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2013.04.28
「榛名山ヒルクライム」に臨んで

  < 2013.05.08  追記 >   < 2013.06.09  追記訂正 >

カメラ;
 RICOH CAPLIO GX−100 24−72mm F2.5

 (画像添付時に約30%程度に圧縮)


 故郷、前橋を舞台にして一昨年から始まった大きなイベントがある。

 「赤城山ヒルクライムレース」という自転車の市民大会なのだが、開催2年目にしてすでに全国規模の大会として広く認知された感がある。乗鞍(のりくら)や富士といった知名度ある由緒あるヒルクライム大会を向こうに回して、無名の地方都市(前橋が群馬県庁の所在地であることさえも知らない人が多い)を舞台にした大会としては大成功した企画といって良いであろう。

 さて、今回の話の内容はその舞台周辺の事になる。今年から赤城(あかぎ)山の隣に聳える「榛名(はるな)山」でも、その山頂を目指す山岳登攀レースが始まるのだ。

 榛名といえば「伊香保(いかほ)温泉」を思い浮かべる人も多かろう。そしてその玄関口といえば一般的には前橋や渋川であろうし、さらには温泉や山頂へのアプローチとして選ぶ道といえば、渋川からの2本の登り道(旧有料道路の伊香保観光道路と水澤観音への参詣道)という事になろうかと思う。

 しかし新しく行われるこのレース、主催の中心は<高崎市>という事になっているから、そのコース設定を知って地元と言える前橋出身の私などは面食らってしまった。


関連するページ;
のんびり行こうよ 2013.09.01 「2013 赤城山ヒルクライムに向けて」
のんびり行こうよ 2013.09.30 「2013 赤城山ヒルクライムを終えて」

のんびり行こうよ 2012.09.16 「2012 赤城山ヒルクライムに向けて」
のんびり行こうよ 2012.09.30 「2012 赤城山ヒルクライムを終えて」

のんびり行こうよ 2013.05.19 「2013 榛名山ヒルクライムを終えて」

オリジナルのカーボンフレーム 山岳登攀(「赤城ヒルクライム」)に備え、
組み上げた自転車にさらに手を加えて
ブラッシュアップした愛車。


自分の体も含めて、レースを念頭に大いに「軽量化」に挑んだ。

しかしその成果は残念ながら2時間46秒。

成年男子50代(クラスD)で326位、
総合順位は1906位(2353人中)という内容だった。

まるで努力が足りておらず、その成果は今ひとつ、といったところだった。

2012.09.30 「赤城山ヒルクライムに向けて」
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 さて、前橋と高崎とは共に北関東にある群馬県の主要な都市で、両市の規模は常に拮抗している。

 隣接した行政区なのだが、実は昔から本当に仲が悪い。ご存知の方も多かろうが、それはまるで埼玉で言うところの浦和と大宮の間柄のようで、両市の関係は、いわば「犬猿の仲」と呼べるものだろう。

 なにせ、ことの発端は明治時代の初頭から始まっている。日本の近代化が始まった時からずっと、両市の微妙な関係が続いているのだった。

 それは廃藩置県の実施で設置されることになった「群馬県庁の誘致」に起因したもので、何という事もないだろうと思えるが、実は思いのほか地元にすれば<根>が深い話なのだ。

 そうした遥かな過去からの積み重なった様々な思いも手伝って、何をするにつけ、双方が対抗意識を燃えだぎらせてしまうようだ。なにせ事の発端となる1871年(明治4年)の群馬県の始まり以来、すでに140年を越えている。なのに両市はいまだに、公私に渡って、事あるごとに競い合っている。

 外から眺める立場(さいたまに移ってからもう20年)になって、私はもうすっかり部外者になっているのでそう思うのかも知れないが、いい加減に止めればいいのにと思っている。

