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2010.02.06
多摩川から青梅へ(多摩川CRを走る)

走行距離;
 59km ;走行時間 3時間40分

        往路;JR武蔵野線 「府中本町」駅に集合
            「多摩川サイクリングロード」にて
                府中本町 > 立川 > 昭島 > 福生 > 青梅街道に沿って青梅へ

        復路; 青梅 > 福生 > 昭島 > 立川 (武蔵野線)


カメラ;
 RICOH CAPLIO GX−100 24−72mm F2.5−4,4
 (画像添付時に約30%程度に圧縮)


 前回の企画(2009.12.19 「江戸の情緒を味わう(隅田川・三ノ輪・谷中)」)では、荒川サイクリングロードから「隅田川(すみだがわ)」に沿って都内へ向かい、下町情緒を味わうべく各地を走り、最後は皇居外周を走る多くのランナーに混じって周回した。

 街歩きでいつも楽しんでいる「三ノ輪」(20071008 「都電荒川線に乗って(町屋)」)や「谷中(20080315 「江戸の情緒(谷中、王子)」)」で下町風情を味わったのだが、そうした下町には、少年時代を過ごした昭和の面影が色濃く残っていた。懐かしさに浸ると共に、心地よく寛ぐ事が出来た。

 そして、皇居周辺では江戸時代からの歴史的な遺構を始め、昭和初期の建築物も味わえた。皇居(江戸城)を取り巻く広い堀に沿って回って、飯田橋に向かい美味しい食事をゆったりと楽しんだのだった。


 そんな企画から一転して、今回はワンゲル仲間の地元「多摩川CR(サイクリングロード)」を中心に走る、という内容だ。

 いつもの「荒川CR」と違って「多摩川CR」は開発の進んだ小洒落た郊外を走る事になる。だから、そこで触れる景色も「荒川」とは違ったものになるだろう。今回は上流へ向かって進むのだが、多摩川の川岸だけでなく、さらに駒を進めて「青梅(おうめ)」へ向かう予定になっている。

 「青梅」に何があるという訳ではないが、一応「多摩川CR」の終着点ということでは、ふさわしい場所であろう。

 何故かと言えば、青梅から先は奥多摩の山並みが始まり、もう都市部ではなくなるためだ。山岳コースになってしまっては私達がコンセプトとしている「気軽なポタリング行」と言うには無理がある。
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出発(さいたま新都心駅から府中本町へ)  出発のJR「さいたま新都心」駅のホームにて。

 さて、今回の起点はユーミンの初期の代表曲、有名な<中央フリーウェイ>で「右に見える競馬場」と歌われている「府中競馬場」があるJR武蔵野線・中央線の「府中本町」駅だ。

 「中央フリーウェイ」は荒井由美時代のものだ。荒井は旧姓で、今では外車評論家のようになってしまったが、ティンパンアレイで活躍していた「松任谷正隆」氏が結婚のお相手で、彼女は芸名を変えたのだった。この曲を初めて聴いたのは35年の遥かな昔、私が中学三年生の頃だった。色褪せない名曲といえよう。

 どちらいいかと聞かれれば、迷うことなく「ハイファイセット」の歌う曲のほうが好きだった。曲のアレンジや歌の雰囲気も声質も、断然彼女達の方がいいのだが、残念ながら今流れるのは皆、ユーミン本人が歌っている曲ばかりだ。音域が狭くて伸びやかではないので私は余り好きではないが、ユーミンの歌声には「揺らぎ」があって、それが聴く人を魅了するらしい。

 ビブラートや音の変動、という事ではなく、私などには彼女の歌声は一本調子に聴こえるが、幾つかの倍音の成分が入った状態だという。

 その「揺らぎ」とは、しばらく前に評判になった「1/f 揺らぎ(エフ分の一 ゆらぎ)」で、そよかぜや渓流のせせらぎなど、自然界にある心地よい揺らぎと同様のものだという。
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<JR武蔵野線 での 「輪行(りんこう)」 について>

