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2010.01.31
蕨(わらび)宿 街散歩

アクセス;
 JR京浜東北線;蕨(わらび)駅

カメラ;
 PENTAX K−10D

レンズ;
 PENTAX DFA100mm F2.8 MACRO
 TAMRON SP AF17−50mm F2.8 AL


 以前、赤羽(あかばね)へ自転車で向かう途中で蕨の街(2007.09.17 「中仙道 蕨(わらび)宿」 )へ立ち寄ったが、今回は電車でやって来た。子供とこの街を歩くためだ。

 蕨(わらび)は、行政区域としては日本最小の市で、このため人口密度が高く多くの市民が暮らしている。

 おおもとは宿場町で五街道のひとつ、中仙道(なかせんどう)の宿駅だ。日本橋を基点として板橋(いたばし)、蕨(わらび)、浦和(うらわ)と続く、江戸から二番目の宿場町だった。

蕨市街の商店街 「とねがわ商店」の店先にて
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 市内唯一の駅になるJR京浜東北線の駅前は、バスのロータリーになっている。そこから商店街が続く。

 少し歩くと、店先に懐かしいパチンコ台のようなゲーム機を置いた店がある。「とねがわ商店」というお店だ。私が幼少のころは、こうした商店を「売り屋(うりや)さん」と呼んでいて、日々、小銭を握り締めてせっせと通ったものだ。

 こうした店は、いまでは小学校の前辺りでしか見かけなくなってしまって、普通の商店街の中や近所の町内ではお目にかかれない。さらに、この店先に置かれたようなゲーム台となると滅多に見られるものではなく、川越の菓子屋横丁や葛飾柴又の駅からすぐの所にあるレトロを売り物にした店でしか無いように思える。

 ガチャガチャ(ガチャポン)は今も人気で、多くの種類が店先に置かれているが、電気仕掛けでないゲーム台となると随分見かけなくなってきた。

見事! (50円分を確保) さあ、何を買おう
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 さらに商店街を進む。

 先ほどの「とねがわ商店」から少し先、同じ並び側に和菓子の店がある。

 軒先にはショーケースに入った幾種類かの手作りのお団子が飾られれている。海苔を巻いたものや餡子やみたらしに混じって、「きびだんご」がある。

 童話の「桃太郎」で「♪お腰に付けたきびだんご、ひとつ私に下さいな」と犬にまでねだられる、あれだ。有名なお団子だが、未だかつて見たことがなかった。当然ながら食べたことも無かった。「きびだんご」とは、果たしてどんな味なのか。

 私はワクワクしてお団子をお願いした。子供は「きな粉」に目が無いので、結局、一つ食べただけで後は取られてしまったが、少し噛み応えがあって美味しかった。

 遠い昔、オブラートに包まれたキャラメルのような褐色の小さな餅菓子があった。たしかその時分は10円もしなかったものだと思うが、あのときのお菓子の味に似ている。さらにいえば、円形のきな粉の餅串があった。それはたしか5円くらいだったように思う。きな粉が乗った少し硬いあの餅菓子も、似たような味だった。

 こちらは、きちんとした老舗の和菓子屋さんが作ったもので、いってみれば子供だましの駄菓子とは違う。目を輝かせて食べる子供と相談し、帰りにはお土産に買って帰ろうということになった。

めずらしい「きびだんご」 きびだんご
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 蕨(わらび)の街中の商店街を楽しみながら歩いた先は交差点で、「歴史民俗資料館の分館」がある通りに出る。

 この通りは国道の17号線バイパスと平行する脇道になっているが、旧中仙道の往来なので、本来は街の目抜き通りになる通りだ。一本入った道なので、それが幸いしてか通り沿いには古い町屋や蔵などが今も残っている。交通量はあまり無く、静かに散歩が楽しめる。

 先日、ふとした事で立ち寄った「歴史民俗資料館の分館」が、今日の目的地だ。

中仙道、蕨宿
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 話の流れで「縁側(えんがわ)」の話題になった。

 子供は「廊下」は知っているが、「縁側」は知らないらしい。そういえば、前橋の実家にも、伊勢崎の家人の郷にも「えんがわ」は無い。私は、父の実家に中学三年生の一時期に寄宿していたので、その有難さを知っていた。疑問に思う子供に、縁側と廊下の違いを説明してやった。

