甘楽町歴史民族資料館の屋根の梁下の様子。
これも「軒下」とよんでよいものかどうか。
ツバメが渡って来て、可愛らしい巣を作っていた。
巣の中の、旺盛な食欲を示す元気いっぱいの子達に、盛んに餌を採りに飛び立っては、直に戻ってきての繰り返し。自分は何時捕食するのか、とその運動量を心配してしまう。
親鳥は何時までも飽くことなく、熱心に子供達に餌を採り与え続けていた。
田園や森や川筋などの植生が豊かで、餌となる虫も捕らえ易いのだろう。
忙しく飛び立ち、そして直ぐに戻ってくる様子が、微笑ましかったが、それを見つめていたら思い出したことがあった。
映画、リメイクされた「日本沈没」(原作は日本を代表するSF作家、「小松左京」氏による)での話がそれだ。
思い浮かんできたのは、長山藍子さんが演じた主人公「小野寺俊夫」の母親を写す場面でのことだった。
母親が避難を拒んで暮らし続ける、会津にある日本酒の古い蔵元(醸蔵所)でのエピソードは印象深くて、今も良く覚えている。
|
主人公は地震を回避するための秘策である「プレートへの爆薬投入の役目」を、深海潜水艇を操って無事に果たす。
しかし、作戦の成功と引き換えに機器の残存バッテリーが切れて動力を失う。
潜水艇にとっての動力の喪失は浮力を失う事でもあった。巧みに操った潜水艇と供に、とめどない深海のそこに向かって消えていき、殉死してしまう運命にあった。
前作では、
日本は沈没して地球上から消滅してしまうが、主人公の「小野寺」はなんとか難を逃れる事ができる。
失明して隻眼となり、シベリア鉄道のような長い貨物列車の貨車車上で揺られながら、大陸の荒涼とした大地に沈む夕陽を見つめる、
・・というエンディングであった。シベリアではなく南米だったかも知れないが、その記憶は少し不鮮明だ。
さて、ひとり息子の死後。
地震に怯えて「渡り」を止めて会津地方から去ってしまったツバメ達が、「私は避難せずにこの蔵と供に、自らの命を運命に委ねます」と静かに、しかしきっぱりと語った
「小野寺」の母が一人で暮らす蔵元の旧家の軒先へ帰ってくるのだ。
そして、古巣に戻ってきて巣作りを始めたツバメの姿がアップになる。
場面が切り替わって母親役の長山さんがただじっと見つめるという状態の、物言わぬ静かなシーン。
映画の中では特に印象的なものだった。
|