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2009.10.24
見沼を走って武蔵野の秋を満喫する

走行距離;
 97.53km ; 往路;さいたま新都心>与野>浦和>東浦和 見沼代用水に沿って、七里>伊奈>蓮田>菖蒲
           復路;菖蒲>桶川>川島>川越>ふじみ野>さいたま新都心


カメラ;
 RICOH CAPLIO GX−100 24−72mm F2.5−4,4


 (画像添付時に約30%程度に圧縮)


 ワンゲル(ワンダー・フォーゲル)部の行事として私が企画したポタリング行、「見沼の秋を満喫して武蔵野を走る」。

 先日走った「見沼(みぬま)田んぼ」(2009.09.23 「彼岸花の咲く見沼を走る」)だが、その一帯に今も残る水路を基準にさらに周辺を巡り、秋の雰囲気を楽しもうという試みだ。

 「JR東浦和」駅に10時に集合し、秋の見沼周辺を回るというもので、総距離60km+アルファ(私達「さいたま新都心」組はさらにプラス15kmで合計75km)ほどの走行を予定している。私の住む「さいたま新都心」から集合地点の「東浦和」へは、さいたま市を縦貫して川口市へ至る「産業道路」を自走して集合地点へ向かう。

 今回の参加メンバーには「輪行」経験が無い参加者がいるので、私の「SPALDING(ロードバイク)」をメンテナンスして貸し出す事にした。いや、自転車を貸すから参加しないかと半ば無理強いして私が誘ったのが実情だ。彼に自転車を貸し渡すため、JRのさいたま新都心駅で待ち合わせ、改めて集合場所の東浦和へ向かおうという訳だ。

出発前(さいたま新都心駅での待ち合わせ)
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<予定コースの概要>

 JR「東浦和」駅前から程近い「見沼通船堀(みぬま つうせんぼり)公園」へ向かい、堀沿いに見沼代用水西縁(みぬま だいようすい にしぶち)、芝川と過ぎて代用水東縁(ひがしぶち)に沿うようにそこから北上をはじめる。コースとしては、見沼田圃の東側外縁、川口から大宮北部へと水路に沿って続いている「緑のヘルシーロード」上を進む。

 浦和「大崎公園」の横を抜け、「見沼自然公園」と「さぎ山記念公園」の間を走る。さらに「七里総合公園」へ行き、その先にある大宮東警察署がある県道岩槻線との交差点で道を東へとって「大宮公園」へ向かう。

 「大宮 第二公園」の横を流れる芝川に沿って遡上して「大和田公園」、そして「市民の森」公園へ、そこからさらに北上して行く事になる。

 芝川に沿うコースを取るとその先が新幹線の高架と交差するが、高架の余地を利用したコミュニティ路線、無人運転の新都市交通線(ニューシャトル)の 「原市(はらいち)」駅の辺りで一旦川筋から分かれ、あとは高架に沿って古い歴史を持つ「伊奈町(いな)」へ向かう。

 「原市」駅先のバラ園で有名な「市制記念公園」を抜け、新都市交通線の「羽貫(はぬき)」駅、「内宿(うちじゅく)」駅の辺りで桶川(おけがわ)方面(東)へ進路を変える。あるいはコースを変えて、高架に沿わずに芝川から綾瀬川へ抜けて、蓮田(はすだ)の手前、菖蒲町(しょうぶ)まで進んでから桶川へ向かっても良い。

 桶川(菖蒲町から桶川)へは県道12号線を通り、荒川を渡ってその南東に広がる「川島町(かわしま)」へ向かう。荒川の河川敷ではホンダエアポートを左手に見ながらさらに南進する事になる。

 そして「川越」の街へ入る。コースは川越の北辺へ出るので、川越城本丸跡や喜多院周辺にて休憩(蔵通りや大正浪漫通りで一休み)する予定。蔵の歴史ある町並みで、お団子や地ビール、絶品の焼き鳥を楽しもう。

