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2012.09.30
 「まえばし赤城山ヒルクライム大会」を終えて

カメラ;
 RICOH CAPLIO GX−100 24−72mm F2.5


 (画像添付時に約30%程度に圧縮)



 故郷、前橋を舞台にして去年から始まった大きなイベントがある。

 前橋は公営競輪の主催地で、昔から市を揚げて競輪の運営に実に熱心で、利根川の河川敷に巨大な全天候型の競技トラックの「前橋グリーンドーム」を作ってしまった。その競輪場では選手権なども開催されて、多くのファンを集めているが、そうした自転車を取り巻く独特の背景を持つ前橋市のお膝元、市の北方にそびえる赤城山(あかぎやま)をひたすら登るだけ、という自転車の競技会が昨年から開催された。

 その大会は選手権などの公認レースではなく、レースは純粋にアマチュアを対象にした競技会であった。

 自転車通勤やサンデー・ライドなど、昨今のロード車人気の流れがこれを下支えたこともあって、そのヒルクライムレースは全国的な話題を呼んだ。山岳登攀という特殊なレースなのに、多くのヒルクライムレースと異なって市街地からスタートするという内容の物珍しさからか、開催わずか一年目にしてその知名度は全国規模で高まったのだった。

 そうして当初から軌道に乗ったこのイベント、今年はその二回目の開催となる。全国規模の主要レースとして広く認知され定着するための試金石ともいえる二度目の開催なのだが、それが9月30に行われた「赤城山ヒルクライムレース」なのだった。


関連するページ;
のんびり行こうよ 2013.09.01 「2013 赤城山ヒルクライムに向けて」
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オリジナルのカーボンフレーム 山岳登攀に備えて、
組み上げてあった自転車にさらに手を入れてブラッシュアップする。


目標とするのは、
何といっても、「さらなる軽量化」だ。
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 ところで、前橋市内から赤城(あかぎ)山へ登るにはいくつかのアプローチがあるが、市街地の中心部からそのまま北に伸びる県道を行けば山頂へはほぼ直登といった状況で、そのまま一本道で市街地から山頂まで繋がっている。

 やがて山腹を這っていた道は開けた山頂部へ出て、そこに広がる大きな火口湖の湖畔へ出ることになる。頂点から湖へと、道は少し下ることになるが、レースはその手前の頂上部分の観光案内所のところでゴールとなる。

 その道を、市民は「赤城県道」と呼ぶ。山腹の途中からが赤城山への観光道路で、以前は有料道路だったその道が償還されて、今では一般に無料で開放されている。

 だから今の私達は、自転車を含めて有料だった観光道路を気兼ねなくそのまま走ることが出来るのだった。

 今年も変わりなく開催される「赤城山ヒルクライム・レース」は、この赤城山頂へと至る県道4号線が舞台となっている。市街地から走り始めて、そのまま山頂へと上り詰め、湖の手前までのコースをひたすら登って行く、というものだ。

桃の木川からみる赤城 青い流星
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ゴール間際(もう必死の状態)
ゴール直前。

渾身の力で、
スパートする。

 先の「赤城山ヒルクライムレースに向けて」のページに書いたように、赤城山を登る事に関しては、少年の頃から高校生となるまでの間、お膝元の前橋で過ごしていた事もあって何度も挑んでいた。

 自転車で山頂を目指しはするが、それまでまるっきり、何のトレーニングもしたことの無い人間が頂までを登りつめるのは本当に難しいことだ。当然ながら、今まで一度として山頂まで無事に行き着けたことが無いのだった。

 だから、このレースへの参加に際しては、まずは山頂へ、そして何を置いても必ず完走するのだ、という事を第一に目指そうと思ったのだった。

 私の中での<赤城山>は、ひときわ深い思い入れのある山、といえよう。だから、赤城山を舞台に大規模な自転車レースが開催されたと知ったとき、実に心引かれる思いがした。

 翌年の開催には是非とも自分もエントリーし、そしてあの赤城山を登ろうではないか、そう深く思ったのだった。
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車検証 前日の車検での検査合格証。

