ポタリング のインデックスページへもどる ポタリング の ページ      Top Pageへ移動Top Pageへ移動             このページを閉じる 閉じる

2010.10.02
深川で江戸の街並みを愉しむ

走行距離;
 55km ;走行時間 3時間1分

   往路;「JR武蔵野線 西浦和に集合

    「荒川サイクリングロード」にて
       浦和 > 戸田 > 川口 > 足立(鹿浜・小菅・堀切) > 江戸川(四つ木) >                            葛飾(新小岩・北葛西) > 清新

   復路; 清新 > 南砂 > 木場 > 深川 > 森下より 輪行
                           (地下鉄 大江戸線:森下−新宿 JR埼京線:新宿−さいたま新都心)

カメラ;
 RICOH CAPLIO GX−100 24−72mm F2.5−4,4
 (画像添付時に約30%程度に圧縮)


 JR西浦和駅に集合し、そこから河川敷にある「道満(どうまん)」へ出て、そのまま荒川の左岸を下流域(都心方向)へ進む。さいたま市の南部になる戸田市から川口市と走り、そのまま川筋に沿って都内へ入る。足立区や江戸川区そして葛飾区と走っていくと、荒川サイクリングロードは終わって、東京湾の河口へとたどり着き、秩父山系から発したとうとうとした大河の流れはついにその地で終着を迎える。

 以前、この道を走った際には湾岸線まで出ず、途中から中川を伝って「柴又(しばまた)」の街を目指してしまった。「川筋を辿って湾口へ向かう」という試みを断念したままなので、今度こそは一路、東京湾を目指すことにした。

 ただし、湾口へ向かい流れを辿るだけでは少しつまらないので、帰りに深川方面へ向かい「江戸の情緒を味わう」というのが、今回の企画の眼目となっている。
ページTopへ移動
<予定コースの概要 − 荒川サイクリングロードを辿って東京湾へ>

 1年前の冬の入り口、11月末の肌寒い日にフーテンの寅さんで有名な帝釈天(たいしゃくてん)がある「葛飾柴又(かつしか しばまた)」(2009.11.28 「荒川を極める」)へのポタリングを行った。

 荒川を下って行って、確か堀切(ほりきり)の辺りから、蛇行して流れる「中川」を目指し、新小岩や金町方面へ向かったのだった。

 今回の企画も、コースとしてはその時とほぼ同じで、「さいたま」からひたすらに荒川の河川敷を下っていく、というものだ。

 首都圏中心部への「災害時緊急道路」として荒川の河川敷沿いに道路が整備されている。普段は、つまりは災害時以外は一般に開放されていて、自転車や歩行者の専用道路として利用されている。この道路は右岸、左岸ともに整備が充分にされていて、たとえば同じ首都圏の多摩川CRや江戸川CRなどとは根本的に広さや整備状況の桁が違う。実に快適なサイクリングロードで、広大な河川敷と爽やかな風が味わえるコースになっている。

 河川敷には自動車教習所やゴルフ場、そして野球やサッカーといった数々のグランドなどが整然と並んでいる。そうした施設の間に、各市や各区が管轄するいくつかの公園が整備されている。

 道は、岸辺だけではんく土手(荒川堤防)の上にも通っている。堤防下の道ではなく一段高みになったそこを走れば、河川敷のおおまかな様子や、その外に広がる町並みを一望して走ることができる。

 さて、コース取りだが、戸田の漕艇場までは右岸と左岸のどちらを走ってもよいが、川口からは右岸に切り替えて進まないといけない。左岸にある教習所のあたりで一時的に堤防上の道が途絶えるからだ。それだけが埼玉から都内方向へ走る際の注意点といえよう。あとは河川敷の道に沿って進めば間違いない。ちなみに、赤羽から河口へ至るルートとしては、左岸でも右岸でもどちらを進んでも構わない。

