この花は、太陽の光が満ちてこないと花弁を開かない。だから、朝の早い時間や曇り空だと俯いて蕾んだままだ。時間が経って、光が一杯になってくると次第に花弁を開き、最後はしべを中心にして全く反り返ってしまう。
どの状態もほほえましく、まるで踊るような様子で、実に可憐極まりない。この花の自生地を訪れるとどこも少し湿った林床であり、特にのそうした状況の北斜面側を好むようだ。
この花が咲いているのを実際に眼にすると、思わず持ち帰りたいという気持ちが沸いて来るのが分かる。 だが、そんな何気ない気持ちが、やがてこの花を追いやってしまい、とうとう普通の状態では見かけることが出来ない、という今の結果を生んでしまった。
そもそも、この花が自生する周りの環境をほんの少し注意して観察してみれば、すぐに理解できるはずなのだ。持ち帰っても多くの山野草はの例に漏れず、この可憐な花も庭では育たない。
自生地とは環境が違うし、多くの植物は周囲の環境と共生し、そこに適用することで活きている。しごく当たり前のことだが、私の一世代前の人たち―今いわゆる年金族と呼ばれる人々―は大分前から「一人前の立派な大人」のはずなのに、そうしたことが理解できなかった。
さらには多くの人達が利己的で公共心というものが欠如していて、本当に残念なことだ。
未だに理解できずに盗掘が後を絶たないらしいが、少なくとも私の世代ではこうしたものを次の世代へ引き継いでいきたいと思う。切に願うばかりだ。
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