「喜多院(きたいん)」は大きな寺院で、開山はなんと830年。
大変古くからの歴史を持っている。仏教伝来から、僅かに300年。山こそ無いが、発展した都からすれば原野に等しかったであろう武蔵野の地に平安初期に建立された天台宗の「無量寿寺(北院、中院、南院)」がその起こりだ。
寺域を広げたのはこの寺院に「天海(てんかい)僧正」がいた、江戸幕府開府期らしい。五百羅漢の石像や、江戸城から移築した「春日の局の間」がある客殿(書院)が有名だ。徳川三代将軍の時代に現存する山門を除くすべての建物を大火で消失し、再建には江戸城紅葉山の別殿を移築した。喜多院に「家光誕生の間」や「春日の局の間」があるのは、そのためだ。(彼らがここで生活をした訳ではない。生活後の建造物をそっくりリサイクルしただけだ。)
川越の伽藍が焼失したための移築が、今度は江戸城の焼失から、これらの文化財を救った。もし移築していなければ、それらの建物は現存してはいないのだ。また、戊辰戦争での焼失を免れたのは、川越が親藩(しかも江戸を守るための前衛)であった事を考えれば、まことに幸運であった。
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