 けれど当事者達にとってはどうもそれは難しいことらしい。

広大な裾野を引く赤城山 桃の木川CR

駒形あたりから見た
裾野を長く引く赤城山の雄姿。
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 古い話で恐縮なのだが、私が中・高校生の頃(1975年前後の時期)に盛んだった、TBSラジオの深夜番組の「パック・イン・ミュージック」という番組があったのをご存知だろうか。愛川欣也さんなどもパーソナリティを勤めていたが、私が親しんだのは「ナッチャコ・パック」が放送される日が多かった。

 アラン・ドロンなどの声優で有名な野沢那智(のざわ なち)さんと、日劇ダンサー出身のチャコこと白石冬美(しらいし ふゆみ)さん、こちらは漫画「巨人の星」の主人公の姉、明子姉ちゃん役の声優さんとして有名な方。この芸達者なお二人の持ち味が存分に発揮された、木曜深夜に展開された老舗トーク番組である。

 その中でのメイン・コーナー、リスナーからの投書を中心に話が進む「お題拝借」というものが、殊に楽しい内容だった。

 群馬県を代表する進学校(双方共に県立の普通科高校)といえる前橋高校と高崎高校の熾烈な投書合戦は、一時期、そのコーナーの名物で、本当に賑やかな状態だった。

 両方から楽しい内容の投稿が寄せられるのだが、お互いが「我らこそがトップ」という主張を譲らずに、盛んな対抗意識に満ちていた。時にエリート風を吹かせるような内容もあったが、多くは高校生らしい失敗談を中心とした、爽やかな内容だった。反論が更なる反論を呼ぶように、寄せられた投書がさらに新たな投書を呼んで、どんどん話題が展開していった。次第にそれが両市の住民意識全体といった部分にまで広がって、競う話題には事欠かない状況になっていったのだった。

 お互いの燃え盛るライバル意識にも程があろうといったところだが、同世代の前橋市民としては大いに共感する部分があった。郷土愛を通り越して、もはやそれはアラブ世界に溢れるような加熱した「愛国心」といった様相の展開もあった。

 しかし、だいたいは他愛もない愉しさで彩られていて、試験勉強の合間の何ともいえないひと時だった。時に本題の勉強を忘れて、私はその放送に夢中になった。

ヒルクライム仕様 ヒルクライム仕様の愛車


フレーム購入の状態から初めて、
軽量パーツを選んでいって一から組み上げたもの。
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 前橋対高崎として両者の主張として戦わされた熱意の根底にあるものは「長年に渡った張り合いで培われてすっかり習性と化してしまった盛んな対抗意識」と呼ぶのが一番相応しかろう。

 ラジオ番組を彩ってもなお尽きる事無く、しかも先に書いた群馬県庁の誘致以来の長きに渡って、両市においては未だに官民挙げて競い合ってしまう。いかにも、そこには際限というものがないようだ。


 前橋で始まったヒルクライム・レースは、時代の流れに乗って見事に成功した。しかもそれが全国規模での集客(2000名を遥かに越える参加者)を達成した。そしてそのレースの評判は上々で、絶賛といっても良いような賛同が寄せられ圧倒的な支持を得たのだった。

 沿道を埋める市民からの篤い声援もすばらしい大会の特徴なのだが、それにも増して素晴らしい評価を得ているのが企画・運営者の安全対策への充分な配慮と姿勢だろう。何より集めた資金を使い切ってしまうのではと心配されるほどの安全対策、細かい配慮の行き届いた大会運営の真摯な姿勢、そうした熱意と思い遣りと計り知れない深い配慮などが随所に溢れていたからだ。小規模に終わったかもしれない地方での大会は、まさに大成功と言って良いほどの盛況さだった。将来に繋がる確かな実績を残した、といえよう。

 その前橋での大成功を横目で見ていて、仲の悪い高崎市が黙っているはずは、勿論なかった。

 「それじゃ、おらほうも」と、まるで花咲爺さんに登場する隣人の、強欲で意地の悪い爺さまのように、こともあろうに同じカテゴリーのヒルクライム・レースを企画したのだ。

 エンデューロでもツーリングでもタイムトライアルでも良かったはずだが、彼ら高崎市は無謀ともいえる「榛名山ヒルクライムレース」という内容を打ち揚げた。

ゴール直前


山頂のゴール直前の様子。もう、限界といったところ。
参加の証
赤城山ヒルクライムレース
2012年9月30日 開催
   (今年は28日予定)