 川越からはバイパスにそって「伊佐沼」へ向かい、荒川沿いを進んで「上尾(あげお)」へ向かう。上尾の丸亀製麺で休憩後、「清河寺(せいがんじ)温泉」にて入浴し、疲れを癒す。そこからは荒川サイクリングロードを通って浦和方面へ戻る。
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 姿勢は「ポタリング」だが、内容としては総距離65Kmほどのちょっとした「サイクリング」になる。

 ここでポタリングと銘打っているのは、「寄り道」と「休憩」の設定を頻繁に考えているからだ。秋の日を楽しもうという企画でバテてしまったら、意味が無い。


 コースの主流は、首都圏一の緑地帯である「見沼田圃」の外縁を周回する行程を基本に予定している。

 そのコース途上にある多くの公園での休憩は勿論だが、史跡や神社仏閣に関しても基本的には寄り道する方向で考えている。取り組みの姿勢としては「街歩き」の延長にあるといえよう。広域を移動するために自転車を使う、という事になる。

 出発地点の「見沼通船堀」と終着地として考えている上尾の「清河寺温泉」は外さないつもりだが、コース取りの行程順路は疲労の度合いで判断しようと思う。それに、出来れば「菖蒲町」での香ばしい蕎麦、「川越」でのお団子と焼き鳥も外しがたい。

見沼通船堀(西縁)

 大宮辺りから荒川へ抜けそこから川越へ行ったり、あるいは菖蒲町から川越へ向かわずに荒川(サイクリングロード)へ出て上尾へ向かったり、 自在なエスケープのルートをいく通りか考えている。

 非常事態に備えて(JR線で戻る事も考慮して)一応「輪行」の準備をするつもりだ。準備といっても何のことは無い、電車に乗り込んで携行するための自転車を包むための袋一式をボトルゲージに着けるだけだが・・・。

 装備としてはもう一点、行程の最終は陽が落ちた後になるだろう。ランプを準備する必要があるが、これはしかし、自車の存在を示せれば良いので小さな「ポジションランプ」で充分だ。山岳コースを走る訳ではないので、敢えて高い照度は必要ではない。
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いざ、出発 写真、手前の2台が私の自転車

直前に都合が悪くなって参加者が減った。
最終的にはこの4名で走る事になる。

 こうした企画のもと、24日の土曜日、ワンゲルの低山フラクション企画「見沼の秋を満喫して武蔵野を走る」は始まった。

 集合地点の東浦和までは新都心から約15km、まだ朝一番なので元気一杯だ。そのため、車道の流れに乗って二人して快走し、予定通り40分ほどで到着した。(少し「南浦和」寄りに武蔵野線へ出てしまい、線路に沿って余分に走った。)

通船堀の水門を見学する 見沼代用水東縁(大崎公園周辺)
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緑のヘルシーロード(大崎公園周辺) 緑のヘルシーロード(さぎ山記念公園周辺)

 出発地の「見沼通船堀」を見学して、予定していた「緑のヘルシーロード」を走り始め、「大崎公園」を過ぎ、「さぎ山記念公園」までは「見沼代用水 東縁」沿いに広がる田園の風景を楽しみながら、快適に進んだ。

 「七里(ななさと)」の手前で、ロード脇の刈り入れの済んだ稲田が急に賑やかになり、大層な人出で賑わっていた。丁度地元の「コスモス祭り」が開かれて、多くの人が集っていたためだ。
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緑のヘルシーロード(さぎ山記念公園周辺) 緑のヘルシーロード(七里自然公園周辺)

 田の脇は車を停めた列ができ、私達が進んでいる道脇(土手下)も自転車が一杯になる程の随分な人出だ。土手には、けんちん汁や焼きソバ、野菜などの即売を示す幟が立っている。

 小さな収穫祭だが、それがかえって在所の、秋たけなわの雰囲気を醸していた。

緑のヘルシーロード(七里自然公園周辺)
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 川沿いの道は細く、地域によってはバラス舗装になったりするが、思ったより気持ちが良いのでそこから県道に沿って「大宮公園」へ向かわず、川沿いの道をそのまま走る事にした。