大会の公式HPのテーマイラストと同じものだ。



赤城山ヒルクライムレース  2012年9月30日 開催

公式ホームページはここから



若宮4丁目交差点から「赤城県道」を直登し、山頂へ向かう。

その距離は20.8キロ、高低差は1383m。
ただしゴール後におまけの登り4kmあり。
(湖畔まで一旦降りて、そこから下山用の待機所へ向かう道)

なお、当日の参加人数2930名で、完走率は99.3%という凄まじいものだった。

<赤城山ヒルクライムについて>

 と言うわけで、私の戦積だが・・。

 戦績; 無事に完走できました。; タイムは2時間46秒。

 クラス別に順次スターとなったのだが、成年男子D(50歳代)である私のスタートは7時35分。レース中のタイム計測は電波による自動式となっている。

 成年男子50代(クラスD)で326位、総合順位は1906位(2353人中)という内容でゴール。まあ、初参戦という事で、この成績が一杯いっぱい、といったところだろう。

 大きな教訓としては、脚力はクラス内の構成員内ではほぼ互角のようだ。クラスの上位者は別として、お互いに練習を積んだ結果のスキルとしては世代として同様の脚力といえるようだ。だから、思うにスタート位置を出来るだけ前に持って行ったほうが良いのではなかろうか。結局のところ、スタート前に集合・整列していた場所がほぼ私の着順位置であったようなのだ。その事からスタート時の並び順がほぼ着順となる、と思った次第。
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 私が集合した合同庁舎へ着いたのは6時前だったが、集合位置に迷ってウロウロとしてしまった。

 折角、友人Sが軽トラを手配してサポート搬送して早朝から頑張ってくれたというのに・・・。

 このため、整列にまごついてしまった私のスタートはクラス内の第3グループ、クラス構成員の後ろから50番目ほどの位置になってしまった。スタート位置とタイムについて少し解説をしておこう。整列順にスタートしてパレード走行し、その後の計測点通過時から各人の個別計測を開始する。しかもこのレースではゴールまで登攀状態がずっと続くので、競り合いや駆け引き的な要素は少ない状態だ。だから正確にはスタート位置はあまり関係がないとも言えるが、車線の片側で走行が規制され、多くの異なったスキルの人たちが走るので、自分のペースやコース取りを守るのは案外に難しい。

 結果を振り返って考えてみると、集合して整列しスタートを切るまでの手際がレース経験の場数によるものようで、そうしたものがその人が持っている自転車スキルやポテンシャルを如実に反映するようだ。ちなみに同クラスの1位のタイムは1時間4分、そしてクラス内での完走者は404名だった。

愛車の青い流星、別名を「峠の悪魔」
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ゴールの瞬間 総合順位1906番
2時間46秒で
ゴールをきる。

<レースの状況>

 以下はレース時の状況だ。


 スタートは皆、凄いダッシュで走り始めた。それは「えっ、こんな速いペース!?」といった感じで信じられず、完全に不意を突かれた思い。すっかりその雰囲気に飲まれてしまい、最初のゲートがある「一の鳥居」までを12分で走ってしまった。

 初参戦の私は完全に興奮状態に陥ってしまって、その際の鳥居までの車速は20kmを優に越えてしまっていたのだ。気着くと、ハンドル上のメーターに表示された心拍数(心拍数のモニター計をレース時も装着して臨んだ)は最大心拍数170(年齢別、負荷運動時の最大数)の80%に達してしまっていたのだった。

 このハイ・ペースでは、いずれ走り続けらなくなってしまう事が目に見えている。なんとか、持ち直して練習時のペースを取り戻さないと、いずれ私のレースはあえなく破綻してしまう。

