東西に続く「日光例弊使街道」に面した場所から、参道が続く。
「玉村八幡宮」の鳥居。
この神社の祭神は「誉田別命(ほんだわけのみこと;第15代応神天皇)」
この町の往時(江戸初期)の繁栄の様を偲べる大きな神社であった。 |
この神社「玉村八幡宮」の縁起は極めて古く、建立したのは源氏の長者である。
源氏一族だけではなく、さらに多くの武家勢力を糾合して武家の棟梁となり、東国政権である鎌倉幕府を打ち立てた「源頼朝(みなもと の よりとも)」と伝わっている。
平安期の荘園としては、
この地には「玉村御厨(たまむら みくりや)」と「宮原荘(みやはら の しょう)」があったのだという。
そして、玉村の周囲にはいくつかの荘園が開発されていた。
すぐ横の高崎西部域には
「八幡荘(やはた の しょう)」があったし、
福島橋を渡った先の前橋側、西善や東善の辺りは「善養寺荘(ぜんようじ の しょう)」があった。
いずれも、平安の初期から都との往来(信濃経由が主要な通行路)が盛んにあって、古くから発達した土地であった。
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