道満(どうまん)を行く 浦和の荒川土手
メンバー撮影

 そうして川筋をひたすらに進むと、やがて荒川は広大な川幅に変わって、ついには東京湾へ注ぎこむ。

 今回の目的地、東京湾岸の「葛西(かさい)臨海公園」は、その名前の通り海に面しているのだが、同時に公園の横手は荒川の河口域になっている。

 走って来た荒川の左岸をそのまま直進していくと河口の手前で道が尽きる。このため、臨海公園へ向かうには、河口際の少し手前の橋を渡らなければならない。対岸地域へ行くには東京湾岸道路である国道357号線が通る「荒川河口橋(あらかわかこうきょう)」へ至る前に「葛西橋」や「清砂大橋」のどれかを渡る必要がある。そうしないと荒川河口大橋の手前で走ってきた道が中州状になって、そこで尽きてしまうのだ。
(このため、対岸へ行くことを考えた場合には、もう少し手前の葛西橋あたりで川岸から橋に上って対岸へ渡る必要がある。)

 今回は、いったん河口まで行き着いたら、さらにそこから「葛西橋」へ戻って、葛西橋通りに沿って道を西へ進むコースを取る。

 「葛西橋通り」は少し交通量の多いので、通りと平行した両側の脇道をすすんでも構わない。やがて鬱蒼とした木立が進行方向に見え始める。大きな都市公園として整備されている「木場公園」の森だ。そして、その公園を横切って越えた先が、深川の街となる。
ページTopへ移動
戸田へ 戸田へ

<コースの実走>

 集合地点のJR武蔵野線の西浦和駅から国道17号のバイパスを越えて、荒川へ向かう。いつものポイント「昭和水門」から「道満(どうまん)公園」へ、そこから荒川の堤防沿いに続く、通称「荒川サイクリングロード(緊急時専用道路)」を進む。

 戸田の漕艇場まではそのまま道続きで左岸側を進む。ところどころバラス道(未舗装路)が現れる。ロード車にとっては少し辛いが、変化があって面白い。

 この辺りは道も広く、ほぼ土手の上を快適に走ることが出来る。
ページTopへ移動
戸田へ メンバー撮影


ソロと違って、自分の写真があるのがありがたい。

<戸田から川口、赤羽へ 荒川下流域の堤防上を進む>

 戸田市域(JR埼京線の戸田公園駅 周辺)を過ぎると、堤防脇にいくつかの大きな倉庫や工場が現れ始める。ちょっとした産業地帯に入るのだが、やがて前方に高層ビル群が見えてくる。

 すっかり開発が進んだ川口市の郊外にある高層マンション群だ。なぜ周辺の土地が豊富な川口の地であれほどまでに高層化したのか、定かな理由が今一つ判らないが、ショッピングセンターを併設した商業施設を低層階に持った、都心部に見られるような居住エリアだ。

 遥かな景色までが一望して楽しめる高層マンションに住むというメリットは、景観以外にも様々にあろうが、あと5分も郊外に向かえば、同様の価格で一戸建てが充分に買えるに違いないのだが…。
ページTopへ移動
土手からの眺め

 マンション群を左手に見て、なおも荒川左岸を進む。

 本当は川口辺りで今走っているのとは対岸の右岸側へ渡らないといけないのだが、今回は勢いでそのまま来た道を進んでしまった。いや、実のところは、この先で土手上の道が途絶えることを忘れていたのだ。
ページTopへ移動
 川口の入口にある自動車教習所の脇から、河川敷の藪の間のバラス道を抜けて、なんとか堤防脇へ復帰した。

 その先、赤羽岩淵の水門のあたりまでは、バラスや養生中の道が断続的に現れる。

快走中

 目印の赤い水門(岩淵水門)を越えて少し走ると、我らがオアシスである「レストランさくら」が土手脇に現れる。

 「レストランさくら」は、足立区の「都市農園公園(農事公園)」に併設されている道の駅といった雰囲気の休憩施設だ。

 アラサイ(荒川CR)を走る多くの自転車乗りが、この店で一休みするため、休日はさながらロード車の展示コーナの様相を呈する。そこに並んだカラフルな自転車を眺めるのも、このコースでの一つの楽しみとなっている。
ページTopへ移動
季節柄、土手には彼岸花が・・・ 川口へ