 いつの間にか「代用水東縁の分流」に沿っていて、東武野田線の「大和田」駅と「七里」駅の間を抜けていた。私はそれが代用水そのものだと思っていたので、JR「東大宮」駅を手前にして少し迷ってしまった。

 しばらく住宅地の中を通ったりしながらあれこれと進んで行く。やがて目指す「芝川」沿いの道が見つかり、川に沿って進んで公園の横手へ出ることが出来た。「芝川」は一旦細くなって公園の横手に続いていく様子が見えるが、道はバラスの随分細いものに変わっていて視界の先の方で無くなってしまうようだ。

 道を無理に進まずに、折角なので緑豊かな広い園内に入って、そこを抜けることにした。「大宮第二公園」の直ぐ先にある公園は「市民の森」と謳うだけあって緑が溢れ、鬱蒼とした森が取り巻き、芝生の広場も広大だ。

緑のヘルシーロード(市民の森公園周辺) さいたま新都心のビル群が遠くに霞んで見える。

走り始めてから30kmほどの地点。
進行方向から振り返って、後方を見る。

道の先に見えるのは大宮公園。



ナイターの照明は野球場か競輪場か、
あるいはアルティージャのスタジアムか。

 自転車を押して歩いて園内の奥に行くと、巨大なドーム状のゲージが目に留まった。さらに園内の遊歩道を歩いて行くと、そのゲージの横手に出られた。

 近寄って、改めて覗いてみても、何のゲージなのか判らない。

 鳥なのか蝶なのか、あるいは植物そのものを保護したものか、と注意して見ると、リスが細い枝(地面から1mほどの所)を伝って遊んでいた。枝の間に小さな水屋や餌場があり、それが間に掛け渡された枝で巧みに連結されている。

 50mまでは無いだろうが、いくつも連結されながら渡された枝は、全体とするとかなりの長さになる。そして人はその横を、枝を走る可愛らしいリスの様子を眺めながら、歩くことが出来る仕組みになっている。

 丁度、数組の家族連れがゲージの中に入って歓声をあげていたが、小さな子供にすれば、こうした小動物との触れ合いは楽しい事だろう。
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市民の森公園 東大宮周辺(芝川の支流)

 公園を抜けた先に用水があった。大分細くて心細いものだったが、その用水に沿った小径を遡上する事にした。

 やがて道は無くなり、鉄道「宇都宮線」が現れた。場所はJR「東大宮」駅の手前になり、直ぐ先に鉄路の分岐が見える陸橋を渡って、高崎線方面へ向かった。(分岐が高崎線と思っていたが、後で調べると引き込み線だった))

 そこから住宅地を進んで、産業道路を横手にした脇道から無事に新幹線の高架(高崎線の東側)下へ出ることが出来た。
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 高架に沿ってそのままずっと進めばよいのだが、思ったとおりには行かず、高架横(場所によっては高架上)を走るニューシャトル線の「今羽」駅や「吉野原」駅の先などで高架下の道は寸断していた。

 線路に平行する直線道路は見当たらず、川筋にしても随分と橋が無くて渡ることが出来ずに、そうした道なりに進んでいるとコースから次第に外れてしまう。

 広い倉庫街の中を進んでは行き止まりを戻り、迷走するように川筋を求めてジグザグに進んで、漸くまた高架下へと戻れた。

 「原市」「沼南」駅と進んで、「丸山」駅で一休みしてアイスを食べ、さらに「志久」「伊奈中央」「羽貫」駅へと順調に進んだ。

 伊奈町を過ぎてニューシャトル終点の「内宿」駅へ着くころには随分と疲れたが、この直線距離8km程の行程(コスモス祭りの会場から内宿までは迷走したため実走では15km程)は、快調に進んだ割には意外に消耗した。

伊奈周辺(郡代屋敷跡?)