 しかし、雰囲気に呑まれたままで走ってしまい、鳥居から2番目のゲートになる「畜産試験所」までの区間が14分、試畜場から3番目のゲートの「旧料金所跡」までがなんと15分という状態。これは今までの練習時にない、ハイ・ペースである。

 さて料金所はスタートから9kmの地点で、そこから本格的な長い登り坂が始まる場所だ。観光道路だった有料道路の起点跡で、そこにレースの区間ゲートがある。

 ちなみにこのレースではコース上の区間ゲートが5箇所に設けられており、それぞれの区間毎に走行タイムのリミットが決まっている。
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 そのリミットタイムを満たせなかった場合、その場で「足きり(強制終了)」が行なわれるのだった。

 レースの走行開始と共に、コースとなる道路の通行を完全封鎖しているための運用措置だ。先に書いたとおり、コースは市内から山頂への直登路だが、スタート地点の市街地は勿論、旧料金所までは多くの民家が建ち並んでいる。前橋の市街地は山麓まで住宅団地として広がっているが、そうした中心となるこのコースは、周辺市民の主要な生活道路なのだった。その道路の通行だけでなく、あらゆる交差点のそれぞれに係員が立って道路の横断までを含めたすべての通行を遮断している。

 朝の7時から午前中だけの事とはいえ、こうした主催者側の配慮と周辺の住民の皆さんの深い協力によって、レースが安全に運営されているのだった。


 「足きり」は、限られた規制のなかでレースを運営するための有効な措置である。

 その時点で終了となった後は、運び上げの大型バスと自転車を運ぶためのトラックにピックアップされ、ゴール地点の先にある山頂の下山点となる集合場所へ向かう。そうした「足切り」だけでなく、参加者の意思による不慮の棄権も含めて、このレースでは終了までの自由下山は制限されているのだった。

車検証だが、いまや勲章 出場のあかし。

レース後、前橋周辺のサイクリングロードではステッカーを貼ったフレームを良く見かける。

 さて、タイム計測はというと、体に装着した計測チップでスタート時点からゲート通過やゴール到着まで自動計測が行われる仕組み。

 ゴールまでのゲート(区間関門)は全部で5箇所あって、それら全ての関門での通過時間を考えて走らないとないといけない。

 ところで、各ゲートにはテントが張られていて、マラソン競技同様の給水所+救護所になっている。予めの作戦通り、鳥居前のゲートと畜産試験場のゲートの二つはそのまま素通りし、3番目の旧料金所跡のゲートに寄って、一息入れることにした。

 そこで一旦足を止め、落ち着いて何時ものペースを取り戻すためだ。

 そこでスタッフのおじさんからポカリとチョコクッキーを貰って、30秒ほど休憩した。そして、おじさん達に励まされてレースを続行。

 料金所跡の海抜540mからさらに標高で200m登った12km過ぎの地点、ここは友人Sとの練習時にキツクて登るのを断念したポイントだ。その後、単独練習で制覇したが、長い直線の坂が果てしなく続き、私にとっては魔の領域といえる場所だ。

 ここまでで心拍数は90%まで上昇してしまった。この心拍数、最大で20分ほどしか運動が継続できない最大強度域を示している。しかも、コースはここから厳しい坂が始まり、1番目の番号が振られたカーブが現れるのだ。

 大丈夫だろうか、レースを走りきれるだろうか、とふと不安がよぎる。道脇の表示板で示された斜度は9.7%。歯を食いしばってその坂を登り過ぎる。
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 コース上の残りの標高差は700m、そして距離は8km。だからここまででコース全体の半分は制覇できた訳だが、残りにはさらにキツイ行程が残っている。この地点からゴールまでの間で69個もの、こうしたカーブを登らなければならない。