 話が脱線してしまったが、「さいたま新都心」から「府中本町」へは、JR京浜東北線・武蔵野線を乗り継いで50分程の距離になる。

 当然の事だが距離が遠すぎて集合場所への「自走」は無理なので、出発点へは輪行(りんこう)でのアクセスになる。「さいたま新都心」駅で自転車を分解して袋に詰め込んで、そこからJR京浜東北線に乗り込み、「南浦和」駅でJR武蔵野線へ乗り換えて「府中本町」駅へ向かう。

 京浜東北線は首都圏を縦断するようにほぼ南北に走るが、武蔵野線は首都を大きく周回するように外縁部を環状に走っている路線だ。

 だから、東京都の郊外を大きく回っていくことになる。乗り慣れるとこれが意外に便利な路線だと感じられる。

 東京湾(千葉)方面へ向かえば「船橋(ふなばし)」や「幕張(まくはり)」など、隅田川の河口やその先の海浜地区へ出られる。この路線なら、一旦、都の中心部へ向かって放射状に進まなくても良い。、混雑が少なく、中心部の駅(東京駅や新宿駅、上野駅や秋葉原駅など)で鬱陶しい乗り換えをしなくても済む事になる。

 反対側を周ると多摩方面へ向かうことが出来る。奥多摩地域での山行などには実に利便性がよい。大宮から川越周りに進む路線よりも乗り継ぎが良い為だ。

 「JR川越線」から八王子方面へ向かう「八高線(はちこうせん:八王子・高崎間)」で乗り継いで進むより、一回り内側を走るので所要時間がずっと少なくて済むし、乗り換え時の待ち合わせ時間も少なくて済む。「高麗(こま)駅」での待ち合わせなど、平気で30分近くを停車して時間を無駄にするので、八高線では効率が悪い。

 ところで、輪行の場合、袋につめて手荷物化した自転車を置くスペースが必要になる。これが案外大振りな荷物になる。大きいだけでなく、外見の柔らかな様子からは伺えないものだが、中身が硬いので当たると痛いという代物だ。

 通勤客へ迷惑を掛けないために「時差出発」をする必要から、私達の集合時間はいつも10時に設定している。土曜日のこの時間帯なら電車は空いている、という目論見からだ。

 だから今回の集合時間も「府中本町駅前に10時」と設定されていた。

 乗り換えの「南浦和」駅で、やってくる武蔵野線の先頭車両へ乗り込もうと(先頭車両なら運転席後ろに自転車が置けるため)思ったが、平日の通勤列車並みのすし詰め状態で、急いで後ろの車両へとホーム上を移動して、かろうじて乗り込む事が出来た。

 混雑の理由を後で知ることになるが、やはり輪行の場合、向かう方向によっては8時台からの移動開始は苦しいものになるようだ。
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多摩川CR いつもの「荒川CR」と比べると河川敷は広くなく、
走行路も少し手狭だ。

 集合場所になっているJR「府中本町」駅は、競馬場へ向かう多くの客で混雑していた。

 この日は競馬の開催日にバッティングしていたらしいのだ。

 競馬場へは行ったことが無いが、中年男性に混じって若者のグループがいることにまず驚いてしまった。「前橋(まえばし)」出身の私からすれば、公営ギャンブルといえば「競輪」がイメージされ、耳に赤鉛筆を挿して血走っていたり切羽詰った形相をした親父さん達が行くもの、といった少年時代からの感覚があったためだ。

 前橋は競輪のメッカで、ファン人口は激減したとは聞いているが、今でも全天候型のドームとなった競輪場が市の財政を少なからず支えているはずだ。高校生時分まで、大きなレースの開催期間には父から街の繁華街への外出を注意された記憶がある。

 そういえば、TV−CMでも競馬場へ向かうシーンを見た気がする。若者達にとってはボーリング場などへ行くのと同じノリであり、競馬場へ向かう事は昨今の不景気を反映した流行なのかもしれない。この日見かけたグループの多くはある種の熱中に包まれた感じがあって、街を歩く姿が沸き立っていたように思える。少し意地悪く考えれば、帰りもこの駅を利用してレース終了後の人並みを観察してみたい気がした。
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多摩川CR  メンバー撮影