 ちなみに伊奈町は、江戸時代の関東郡代「伊奈」氏の御用屋敷(代官屋敷)が保存されている。広大な「見沼(溜井)」を作って川口以南を灌漑したのは初代郡代の伊奈氏の功績による。現在の「通船堀」の部分に「八丁堤(870m)」という堤防でダム化して芝川を堰き止め、日光の中禅寺湖に匹敵するほどの広大な沼地にした。この灌漑方法を「関東流」という。

 その後、徳川吉宗の治世に八丁堤を切り開いて芝川を中心にその左右に二本の「見沼代用水」を引き、広大な沼地が干拓されて一面の稲田となった。こうした灌漑方法を「紀州流」と呼ぶ。今日走って来た場所は、沼地が干拓されて田園となった場所で、沼地の跡から考えると、外周の土手脇という事になる。

 「内宿」駅からは新幹線だけになった高架下をさらに綾瀬川と交差する所まで進んで「熊野神社」で10分程休憩し、また県道「行田・蓮田」線を「さいたま・蓮田」線へと戻った。

 「内宿」からそのまま進めば蕎麦を食べる農協(南彩農協グリーンセンターの「農協食堂」)までは5km弱だが、高架下を進んで戻り、また進んで蓮田方面へ戻る、というジグザグ進行をしたので10km強ほどを走ったことになろうか。
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 本来、JRの「桶川」駅方面へ直行すれば、この10km強の移動そのものが不要になるものだったが、どうしても久しぶりの「農協の蕎麦(石臼引き 手打ち)」が食べたかった。

 思えば、「丸山」駅でアイスを頬張っていたときに時刻が正午になっていて、そこから空腹を感じつつ走ったのがいけなかった。予定では1時前に蕎麦を食べ始めるつもりだったが、すでに予定を遅れていたために少し焦ってしまった。

 「丸山」駅では、きちんとコースについて協議し、あと一時間ほど掛かるので「菖蒲町での蕎麦」を止めてここらで食事を取って休憩し、コースを変えて川越方面へ向かう話題も出していた。 でも、結局、時間を掛けても菖蒲町へ向かうという結論になったのは、やはり空腹感からだったように思う。

菖蒲町農協での蕎麦

名物「農協食堂」の石臼引き 手打ち の蕎麦。腰が強いので辛めの汁によく合う。

注文は食券で、「もり蕎麦」と「天麩羅(単品のかき揚げではなく盛り合わせもある)」を別にお願いする。
「天麩羅そば」を注文してしまうと温かい汁で、丼仕立て(かけそば状)になるからだ。
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菖蒲町農協での旨い物
気さくなお姐さんが巧みに焼く、安価な焼き鳥。庶民的な値段だが、味は一品だ。

 目指す菖蒲町農協(店名は「農協食堂」という)での蕎麦を楽しんだ。時間は2時を回っていたが、少しのんびりとしたかったので併設される農協の直売所の「南彩グリーンセンター」を覗いた。 そこでは、さぎ山記念公園脇で直売されていたレモン(焼酎に輪切りで入れると美味しいよ、の一言で堪らずに購入)に続き、朝採りの地物のきゅうりを買い込んだ。

 野菜や物産などの直売所の他に、プレハブ店舗が数軒あり、ソフトクリームや大判焼き、焼き蕎麦やお団子、名物の厚焼き玉子と混じって、焼き鳥を店先で焼く肉屋さんもある。

 その匂いと値段に惹かれて、川越まで待つことが出来ず、たまらずに焼き鳥(正確には焼きトン)を食べてしまった。

菖蒲町農協での旨い物

今回は塩ではなくて、そのまま「たれ」で頂く
菖蒲町農協の直売所;焼き鳥を吟味するメンバー
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元荒川(桶川と菖蒲町の境界) 桶川・べに花ふるさと館

 空腹感も収まった。コースを本来の「県道12号線(川越・栗橋線)」へ戻して川越を目指す。菖蒲町からの道は、途中で綾瀬川、元荒川、芝川と幾つかの川を渡る。

 それらの川を渡って桶川の街を抜ける。(道は川島町へ向かう手前でさらに荒川を渡ることになる。)

