写真・水彩のインデックスページへもどる写真・水彩 のページへ    Top Pageへ移動 Top Pageへ移動          このページを閉じる 閉じる

2008.07.28
茜空が耀く

アクセス;
 さいたま市中央区

カメラ;
 PENTAX K10D

レンズ;
 PENTAX DA70mm F2.4 Limited
 PENTAX DFA100mm F2.8 マクロ
 PENTAX FA28mm F2.8 AL


三脚;
  K10D:カメラの手ぶれ補正にて、三脚は不使用

 (画像添付時に約70%程度に圧縮)


 大きなバケツをひっくり返したような、それは激しい夕立だった。

 梅雨はもう明けたが、土曜日も酷かったが、それに続いて今日も夕立だ。しかも、雨も風も稲妻も、皆、凄まじい勢いがあり、実に荒れた天気であった。

夕立の後のひまわり
ページTopへ移動
雫が耀く 夕立の後に現れた虹

 2時間あまりだろうか。激しい風を伴って雷雨が叩き付けるように降った。

 夕立の初めはさほど酷いものでもなかった。少し雨脚が強いかなと思う程度であったのだ。涼しくなるので開けていた窓から、どんどん雨が入ってくるような風が吹き初め、直ぐにあたりは暗くなり、雷鳴が轟きだしたのだった。

 私は「上州(じょうしゅう)のかかあ天下と空っ風(からっかぜ)」で有名な前橋育ちなので、雷や夏の夕立には慣れているが、そんな私でも驚くような激しさを伴ったものだった。

 夏の夕方は毎日のように、夕立が榛名山のほうからやって来て市内を雷雨で激しく包む。そして、30分や一時間ほど停電し、またその後、寝る前に戻ってくるような記憶が幼少のころのものとしてある。

 あの時分の雷はひどく怖かった。家にいるのに薄暗い自分の足元の直ぐそばまで鮮明に光って、すぐに猛々しい雷鳴が家を揺るがすほどに響く。当時は、雷が激しさを増すとテレビや時には電燈などまで消してひっそりとして過ごした。

 そのような家電製品を消すという行為は「落雷避けのための御呪い」的な意味(披雷による破損から守るのではなく、電気を使うと雷を呼び寄せてしまうので利用をやめる、といった意図)もあったと思う。釣っていたカヤの中へよく逃げ込んだ覚えがある。
ページTopへ移動
 夕立が止んで、東の空を見やると、大きな虹が出ていた。虹だけではなくうっすらと何本かの筋雲が夕焼けに染まっていた。東の空全体が淡い薔薇色にそまる事は年に何度かあるが、雲まで染まることは珍しい。私は思わずカメラを取り出した。


 東の空だけではなかった。

 西の空は、大変なことになっていた。空全体が燃え上がっている。

東の空
ページTopへ移動
北も染まる
はっきりと撮れなかったのが実に残念。 眼を疑うような美しい虹であった。

 ここまで見事な夕焼けは、近年珍しいことだろう。思わず夢中になってシャッターを切ったが、冷静に考えれば、きちんと三脚を用意し、露出も段階的に調整するブランケット・モードなどを利用して、もう少し撮影に神経を使うべきであった。

 西の空だけでは無い。 北も、南も、どの方角の空も、茜色に染まり、薔薇色に耀いていた。

 「こんな夕焼けがあるのだ」と驚いて、夢中になってしまったが、それは夕立後のごく短い間のことであった。燃えるような空は、次第に夕闇へと変わってしまい、先ほどまでの絢爛がまるで夢の中での出来事だったように思われてくる。

南の空 北の空の夕焼け

虹の下の夕焼け
ページTopへ移動
翌日の夕焼け

 翌日は、夕立は無かったが、また夕焼けがあった。

 昨日ほどの激しいものではないが、こちらも綺麗に耀いていた。気が付いたときには、もう暮れる手前であって、「残照」といっていい状態になっていた。だから、同じように盛んな夕焼け空でも、こちらは少しその色が濁っている。

 でも私は、こんな夏の宵の入り口に相応しい穏やかな茜空も気に入っている。

翌日の夕焼け 翌日の夕焼け
ページTopへ移動