 「旧料金所跡」から次のゲートが設けられた「姫百合駐車場」までの区間距離は6.2キロで高低差570mを登ることになる。その区間の走行タイムは35分だった。

 この区間、他の区間よりもずっと時間が掛かっているのは、やはり坂がきつかったのと、ペースを落として心拍数を下げたためだった。ペースは下げ気味にしたが、それでもここまででレース開始から80名ほどを抜いていた。

 自分への励ましのために、追い抜いた参加者の数を数えていたのだった。

 しかし、「姫百合駐車場」の手前あたりで、ついに後からスタートした4000番台ゼッケンの成年女子のトップグループに追い越され始める。(女子のグループは私の10分後にスタート)

吹く風には、とうとうなれなかった 吹く風になることは、  
とうとう出来なかった・・。

ゴール前の最終カーブを過ぎる。

もう完全に力尽きようとしている。

 さて、「姫百合駐車場」はスタートから15kmの地点。

 そこから九十九折れの厳しい坂道が始まる起点で、その標高は丁度1000m程度となる。つまり、そこからが本当の赤城南麓の激坂が始まるといえる場所だ。

 第1番カーブもきつかったけれど、なんと18番カーブで表示された斜度は9.2%。こうした激坂を克服して、さらにゴールを一心に目指すわけだ。

 ゴールまでは残り5キロ、高低差415m。その間にあとひとつのゲートを越える。ゴール2キロ手前にある区間ゲートの「一杯清水のバス停」がそれだ。  区間距離は姫百合駐車場から3キロ先の地点、多分、標高は300m程登った場所になる。しかし、私自身はこのあたりからバテ始めてしまい、姫百合駐車場から一杯清水のバス停に設けられた最終ゲートまで登るのに40分近く掛かってしまった。

 ここへの坂道がもうキツイのなんの、なにせまるで試走をしていなかったのだ、この領域を。

 本当に練習は人を裏切らない。だから練習せぬ者にはその成果(報酬)もないといえよう。しごく当たり前の法則であった。

 しかも、私のグループ(成年男子D)より30分前にスタートした男子エキスパートクラスが早くも晴れやかな顔つきで颯爽と対向車線を、しかも凄いスピードで下山してくる・・。

 ゴールまで残り2キロ、大きな声援が聴こえてくるけど、まだ先の見えない九十九折りの坂が続いている。だからどよめきも遠くなったり近くなったりするが、私の眼前には無常にもさらに激しい坂道は続くのだった。

 ところで、このレースの下山時はペース・カーで規制された集団走行になる。自力で自由には降りられないルールで、最初から3回分の下山は10分刻み、後は5分間隔になるのだ。

 私はまだコースを遅々として登っていてゴールの声援を遠くに聞いているのに、そうした下山集団はもう5グループ程が降ってきて、登る私とすれ違っている。

 一方の私は完全にスタミナ切れの状態。最初のハイペースが仇となって、思うように走れない。しかしそれでも踏ん張って、ようやくゴールまで残り500mの距離まで辿り着けた。
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参加ガイドブック 出場が決定したら、事務局から様々のものが送られてきた。
これは参加ガイドでもあるパンフレット。

日程を含めた案内が、丁寧に掲載されている。



大会の要綱やガイド、それに協賛する企業広告が後半にある。

でも、圧巻なのは全参加者の所属団体名入りの氏名一覧。

 そこで、やっと見通しの効く直線のゆるい坂が現れて、一旦ペースを落としてボトルから補水し、そこでようやく新たな息を入れられてラスト・スパートを掛けた。

 ゴール前のギャラリーも大勢いて、盛んに声援を送ってくれる。レース中ここ一番の踏ん張りどころ、大勝負の始まりだ。しかし、太ももの裏側に力が入らずゴール200m手前で足がつりそうになって、あえなく失速してしまう。