<予定コースの概要 − 多摩川サイクリングロードから青梅の街へ>

 そんな府中の街から、多摩川の河川敷へと向かう。

 「多摩川CR」は、河口方面へ向かえば東京湾へと出ることが出来る。遠く、「羽田(はねだ)」辺りへ出られるのだった。

 しかし、今回は河口方面へは向かわずに、多摩川を遡上して「立川(たちかわ)」「福生(ふっさ)」へと向かい、多摩川を外れてさらに「青梅(おうめ)」を目指して進む。

 川筋から青梅の街への道のりは多少の高度差を登る事になるが、峠越えとは違って「平坦路から続く緩やかな登り」であり、その高低差は息があがる程のものではない。

 今回の目的地の青梅の街は、近年、町を挙げての雰囲気作りが功を奏して「昭和レトロの町並み」としての特色を醸している。私の世代にとっては妙に馴染むし、和める場所になっている。
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府中本町から立川付近 立川付近

 集合時間よりも大分早く着いて、駅前で自転車を組み立てていると、「昔、自転車に乗っていた」という同年輩の男性に声を掛けられた。

 「サン・ツアー」のパーツやらあれやこれやと話していると、いかにも酒に酔った風な親父殿が会話に割り込んできた。<輪行の面倒な部分>がこれで、仲間が「一番の面倒だ」とこぼしていたシチュエーションに遭遇した、という訳だ。「台湾製の自転車ってのが、安いんだってな!」と二度ほど大声で言い出して、まるで何の脈略もないその言葉に、私も話していた男性も少し唖然としてしまった。

 何とも答えようが無いので黙っていると、なおも同じ話を畳み掛けて来る。会話として成立しようの無い問いかけに、あの人はいったい何を期待していたのだろうか。今もって私の中では彼の意図したところが謎のままだ。

 ええ、確かに私が今組み立てている自転車(2009.11.15 「いざ、ロードへ(自転車に乗ってU)」も<GT>というブランドはアメリカのものですが生産地は台湾です、そしてご推察の通りの安物なんです、と答えて話を進めれば良かったのかも知れないが・・・。
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立川付近 国立・立川付近

 さて、前置きはこの程度にして、今回の実走について。

 「多摩川CR(サイクリングロード)」は総延長でいえば「荒川CR」に匹敵する長大さがあり、首都圏を代表する自転車専用道路といえるだろう。

 実際に走ってみると、「どこが専用道路なのだ」と言いたくなるような状況もあるのだが、それでもスケールとしての楽しみに溢れているのは確かだと思う。

 府中本町駅のすぐ横にある大きな「府中市郷土の森」公園を抜けて、さらに野球グランドの脇を通って、目的のサイクリングロードに入る。

 馴染みの「荒川CR]と異なって、その専用道路はかなり狭い。

 しかも、多くのランナーが走っているし、それに負けない程の「犬と散歩をする人達」がいる。自転車専用道路なのだが、私達自転車はそれらの人達に注意を払い、彼ら歩行者の邪魔をしないように走らなければならないため、意外に肩身の狭い思いを強いられる。
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多摩モノレールが走る 多摩モノレール

 この自転車道路を利用する人たちの中では「犬と散歩をする人達」がマナーとして最低の部類で、多くはハーネスを長く伸ばしたままで、辺りに構わず歩いている。ランナーや私達からすれば、実に危険極まりない状態だ。こうした状態の中にあっては、衝突事故が起きない事の方がむしろ不思議といえよう。

 そもそも都市で犬を飼う、という事がマナーとしてどうなのか、と私などは考えてしまう。
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<犬を飼う人たち に思う>

 「さいたま新都心」のデッキ上で飼い犬を平気で散歩させている人達が多くいる。いや、「散歩させる」のではなく、自らの散歩に犬を連れている、といったほうが適切かもしれない。

 障害者の利便性を考慮して設置されたエレベータ内に平気で犬を連れ込み、多くの歩行者が行き交う駅のコンコース(2階のデッキ)上を長々とハーネスを伸ばして歩く。

 エスカレータでは犬を抱いて登り降りして、ステンレスや石のプレートが敷き詰められたデッキ上を歩く事が、犬の習性を理解した上での、必要な運動をさせているということになるとでも思っているのだろうか。さらにそうした飼い主達は、デッキ上での排泄もお構いなしにさせていて、実に不潔極まりない。