 さて「桶川」、特産は紅花(べにばな)だ。市街地の手前で、県道から少し入った辺りに「べに花ふるさと館」がある。大きな長屋門を抜けて中の敷地に幾棟かの建物があるが、全体としては、旧家を移築したような雰囲気のある物産館だ。

桶川・べに花ふるさと館
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桶川・べに花ふるさと館 写真は、館内のうどん屋さん。

長屋門の裏側には物産の販売所があり、地元の野菜などが安価で買える。

また、敷地には体験学習が出来るような棟もある。

多分、「紅花染め」などの体験教室が開かれるのではなかろうか。

 「べに花 ふるさと館」では、写真に写した建物でうどんが食べられるが、これがお勧めのものらしい。リンクを張ったべに花館のHPでも桶川伝統の「手打ちうどん」に関しての紹介として「自慢の手打ち うどん」として別の頁でメニューが紹介されている。さらに良く見れば、ここには地元産のそば粉を使った手打ち蕎麦もあるようだ。

 地元の人間が太鼓判を押す話なので「手打ち うどん」の味に関しては間違いは無かろう。ゆっくりと落ちついた雰囲気で食べられそうで、菖蒲町「農協食堂の石臼引きの手打ち蕎麦」もお勧めなのだが、今度はここで食事をしたいものだ。


 菖蒲町からの「県道12号線」は交通量が多く、歩道を通れる場所もあるが車道を通らねばならない場所もあり、意外に緊張して走った。 当初は予定をしていなかったが、たまらずに脇道に入り、ここに寄って休憩する事にした。すでに時刻は午後3時に近く、積算走行距離は65kmほどになっている。
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 そこでしばらく遊んでから、交通量の多い県道へは戻らずに、脇道を抜けて国道の17号バイパスの歩道上を通り、バイパスの先で12号線へ戻った。また直ぐに脇道に入って、「太郎衛門橋(たろうえもん)」への道は住宅地や田畑の中の小道などを巧みに抜けて進んだ。

 この行程は今回参加したワンゲルのメンバーに桶川市の出身者がいたために可能になった。彼の巧みなガイドのお陰で、県道の混雑した通りを避けて田園地帯を走れたものだ。

桶川・泉福寺(講堂) 桶川・泉福寺(鐘楼)
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桶川・泉福寺(鐘楼) 桶川・泉福寺(講堂)

 桶川から川島町へ向かうには「荒川」を渡るのだが、その橋の近くは河川敷の広大な土地が広がっている。

  川岸の土手(河岸段丘)上には、大きな寺院「泉福寺」があった。立ち寄って建物を見学したが、山門や本堂だけでなく講堂なども随分と大きな建物が揃っている。

 大名の菩提寺でも無いようで、「東叡山」という山号からすると天台宗のようだ。 気になったので、後日調べてみた。
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桶川・泉福寺(六地蔵と山門)

<泉福寺(せんぷくじ)>

 平安時代の天長6年(829年)の開基と伝えられる寺院で、関東の比叡山とも呼ばれる古い歴史があった。

 ここで、天台の教えを受けた学僧が関東各地に散り、天台の文化を各地に花開いたという。当時はこの地に多くの伽藍が立ち並び、多くの学僧が学ぶ、「関東の天台の本拠」に相応しい様であったという。

 川越の喜多院、中院などを復興した中興の祖「尊海(そんかい)」などもここで学んだのだという。

 源平の合戦や戦国期の合戦 − 「長尾景虎(ながお かげとら:後の上杉謙信)」が関東管領上杉氏を後援して拠点とし、北条氏綱の守る川越城を攻めたという − などで罹災し、多くの伽藍や塔頭が焼失したという。

 今、目にしているのは江戸期に復興された建造物らしい。実は山門には阿吽の仁王像が安置されていたようだ。六地蔵に気を取られ、裏側から山門を見たので気が付かずに過ぎてしまった。