 結果として、46秒オーバーで惜しいことに2時間の大台を切ることは出来なかった。しかし何れの区間も、どの練習時のタイムをも大きく上回るような好ペースで登れたのだ。


 まあ、姫百合駐車場から先は、ずっと失速状態だったといっても良いのだが・・。

 それにしても、最後の姫百合駐車場から先の5キロの登りに関しては、実に不甲斐ない状態といえた。このハードな区間が今後の課題であり克服に向けて懸命になって「修練」しようと思っている。
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< レースでの下山について >

 レース開始時に預けておいたバック(スタッフザック)をゴール後の湖畔地点で引き取って、そこからまた少し登って下山地点へ再集合する。

 バックには、下山に備えた長袖ウェアや着替え、コースの下り道ではかなりの体温を奪われるので防風ジャケットや長手袋などを入れておく。引渡し場所となるのは湖畔の駐車場で、そこが我々のために貸し切りとなっている。そこには大きなテントが張られていて、心置きなく着替えが出来るのだ。なにせ、レーシングパンツの下は何もつけて居ないので、着替えるには全裸にならざるを得ないからだ。

 山頂の気温は下界から10度近く低いし、下り坂でのスピードは容赦なく体温を奪っていく。だから、予め寒さに対応したウェアを用意しておかないと大変なことになる。

 ところで、ゴール地点から手荷物を渡される湖畔までは約3キロほどの下り。そしてそこから湖畔横の下山集合点、高層湿原の覚満淵(かくまんぶち)前の駐車場までは500mほどの登りである。ゴールの係員の方が「まだこのレース、のぼりのサービスがありますよ」と冗談をいっていた。下山し始めるゴール地点までの登り道のキツさといったらなかった。

下山時の荷物を預けるためのバック

<下山用の荷物バック>

前日の車検時に貰えるのだが、
「赤城山 登頂達成」の躍る文字が
ゴールで迎えてくれるのが、嬉しい。
当日のタイムテーブル

こちらは、レース参加者へ向けた見やすい当日のタイム・テーブル。

 下山はペースカーが規制しての集団下山だ。私の降りたのは、最後から3番目位のグループ。
 (一回の下山集団、その人数は200名ほど)

 料金所までは規制されてはいたが、快調に降りることができた。ペースカーの運転者によっても異なるのだろうが、最高速で45km、平均すれば40km弱といったスピードだ。どうやら、私達の集団を制御するペースカーが50kmの制限速度きっちりで降りていたものと思われる。


 そうして集団下山していると、「姫百合駐車場」までの間で、まだ登って来る人達がいた。料金所跡の手前で追い上げバス(3台)と大型トラック(2台)にすれ違ったが、どちらも数台しか積載されていなかった。

 「足きり」にあったり、レースを断念した人が極少数だったようで、後に公表された完走率は、99.3%で、ほぼ完走だった事を聞いた。

 「旧料金所跡」のゲートでは一旦全員が停車して整列し、そこから先は1列になっての下山を行なった。勝手に追い越したり、途中でコースを外れていはいけないというのがルールだ。


 すでに道路封鎖が解かれて、一般車両が走っているための措置である。一列での道路左端の走行のため、そこから先はひどい渋滞となった。山頂からスタート地点の「合同庁舎」までの所要時間がなんと90分。

 集団下山した「旧料金所跡」までは20分程度で、そこからスタートまではゆるい下りの僅か12キロ程度の距離にしか過ぎない。だが、そこから集合地点まで70分強も掛かってしまったのだった。
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 友人Hが付き合ってくれた前日の車検(前橋グリーンドーム;全天候型の屋内競輪場)でのイベントも楽しいものだったが、スタート地点へ戻ってから盛大に行なわれたゴール後のイベントも実に心効いたものだった。

 全般的に、本当に素晴らしい「レース初体験」が出来たと思っている。


< 手にした大きな贈り物 >

 こうして無事に完走でき、しかも当初掲げた大きな目標を達成出来たのには、理由がある。

 レース前に積み上げた練習の成果といったものもそれなりにあるだろうけど、実は沿道の大きな応援(鳥居での友人Sのサプライズ応援を含めて)や仲間の力強い励ましによるものが随分と大きかったと考えている。