 私も前橋に住んでいた頃は何匹も犬を飼った。少年時代から数えれば何年間も犬との生活を共にし、多くの満たされる思いを味わっている。犬との触れ合い楽しさを理解しているし、犬との暮らしを判っているのだが、少し方向がおかしくはないだろうか。


 新都心けやき広場のデッキ下の屋内にはバス停があり、雨天でも乗り降りが出来る。タクシー乗り場や空港へ向かうリムジンバスの乗り場にもなっている。いわば屋内のバスロータリーで、バスが2台並走できる程の一方通行の通路になっている。この場所は公共交通の起点なので当然駐停車禁止であって、一般者もあまり乗り入れない。雨の日に駅へ送りに来る車が人を降ろすために停車するくらいだ。

 先日の雨の日、この場所で驚くべき光景を眼にした。バス停の後ろに来た赤いボルボのステーションワゴンが停車し、ゲートを開けて後部に積まれたゲージから犬を引き出したのだ。レッドリバー大の中型犬で、どうやら雨天の散歩をデッキ下の建物内でさせる為だったらしい。運転していた年金世代の男性は、そのまま車を止めて犬を連れて歩き出していった。思考回路がどうかしているとしか考えられない。

 雨で利用者が多くなっているはずの公共の場所での振る舞いで、幾重にもまずい問題が重なっている。

 直角に曲がった道の部分は確かに他よりスペースが広いが、空港からのリムジンバスやここから発着する路線バスにとっては、そこに車が停車されていたら曲がるのに難しかろう。本人はいい気で散歩をさせるのだろうが、その屋内を歩く人や、またはスタバの店外に置かれたテーブルやクレープの店先で寛ぐ人達は、そばに来る犬をどう思うだろう。

 レストラン街や幾つかの広場があり、屋内はモールとなっていてかなり自由なスペースがある。さいたま新都心の「けやき広場」やそこから「さいたまスーパーアリーナ」や新都心駅に続くデッキ、それらの施設全体は、そもそも都市として公共の施設といった性質を持っているといえよう。多くの歩行者が行き交っている、いわば「公の場」ではないか。

 そもそもが飼い犬を連れ込むような場所ではあるまい、と思う。いくら飼い犬が可愛いからといっても、飼い主達の身勝手極まりない行為だと、自らを省みたり、その身勝手極まりない行為の影響を認識できないのだろうか。

 「多摩サイ」上を犬連れで歩いている中年諸兄(年金世代)も、自分の歩き辛さを我慢して犬達のために道路脇の土手を歩いて頂けばよいのだが。自分の都合を捨てて犬の立場に立って行動してもらえれば、ランナーも我々自転車も、共に危険な状況から離れられる。サイクリングロードが想定していた本来の有難い状態となり、気分よく共生(シェア・ザ・ロード)ができるのだが・・・。
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昭島付近 昭島付近

<立川・昭島方面へ 多摩川CRを進む>

 府中本町から何本かの橋を潜って「立川(たちかわ)」へと進む。

 立川を過ぎたあたりから、サイクリングロード上の人通りはだいぶ少なくなって来る。それにあわせて川岸に立ち並んでいた人家も減ってきて、心なしか、河原自体も広くなった様に思う。

 「昭島(あきしま)」の手前で「くじら公園」という名前がついた場所に出た。いまでは河口から40数キロの地点なのだが、太古の昔、ここまでが湾であり、この地からクジラの骨が出土したらしい。
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多摩川を進む メンバー撮影

<さらに 「昭島(あきしま)」から「福生(ふっさ)」へと川岸を進む>

 少年の頃、「横田(よこた)」、「立川(たちかわ)」、「福生(ふっさ)」と言えば、首都を取り巻く基地の町だった。

 アメリカ軍が駐屯し、その昔は航空基地があった特殊な地域だった。町の雰囲気も独特で、それらの町の幹線道路沿いを走っていると長大な基地のフェンスがどこまでも続いていて、少年ながらその規模に唖然としたように記憶している。