 中学三年生のころ、自宅を離れて夏から冬にかけて、古い大きな父の実家(前橋南部の養蚕農家)でつかの間の生活をしたのだった。

 その茅葺屋根の家は、南西に縁側が取り巻いていた。縁側は、夏は日光を遮って涼しく、冬は陽を集めて温かかった。祖母は横に猫を置いてよく板張りの縁側で「日向ぼっこ」をしていたものだ。いや、猫は勝手に飼い主の横に並んでいたのかもしれない。大抵は二匹が組になっていて、婆さん猫と母さん猫が横に並んでいた。もっとも冬場の彼女たちは、木製のキャビネットを持ったテレビの上に並んでいるほうが多かったが・・。

 暑かった夏の日が暮れると、前橋では「夕立(ゆうだち)」がある。

 「かかあ天下と空っ風(からっかぜ)」に続く名物の「雷(かみなり)」だ。夕方から宵の口の一時、激しく雷鳴が轟く。稲妻が空に走っているのだろうが、それは軒先からは分からない。池を挟んだ向かい側には蔵が二棟建っていて、空は外に出ないと見渡せなかったからだ。音とともに眩い光が縁側から部屋まで入ってくる。暗い庭の暗さを縁側はそのまま繋いでいるが、そこが昼間のように明るく光に満ちる。二時間ほどで激しかった雷が去り、そして雨が止むと、伯父が縁側の戸を一斉に開ける。すると、なんともいえない涼しい風が縁側に広がりながら座敷へと入ってくるのだった。

敷地の様子


家の南西を取り巻いた縁側の作り。


祖母の家(父親の実家)は北関東の典型的な養蚕農家の間取りだった。
関東南部だし、商家でもあるから根本が違うのだろうが、やはり縁側があって、それが座敷に面して、家の南西を取り巻いる。
温かい縁側
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太い梁 縁側と座敷との障子

 「三寒四温」という季節になるのはまだもう少し先だが、すぐに二十四節句「立春(りっしゅん)」になる。

 春先を感じさせる温かな日差しの中で、「縁側(えんがわ)」を味わおうと思ったのだった。体験したことが無いという子供に、あの日向を味あわせよう、と考えてこの資料館へやって来たわけだ。

 ここならなによりも空いているし、自由に家の中にあがって端正な作りの上等な座敷で寛げるからだ。もちろん一切の飲食は禁止されているから、楽しむのは古い作りの和風家屋の味わいだけ、ということになるが・・・。

節のある板木(縁側の床面) 端正な座敷
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端正な座敷

 南から西へと座敷の周りに縁側が取り巻いている。今日のような明るく暖かな冬の日は、縁側の有り難味がよく分かる。縁側が取り巻く座敷では、厚い空気の層に守られて暑さ寒さから遠ざかる事が出来る訳だ。

 座敷に正座すると、縁側に面した障子から、光が溢れる。

 これも演出効果としては抜群で、障子(今の建築では障子の裏に窓ガラスがある)の向こうが直接外部との境界というようなキツさがなくて、非常な明るさが溢れているのだが、光自体はあくまでも柔らかい。

 南面の障子には欄間があり、そこにも飾り障子が入っている。こちらの飾りは、もし壊れたら修理できる建具職人はもう居ないのでないか、と思えるような見事な木組みのものだ。

飾り障子 南の縁側に面した障子の上、欄間の部分に置かれた見事な 飾り障子。
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 床の間を備えた奥の座敷は八畳で、その手前には家族の普段使いのための座敷(八畳間)が続きの間になっている。この二間の座敷の襖を開くと、広い和室が現れる。典型的な民家の作りだgが、昔はここで、内輪の祝い事などをとり行ったのだと思う。

 先ほど触れた本家の作りもそうだった(二間で無くて、さらにもう一間が続いていた)し、改築する前の私の実家も南側に八畳の続きの間を持っていた。改築後の実家も、二間続きの八畳は別の位置に変えたが、伝統を残してやはり作ったものだ。南面の東西に続く二間から、東面で南北の二間へ変えたのだった。

 二間の連続する八畳の和室という間取りは同じだが、私達の家とこの家との違いは大きい。建具もそうだが、そもそもの造りが贅を尽くしていて、比較などできない質の違いがある。

続きの間におかれた椿
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欄間 進徳脩業の書

 続きの間との欄間には、飾りの木組が作られている。

 だから、襖を閉めていても空気が流れる。確かに昔の家はこうだった。こんなに見事なものではないが、先の改築前の実家もこうした飾り板をいれていた。欄間の飾りは、今の家の造りではすっかり見かけることがなくなった。