<レストラン さくら での昼食>

 休憩のついでに食事の相談をした。

 たとえばアサリをぶっ掛け状態にした「深川めし」など、深川方面での食事を採ろうと考えていたためだ。そうなると、深川まではまだ距離があり、着いてからの食事となると少しあいまいな時間になってしまいそうだ。だから、いっそ、ここで食べてしまおう、と発案した。このステーションの2階はレストランが置かれたラウンジになっていて川を見ながら食事が出来る。

 もちろん、焼きそばやサンドイッチなどの軽食を買って、外に並んだ小奇麗なベンチで食べても良いわけだが、折角なのでレストランへ入ってみた。

 何度も立ち寄ってはいるが、2階で食事をしたことが無かったためだ。
ページTopへ移動
 ここでは、観光地へ向かう途中のドライブインやサービスエリアのレストランと同様に、ファミレス風の多彩なメニューが用意されている。

 まあ、料理の風情を愉しむ事や食材との出会いを楽しむ事は出来ないが、空腹を満たすには充分な品揃えになっている。

 こうした状況。 頭の隅で以前、盛んに経験した記憶が蘇る。

 「スキー場のレストラン」での食事に似ているのではないか。いわゆる「ゲレ食(ゲレンデの食事・食堂)」というものだ。とすれば、ここはやっぱり、ぐっと無難な線を採るべきだろう。

 定食の類も何種類か示されているが、ピラフやカレーといったスタンダードな「どんぶり物」的な品物が間違いなかろうか・・・。

 そんなわけで、3人の仲間達はみな、「ジャンボ・チキン・カツカレー」を注文した。もし外れなら全滅だ。だから私はひと捻りして、日替わり限定と書かれた「農業ランチ」を注文する事にした。

少しバテ気味 ジャンボ・チキンかつ・カレー

 「ジャンボ・チキン・カツカレー」の方は、これはもう圧倒的なボリュームだ。

 カレー皿に盛られたライスも大量だし、そこに掛けられたカレールウも量が多い。さらに、そのカレーを覆い隠すような大判のカツ。普通のカツ・カレーではなくカツがチキンだから、肉の厚みもある。

 一目見ると、実にすさまじい状態だ。間食していたら、食べきれないような状況。私は量を食べないのでさほどの喜びはないが、大食漢の人でも満足する量だろう。
ページTopへ移動
「農業ランチ」のスパゲッティ(ライス付き)

 解説が無いので判らないが、「農業ランチ」という命名から考えると、裏手に広がる農事公園にある野菜園で収穫された食材を利用して作ったものだろうか。あるいは、農業体験の合間に食べるから「農業ランチ」というのか・・・。

 まあ、無農薬や有機栽培かどうか、それも命名の由来同様に定かではないが、キャベツや細く切られた長ネギ、ピーマンなどの食材は新鮮さを思わせる舌触りだ。

 定食なのだが、その採り合わせがまた微妙で、スパゲッティにライス。炭水化物一本勝負!といった内容だ。

 スパゲッティはペペロンチーノから辛さを外したような味付けがされている。ベーコンの代わりにバラ肉が使われているためか、ある面では焼きそばの具にも似ているといえる。
ページTopへ移動
移築された古民家 室内の様子

 変な書きようをしだが、不味かったわけではない。実においしく頂いた。少し呆気に撮られてしまったが、こういった組み合わせもあるのだな、と感心させられた定食だった。

 このレストランの裏手には農園があり、その一角に古民家が移築保存されている。開放されているので土間に立ち入ることが出来るし、家屋内の様子も確認できるが、残念ながら部屋の中へ揚がり込むことは出来ない。