公式ホームページはここから
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 でも、二匹目の泥鰌はやはりいないらしく、大会参加者の集客にはいまのところだいぶ苦戦しているようだ。

 それはそうだろう。
 
 「赤城」といえば上州を代表する魂の山だ。その雄大な山は榛名山とともに「上毛三山」のひとつであるが、上毛カルタの「す」である。一方の榛名山は「の」で、ずっと後に出てくるものなのだ。

 余談だが、「上毛かるた」は県内の住民なら誰知らぬ者が無い程に有名なもの。県全域の小学生がカルタの文句を暗記しているはずだ。という事は県内で小学生を経験したすべての大人達も、記憶の奥底にしっかりと刷り込まれているもの、という事になる。

 さしずめ、赤城山と榛名山とでは「山」が持っている品位や本質が違う、といったところだろう。

 紹介しておくと「す)裾野は長し赤城山」の方が赤城山を謳った内容。「の)登る榛名のロープウェイ」というのが、榛名山のほうの内容だ。「す」の方は山そのものの雄大さや親しみ、さらには山の持つ神秘性や不可侵性をも謳い込んでいる内容だと思うのだが、一方の「の」は山ではなく、そこにある交通手段やお手軽さを自慢してしまっている。

 なんとも間の抜けた話ではないか。


 まあ、意地の悪い冗談はこの辺でひとまず置いておこう。「目くそ鼻くそ」といった俎上で語られるものばかりで、いずれにしても<両者の諍い>は実に他愛のないものに過ぎない。

赤城は前橋市民にとっては、
特別の重さを持った山だろう。

その山は、魂の拠り所と言っても良いのではあるまいか。
雲をかぶる赤城山
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C−2900フレームで組む 榛名山といえば
やはり思い浮かぶのは「伊香保(いかほ)」のことだろう。


石段に広がる温泉街や、
スケート場などで有名な街だ。

中学生の頃は、よく伊香保までスケートを滑りに行ったものだ。

勿論、結氷する赤城の大沼(天然)や、
あるいは時に軽井沢にも遠征するが、
やはり、伊香保ハイランドが多かった。

国体を機に前橋市内に屋内スケートリンクが出来たから、今では状況が違うだろうが、中学生の頃はシーズン中に何度も通ったものだ。

 ところで「赤城」といえば歴戦の帝国海軍を代表する航空母艦の名称にもなっている。

 もとは戦艦として建造が進んだが、途中から軍縮条約の制限を受けて空母に改装した海軍最大規模を誇った大型艦艇である。ロシア海軍に大勝利を収めて次第に台頭する日本の戦力を削ぐ事を主眼として建造が制限され、その結果として戦艦から転籍して、新たな艦艇の種別として生まれ変わった艦艇だった。

 しかし、その事(戦艦建造制限による転種)が世界に類を見ない新しい戦闘定義(コマンド・ドクトリン)の幕開けを切る結果となった。

 巨砲を備えた戦艦による艦隊決戦は、近代戦としては初めて世界最高の軍事力だったロシア海軍と二流以下と思われた帝国海軍の間でおこなわなれて、日本海軍はそれに大勝利を収めた。東郷平八郎が連合艦隊の主力艦による艦隊決戦作戦の指揮を直接執り、回頭しつつ攻撃を加える作戦が見事に成功し、圧倒的な勝利を呼んだのだ。

 圧倒的な勝利の要因は、劣勢にあった連合艦隊の貧弱な装備を補うために日夜繰り返され、高度に訓練されて向上していた砲撃の技術がある。それに地球規模での遠洋航海をして日本海の決戦海域に到達したロシア海軍将兵の士気の低下や艦艇の故障や不具合、水兵や下士官たち用兵者の重度の疲労など、様々なものがある。