 広い敷地には住宅施設が並び、整備場や格納庫、長い滑走路やそこにとまる大きな輸送機などが、長いフェンス越しに見えた。フェンスは基地を周回していたはずだが、その先は遠すぎて見渡すことができなかった。少年の頃には、道脇のドライブインから飛立つ軍用機が眺められ、旅の途中の楽しみだった。

細い道で走りながら相談 多摩川CRの概観
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本日の自転車(GTRシリーズ4) 天気に恵まれる

 休憩のポイントは、昭島の八高線鉄橋近くのスポットにした。

 この場所で昔、悲惨な鉄道事故が起きた。終戦から数日経って、まだ混乱の最中であったのだろうが、列車が衝突する大きな事故(未曾有の鉄道事故)が起き、多くの人が亡くなったらしい。その事故の際に車両から外れた車輪が、後に橋の横から発見され、それが道脇の休憩所に置かれていた。

 事故のいきさつを説明するプレートもあって、錆に染まった大きな車輪が痛々しい。

味のある橋 ロードに出現するZ型クランク
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 「福生(ふっさ)」で走ってきた「多摩川CR(サイクリングロード)」を離れ、その上流域へと向かう。

 「玉川上水」の脇を渡って、街中へと向かうためだ。


 福生にある古い造り酒屋でもある「石川酒造」へ寄ることにしたのは、そこで昼食を取るためだ。

 「石川酒造」が酒造として創業したのは文久3年(1863年)で、すでに150年近くが経過しているし、さらに石川家自体は400年の歴史を持った18代続く旧家でもある。「石川酒造」は古くからの多摩地方の地酒の蔵元として有名で、「多満自慢(たまじまん)」という酒を扱っている。

内部にある大きな長屋門 門の脇に置かれた大釜
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おみやげ物を物色(地酒直売所)

直売所 「酒世羅(さけせら)」; 地酒「多満自慢」が買える。
懐かしい車を発見

 仲間お勧めのスポットとして私は今回初めて訪れたのだが、広大な敷地に整然と蔵が並ぶ様は圧巻だった。

 敷地は実に広大で、日本酒の蔵元としてこれほどの規模のものを見たことが無い。訪れたことがある醸造所という意味では、山梨・石和の「マルスワイナリー」「モンドワイナリー」や仙台の「ニッカウイスキー醸造所」以来の規模で、調べてみると敷地は3000坪に及ぶらしい。

 石川家は江戸期から栄えた大地主で、そのまま蔵元となったらしい。戦後の農地解放で所有していた土地は手放さざるを得なかっただろうが、広大な屋敷地は蔵元だったために残されたのだろう。
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石川家の夫婦ケヤキ 重要文化財で食事が出来る「雑蔵(ぞうくら)」

重要文化財で食事が出来る「雑蔵(ぞうくら)」


紅梅が、蔵の白い漆喰壁に映える。

 重要文化財に指定されている重厚な長屋門(武家門)が、敷地の中にある。そして、醸造のための蔵が敷地を取り囲んでいて、まるで城塞のようになっている。

 集落の道に面した門を入った場所には、「雑蔵(ぞうくら)」と大書された一枚板が掲げられてあり、そこが和食のレストランになっている。(別にもう一棟、パスタ料理が主になるレストランが広場を挟んだ反対側にある。)この蔵も敷地内部にある長屋門同様に、重要文化財に指定されている。

 私たちは、雰囲気のあるその蔵で、「蕎麦」の昼食を採ることにした。雑蔵の蕎麦は北海道産蕎麦粉を使用していて、「二八」。地酒造りに利用する「仕込み水」を使って打っているという。

敷地内の様子 雑蔵の室内(見事なケヤキの一枚板のテーブル)
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地ビールのメニュー 当時のラベル

 石川酒造は日本酒の醸造所だが、ビールも古くから醸造している。

 食事どころの「雑蔵」の二階が展示室になっていて、蔵元としての歴史が飾られている。その一画にビールのラベルが置かれていた。明治期初頭の日本の地ビールの醸造所と会社を示す地図が掲げられている。サッポロ(札幌)やエビス(恵比寿)などもあり、それらと肩を並べて「日本麦酒」のラベルがあった。