 私はしばらく座敷に座って、目の前の、床の間の掛け軸や飾り棚を眺めていた。

 部屋を見回していて、ふと、隣部屋との境に目をやった。襖は開け放たれていたが、その上面からも光が淡く漏れていた。木口から漏れる優しい光を見ていたら、昔の家を思い出した。

 今の実家は私が設計して父と一緒に建て直した家だが、昔の家は「持ち家がないなんて」という私達の言い振りに三男だった父が奮起して建てた家だった。本家には適わぬまでも、ゆったりと寛げる続きの間(和室)が、父は欲しかったに違いない。
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味のある明かり 進徳脩業の書

 西側の障子の上には、大きな書が額装されて飾られている。

 「進徳脩業」と大書されたもので、「青淵書」との記述と真筆である証として落款が押されている。そう、明治の産業界を代表する「渋沢栄一(しぶさわ えいいち)」の直筆の書だ。「青淵(せいえん)」は雅号で、飛鳥山の渋沢記念館(2008.02.11 「飛鳥山から旧古河庭園へ(王子、上中里)」)には、彼の蔵書を集めた「青淵文庫」という名が付いた私設図書館がある。

 「徳に進み、業を修む」は「易経」の言葉だそうだ。調べてみると、この言葉を由来とした藩校は多く、信州 高遠(たかとお)藩の藩校「進徳館」の名前もこの言葉から採っているという。文前に「君子」と付いた上で続く言葉だが、帝王学の要ともいえる指導者としてあるべき心構えなのだろう。明治を開いた巨大な経済人の座右の銘としてふさわしい言葉と言えよう。
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床の間 違い棚がすばらしい

 掛け軸の飾られた床の間は、実に見事な造りだ。

 黒というか利休鼠というか、時代を経ても色あせない壁の塗りも見事なものだが、ここで使っている木も大層なものだ。ケヤキの床張り、梁部分の木材(柿だろうか?)、違い棚の板や造り、を初めとしてそれぞれの木が素晴らしいが、床の間の顔とも言える床柱も勿論その例に漏れない素晴らしいものだろう。

 書院風の違い棚も注意してみると、実に芸が細かく、多くの工夫が凝らされているという事に気が付くだろう。

 上段と下段の棚を支える縦の板やその支えの細工などが微妙に違っている。下側が幾分重厚な雰囲気を出していて、その下にある戸袋とを含めて、互いに素晴らしいバランスを醸している。

 しばらく座って眺めていても、飽きるところがない。
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寒椿が冴える

 縁側の先は日本庭園になっていて、中には心字池(こころの文字を象った池)がある。

 池の周りは樹木が取り囲んで鬱蒼とした状態になっていて、隣家との境を感じさせないものになっている。境界以上の役割を担っていて、視界を遮って、庭だけが自然にあって、なにやら山中を思わせる。

 宿場町の街割りとして縦長の土地だが、植えられた樹木によって、ここが街中ではないような錯覚を起こさせるに充分な仕掛けになっている。先人の知恵には頭が下がる。


 庭の横に椿の木が植えられている。その椿の花が、座敷に美しく飾られていた。
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商店側の座敷


昔のちょっとした家には、棕櫚(しゅろ)の木が植えられていた。
縁起担ぎかステータスか、よくはその理由が分からない。


そういえば本家の庭先にも3本の棕櫚が植えられていたし、
我が実家の玄関先にも植えられていた。

我が実家の棕櫚(シュロ)は、父が樹木を手に入れて
喜びながら、自ら植えていたものだ。

縁側に腰掛けていたら、そんな昔の事をふと思い出した。
庭先の棕櫚(しゅろ)

 邸内は、街道に面した部分が明治20年の造りで、そのほかの部分は時代を追って増築されたらしい。

 今まで見ていた座敷の部分は昭和の造りだそうだ。

 家の街道側は昔ながらの商店の造りになっている。店があり、その奥に蔵がある。店側から廊下を通ってそのまま蔵へと入ることがきる。その奥に、先ほどの座敷の続きの間が、さらに廊下で繋がっているという複雑な内部構造になっている。家屋自体は平屋だが、蔵の部分には地下も二階(小屋裏)もある。