 寺院は先に書いたように河岸段丘の高台上にあって、広大な荒川河川敷が見渡せる。川越攻略時にここに本拠を置いた謙信の軍略は、やはりさすがというほか無い。
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ホンダ・エアポート 大空を舞う気分とは
どんなものだろう。


高所恐怖症の私には、
とても楽しめそうに無い


終日曇り空だったが、
これが晴天だったら、
青空に色とりどりの原色のパラシュートが映えて、さぞや鮮やかだろうと思う。

 寺院の建つ土手から荒川の広大な河川敷が広がるが、そこには有名な民間空港の「ホンダ・エアポート」がある。滑走路は荒川を挟んだ対岸にあり、そこは桶川市ではなく川島町になる。

 飛行場としての前身は、「熊谷陸軍飛行学校 桶川分教所」で、長く飛行訓練生の演習機関だった。だが、熊谷飛行学校は戦局の悪化と共に閉鎖され、終戦直前の桶川分教所は特攻機の訓練基地だった痛ましい歴史を持つ。

 現在は、チャーター機やヘリコプターの運用をしている民間会社の「本田航空株式会社」が空港の運用主体で、航空事業の主要拠点としている。「本田航空」は戦後(1964年)、自動車のホンダの創業者の本田宗一郎が設立した本田技研工業のグループ企業のひとつだ。

 多くの民間機(セスナなどの小型機)が駐機している様子が見てとれた。

 寺院の前からは段丘の下部へ向かってサイクリング・ロードが続くが、その段丘上からエアポート側を見ると、空の低いところで幾枚かのパラシュートが舞っていて、それが次々に着陸していた。丁度、ダイバー達が大空から舞い降りてきたところで、しばらく見ていると中型機が着陸してきた。先ほどのスカイダイバー達を運んだ機体のようだ。そんな民間空港の様子を見やって楽しみ、橋を渡って改めて川島町を目指した。

エアポート脇のサイクリングロード
サイクリングロードの前方に見えるのが荒川に掛かる「太郎衛門橋」だ。
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荒川(太郎衛門橋) 荒川(太郎衛門橋)

 さいたま辺りでは、休日になると緩やかに低い空に浮かぶ飛行船が現れる。宣伝用の美しいデザインが施された機体が緩やかに上空を進む。それはまるで、夢の雲が浮かぶような感じで、現実感が乏しい。

 長い橋を渡っていると、エアポートの先に「ツェッペリン号」の白い巨大な機体が見えた。川岸に駐機(係留)されていたが、地上のそれはかなりの大きさだ。おおよその大きさは判っているつもりだったが、改めてこうして目の当たりにすると、やはりスケールがある。ここを母港として飛立っているのだろう。
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 太郎衛門橋の辺りは、江戸の昔、「太郎衛門河岸、別名 川田谷(かわたや)河岸」として年貢米や特産品の「べに花」の積み出しを主とした川運拠点として栄え、橋ではなく私設の「渡し」があったという。この辺りの荒川は、見沼を作って「川口」以南を灌漑した郡代の伊奈氏が流路付け替えの工事をして荒れる川筋を治め、現在の安定した川筋に変えたという。

 泉福寺があった辺りを含めてこの一帯を「川田谷」と呼ぶが、調べてみると古くは桶川宿と同規模の独立した村だった。先程の「べに花館」での手打ち蕎麦は地元産のそば粉を使用しているとの事だが、そのそば粉が「川田谷産」とWebページでは書かれている。古くから田園が開けた土地だったのだろうが、いつの頃からかソバを栽培するようになったらしい。


 橋を渡った先に続く県道12号は、菖蒲町から桶川までのように歩道があるわけでなく、しかも大型車も頻繁に通って、交通量は予想したよりずっと多かった。

 流れに乗らないと危険なので、少し速度を増して車道を走った。そのため、このあたりでの写真撮影は無い。

 間もなく、川越の市街北部へ至る予定だが、そろそろ日が落ち始めた。

川越(蔵通り) 川越(蔵通り)

