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2012.06.17
伊勢崎 島村の渡し(利根川CRを走る)

走行距離;
 46km ;走行時間 2時間と少し・・

カメラ;
 RICOH CAPLIO GX−100 24mm F2.4 〜 72mm F4.4
 (画像添付時に約30%程度に圧縮)

本日の自転車
 FELT F−85


 今回の行程は、実にゆるい走り。

 坂東太郎に沿って続く「利根川CR」。前橋市内には、その利根川の支流となる「桃の木川」が流れている。渋川との境界にある田口発電所から分流して伊勢崎のオートレース場の手前に至るまでの流れで、市内を北西から東南へ斜めに横切っている。その川岸には利根川と同様に「桃の木川CR」が整備されている。

 伊勢崎市との境界、駒形(こまがた)という町の辺りの流れに少し規模の大きな堰がある。JR両毛線の駒形駅の横、前橋方面から見れば伊勢崎オートレース場の手前の地点だ。その場所から桃の木川の流れはさらに続くのだが、しかし、一旦その流れが伊勢崎市に入ると、流れは変わらないのだが名前が「広瀬川」というふうに変わる。前橋市内にも桃の木川から分流して市内中心部を流れ、やがて端気川(はけがわ)と桃の木川と合流する、同名の川がある。

 「水と緑と詩のまち」を標榜する前橋の<水>とは、この広瀬川の流れを指している。ちなみに<詩>とは、その流れをこよなく愛した詩人の「萩原朔太郎(はぎわら さくたろう)を指している。

桃の木川CR 桃の木川CR

駒形あたりの様子
(早くも夏草で一杯)

 結局のところ、前橋市内の雰囲気の良い広瀬川の流れは、一旦は名称を変えるが、ふたたび伊勢崎で元の名前を取り戻すのだった。桃の木川に沿ったサイクリングロードは、伊勢崎を流れる広瀬川でも続き、本庄(ほんじょう;埼玉県)を過ぎたあたりで利根川と合流するまで続くのだ。

 今回は、そのサイクリングロードを走る予定で、だからずっと「楽チン(お気楽といった意味)」モードで平地を行くことになるのだった。
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 さて、私の実家は前橋市の西善町にあり、古くから両家(りょうけ)と呼ばれる地域にある。

 そこは伊勢崎や玉村に近くて、サイクリングの基点となる駒形へ容易に出ることが出来る。桃の木川CR(サイクリングロード)や広瀬川CRに入るには、ひどく便利がいい場所になる。

 こうした訳で、仲間内で走る場合の拠点(集合及び散会場所)となっていて、最近では自転車メンテナンスのアジト(親父達のネスト化)のと様相を呈しつつある。

サイクリングロードを走る(オートレース場を過ぎたあたり) セルフ

 今日も、集合及び終点はわが実家となっている。

 ここから走り始めて駒形へ行き、そこから広瀬川CRへ入って本庄まで進む。そこで利根川を渡って、そこからは利根川CRへ入って走り、また前橋へ戻ってくるというコースを予定している。

 そのコース途上には難所(坂道)はまったく存在せず、しかも往路は川下へ向かうので、下り基調で楽に走ることができるのだ。

 なんともゆるく走れるコースなのだが、その道は河川敷や川岸に設けられた自転車専用道路なので、状況によっては、トレーニングとしてそれなりに走ることも出来るというものだ。
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<広瀬川CRでの移動>

 今回の同行者(賛同者)は1名、いつもの友人Hが相棒だ。2人での走りであり、言ってみれば軽めのポタリングである。

 のんびりと広瀬川の右岸に設けられたサイクリングロードを下っていく。前橋を流れるの桃の木(もものき)川と同じく、広瀬川は伊勢崎市内を斜めに流れていく。この流路、市街地(中心部)には流れていないので、サイクリングロードを含めた流域周辺の様子としては、いたって穏やかな景色が広がっている。

広瀬川CR(伊勢崎市民病院周辺) 広瀬川CR

 CR(サイクリングロード)は荒川や利根川のような河川敷ではなく、広瀬川の川岸土手の上に設けられている。

 だからコース上の視界は随分と開けていて、いつも、たゆむことなく流れる広瀬川の流れを視野内に置くことが出来るのだった。

 川筋に沿ったコースは途中で多くの県道や市道を横切るが、そこには多くの大小さまざまな橋が掛かっている。土手上なのでそうした道路を横切る必要があるが、コースは橋の部分で本線と橋に出るための分岐路の二つに分かれて、道路を渡らずに橋の下を潜って、立ち止まることなく走れる工夫がされている。だから桃の木川CRのように市街地近くで危険を冒して交通量の多い道を横断する必要が無い。
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広瀬川CR
川鵜が水辺に留まっている。  漁の最中だろうか?
広瀬川CR