 店の座敷には、帳付の仕掛机が置かれていた。沢山の引き出しや、棚などが設えられていて、実に使い勝手がよさそうだ。

 まるで、時代劇で目にするような机なので、子供を座らせてみた。こんな商店の造りの中に居られることが珍しいので、「番頭さんと丁稚ドンごっこ」を即席でやってみた。
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蝋梅(ろうばい)

 庭には棕櫚の木だけでなく、池を取り巻いて松だの梅だの、さまざまな木が植えられている。池の周りはそうした庭木で鬱蒼としている。

 それに引き比べて家の横は、すっきりしている。紅梅と蝋梅(ろうばい)が数本植えられている。蝋梅の横には椿の木が花をつけ、その下を藪椿が低く飾っている。


 蝋梅は、香りが高く、あたりを甘い香りで包んでいた。

蝋梅(ろうばい) 紅梅
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寒椿 吊るし灯篭

 軒先に吊るされた味のある灯篭をみつけた。

 明かりを入れたものか、それとも蚊取り線香の類を入れたのか。座敷へと繋がる廊下に面して吊るされていた。こうしたものにも時代を経た味が溢れる。

 夕暮れ前の一時、ここに火を入れたのだろうか。
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紅梅

 今年は大宮の梅を撮りに出かけていない。梅の写真は毎年撮っているが、細い枝が背景に入ってしまってなかなか思うように撮る事ができない。

 紅梅は、いつ見ても美しい。太古の昔、貴人達が帰化したこの花を愛でて花見の宴を張ったのも無理からぬことだ。こうした鮮やかで儚さも併せ持った花を見ていれば、おのずと歌心も促されよう。

 鹿児島紅のような、端麗な紅梅が庭先を飾っていた。

紅梅(鹿児島紅だろうか?)
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街を戻る 美味しかった鳥の唐揚げ

 歴史民俗資料館で、縁側の日向を楽しんで存分に満足したので、そろそろ帰ることにした。いや、お腹が減ってきたというのが正直なところだろうか。

 来たのと同じ道を蕨駅へと戻ることにする。この旧中仙道の通りと駅へ続く商店街の道との交差点には、美味しいメンチのある町の肉屋さんがある。前に蕨を歩いた際に見つけてメンチを食べたが、じつに美味しかった店だ。

 通りの十字路にあるので、「かどや」さんという名前で覚えやすい。この日はメンチではなく、鳥のから揚げを食べてみたが、カレー粉でうっすらと風味が付けられていて、メンチに劣らずこちらも美味しいものだった。

満足 いっぱい もう、だめ。
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<本日の旨い物>

 さて本日の旨い物は、街の名物を楽しんでみた。

 帰りに買おうと思っていた「きびだんご」だが、残念なことにすべて売れてしまっていた。

 行き掛けに店で買って食べたのは11時台だったと思うが、昼過ぎには売り切れとなってしまう。見かけたら、すぐに買わないとだめらしい。

 いや、こころに残る。

肉のかどや カレー風味の唐揚げ

<肉のかどや 鳥のから揚げ>

 「かどや」さんでメンチを食べようと思った。

 でも子供が「から揚げが食べたい」といいだしたので、メンチをやめて「から揚げ」をお願いした。200gでもいいですか、と断ってお願いしたら、「せっかくなので温かいのを揚げるから、ちょっと待ってください」といいながら、手際よく肉に唐揚げ粉をまぶして揚げ始めた。程なく鶏肉が揚がって袋に入れてくれた。大きなのが数個残ったが、それを串に指して「さあ、これ。 すぐにお食べ」と子供に何本かを別の袋に入れて手渡してくれた。値段外のサービスだったが、100g近くはあったのではなかろうか。

 鳥の唐揚げはうっすらとカレー粉で風味付けがされていた。カレーの香りがほんのりと袋の中から立ち昇って、食欲が沸く。

 いや、美味しいものだった。何本かの串を片手に子供も大満足していた。

唐揚げの串 鶏肉をほお張る
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大和屋さんは駅の横 みたらし団子

<大和屋 さくら餅 みたらし団子>

 大和屋さんは、先に歩いた商店街ではなく、駅の横手を入って行ったところの商店街にある店だ。

 古くから営業する老舗らしく、こざっぱりとした店だ。

 美味しそうな「桜餅」と「みたらし団子」をお土産に包んでもらった。ここの「みたらし団子」は、信じられないような安い値段がついている。これで利益が出るのか、と心配してしまうような値段だった。

 お餅も美味しかったので、また蕨にいったら買おうと思う。

桜餅
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