 「べに花館」からは一時間半ほど走ったろうか。

 「新河岸川」を渡って仙波の町(のんびり 行こうよ: 2007.05,03 「荒川ポタリング(川越)」)から川越の本通りに入った頃には、丁度、日が暮れた。秋の「釣瓶落とし」という通り、あっという間に辺りが暗くなった。

 当初の予定では、今に残る川越城の本丸御殿や喜多院の周辺で自転車を停めて、街歩きを楽しもうと考えていた。けれども、もう日暮れてしまったので自転車を停めているような余裕は無く、JR川越駅へ直行する事にした。駅への道は市街地を迂回して行く事が出来る。ここからであれば、その方がずっと早く駅へ着けるが、折角の小江戸川越の街なので「蔵通り」を歩いて駅へ向かうことにした。
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川越(時の鐘)

 昼間はよくこの通りを歩くが、日暮れてからの川越の街は今回が初めてだ。

 いや「蔵通り」がこれほどの雰囲気とは思わなかった。実際には色々と手が入っているようだが、それでも充分に古い歴史を秘めた町並みの良さが伝わってくる。これを予測していれば、短焦点の明るいレンズ(GRの28mm)や一眼レフ(50mm F1.4)などを持ってくればよかった。


 「蔵通り」を歩いて、「時の鐘」を眺めた。鐘の直ぐ前の酒屋さんは愛想が悪いが、私はここでいつもお土産を買う。今回も地ビールを2本購入して、背中のザック(レモンときゅうりが入っている)に仕舞いこんだ。後日の密やかな お楽しみだ。
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 「大正浪漫通り」では熊野権現にある「銭洗い弁天」(のんびり 行こうよ: 2007.08.14 「菓子屋横丁(川越)」)で、持っている小銭を洗って<願>を掛けた。そのまま「クレアモール」へと歩いたが、途中のお団子屋さんで、「ウメ餡」をひと串買って、歩きながら食べる。ウメと紫蘇の薫り高い味がする、これも目にすると食べずには居られないお気に入りだ。暗さのためか、残念ながら撮った写真はブレてしまった。

 駅前の焼き鳥「大(ビック)」(のんびり 行こうよ: 2008.06.15 「川越で満腹になる」)で、お土産の焼き鳥を焼いてもらって、さらにご機嫌だったが、弁天さまのあらたかな霊験のお陰で、忽ち小銭が増えて財布が膨らんだ。(まあ、その分のお札が減ったのだが、心の豊かさが増したので、「ご利益」と言っていいだろう。)

 川越から輪行して帰宅するメンバーと別れて、ここで一旦解散とした。まだ時間も6時前なので、別れた私達は「さいたま新都心」まで自走して戻ることにした。すでに積算計は80kmほどの距離を走った事を示していた。

 川越駅から自転車で戻ったことは無いが、さほど心配は要らないだろう。

 そう考えたのは大きな間違いだった。やがて大きな罠が待ち受けている事には、川越を走り始めた時点ではまるで気付かなかった。

川越名物 川越(大正浪漫通り)
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 クランクを繰り返す城下の暗い道を通って、郊外へ抜けた。はるかな遠方に、車のライトの列が作る光の帯が見えた。私達はその「大通り」を目指して進んでいった。

 目指す「国道16号バイパス」へと至れて、そこをしばらく走った後のことだった。路線標識は「254」となっていた。16号では無く、「国道254号」を走っていたのだった。なんということだろう。川島町へ戻ってきてしまったようだ。大分先に見える交差点で国道を外れて、道を右手に取って抜けることにした。高層ビルの明かりが3本、右手前方に遠望されたからだ。

 「新河岸川」を渡ってしばらく走った。その先で多少賑やかな商店街となり、やがて「踏み切り」が現れた。道は線路を渡って続くらしい。何線だろうと訝かしんで、停車して地図をもう一度確かめることにした。