 地酒「多満自慢(たまじまん)」だけでなく、ここで作るビールも古くから有名であったらしい。「日本麦酒」のブランドはすでに流通していないが、地ビールは店内で愉しむことが出来る。

蔵の内部(増築部分) 二階の展示室
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 美味しい食事を楽しんだ酒造を後ろ髪惹かれる思いで出て、私たち一行は、改めて青梅の街へ向かった。

 道は緩やかに登っていて、それが青梅の街までのしばらくの間、続くことになる。今日の自転車を車体の軽いロードにしておいて良かった。9キロ少しではなく、これが重い車体であったら少し辛かっただろう。

 スキーのオフシーズンのトレーニングでマウンテンバイクで峠道を登っていた頃と今とでは、体力の土台が違う。そればかりか、乗り続けようという気力も随分違っている。


<本日のアクシデント>

 しかも、蔵の二階の急な階段で滑って数段を落ち、その際に尾てい骨の部分を強打して、ペダルを漕ぐ足に力を入れると実に痛む。

 坂の登りで「立ち漕ぎ」をしようとしても痛みが走って、ままならない。前を走る仲間との距離がしだいに広がっていく・・・。

 階段で滑ってしまったのは、サイクルシューズのせいだった。ビンディング用のレーシング・シューズ(ペダル交換)は底がプラスチック系の艶やかなプレート状で、歩く事は考えていない仕様になっている。だから、この靴を履いた際には、階段などには注意をしているのだが、つい気を緩めてしまった。

 食事に満足して、まったく、油断していたためのミスだった。

 走るだけを考えれば無駄を削ぎ落としたこのシューズは実に良いものだが、歩く機能を取り去り過ぎている。

青梅へ向かう 玉川上水

玉川上水

<青梅の街を尋ねる>

 「青梅(おうめ)」へは20代の頃、仕事で何度も訪れていた。都市ガスの「料金調定システム」を作っていて、私の担当の都市ガス会社がこの地にあった為だ。若い頃、西陣織で有名な桐生(きりゅう)から青梅まで、自家用車で何度も往復した。

 界隈で食事をしたが、今、目にする駅周辺の街並みはあの頃とは違った趣に思える。当時は「昭和」であり、最後にこの街へ来た時は「平成」に時代が変わったばかりの頃だった。

 だからまだ、昭和という過ぎた時代を懐かしむなどは考えられず、景気も登り調子であった。

 後に「バブル景気」と呼ばれて、あっと思う間に萎んでしまったが、新しい時代の訪れに世間は沸き立っている最中だった。そこでは、古い時代のものが手当たり次第に取り壊されて、どんどん新しいものに作り替えられていた。すでに昭和の末期には「軽薄短小」と呼ばれる風潮になっていたが、昭和天皇気の崩御によって、さらにその流れが加速した。

 確か、あの頃の青梅は再開発の只中にあったように思う。バイパス沿いの郊外には、大型の店舗が次々に建てられていたのではなかったか。
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青梅に残る古い店の佇まい 青梅に残る古い店の佇まい

 「昭和レトロ」という言葉が言われるようになって久しいが、青梅はそれを街全体のコンセプトとして町興しをしたのだろう。


 目抜き通りには、映画の手書き看板がそこかしこに建てられている。「用心棒」や美空ひばりの「旅姿三度笠」シリーズなど、懐かしの邦画のものや、ほかにも有名な洋画、など様々立ち並ぶ。

 少年の頃、近所の十字路にあった手書きの看板は八畳を上回るほどの大きさで、私は日々、その絵を見て過ごした。春や夏の休み前になると少年向けの怪獣映画の絵になったが、普段は封切りの洋画のイメージシーンが極彩色で描かれていたものだった。
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大描の看板 駅前の案内板

