誤りに気がついたのは大分歩いた後だった。気を取り直して、もと来た道を戻ることにした。
細く枝分かれする路地沿いに戻るのでは、またしても別の迷路に誘い込まれてしまう危うさがあるので、今度は幹線通り沿いを行くことにした。戻る道沿いは少し広い歩道があるが、せっかくの歩道を半ば占拠して自宅植物園化している家が数軒あり、ちょっと楽しい光景が広がっていた。
そんな下町然とした道脇では、赤瀬川源平氏の提唱する「トマソン」も出現した。
「トマソン」とは、元は、多くの期待を一心に背負って登場したが次第に本来の意味を失ってしまったものに対する、芸術観念だ。名付けの親は路上観察で有名な作家(最近では写真で有名)の赤瀬川氏だ。同世代のひとは多分記憶にあると思うが、巨人の印象薄い助っ人外人が、その命名の由来だという。
私もついに「トマソン」の発見者か、と喜びつつ写真に収めた物件がある。業務用のコーヒーミルが壁面に丁寧に頑丈な鎖で巻かれ、そこに何かの植物の鉢が据えられていた。
笹竹だろうか、幾鉢かの別の植物も、実に周到に計算されてその周りに主役を引き立てるようバランスをとって置かれている。
コーヒーミル自体が利用できない、あるいは本来の機能で利用しないのであれば、なにも鉢を入れるのではなくて、いっそ、ロートの部分に直に植物を植えても良いようなものだが、あくまでも鉢のままの植物を格納した状態なのだった。表現意図はなんとなく分かるが、存在の意味自体は不明だ。これがオブジェなのだとするとこの屋のご主人が作者だろうか。
作者の周到さから想像して私なりに顛末を考えてみた。ひょっとしたら、鉢はコーヒーの木で、ここで栽培し実ったコーヒーを焙煎して、そのときに忽然とミル本来の機能が復活するのかもしれない。事実、この大きなミルの後ろには、早い成長を補強するような、少し長過ぎやしないかと思えるほどの散水用のホースが幾重にも巻かれて準備されていた。
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