夜を走る

 地図では現在位置がもうひとつ判然としない。そこで、メンバーの持つ携帯電話のナビ情報で現在地を検索するが、それもいまひとつ、良くわからない。

 踏切からは駅が見えるが、それが何駅なのかは判らない。近くへ行って駅名を確認すればよいのだが、疲れて思考できないのだろう、そのことすら考え付かず行動できない。いや、そこまで行くのが面倒で、地図を見やるばかりだ。そうしている間に仲間の一人が近くに居る歩行者へ、道を尋ねに行った。

 私は地図を確認していたが、電車の音に頭を上げて、その列車の行き先表示を眼にして肝を潰した。

 私鉄の「東武東上線」だ。戻ってきた仲間も、駅は「新河岸」駅、そしてここが川越を起点とすると大宮へ向かうにはまるで反対の方向に進みつつある、という今では明白になった恐るべき事実を仕入れてきた。川越の市街地で何度も曲がって方角が狂い、まるで逆進していたらしい。16号と信じていた幹線道路が254号だった事に動転し、川島町へ向かっていると思ったことがそもそも違っていたらしい。

  北ではなく南へ、川越を挟んで川島町とは逆の「ふじみ野市」側へ向かっていた。それを補正しようとして右手に進んだので、さらに大宮方面から遠ざかる方向へ進んでいたようだ。ふじみ野市や富士見市側からなら、まだ何とかなる。荒川は「開平橋(入間大橋)」や「上江橋」ではなく別の橋(「治水橋」や「羽倉橋」)を渡ればよい。気を取り直して、道を補正する事にした。

 時刻は6時を過ぎて、辺りはすっかり暗くなった。 しばらく「新河岸川」沿いの畑地を走っているうちに水滴が頬を打った。雨が降って来たのだ。泣きっ面に雨。 私達は、次第に激しさを増す雨の中、掛けられた追い討ちを打ち払うようにスピードを上げて先を急いだ。その為、この間の写真も撮影自体を忘れていた。
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 こうして、雨の中、畑地を抜け、住宅街を通って、やっと幹線へ出た。川越から大宮へ至る「県道56号(さいたま・ふじみ野・所沢線)」線だ。これで「さいたま」への道は保障された。ひと安心というものだ。

 雨は激しくなるばかりなので、道がはっきりした時点でコンビニに寄って、店の脇で休憩することにした。携行して来た雨具を着込んだり、現在位置を確認したり・・・。

 東上線の踏切からは、さらに一時間ほど漕いだろうか。コンディションは劣悪だったが、車速は平均25km/H(走行中:地点間の平均速度ではない)ほどで、この一時間弱が今日の行程の中では一番ペースが良かったようだ。

 荒川に掛かる「治水橋」を渡って、やっと新都心のビル群の明かりが見えた。何とイルミネーションの心強いことか。

川越の旨い物(地ビール)


<本日の旨い物 :川越の地ビール>

数種類があるが、「瑠璃」と「小江戸」がいい。

つまみの「大(ビック)」の焼き鳥は
写真に撮るのを忘れてすっかり食べてしまった。
川越の旨い物(地ビール)

 その後、さいたま新都心で食事をして、無事に解散した。駅に隣接したモールにある「紅虎餃子館」で黒胡麻坦々麺、黒胡麻と牛肉のチャーハン、餃子、麻婆豆腐と注文し、シェアして中華の宴を楽しんだ。あれだけ走ったのだ。ガッツリ食べても問題はあるまい。


 結局のところ、総走行距離は97・53km、9時出発の19時30分着。予定を大きく上回る距離と時間になってしまった。反省しきりだ。

 新都心から東浦和までの15km、上尾解散を取りやめ川越としたため、上尾から新都心(川越からの差分)までの相当分8kmを除くと、ほぼ計画の距離だったことになる。それにしても60kmほどの見積もりに変更分を加算しても83kmにしか過ぎない。

 差分の15km程は道迷いなどのロスという事になる。いやロスはもっと、たぶん積み上げれば20km以上の距離になるだろう。郊外や幹線から外れているとコンパス・地図を持っていても正確な現在地が判らない場合が多い。携帯電話のナビではなく、「携帯用のナビ」が切実に欲しくなってしまった。
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