隅田川に沿って進んできたわけだが、住居表示はいつのまにか「町屋(まちや)」に変わっている。
確かに我々は町屋に居るらしいのだが、川沿いに真新しい高層マンションが幾棟か建っていた。川岸を包むおよそ町屋のイメージではない風景の出現に、少し面食らってしまった。
橋を渡ってから隅田川沿いに進んで来た訳だが、いかんせん、川は微妙に蛇行している。
下流の都市部では上流域での降雨での増水による思わぬ河川の氾濫を抑える必要がある。そのために川筋を蛇行させることで流速を抑えるための工夫なのだろう。その蛇行を追いかけるのだが、川沿いの道が途切れたり、住宅街に入って行き止まりになったり、で、実は少し迷ってしまった。
このため、途中で「川に沿って進む」という方針を変更することにした。
「都電 荒川線」を目指していって、線路に出たらそれに沿って進むことにしたのだ。そうすれば、自動的に荒川線の終点となる「三ノ輪橋(みのわばし)」に行き着けるはずだからだ。これなら、いくら道迷いの多い我々でも迷いようがないはずだ。
「都電荒川線」の路面電車の軌道を改めて目指す事にした。
「軌道」と書いたが、「荒川車庫」から「三ノ輪橋」の辺りでは、この電車は道路から分離された専用の線路を走る。電車が路面を走る様子を楽しもうとする場合は、王子の「飛鳥山(あすかやま)」のカーブや「大塚(おおつか)」などの場所へ行く必要がある。
線路を探しながら町の中を進んでいると、古いレンガ積みの長い塀が現れた。
吉村昭(よしむら あきら)の小説「関東大震災」で読んだ震災の際の下町の悲惨な被災地の「陸軍被服廠跡」だろうか。火災旋風が巻き起こって非難した住民約4万人を焼き尽くした場所は周囲を長大なレンガ塀で囲まれた場所ではなかったか。(・・・後で調べると私の記憶違いで、その場所はここではなく墨田区の横網町だった。)
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