだ。だから足や体への負荷はそれ程ではない。とはいえ彼にとっては思わぬ長距離を走る結果となっている。

 それでは緊張がキレて、気力が枯渇してしまっても仕方があるまい。われらがワンゲル部員のサイクラーなら、餌をぶら下げるという手立て、常套手段の打ち上げ反省会の提案という奥の手があるが、あいにくHは酒を飲まない。xxで打ち上げ、の一声で気力が奮い立たないという難点を持っていたのだった。

 少しすまない結果になってしまったが、道は完全な自転車道路で、安全性に関しては折り紙がつく。これも修練、師匠からの愛の鞭と思ってもらいもうひと漕ぎを頑張ろうではないか。

 この日の様々な走行が経験知となって、彼の自転車世界の一ページを構成することになる。何時の世も少年は旅に出なければならない。少年の豊かな心を持った貧しい中年のオヤジ達も、心までもが貧しさに埋もれてはいけない。瑞々しい感受性を忘れず、少年の心に立ち返って旅に出ようではないか。

 今日の出来事が私達を支える豊かな感覚や強い意思に繋がる、その第一歩になるのだと、私は信じて疑わない。いや、たぶん・・・。

利根川CRを走る
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