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2009.09.12
Y150(開国記念博)横浜 ウォーターフロント街歩き

アクセス;
 JR東海道線 湘南新宿線

カメラ;
 PENTAX K−10D

レンズ;
 PENTAX FA50mm F1.7
 PENTAX DA18−55mm F3.5−5.6 ALU
 PENTAX DFA100mm F2.8 マクロ


 仕事の上では何度も訪れる横浜だが、改めて「観光」となると何回も訪れたことが無い。

 乗り換えの起点駅とする程度で、思い起こしても今までに数回だけだろう。

 氷川丸を見たくて山下公園へ行ったのはもう10年以上前のことだし、中華街へ行ったのは、それからさらに20年近くも前だったように思う。とすると、観光で横浜を訪れることは10年おき、ということになろうか。だからそういう訳で、実のところは横浜の町に関してはほとんど無知であり、記憶の中に無い。
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横浜美術館 横浜美術館

 横浜は浦賀沖にペリー艦隊が来航し開国を迫り、確か「神奈川」とともに開港した村であったはずだ。それから今年で150年、開国を記念するイベントが街をあげて行われている。

 今回は、それにあやかって少し歩いてみよう、という試みだ。

モニュメント
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モニュメント

 街としての趣はどの辺りにあるのだろうか。「横浜」と言ったとき、頭にまず浮かぶのは、私の場合、「レンガ色」だ。

 すると古い倉庫、あるいは昭和以前の旧時代の重厚な雰囲気を持つ建造物だろうか。まずは、博物館で港町としての横浜の歴史を訪ねて見ようと思う。

 改めて調べてみるとまさに我が家向きのチケットが用意されていた。

横浜船渠 第二ドック 横浜船渠 第二ドック

 「ウミキュー」チケットがそれだ。

 このチケットなら、「帆船 日本丸」の乗船見学、併設された「横浜みなと博物館」、少し離れてある「日本郵船歴史博物館」、それと「横浜開港資料館」の入館、加えて水上バスの乗船がセットになっている。価格はわずか1000円で、大変お得なものだ。

 そうしわけで、チケットの購入窓口にもなっている日本丸が係留された「みなとみらい21」地区の日本丸メモリアルパークの一画へ向かう。
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横浜船渠 第二ドック

 途中に、「横浜美術館」の壮大な建物がある。展示へ入ってしまうと時間が掛かるので、入り口のロビーで少し休む程度にする。ここは次の機会にゆっくりと楽しむ事にしよう。

 JR横浜駅側から歩くと、日本丸の手前にはドックの跡地が公園のように整備されている。階段状の巨石で構築された遺構で、地平面から下部を覗き見ることが出来る。

 ビルで言えば四階分ほどだろうか。その地下部分には喫茶店やレストランが入っているようで、壁面に窓が開いていて店内の様子が上部からも見すかせる。

 ここは「横浜船渠株式会社の大型船用の第二ドック」なのだが、同じ規模のドックがもうひとつある。大型帆船の「日本丸」が係留・展示されている海水が満たされている部分が第一ドックという訳だ。だから見学するには、これらの二つを見ると良いだろう。双方の施設の説明ではお互いの存在に触れてはおらず要注意だ。JR桜木町駅川から日本丸へ行ってしまうと見落としてしまう結果となる。

横浜船渠 第二ドック 横浜船渠 第一ドック
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 横浜船渠株式会社の大型船用の第一ドックは1982年(昭和57年)まで現役で利用され、1898年(明治31年)の竣工以来、数千の船の補修に利用されてきた施設だ。水が満たされているので内容は先の第二ドックから想像するしかないが、国指定の重要文化財だ。

 横浜市は、そのドックを利用する形で周辺の造成や埋め立てを行って、緑あふれる「日本丸メモリアルパーク」とした。帆船日本丸をドックに係留し、海側にコンサート用のアリーナや博物館、芝生公園、展望タワーなどを施設した。

 横浜港をテーマにした博物館は、船側に向かって大きな窓となっている。施設から港側(海側)は見えない。屋上から海側の壁面全体をスロープの地面としているためで、その斜面が芝生公園として開放されている。桜木町駅へ向かう動く歩道から見下ろすと斜面の芝生が見え、よく見ると地下のような形で博物館の窓が見える。

 展望タワーに上ってスリリングに一望することも出来るし、芝生に腰を下ろして「のんびり」と港側を眺めることができる仕掛けだ。

みなと博物館の屋上
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帆船 日本丸のスライドショー を表示

