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2008.03.23
「和紙の里」に咲くカタクリ

アクセス;
 東武線―小川町駅 よりパークヒル方面バス(伝統工芸会館バス停下車)、徒歩60分

コース;
 小川町より パークヒル行き(伝統工芸会館バス停下車);乗車時間約10分
 往路;
  伝統工芸館バス停〜大寺橋〜西光寺;8分、〜カタクリとニリンソウの里;15分、〜柳町橋;5分、川原にて休憩
 復路;
  西光寺〜カタクリとオオムラサキの林;20分、〜小川町駅;45分


カメラ;
 PENTAX K10D

レンズ;
 PENTAX DA50−200mm F4−5.6 ED
 PENTAX DFA100mm F2.8 マクロ


三脚;
  K10D:カメラの手ぶれ補正+ローアングル用 ミニ 三脚

 (画像添付時に約70%程度に圧縮)


 そろそろ、「カタクリ」の花が咲いている頃と思い、武蔵野の小京都と呼ばれ、秩父往還にある歴史溢れる「小川町」へやって来た。

 小川町へはドライブでは何度か訪れていて、「伝統工芸会館」がある「道の駅:おがわ」で休憩したり、「見晴らしの丘」で長いローラーコースターで遊んだりしたことがある。

 それはもう大分前のことで、最近は四年ほど前に「カタクリ」を撮りに来たことがあるばかりでご無沙汰していた場所だ。以来、季節になると、可憐に咲く妖精のような姿のあの花をまた撮りたいと思うのだが、なぜかやり過ごしてしまう。

 そんな訳で、今回、この街や花たちとは数年振りの再会となるものだ。


カタクリが咲く和紙の里 のんびり 行こうよ: 20080323:武蔵野の小京都(小川町)

ヤマブキ カタクリ
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舞うように咲くカタクリ

 カタクリの花は、いわゆる「片栗粉」の「かたくり」の採取の主なのだが、関東ではかなり少なくなってしまい、各地の自生地は地元の努力で手厚く保護されている。東北では里山や林などで普通に見かけられるようで、実に羨ましい限りだ。 私が歩く低山くらいでは、山深いと思ったところでも自生しているカタクリの花に出会ったことがない。

 ちなみに、「片栗粉」はこの花のでんぷん質から精製されていたが、今となっては希少種といえよう。だから大量に消費される食材の原料にできるはずも無く、サツマイモやジャガイモなどで代用されているのだという。
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カタクリ

 この花は、太陽の光が満ちてこないと花弁を開かない。だから、朝の早い時間や曇り空だと俯いて蕾んだままだ。時間が経って、光が一杯になってくると次第に花弁を開き、最後はしべを中心にして全く反り返ってしまう。

 どの状態もほほえましく、まるで踊るような様子で、実に可憐極まりない。この花の自生地を訪れるとどこも少し湿った林床であり、特にのそうした状況の北斜面側を好むようだ。

 この花が咲いているのを実際に眼にすると、思わず持ち帰りたいという気持ちが沸いて来るのが分かる。  だが、そんな何気ない気持ちが、やがてこの花を追いやってしまい、とうとう普通の状態では見かけることが出来ない、という今の結果を生んでしまった。

 そもそも、この花が自生する周りの環境をほんの少し注意して観察してみれば、すぐに理解できるはずなのだ。持ち帰っても多くの山野草はの例に漏れず、この可憐な花も庭では育たない。

 自生地とは環境が違うし、多くの植物は周囲の環境と共生し、そこに適用することで活きている。しごく当たり前のことだが、私の一世代前の人たち―今いわゆる年金族と呼ばれる人々―は大分前から「一人前の立派な大人」のはずなのに、そうしたことが理解できなかった。  さらには多くの人達が利己的で公共心というものが欠如していて、本当に残念なことだ。

 未だに理解できずに盗掘が後を絶たないらしいが、少なくとも私の世代ではこうしたものを次の世代へ引き継いでいきたいと思う。切に願うばかりだ。

芽吹くドングリ 林床では、ドングリが芽吹いていた。

ドングリは良く眼にするが、

芽吹いているのを
目の当たりにしたのは、
これが初めてだ。
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踊るように咲く

 ここは、「西光寺(さいこうじ)」という寺院(曹洞宗)の敷地の奥であり、直ぐ横に池(寺院の消火のためだろうか)があり、そこから裏山へ続く「丘」の入り口斜面といった場所だ。

 このため、乱獲されることも無く生き延びたものと思う。この裏山(仙元山;せんげんやま)の地区では、「カタクリとニリンソウの里」、「カタクリとオオムラサキの林」として植生が保護されている。山際には竹林があり、遊歩道を挟んで渓流が流れる、という恵まれた環境だ。

 「北川橋」から「大寺橋」、「柳町橋」までと、「兜川・槻川(途中で名前が変わる)」沿いの整備された遊歩道をのんびりと往復してみたが、素晴らしい小径ではないか。普段、このような趣溢れる川岸を散歩が出来る地元の人が羨ましいかぎりだ。