 また、トイレを併設したいくつかの休憩所が多く設けられているのもこの自転車道の特色となっている。前橋の桃の木川CRでは休憩スポットはあるがトイレまでは用意されていないので、地続きとはいえ伊勢崎の区域を比較すると、そこから連なるコースは大分整備状態がいいといえよう。しかも、コースの路面脇の草も良く刈られているし、利根川CRや荒川CR程ではないが路面そのものの舗装状態も大分いい。

 景色も良いし整備も良く、安全性が高いためか、休日のCR上には子供達や親子連れの自転車が多く走っている。
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休憩スポット 絶好のお休みスポット

 伊勢崎市の南東に続く境町(さかいまち;今は伊勢崎に合併)に近い位置まで走ってくると、そこにCRの横につながる休憩場所がある。どうやら水道施設の用で、一般にも開放されている。

 そこには広い庭があり、東屋と池がある。だれでも自由に利用することができる。走っているコース上から、そのままそこに入って休憩が出来るのだ。

 この時期、その池の脇では紫陽花が美しく咲いている。

相棒、H 今日の相棒も、友人H。

職業柄、気難しい点もあるが、
休日は陽気になってくれる大切な友達だ。


目一杯、お腹を凹ませている彼の努力に、
改めて敬服するばかり・・・。
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セルフ 自分も撮っておこう、っと。

 ちょうど、ゆっくりと前橋から走り始めてから40分ほどの位置になるのだが、トイレタイムを含めた休憩場所としてはちょうど良いスポットだ。

 一応トイレ(少し汚いのが難点だが)もあるし、自由に使える水道もあるので、暑い日にはうってつけの休憩場所といえよう。

さらにCRを進む。 広瀬川CR
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広瀬川CR(広瀬川の合流地点) 赤城山は、
前橋で見るより
秀麗な裾野を
広げている。


広瀬川CR上を振り返る

(広瀬川の合流地点)
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 そうして走っていくと、やがて広瀬川CRの先が突然開けて、大きな休憩所で終点となる。

 その先に川幅の広い利根川が流れているためだ。

 その右岸には利根川CRが設けられてあるが、広瀬川CRが行き止まるのは、利根川の左岸(川下に向かって立って左手側)。道はそこで一旦は尽きるのだが(合流点から川下にはコースが無いが)、上流に向かって五料大橋(ごりょう)までの区間にはサイクリングコースがある。正式には利根川CRは右岸側なので、このコースも利根川CRと呼ぶのかどうか。もうひとつ判然としないが、右岸同様に整備がされている。

FELT-F85;本日の相棒

愛車、FELT F85
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横のコラテックは友人のもの FELT F85

コラテックのドロミテ

 この道は利根川CRと広瀬川CR、さらには桃の木川CRと続くので、本庄・伊勢崎・前橋・渋川と自転車専用道路を走って、大きく周回することが出来る。

 さらに利根川CRを五料大橋で右岸へ渡り、そのまま進めば玉村・高崎方面へ向かうことが出来る。道はやがて烏川方向へのCRとなり、その先の新町や藤岡市方面へ向かうことが出来るし、そうした先まで進んでから、また伊勢崎・前橋方面へ戻って来るという様に、さらに大きな周回路として走ることが可能だ。
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休憩所にあるコース図 すぐに自転車が集まる

 さて、利根川と広瀬川の合流点にあるCRの休憩所は、実に見晴らしが良い場所である。

 当然のように、そこは多くのサイクリストの憩いの場所となっている。そこからは、360度の眺望が利くので、晴れた日などは実に素晴らしい景色が広がるのだ。

 走ってきた広瀬川を振り返れば、赤城山が大きく裾野を張り出し、その右手には桐生や足尾、さらに日光や筑波の山々が連なっている。

 大きな位置を占めて広がる赤城山の左裾からは、子持山、小野子山、さらにその奥に谷川岳や三国山脈がつながる。

 そのさらに左には屹立した榛名山の連峰が手前に続き、さらに鋸の歯のような妙義山や一際目立つ浅間山、水平な大地のような特色ある荒船山と、西上州の山々が連綿と続くさまがみてとれる。

 利根川から南西方向へ視線を転ずれば、そこには秩父や吾野などの奥武蔵の山々が重なっている。その奥に姿をみせているのは青梅など奥多摩の山並みだろうか。

 このポイントから360度に広がる視界の先には、山位同定するまでもなく、実に多くの山並みが見られるのだった。
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渡し場の詰め所 船着場(左岸側の渡船場)
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<利根川 島村の渡し>

 実に清々しい気分に浸れるナイスな休憩所であるが、そのすぐ横には、今回の目的地がある。「島村の渡し」だ。

 伊勢崎から続いていた県道が利根川で途切れて終点となる位置に、その「渡し」はある。そこでの利根川の流れは実に穏やかなのだが、川幅は50mほどもあるだろうか。そしてその広い流れの対岸は埼玉県で、そこは本庄(ほんじょう)市となるのだが、実は対岸には伊勢崎の飛び地がある。対岸の一部はやはり群馬県で、伊勢崎市の市域の一部なのだった。川で止まった県道はしかし、対岸でも続いている。