 係留された帆船日本丸は、船員養成の練習船だ。1984年(昭和59年)の引退までに延べ183万Km(地球を45周)にも及ぶ航海をし、11500名もの船員を育てた功労船だ。

 これを横浜市は港のシンボルとして1984年に誘致し、公園に併設された見学施設として一般公開(内部への入館は有料)しているものだ。

 商船大学の生徒の練習船として有名だが、中学生の頃に眼にしたアメリカ建国記念の際の水上パレードでの光景を良く覚えている。当時は夕日を浴びてフル・セールしたポスターを飾っていた。いや、随分昔の記憶なので、船種が曖昧であり、それは同型船の海王丸だったかもしれない。

 2009.09.12;帆船 日本丸 スライドショー

帆船 日本丸
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帆船 日本丸 操舵中 帆船 日本丸

 船の内部は、要所に説明のプレートがあり、実際の船室や設備とともに巧みに展示されている。

 主要な設備部分では15インチほどの液晶ディスプレイで解説(例えば当時の航海長や船医が経験談を説明したりする)が放映されているので助かる。

 甲板員、いわゆるセーラーの居室などは中に入ってベットで横になることが出来る。六名で一室なので、個室があてがわれた士官(指揮者)とは格段の待遇だ。それでも、横になったベッドでの寝心地は見かけほど窮屈ではなく、まんざら悪くは無かった。

帆船 日本丸 士官サロンへ 帆船 日本丸 艦長公室
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帆船 日本丸 士官サロンへ 一般船員の部屋は、水面下の最下層にある。

航海中に丸い窓を開けておくとトビウオが飛び込んできたり、波を受けてベッドが水浸しになったり、したそうだ。


そうした船の下層から甲板に近い部分や甲板上層に士官居室や講堂などがある。上層へ行くと調度も鉄製や真鍮製のものから重厚な木製となる。

 船舶は安全に航海するため、統率がとれた指揮・命令系統が最重要となる。

 だから、当然、艦長を頂点として垂直に命令が伝達されるよう縦割りの人事であり、同時に効率よく業務が実施されるような組織編成となっている。 待遇は上位者に厚く、下位層へ行くにしたがって薄くなる。そういう階級格差が主要な設備が相違している原点だとろうが金属と木製の調度の差は、それだけが理由ではなかろう。

 実際に甲板より下部の構造内では湿気が強いだろうから、痛みの早い木製を避けて鉄や真鍮製としたのだろうと思う。

 船員は部署別に班編成されているが、多分班内の構成員は分散して居室を当てられていたはずだ。ただし、厨房員や機関科員(エンジンルームの担当)、通信員などの専門職は担当施設の直近にまとまっていて同じ部屋が当てられている。そうした部署割ひとつを採ってみても人員配置までを含めて機能優先であり、実に考え抜かれている。

帆船 日本丸 士官サロンのステンドグラス 士官サロンの天井面にある優美なステンドグラス
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 土曜日に家を早く出て、「葉山」まで行ってマリーナを眺めて、その先にある公園へ行く。そして午後には「三浦海岸」へ行って浜で遊び、翌日の日曜日に横浜の街を歩く。

 というのが三浦海岸にある健保の保養所がキャンセル待ちで取れた時に立てた計画だった。

 それが、出発の土曜日、湘南新宿ライナーで渋谷を過ぎたあたりからもう雨になってしまった。そこで予定を変更して横浜で「京急」に乗り換えずにそこで下車し、行程を土曜・日曜で入れ替えることにしたのだった。

のんびり行こうよ: 2009.09.13 「三浦海岸の浜遊びと 横浜 街歩き」

帆船 日本丸 横浜港を蹂躙する巨大怪獣 ゴジラ
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みなとみらい21

 土曜は朝から雨が降ったためか、横浜の街はかえって空いていたようだ。

 街中だけでなく「Y150(開港記念博)」の会場自体もそれほどの混み具合では無かったようだ。

 後で横浜在住の同僚に聞いてみると、「博覧会は意外に不人気で、客入りは当初予測の三割程度にしかならず、市内の小学生を無料で招待して来場者数を底上げするらしい」との事だった。

 まあ、どちらにしても入場料の高いメイン会場に入るつもりはなかったのであるが・・・。

 帆船日本丸(乗船見学と博物館)や日本郵船の歴史博物館は土曜日に限って小学生以下は無料だった。これには少し驚いてしまった。土曜・日曜で予定を変えた事が小さな幸運につながったようだ。
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倉庫跡 街の様子