カタクリとつぼみ
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カタクリの模様

 さて。 カタクリの花弁は下向きで、花の背丈はせいぜい20cmほどなので、地面すれすれの低い位置からでないと「しべ」の部分は写せない。

 「よく見ると、花の中に桜模様があるよ」と子供が言っていたが、しべの部分の周囲の花弁の基の部分に、本当に桜のような美しい模様がある。そこだけ見るとまるで別の花が咲いているようだ。

模様 カタクリ
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石仏

 林の奥では、ウグイスが澄んだ声で鳴いていた。さいたま辺りの梅花はそろそろ終わりだが、都幾川村の手前になるこちらでは今が満開の時期のようだ。

 この日は温かく、のんびり里山を歩くには適当な陽気であり、柔らかな自然に浸れるので気持ちまでぽかぽかと温かくなってくる。昼近くになって、私は思わず上着を脱いでしまった。

林床
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木漏れ日に輝く カタクリ

 カタクリはどこへ行っても手厚く保護されているが、先ほどの小径も、ロープでコースが規制されている。

 「高尾(たかお)」など里に近い山と同様の、斜面や道脇の植生を踏み固めないための対策だ。しっかりと規制のロープを張らないと、木道や路があってもそこから人が外に出てしまうので、この措置は仕方がないものなのだろう。

 「とらロープ(黄色と黒のロープ)が張ってあるのは、立ち入り禁止の場所だよ」と子供が言ったように、こうしてあれば傍若無人な御仁達にとっても、管理者の意図は一目瞭然のはずだ。残念ながらこのロープは意外に派手なので、周りのゆったりとした景色にちょっと馴染まないものではあるが・・・

 林では、「カタクリ」だけでなく「アズマイチゲ」も咲いていた。ふるさと群馬の榛名湖畔の岸際の斜面などでは良く見かける花だ。榛名山ではゴールデンウィークあたりに咲く。

林床 アズマイチゲ

アズマイチゲ
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ニリンソウ

 「カタクリとニリンソウの里」、という名前の通り、「ニリンソウ」が咲いていた。

 ただ、竹林の脇の一株だけで、まだ他は蕾のようだった。この温かさならば来週あたりは咲き揃うのではないだろうか。「ニリンソウ」よりも、どちらかというと「アズマイチゲ」のほうが数が多く、白く輝くその花の様子は斜面に咲く「カタクリ」と競うかのようであった。
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ニリンソウ 丸太橋

 「ニリンソウ」、「アズマイチゲ」と白い花が続くが、さらに「イチリンソウ」も咲いていた。林脇では白い色の方が目立つので、私が容易に見つけられただけで他にも沢山咲いていたのかも知れない。

 春の小さな白い花は、温かな季節の訪れによくあっていて、季節感に溢れている。

 小径を楽しみながら歩いていって、やがて竹林が途切れるあたりで、川面に掛かる丸太橋を見つけた。水が少なければ写真のように川原へおりて、そこで遊ぶことが出来る。水かさが増せばこの橋は沈んでしまうのだろうが、これだけ太い一本の木であれば、朽ちてしまうことは無かろう。

 楽しい演出ではないか。

イチリンソウ キバナノアマナ
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キバナノアマナ 林床に咲く

 コースをさらに進んで、やっと黄色の花に出会えた。ひっそりと咲いていた「アマナ(キバナノアマナ)」だ。

 さらに進むと森を抜け、やがて川岸がすぐそばまで迫る場所に出る。川は穏やかに流れているが、水量が少ないので岩肌が見えていて、そこだけ注目すると急な流れのように感じる。秩父の荒川上流のような岩畳状の川原には、道脇からすぐに岸辺へと降りられる。

 私たちはその場所から川原に降りてみた。

 流れる水にそっと手を入れると、冷たくて気持よい。ここらで少し休憩することにしよう。

アズマイチゲ 渓流
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小径 煙るマンサク

 川岸におりてしばらく休憩し、そこからは川原沿いに歩いてみた。

 「西光寺」から続く小径には斜面が少ないのだが、これは紛れもない里山の様子なのだと思う。穏やかな丘状の高みがあり、林があり、川が流れる。そして、土と水の香りがする気持ちの良い道には季節の花が可憐に咲く。

 駅を降りたったときに、「空気のにおいが違うね」と子供が気付いたように、まさにこの場所は「空気(または世界?)」が違う。ひょっとすると、空気だけではなく、そこに流れる時間も私たちのそれとは違うのかも知れない。

ヤマネコヤナギ
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桜

 小川町は、歴史の古い町だ。「和紙の伝統工芸」が有名で、1300年の歴史を誇る。歴史が古い、ということは、外に流れずにこの土地に根ざして生活する人が多い、ということであろう。
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桜 こぶし

 駅への帰り道が分からず道を尋ねると駅までの道を先導してくれた女子高生や、ポップコーンを倍もおまけしてくれた親父さん。ささやかな出会いの中で感じた、この街の人の暮らしぶりや温かさなど、伝統を下から支えるものがあった。

 今度は、街中に散在するお寺めぐりや食べ歩きなどを楽しみに、また、のんびりと訪れてみたいものだと、しみじみ思った。

こぶし ナズナとホトケノザ
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