 しかし、後世、東郷提督の執ったこの優勢な戦術を称して「TOUGOU Turn (東郷ターン)」と長く呼ばれ、世界の士官学校で研究される事になる。常識では考えられない敵艦隊目前での艦隊全艦艇の進路変更であった。

 その歴史的な「日本海海戦」での結果を受けて、艦砲射撃による主力艦同士の決戦という事が、各国の海軍力(戦術や教義)の主流を成す考え方となった。だから各国は競って巨大な破壊力を備えた大砲を搭載した、信じられないような巨大な戦艦を生みだした。しかし、日本はその巨砲・巨艦の主体となる戦艦の保持を先の条約で封じられたために、航空戦力を主力とする新しい戦い方を独自の路線で創造して行ったのだった。

 その巨大な航空母艦はまさに洋上に浮かぶ航空基地だった。3段の甲板を持つ母艦で始まり、後に改装され発展して、最上面の全通甲板一枚の船型となった。

 長い話になってしまったが、空母「赤城」は真珠湾攻撃隊の航空戦力の主体として名高く、その後に展開された各航空作戦の主力であった。「赤城」の名を知らない人はいないのではないだろうか。

 赤城山が前橋の北方に聳えている連峰だということを知らない人は数多いだろうが、その海軍(旧帝国海軍)を代表する歴戦の空母の名を知らない人は少なかろう。
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榛名山 04.01 利根川CRにて 榛名山 04.01 利根川CRにて

2013.04.01 利根川CRにて撮影

 一方で「榛名(はるな)山」だが、こちらの山は赤城に比べると少し知名度が低いかもしれない。

 「赤城」と同じく「榛名」は海軍を代表する戦艦の名称である。空母部隊の主力艦艇の「赤城」と共に攻撃に参加した連合艦隊の主力艦艇の「比叡(ひえい)」「霧島(きりしま)」と同型の新鋭戦艦で、高速戦艦部隊の主力、連合艦隊の中心艦艇のひとつだ。

 このように書くと誤解を招いてしまうだろうが、私は決して軍隊や戦争、兵器といったものを賛美している訳ではないので、念のため。

 政治思想史を含めた歴史好きなためもあって、ジョン・トーランド著の「大日本帝国の興亡」を何度も読み返したせいもあろうが、こうした艦艇の名称や歴史背景が染み付いてしまったのは、小学生の頃に作ったプラモデルの影響が強いからだろう、と思っている。

 静岡の4大メーカが協力して作り上げた「ウォーターライン・シリーズ」がそれだ。

 タミヤ、ハセガワ、フジミ、アオシマの4社中のフジミが脱退し別のシリーズを独自路線で打ち立てたが、3社となった今もなお1/700スケールの精密模型のシリーズは継続している。確か記憶では、この洋上模型のシリーズは私が小学5年生の頃から始まった様に思えるから、今ではその歴史は40年を越えたはずだ。

 シリーズが開始されてからの数年間、お年玉や貯めこんだ小遣いを握り締めて、よく前橋市のアーケード街の入り口にあった模型屋さんへ通ったものだ。まれに見る長寿シリーズといえよう。

 当時は駆逐艦や潜水艦などの小型艦は100円、巡洋艦などは250円ほどだったから容易に買えたが、空母や戦艦などは親戚からの小遣いが貰える盆暮れの時期でもないと買えないものだった。だから、空母や戦艦などといったら、欲しいけれども手がさせない代物。いわば少年にとっての高嶺の花だったのだ。


 さて、このあたりで閑話休題。
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榛名山 04.01 利根川CRにて

2013.04.01撮影 前橋南部から撮影 (西善)
榛名山 04.28 白井宿にて


2013.04.08撮影 利根川CRにて撮影 (吉岡)

