赤羽(あかばね)の東口側は古くから繁華街が開けていた。学生の頃、友人がこの町に住んでいて何度も遊びに訪れた記憶がある。私は同じ雰囲気を持つ駒込の山手線の外側に住んでいて、家のすぐ前に「霜降り銀座」というちょっとした商店街があったので、雰囲気が似ている。ようは東京の北部の繁華街になる、下町だ。
幾つか分散する商店街は当時から賑やかだったが、駅の西側は今とは大分様子が違っていたように思う。もっと丘というか、切り通しというか、はっきりとした丘陵状の斜面が駅へ迫っていたように思う。ヨーカ堂やその他の大型店舗のある駅前は、今とは大分様子が違っていたように、おぼろな記憶がある。
当時は「埼京線」はまだ開通してなくて、池袋―板橋―赤羽間を結ぶ「赤羽線」が走っていた。そのホームは京浜東北線や高崎線側からすると、切り立った斜面(壁面)の上にあって今の高架と同じほどの高さがあったように思う。駅の西側は板橋方面へ向かって「山手台地」が始まる場所であり小高い丘となっているのだが、もっと駅に近いところまで丘が迫っていたように思う。
駅前には大型の店舗はまったく無くて、山手台地(やまのてだいち)と新河岸(しんがしがわ)川の河岸段丘がせまっていたのだが、、80年代以降90年代半ばのバブル期にどんどん再開発されたようだ。
当時の町の雰囲気はもっとこじんまりとしていて今の「王子(おうじ)」駅界隈のようであったが、今では北区一番の繁華街となっている。
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