 そんな昔馴染みの手書きの大型看板が街中で再現されている。当時見たものよりだいぶ絵の質は落ちるが、私世代にとっては実に懐かしい。

 そうした看板越しに改めて街並みを注意してみると、古い味の出た商店の佇まいが残っている事に気づく。蔵作りは少ないけれど、確かに、少年の頃に頼まれたお使いの店先や小銭を大事に握りしめて駆け足で向かった売屋の作りのままなのだ。

 店に入っていけば、奥からは当時の店番だったお婆さんや怖い親父さんが、そのままの姿で出てくるような気がする。
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喫茶店 喫茶店

 駅の横の路地を入って行って、切り通し状になった線路の上の日当たりのよい高台にある喫茶店で休憩することにした。

 チェーンで無い喫茶店に入るなど、何年ぶりのことだろうか。 雰囲気のある店内で、タルトとコーヒーのセットをお願いした。

 もとは床屋さんではなかったかと思えるような作りの店で、床板はフローリングではなく木造小学校のような板張りだ。壁を取り囲む木枠の窓も雰囲気に一味買っている。

 古い建屋の奥まった一角、多分前歴は納戸であって、後で窓を設けたのではと思える部屋に陣取って寛いだ。背中に面した窓から温かな日が差し込んで、暖房器が要らないほど暖かい。

 この日は、「福生(ふっさ)」を過ぎるあたりから強風が吹き始めて、青梅に近づくにつれてますます風の勢いが増した。その中を走り続けて強風で凍えたが、その体がすっかり温まり、祖母の家の縁側(えんがわ)のような温もりが心地よく感じられる。
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店内の様子

 南面に窓を取った昔ながらの作りは今風の家よりも根本的によいものだ、とその巧妙さに感心した。

 床暖房や二重サッシや壁断熱など少しも無くて、床板は隙間があり木枠の窓は風を受けてガタガタと音を立てるような状態なのだが、それでもなお、冬の陽を受ければ上着だけでなくシャツまで脱ぎたくなるほど心地よい暖かさに包まれるのだ。

 縁側や南面に採った窓などは、今となってはテクノロジーを駆使した最新の設備以上の贅沢といえるのかもしれない。
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帰り道

<青梅を後に 多摩川CRへ戻る (復路)>

 店を出て青梅駅を迂回して、福生へと戻ることにしたが、外は往路にもまして強い風がが吹いていた。

 歩道に植えられた街路樹はケヤキのようだったが、枝が強風で折れたのだろう。何本もの枝が車道脇に落ちている。私たちはその風の中を走る事になった。

 もう少し青梅の街をめぐってもよいのだろうが、じきに日が暮れてしまう。

 しかし、強い風を背に受けて、しかも道は緩やかな降りなので、いいペースで走ることが出来た。そのお陰もあって4時頃には福生の「石川酒造」へ戻る事ができた。酒造を再訪したのは、昼食を取った時、帰りにお酒を買おうと思っていたからだ。日本酒の蔵元であるから、地酒を買いたかった。しかし、重い壜が荷物になるため、帰りがけにしようと考えていたのだ。

 日本酒は、もちろん自分用のお土産だ。

 それに蔵元なので、「仕込み水」を汲むことが出来る。台湾茶をその水で淹れれば美味しかろう。そんなことも考えて携帯容器のプラティパスの水筒も持ってきていた。

 無事に目当ての日本酒(多摩の地酒)と仕込み水を手に入れることが出来た。

 この地点からなら「昭島」や「拝島(はいじま)」などの駅へは直ぐに向かう事が出来る。そうすればJR「八高線(はちこうせん)」で川越経由でさいたま新都心へ難なく戻ることが出来る。
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黄昏色に染まる 夕日

 ここで解散、という手もあるが、もう少し走ってもいい。

 いろいろと検討したが、結局、夕暮れの多摩川を走って立川まで戻ることにした。前回のワンゲルでの低山行「御岳山、大岳山」(2010.01.23 「新年山行 御岳山から大岳山へ」)での反省会のおり、パスして次回の課題にした立川にある「おでん」の店に寄ろうとしたためだ。

 改めて、多摩川CRを立川まで走る事にした。サイクリングロード上に掛る「多摩モノレール」の鉄橋を目指し、多摩川から離れて、そのモノレールの路線に沿って進む。
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遠くに富士山が見える 富士を遠望する