 また、同じ敷地には、壮大な長屋門も移築されている。

室内の様子 移築された古民家の間取りは
北関東や埼玉北部のものとは、まるで様相が異なる。

大抵は、大きな養蚕農家だった
前橋にある本家の昔の間取りを彷彿とさせるが、

この間取りはちょっとそれらとは異質だ。


作番頭の部屋や厩、農機具置き場といった状態の
土間の向こう側の一連の部屋が無い。

そして、囲炉裏の天井や屋根裏(小屋裏)を使う
といった工夫が無いようだ。

農業を主流とした家のつくりでは無いのかも知れない。
ページTopへ移動
<さあ、河口へ>

 すっかり満腹になったのは、前回驚いた「ゆたか寿司」の定食と同様だ。

 人間、学習し続家ていくという真摯な姿勢が大事だが、またしても欲張って満腹になって張ったお腹に苦しい思いをしつつ、自転車に跨る結果を招いてしまった。


 さて、ここから先は、あまり変化が無いコースが続く。

 墨田や足立、葛西や江戸川といった東京都下の低水位地帯に連なる町に入る。

足立区へ
ページTopへ移動
 いくつもの行政区を縦断する形で荒川が蛇行するので、区域の表示がめまぐるしく変わる。

 グランドや公園などの河川敷上の施設の管理主体も変わる。xx区立といったグランド脇の立看板での肩書きも、目にする毎に変わっていく。

 右岸を走ると河川敷の外の景色も様々に変化していくのだが、左岸側での進行では首都高速の高架道路が土手の脇を走り、それが視界を満たすので、走っていてもあまり変化が感じられない状況になる。

葛飾区へ 現在位置
ページTopへ移動
 いくつもの鉄橋を潜り、橋下を潜って進む。

 首都中央から、郊外へ向かう行く本物放射状の路線を横切っていくためだ。

 上越新幹線、JR高崎線・宇都宮線、JR京浜東北線、地下鉄千代田線、JR常磐線、東武伊勢崎線、京成本線、京成押上線、JR総武線、地下鉄東西線、JR京葉線、他にもJR埼京線、日暮里舎人ライナー、筑波エクスプレスなどの橋脚下を潜り抜けて、河口へ向かう。

 また、鉄路だけでなく、多くの主要道路も潜り抜ける。

葛飾ハーブ橋
ページTopへ移動
風を感じるかい? セルフ撮影

 左岸の河川敷を走る路面上には、右岸と違って大きく路線名や橋名がペイントされている。

 だから、自分がどのあたりにいるのかが良く分かる。自転車で橋脚下を抜ける際に困るのは、橋の名前が下からはまるで判らない点だ。一体、川筋のどのあたりを走っているのか判断できないのだが、この左岸コースではそれが文字通り一目瞭然となっている。

 こうした工夫が施されているあたりが、さすがに首都を守る「緊急道路」なのだ、と思う。

さあ、河口までは僅かだ
メンバー撮影
壮大な眺め
ページTopへ移動
湾口へ一路 もう、東京湾はすぐのところ。

いやすでにこの辺りは喫水域だろう。

川幅も一際広がって、
実にゆったりとしている。


それは、まるで湖でもあるかのようで、
まるで流れて無いようにも感じる。

<東京湾>

 前回の日高・高麗(こま)の里(2010.09.11 「高麗(こま)の里へ」)では、四体の獣神の壁画が展示されていた。獣神は方位を邪(異界の魔物)から守る聖なる守り神で、いずれも空想上の生物だ。

 南の朱雀(すざく)を海や川、青龍(せいりゅう)は大川、玄武(げんぶ)を台地、白虎(びゃっこ)を原野として捕らえたのが四神に守られた平和都市を築くための古代律令制での都市化の前提だが、近世に開発された江戸の町も、同じ「陰陽道(おんみょうどう)」に則って建設されている。