 このレースの評判として予め聞き知ってはいたのだけれど、レース中のどの場面でも、沿道の人達からそれは凄い声援が送られた。しかもそうした励ましがずっと絶えることなく、山頂まで続いたのだった。

 中腹まで居並んだ多くのオヤジさん達、さらに帰リ道までそのまま声を掛けてくれた多くのおばあちゃんや小母さん達もそうだったし、大きな声で力一杯に励ましてくれた、やはり多くの子供達がいた。

コースマップ(右上がゴール地点)

コースマップ(右上がゴール地点)
コース周辺の宿泊場所を示したマップ

コース周辺の宿泊場所。
早朝から始まって昼過ぎには終了するが、
前日の車検やイベントがあるので、
宿泊場所の案内も送付物一式の中に入っていた。

 そして、住宅地を過ぎての山中では、何人ものマニアからの声援もあった。姫百合駐車場より上の部分(人家が絶えた山腹部)に、早い時間に陣取ったものと思われる自転車を脇に置いたレースウェアワを着た人達が、幾人もいてひときわ熱く声援を送ってくれたのだ。

 多分、彼らはレース参加の応募締め切りに間に合わずに出走できなかったのだろう。そうとしか思えない人達で、居ても立ってもいられずに自走して山に入り、多くの応援を送ってくれたのだろうと思う。

 本当に多くの仲間や、沿道の住人や、自転車のファンの人達が素人相手に盛んに声援を送ってくれた大会だった。コース上の監視員、交差する道路を封鎖するために立ち続け係り員の人達、その数はすごい人数になるが、下山の際には、際限なく続く私達に一人ひとりがみな、ねぎらいの声を掛けてくれた。「お疲れ様でした」であったり、「気をつけて」であったり。

 その様子を思い出すとそこで味わった思いや感激が鮮やかに蘇ってきて、今でも涙がこぼれてくる。
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 応援の人たちの中にはそろいの衣装に固めた郷土芸能の和太鼓の人達もいた。その音はまるで出陣する武者を送り出す陣太鼓のようにあたりを満たしていたのだった。3箇所のゲートにそれぞれ別の組がいて、どの連(れん)でも勇ましく敲かれて、横を走る私の腹に強く響いてきた。その音色が、新たな勇気と諦めない力を湧かせてくれたのだ。

 そうして送られた宝物のような、走る身にすれば本当に涙がでる励ましや多くの声援が、萎えそうになる気持ちを盛んに鼓舞してくれたのだった。

 好きで走っているただの素人に過ぎないが、そうした私に大きな力を与えてくれた。今にして考えれば、走る私達からも彼らに対して何かを伝えられたのでは、と淡い期待を込めて思っているがどうだろうか・・。

即日交付される記録証

下山後スタート地点へ集団移動するが、
そこでは記録証を即日交付してくれる。
オフィシャルグッズ

大会前日の車検は前橋グリーンドーム
検査の実施とともに、前日イベントの会場にもなっている。
様々なイベントがあるし、協賛企業の販売ブースなどが賑やかだ。

そこで買ったオフィシャルグッズのLEDライト。
キーホルダーになっていて意外に便利なもの。

 実際に自分がその素晴らしいレースの中に居て、そこで素敵極まりない多くの体験ができたのは、実に、またとない幸運だったといえよう。

 さらに思えば、練習の際にすれ違うサイクリストから送られたハンドサインや会釈の数々、あるいは練習で力なく登る私に向かって「ガンバ!」や「ファイト!」と対向車線から大きく声を送ってくれた下山するエキスパート達、そうした多くの鮮明な応援が実に感動的で、さまざまが心に残ってその後の大きな力となってくれた。

 だから、という事もあるのだが、来年も是非出場したいと切実に思っている。この想いは、このレースを走った人達すべての総意であるに違いなかろう。
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