 このため、それを遮る利根川には、渡船場があって、渡し舟が用意されているのだ。流域の住民に利用されているのだが、川を渡ると言っても扱いは県道なので、船の乗船は無料となっている。

船着場(左岸側の渡船場) 渡船の船頭さんがやってくる。

船を巧みに操作して対岸へ安全に運んでくれる。


そのユニフォーム(菅笠)がいかにも実利的。

無駄が無く、本当に素晴らしい。
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渡し舟で対岸へ向かう 自転車程度はこの通り

 今では、県道は廃止されているのだが、しかし伊勢崎市の管理する市道となって「渡船」は運用され続けている。

 左岸(伊勢崎側)には詰め所のプレハブがあって、ここで渡船への乗船を依頼するのだった。そうすると公務員であろう船頭さんがマウンテンバイクで川岸までいって、船着き場に係留してある船外機のついた船を用意してくれる。

 渡し場の対岸、反対岸(本庄側)には詰め所のプレハブはない。岸には旗ざおがあって、ここに留められている黄色の旗を揚げる。すると対岸で眼を光らせている船頭さんが対岸から船を回してその対岸まで来て、待っている横断者を船に乗せて伊勢崎側へと運んでくれる、という仕組みだ。
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走ってきた利根川左岸の様子  気分は最高!

 本当に無料でよいのか?、と心配に思う。

 たとえば、演歌で有名な「矢切りの渡し」。葛飾柴又から対岸の千葉県の市川を結んだものだが、ここなどは確か渡船料は片道で500円ほどではなかったか。

 市道であるから住民サービスは必要なのだろうが、財政的に大丈夫なのだろうか、と老婆心を起こしてしまう。
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対岸へ 運び終えた船が戻っていく

私達を対岸へと運び終えた船が戻っていく

 ところで、この「渡し」のある地域、島村は養蚕農家の発祥地としても有名で養蚕農家の典型としての田島弥平(たじま やへい)宅が残されている。

 この前、伊勢崎の北方にある赤堀を走った際、それは赤堀城や天幕城を巡ったのだったが、そこで歴史博物館へ立ち寄ったのだった。学芸員の方が話されていた養蚕農家の紹介が、この「島村の渡し」へ来るきっかけとなった。
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 その話を友人Sにしたら、友人Sは農家は利根川の右岸にあるが、その近くに渡し場がある、という話だった。

 しかも、それは公園や遺構ではなく今も機能していて、サイクリングロードを走っていてこれを見つけて、その渡しで対岸へ渡ったのだ、というから驚いた。

左岸を見晴るかす 左岸を見晴るかす

 えっ、そうなのと、まるで狐につままれたような思いがしたが、俄然、興味が湧いてきた。

 そんな剛毅なことがこの世知辛いご時勢にあるのか、と信じられない気持ちでもあり、大きく好奇心を煽られたのだった。

 これは是非とも行かねばなるまい。伊勢崎市には市の財政をぬなう企業のサンデンもあるしベイシヤもあるので財政的には裕福と言えるが、いつ、廃止されてしまうかも知れないではないかと、俄かに心配になってきたのだった。
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 渡ってしまえば、それはごく短い時間なので、あっという間に着岸してしまう。

 でも、川面の流れを楽しみ、吹く風に心地よく浸っていると、本当に爽快な気分を味わえる。

 このあたりの水深は深みでも5mほどだそうで、年々、川底は堆積のために徐々に浅瀬になっているという。たとえ沈んでも心配はなさそうだが、風速が8mを超える場合や、悪天候時には運行を中止するそうだ。

 この渡船は、生活や道路の利用のためにあり、観光目的のものではない。だから利用の姿勢(というか心得というか)としては、あくまでも対岸への通行手段として考えるべきもので、船に乗ること自体を目的とするのは慎むべきだろう。

さあ、今度は利根川CR 坂東大橋 

 私達は対岸へ渡り、利根川の右岸に出て、そこのサイクリングロードを走って、赤堀で聴いていた養蚕農家の田島家を見つけたのだが、生憎、その日は見つける事ができなかった。結局、対岸へは渡ったものの、そこには辿り着けなかった。

 残念だったが、渡し船への乗船を体験できた喜びに相殺されて、晴れ晴れとした気持ちに浸ることが出来た。

 そして未知であった利根川サイクリングロードを使って、戻ることが出来た。帰路は、利根川右岸をそのまま上流へ向かい、本庄と伊勢崎とを結ぶ「坂東大橋(ばんどうおおはし;この道は国道462号線)」を渡ったのだった。

 そして今度は、ここから広瀬川CRへと戻るのではなく、以前本庄からの輪行で走っている利根川CRを使うことにした。

 坂東大橋で左岸へ渡ってそこから北上し、五料橋まで進む。そこで橋を渡らずにCRから外れて、畑や田んぼの連なりをそのまま北へ進んで、伊勢崎の宮子を経由し、駒形方面へと戻ったのだった。
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