 家康が関東に入部した際に、千代田の海辺ではなく古都鎌倉や小田原などを拠点としても良かった筈だ。

 南を江戸湾、東を隅田川、北を上野や駿河台の山や台地、西を府中方面へ続く武蔵野の原、とし、その中央の浜辺に程近い千代田を中心として神に守られた江戸の都市を置く。

 今回は、荒川から南を目指してきたわけだが、江戸の町での朱雀は、品川の街である。落語に言うように、昔は品川を指して「みなみ」と呼んだらしい。では、目指す深川のあたりはどうかというと、この一帯は往古、「洲崎」といえた。

 築地や佃島や月島、石川島、越中島、霊岸島、深川、鉄砲洲などは江戸湾の水際で、往古のウォーターフロントの町といえよう。都市の発展拡大とともに整備が進み、上野や神田や駿河台を切り崩して埋め立てを進め、新開地として順次拡張して陸地化(居住地化)をしていった。

 かつての州崎も、すっかり内陸と化して、いまでは有明や青海などのお台場周辺が陸地の突端となっている。

河口を望む

前方に見えているのは、湾岸道路が走る「荒川河口大橋」
河口を望む
ページTopへ移動
この左手前方が葛西臨海公園

<お江戸 深川>

 江戸の街から見ると、深川は「辰巳(たつみ)」の方向だ。江戸城の南東部に広がる町並みといえる。

 深川一帯を辰巳と呼んだのはそのためで、先の品川の「南」と同様に富岡八幡などで栄えた門前仲町周辺を指す呼称だ。だから、江戸の「粋」の象徴と伝えられたこの辺りの芸者衆を「辰巳芸者」と呼んだのだった。「意気」と「張り」を看板に気風の良さと粋さ加減、ようは心意気の良さを売物にした姐さんたちだ。同じ界隈でもう少し日本橋に近い柳橋を拠点にした「柳橋芸者」と呼ばれた芸者衆も居た。

 私の大好きなテレビ時代劇「御家人 斬九郎」のヒロイン、蔦吉(つたきち)姐さんも、粋で気風のいい役どころで主役顔負けの活躍をする。原作は柴田錬三朗さんの時代小説で、テレビドラマよりもハードボイルドな展開となっている。

 ヒロインは「蔦吉」の源氏名で登場するが、実際に芸者衆の男名乗りの名前としては辰巳芸者のスタンダードであったらしい。

 残九朗の「渡辺 謙(わたなべ けん)」さんは勿論なのだが、傑作な役作りで味のある母親の麻佐女を演じる「岸田 今日子(きしだ きょうこ)」さん、さらに「若村 麻由美(わかむら まゆみ)」さんの大ファンでもあるので、テレビで演じる二人の掛け合いは堪らない。実に小気味のいい江戸弁でのやり取りが楽しめる。(「柳橋慕情」でのおせん役もよかったし、「夜桜お染」の七変化も楽しかった。)

 国際水泳場がある辺りの地名として、今も「辰巳」の名前が残っている。
ページTopへ移動
深川 江戸の町並み(表店:おもてだな)

<江戸の町並み>

 深川では江戸の町並みが今も楽しめる。縦横に巡っていた水路は埋め立てられて見られないが、小名木川沿いなどに親水公園が残されていて、これは流域のかなりの長さが公園の園路として整備されている。充分に工夫が凝らされていて、深川や木場といった往時を偲ばせるに充分な雰囲気のある散歩が楽しめる。

 「清澄庭園(きよずみていえん)」と美術館の間に江戸の町を楽しめる施設がある。

 「深川江戸資料館」がそれだ。長い期間と労力を費やして完全な工法で当時の建物が再現されていて、館内では実物大の川筋の町並みを探索して江戸での一日が楽しめる。

 今ではとてもこのような念の入った再現は出来ないだろう。何故かと言えば、木組みを当時の工法で切り出せる腕を持った大工さんが居なかろうと思うのだ。唐招提寺や東大寺の再生をしている宮大工さんクラスに登場願わなければ、とてものことに無理なのではないだろうか。