 「赤城」や「榛名」、あるいは「前橋」や「高崎」というから判りづらく、皆さんの中での認知度が低いのかもしれない。

 これを温泉で言い表せば、もう少し判り易かろう。

 赤城にあるのは「忠治温泉(国定忠治:くにさだ ちゅうじ に由来)」だし、榛名には「伊香保温泉」がある。こちらなら、全国的にも有名だから、この名前であればいくらかは浸透いているのではないだろうか。

 榛名よりもう少し知名度があるだろう「赤城(あかぎ)山」 は、前橋の市街地を見下ろすようにその北方に連峰として聳えている。それは浅間(あさま)山や筑波(つくば)山のような独立峰ではなく、いくつかの山稜がより集まって成り立っているものだ。そして、「榛名山(はるな)」も同じように、カルデラ湖を取り囲んだ外輪山によって成り立つ連峰なのだった。

 その二つの山は、鋸の歯が並んだような山容をもった「妙義(みょうぎ)山」とともに、「上毛三山(じょうもうさんざん:群馬を代表する三つの山)」のひとつとして、広く県央に住む市民に親しまれた山稜である。
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 榛名は赤城の大沼(おおぬま;「赤城大洞」とも呼ばれる)に匹敵する広い面積を持つ巨大なカルデラ湖を、赤城と同じように中央に据えている。

 それは「榛名湖」という、至ってなんでもない名称を持っている湖だが、その水面は榛名富士の山容を写して、豊かな水を静かにたたえている。

 美しく凪いだ湖面にその円錐形の特徴ある姿が映る様は、ちょうど本栖湖(もとすこ)に映る富士山に似ている。早朝に靄が掛かっていたのが、朝日を受けて晴れてきて、やがて山肌が染まりだして、水面へその姿を写す様などは本当に神秘的なものだ。

 赤城の「大沼」は、冬季は全面結氷してワカサギ釣りが楽しめる。天然氷を削って造られたスケート場も出来あがる。そうした赤城の大沼と違って、榛名湖では最近ではその全面が結氷することは珍しいようだ。

 最近は暖冬化しているようだが、その昔、冬場の榛名の冷え込みは本当に厳しいものだった。伊香保や水澤(うどんで有名)などでは簡単に路面が凍ったし、湖面などはほぼ全面が結氷していた記憶が残っている。

榛名山 04.28 白井宿にて 2013.04.08
撮影


白井城址(渋川)にて
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 火口湖の脇は広いスペースが広がっていて、テニスコートなどもあって避暑地のような雰囲気がある。

 赤城にある大沼の湖畔は、ましてや竜神伝説が残る小沼湖畔などはなおさらだが、夏冬を通じて何とはなしに空気が重い印象がある。それに比べると榛名湖の様子はぐっと軽く、明るい雰囲気が溢れている。

 ところで、富士山の神様と競争して山造りを始め、榛名側の神が負けたという伝説が、榛名富士にまつわって残っている。

 円錐形の山容の横に小高い丘状の小さな頂がある。これを「ひともっこ山」と呼ぶが、これは闘いに負けた榛名の神が、富士を作るために使っていた「もっこ(土をいれた笊の様な道具)」を投げ出し、そこに盛られていた残土で出来たもの。寓話だとすれば物語が語ろうとしている基が何であるのか分からないのだが、こうした形態・形状を説明したものは大切にしたい楽しい説話であろう。

榛名山 04.28 白井宿にて 2013.04.08撮影 白井城址にて

 私などは想像力に乏しいので、何ものかを伝えようとしたものなのだろうがその真意は良く判らない。山にまつわる伝説であり、神話であるから、古代の権力の移譲や銅や製鉄などの生産にまつわる産業技術などの遷移や譲渡を説明したものなのだろう、とは思うのだが・・・。

 日光の男体山(なんたいさん)の神と戦って敗れた赤城の神といい、群馬の土着の神様はどうもお強くはなかったらしい。ちなみに伝わっているのは、赤城の神は大ムカデに化身して闘ったが敗れて傷を負い、それを温泉で癒したのが「老神(おいがみ;追い神)温泉」の始まり、という説話である。
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榛名山 04.13 嶺にて