 「立川」の街並みは再開発されて、大きな繁華街になっている。

 駅前はロータリー上が歩行者デッキになっていて、そういう状態はまるで大宮駅のような印象だ。要は今時の衛星都市としての繁華街の姿を持っていて昔風な部分は無い。だから街自体の雰囲気や姿に魅力があるというわけではなく、都市としての利便性が良いという点だけが魅力だ。


 「多摩モノレール」側から街に入ったので、駅よりだいぶ手前に自転車を止めて徒歩になり、駅のコンコースを通り抜けて目当ての「おでん屋」さんへ向かった。

 大宮でいえば、「南銀(なんぎん)」の繁華街に当たる飲み屋街も、同様に立川駅横に並んでいる。この一角に、以前寄った安くて旨い居酒屋の「弁慶」があり、その裏手に今回寄ろうとしているおでんの「多美(たみ)」がある。

 土曜日なので混雑しているか、と心配したが、私たちが口あけの客だった。広めのテーブルに席を取って、のんびりと寛ぐ事が出来た。

 ここまでくれば、あとは自転車を駅まで運んで分解し、輪行でさいたま新都心へ戻ればよい。もう、今日のポタリングの行程は終了した、といってもよかろう。

 だから、後は、心置きなく美味しい「おでん」や「焼き鳥」を楽しめばよい。
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<本日の旨い物>

さて、ポタリングでの恒例、今回の「旨い物」を紹介しよう。

蕎麦
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<旨い物1; 「石川酒造 :雑蔵」の もり蕎麦>

 店自体が大きな蔵の作りなので、一階部分の天井が高く、ゆったりとしている。南に大きな窓を取っているが、座っている窓のある部分は蔵の横に増設されたもののようだ。

 「大もり」をお願いしたのは、この後の自転車行を考えてのことだった。

 手打ち、地粉での細打ちの香りある蕎麦で、使っている水が仕込み水なので、味が良い。

地ビール(ハーフ&ハーフ)
蕎麦
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<旨い物2; 青梅 喫茶店 「夏への扉」の タルトとコーヒー>

 「夏への扉」では陽の光という、冬場のご馳走と素朴な味わいが楽しめる。豆は多分、コロンビアが主体になっているようでまろやかで香りが高い。胡桃が入ったタルトが美味しかった。

喫茶店でのタルト
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<旨い物3; 立川 「多美」の おでん>

 駅の横道の一本奥の路地にある。駅横の通りからも路地からも店に入る事が出来るのは、一軒家ではなく雑居ビルの一階に店があるからだ。
多美のおでん  これが3皿目

 焼き鳥や他のおつまみ物も美味しかったが、やはりおでんが看板物だろう。

 京風の薄味で、関東のおでんのように醤油に染まっていない、上品な味わいがある。試しに頼んだ「モツ煮」も、すっきりと透明なだし汁で炊かれていたのには驚いた。モツ煮やポテトサラダ、鯵のフライ、ジャガイモのお好み焼きなど、どの料理も美味しかった。頼んだ日本酒も美味しかった。

 小料理屋の体裁だが、カウンターを取りまわした和風の店の雰囲気も悪くない。

多美のおつまみ

多美のおつまみ
多美のおつまみ
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おでん「多美」でお猪口

<今回のお土産>

 おでんの「多美」ではないけれど、私は杯などを見ると自分用に土産物として買ってしまう。それがいくつか貯まって来て、気分によって変えて楽しんだりする。

 今回も「石川酒造」の直売所の「酒世羅(さけせら)」で地酒と一緒に杯を買ってきた。いつもは益子や萩焼などの各地の「焼き物」なのだが、今回のものは瀬戸物だ。気軽に使える白い磁器なので酒の色がよく判る。

石川酒造のお土産
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 お酒とお猪口、それに「和手ぬぐい」を買ってきた。

 地酒「多満自慢」は透明度が高く、実にすっきりとした味わいだ。

 私が買ったのはただの醸造酒で一番低いランクのものだが、これなら成程、評判を呼ぼう。呑んでみて人気の程が判った気がした。

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