船宿の調理場 蕎麦の屋台
ページTopへ移動
 そこには穀屋や八百屋などの表店(おもてだな)から始まって、川岸の船宿,裏店(うらだな)など、江戸の町が再現されている。

 船宿の横手には当然だが木場の川筋があり、船足の速い猪牙船(ちょきぶね)が舫ってある。運河、用水の町だから、二軒の二階建ての船宿(「升田屋」と「相模屋」)が軒を連ねる。

 船は駕籠よりも短時間で移動できるタクシーと同様の交通手段で、川筋に設けられた「船宿(ふなやど)」でチャーターした。

 また、船便の調達だけでなく、そこでは宿泊も出来るし、船を待つ間に料理やお酒を楽しむことも出来る。

 今では、船宿のように充実した機能をもった施設はお目にかかれないが、鬼平犯科帳などに登場する(密偵となった小房の粂八が主人で切り盛りして探索の拠点としている)その姿は実に小粋なものといえよう。

大人気だった江戸前の天麩羅 米屋さんの内部

 船宿の脇の火の見櫓を回れば、広場になっていて、そこに水茶屋が現れる。

 料理茶屋ではなく、庶民憩いの喫茶施設だ。こうした気軽なお茶屋さんでは、気兼ねなく縁台に腰を下ろして御茶や団子を楽しんだのだろう。

 水茶屋の脇には、江戸庶民に人気の天麩羅の屋台が出ている。稲荷ずしや天麩羅の屋台は、御家人や足軽(旗本屋敷や奉行所などに詰めている中間、小物は武士層ではない)などの下級武士も被り物で面体を隠して立ち寄ったという話がある。

 屋台の大皿に盛られた天麩羅の具材は、みな江戸前の魚介類だ。菜種油やごま油を用いて、薄衣で素挙げに近い状態で揚げたものだろうが、定めし美味しかったに違いない。
ページTopへ移動
棟割長屋の様子 お志津(師匠)さんの家

 水茶屋の裏手、表通りから門を隔てた一角に裏店(うらだな)の棟割長屋がある。

 前の(2010.01.23 「新春の奥多摩山行;御岳山・大岳山を登る」)でも触れたがこの一画での「町人」身分は穀屋の主人だけだ。だから彼はその義務として長屋を自分の敷地内で運営し、ただ同然の家賃で店子を住まわせている。

 通いの腕を持つ大工さん、日銭稼ぎの棒天振り(天秤棒に貝の剥き身を入れた笊を提げて市中を売り歩く)の住まい、などが等身大で楽しめる。船宿の船頭さんや表店の穀屋(突き米屋)の番頭さんなど、町人身分ではないが通いの職人や奉公人(商人の経営する店の従業員)など長屋の住人としては裕福な人たちの住まいもある。

 こうした町人ともいえない江戸庶民の暮らしぶりは、質素だが充実している。身の丈(暮らしぶり)にあった所帯道具が揃えられているので、様々な想像が働いて、見ていて飽きることがない。

 これらの道具は、実際に古いものを丹念に集め、無いものは当時同様の状態を再現して作り上げたという。

 先にも触れたが、基礎から柱組みや壁の構造、屋根の葺き板に至るまでの長屋自体の構築も当時の工法で再現した物だし、釘などの部材、かまどなどの水場も、すべて当時同様の形状で一から造ったのだという。

 お志津と表障子に記された家などは、なるほどと唸らされる。読み書き、手習い、裁縫、三味線を教える師匠の家で、棒手振りの家には無かった畳みも敷かれているし、鍋や釜は勿論のこと裕福な自立した女所帯を思わせる衣装箪笥や茶箪笥などの家財道具が数多く置かれている。

船宿
ページTopへ移動
江戸の裏店

 およそ20分間。

 一番鳥の鳴き声であける夜明けから木遣り歌が遠くから響き日暮れていくまでの、江戸の一日が再現されてる。私達は、そこで江戸の町での一日を実際に座敷や屋内にあがって体験できるのだ。