 横浜の街を歩くには、ポイントを絞って目的地を選択するべきだろう。なにせ街に歴史があるので見所が多い。

 建物(建造物全般)にはいつも興味が尽きないが、さまざまな意趣の建築物を楽しむことができる。

 「みなとみらい21」地区などのウオーターフロントに林立する近代的な構築から、レンガ造りのレトロなもの、また昭和初期に見られる重厚なビルの造り。それぞれが印象的で各時代の息吹が感じられる。

街の様子 街の様子
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街の様子 日本郵船 横浜支店

 日本郵船の「歴史博物館」は、横浜支店の営業店舗ビルをそのまま使っている。昭和初期に当時の金額で100万円(今に換算するとどのくらいだろうか)程を掛けて作られたというビルは、今見ても実に美しい。

 ローマの神殿のような円柱を中心としたロマネスク様式で重厚な佇まいを見せている。

 アールデコ調に統一された内部の天井は高くて、そこに石膏のレリーフが施されている。営業店のあった部分をそのまま展示スペースとして博物館となっているのだが、そのことがまるで違和感が無い。
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日本郵船 横浜支店 日本郵船 横浜支店

 展示の内容は勿論なのだが、壁面や天井の内装や入り口のドアなどの調度そのものが展示に値する美術的・歴史的な価値を持っている優れたものだ。


 展示が終わった部分に休憩所が作られていて、コーヒーなどがそこで飲める。入場時に貰ったコインを100円玉の変わりに投入し、好きな飲み物が選べる仕組みになっている。

 オニオン・コンソメのスープを試したが、これが実に美味しかった。家人は「ほうじ茶ラテ」で、こちらも良かった。ただの自動販売機といってしまえばそれまでだが、こうしたサービスは気が利いている。さりげなさがいかにも由緒ある古い会社の扱いらしくて、感心するではないか。

日本郵船 横浜支店
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日本郵船 横浜支店 日本郵船 横浜支店

 日本郵船では、大戦中に多くの船舶(貨物船)と人員を損失した。勿論当時の遠洋航海向けの豪華客船の多くも軍に徴用されて改装されて空母や巡洋艦となり、戦没している。

 軍人はもちろんだが、そうした社有の船舶の多くには、軍属として、あるいは非戦闘員である社員や関係者が数多く乗り組んで輸送業務(任務)に就いていた。

 空母や巡洋艦は戦闘艦なので、戦没はその結果だが、輸送船は直接戦闘には従事しない。兵員輸送や軍需物資の輸送は戦闘行為とも言えるが、民生産業用の原料や市民の生活物資の輸送中に喪失された数がいかに多かったかということだ。雷撃または爆撃されたのだろうが、制海権を失った後は近海航路でもアメリカ軍の大型潜水艦が跋扈していた。第二次大戦は総力戦なので、輸送船舶への攻撃は日常的に行われていて、それを考えると恐ろしさが沸いてくる。

 沖縄からの学童疎開船「対馬丸」の話などは今に語られているが、語られない多くの物語が壁面の戦没船写真に詰まっている。壁面を埋めるおびただしい数の船の写真と、5000人余りの人員(日本船舶社員)が失われたという歴史上の事実だけが、さりげなく展示プレートで語られている。
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県庁
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象の鼻ピア 海龍の船内

 日本郵船の歴史博物館から「大桟橋」へと向かう。

 大桟橋の手前に水上バスの乗り場、「ぞうの鼻ピア」がある。そこから帆船日本丸が係留されていた場所「日本丸ピア」まで、20分ほどの小さな船旅が楽しめる。

 乗り場へ行ってみると、丁度10分ほどで船が来るという事だった。珍しく良いタイミングで、なんだが良い事がありそうな予感がする。「海龍;ドラゴンボートという船が来る」というが、「ぞうの鼻」のほうに船影が見えてきた。

 屋根の上に金色の龍が乗っている。定期航路の水上バスだが、それは湾内の遊覧観光船のようだ。なんだか、中華料理が振舞われても違和感なさそうな雰囲気だ。

 2009.09.12;横浜:水上バス スライドショー

海龍 からの眺め
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 「大桟橋」に着いて乗り込んでみると、乗客は私達三人だけだった。45人乗りの船が図らずも貸切になった。早速、「良い事」がやってきたわけだ。

 Y150(開国記念博)のメイン会場である出島状の部分を水上から遠巻きにぐるっと巡るように航路が設定されている。進行方向の右手には「赤レンガ」などの博覧会会場や港の施設、右手には「ベイ・ブリッジ」を見て進む。

 わずかな乗船時間だったが、船好きの私としては実に満足で、非常な贅沢が味わえた。

海龍 からベイブリッジを見る 日本丸メモリアルパーク
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