 江戸時代後期の深川は佐賀町の、実際にあった家並みの一角を再現したという。
ページTopへ移動
<清澄庭園(きよずみ ていえん>

 「清澄庭園(きよすみていえん)」は、広壮な回遊式林泉庭園だ。

 池を周回して日本各地の名石を楽しめるのだが、元はかの豪商として名高い「紀伊国屋文左衛門(きのくにや ぶんざえもん)」の屋敷があり、後の享保年間には関宿城主の久世大和守の下屋敷となったという。明治の世となって日本経済の柱石ともいえる「岩崎 弥太郎(いわさき やたろう)」が買い取って現在の庭園の姿として造園整備したという。

清澄白河の日本庭園「清澄庭園」 庭園の一角
ページTopへ移動
清澄庭園 清澄庭園「涼亭」を望む

 池を取り巻いて置かれたいくつかの無名の石は、元から置かれていたのかもしれないが、岩崎家の持ち物となった後に、三菱財閥の豊富な財力で全国の銘石を集めたのだろう。さまざまな産地名が書かれて、石の由来が判る状態になっている。

 敷地内の周辺の木立が視界を遮って、都市の中を思わせない景観が楽しめる。まるで、広大な自然の中で、整備された広大な庭に遊んでいる、という錯覚を起こす。一画の周辺には、マンションやオフィスのビルが林立しているのだが・・・。

全国の銘石 池をわたる
ページTopへ移動
<本日のうまいもの 山利喜(やまりき) のヤキトン>

 さて、本日の旨い物をご紹介しよう。

 清澄庭園から少し走った先、森下にある庶民のお店、山利喜だ。店の創業は大正14年、関東大震災の後という。居酒屋としては生粋の老舗といえる。

山利喜 本館 お通しの品

 評判の「煮込み」、「青柳と分葱のぬた」などを頼む。

 私達が行った本館の店舗は地下1階から始まり地上3階までで営業している。ビルは5階だが、店舗より上層は住居だそうだ。2009年に立て替えた新しいビルである。

 その各フロアーが、まだ早い時間(5時少しの開店間際)だというのに、もうすでに満席に近い状態だ。幸いにも私達は並ばすに済んだが、普段は席を待つ必要があるという。
ページTopへ移動
お勧めの品 名物の「煮込み」

 「煮込み」は、モツ煮込なのだろうが、大変柔らかくて、薬味の葱とよくあっていた。ちょっと味わえないものだった。

 店舗のHPにて確認すると「6時間以上じっくり大鍋で煮込みます。丹念にアクをとり、油をとり、水を足し、目を離すことなく煮込んでいきます」とあり、看板メニューとして自信を持った丹精の一品であることがわかる。

 さらに「山利喜の煮込みは基本的に牛のシロ(小腸)、それにギアラ(第四胃)のみ。牛シロも脂を取り除いていない状態のものを使用し、濃厚さを引き立たせています」とある。

 いや、唸ってしまったのも当然のこと、といえた。

青柳と分葱のぬた ご参考までにメニューを
ページTopへ移動
 店に入って驚くのは、店内を満たした独特の匂いだろう。これは私達が3階の席に案内された為かもしれない。

 「エボ鯛の開き干」など焼き物も美味しかったし、「ガツ刺の生姜醤油」などの一品料理も喜びがあふれる。先に気になった台湾の夜店の街路に溢れていた様な店内の匂いも、しばらくすると慣れてしまった。

 さて、この店の売物、「ヤキトン」にいこうか。酎ハイに良く合う大振りの肉が串にあるので、満足感が高いが、勿論味も太鼓判が押せる。

 かしら、なんこつ、たん、の取り合わせを注文した。無論の事に「塩」でお願いしたが、いや、実に美味しかった。

かしら、なんこつ、たん、の取り合わせ かしら、なんこつ、たん、の取り合わせ
ページTopへ移動