2013.04.13撮影 前橋、嶺にて

国道50号までで中断していたバイパスの工事が進んでいる。これは芳賀地区に新しく開通した上武バイパスから榛名を望んだ様子だ。
榛名山 04.13 嶺にて

2013.04.13撮影
 嶺公園より榛名を遠望する。

 榛名では、明治・大正期の人気画家である「竹久夢二(たけひさ ゆめじ ;大正浪漫を代表する美人画家)」の画廊を兼ねたバンガローが湖畔に美しい公園として保存されていて、誰もが訪れる事ができる。

 湖周辺に明るい様相があるのは、そうした古い時代から開発が進んで、豊かに開かれていたせいもあるのか、と思う。

 私も就職して数年の間は、湖畔のテニス場を度々利用したものだ。新人や若手社員でグループ化して数台の車に分乗して、ドライブを兼ねて湖畔まで遠征した訳だ。テニスは当時のブームであって何処も盛況だったが、湖畔のテニスコートは予約も容易だったし何より利用料金が安かった。それに涼しいし山頂や湖畔周辺の雰囲気も良かったのだ。

 そうした開発が進んでいることも手伝って、榛名湖を訪れる人は多いようだ。
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榛名山 04.21 榛名山ヒルクライム(ハルヒル)コース 榛名山 04.21 榛名山ヒルクライム(ハルヒル)コース

2013.04.21撮影 榛名山ヒルクライムコースの様子

ここは中間ゴールが置かれる「榛名神社」の入り口

 赤城山で開催されたヒルクライムレース(のんびり行こうよ 2012.09.30 「赤城山ヒルクライムに向けて」)に関しては、一応の練習を積んで望んだ。

 赤城でのレースは、標高差1340m、距離20kmで行われた。その戦績は2時間46秒で、成年男子50代(クラスD)で326位、総合順位は1906位(2353人中)というもの。少し残念な内容だった。

 私の実家は前橋の最南端といってもいい平坦地にある。その関東平野の北端と言える場所から、練習として幾度となく赤城の裾野を目指していって山腹を登っていったのだった。

 多くはアクセス経路が豊富な中腹までだったが、繰り返し、飽きずに登っていった。(のんびり行こうよ 2012.04.15 「大胡(おおご)そして二之宮」 や 2012.04.22 「大胡・滝窪から嶺(みね)公園」 さらに2012.05.04 「三夜沢 赤城神社へ詣でる」など )

 しかし結局、その練習で山頂まで向かわなかった事が大きな敗因となった。思うような戦績を残せなかった理由は、まあ、終局的には練習不足だったため、といえるだろう。

 榛名のレースが開催される季節が異なるから、赤城の臨戦状態と同様とまで追い込んだ練習(中途半端な練習であったと反省はしきりだが・・・)は出来ないだろうが、今回も、とにかく山坂での練習をひとつでも多く積む必要があるだろう。ところが、冬場の上州は「北西風の季節」なのだった。今頃の前橋ではいわゆる「空っ風(からっかぜ)」が吹きすさんでいるだろう。その強烈に吹き荒れる冬の風の様を思うと、いまひとつ億劫な気分になってしまう。

 そうしたこともあって、3月に入るまで帰省をしていないのだった。勿論、そうなると、少しも山坂の道を走っていないという事になる。
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榛名山 04.21 榛名山ヒルクライム(ハルヒル)コース 榛名山 04.21 榛名山ヒルクライム(ハルヒル)コース

2013.04.21撮影

 榛名山ヒルクライムコースの様子

 「さいたま」に住んではいても、私の気質は「前橋気質」であるので、やはり赤城のほうに肩入れしてしまう。

 とはいっても、榛名に関しても伊香保への坂や、熟成させた「うどん」で名高い水澤観音への登り道などは、馴染みが深い。前橋市内(「総社:そうじゃ」方面)からの登りのメインルートであるその道は、中学生の頃から何度も登っているからだ。

 それにしても、「榛名山」といったら、水澤観音や伊香保温泉に代表されるように、榛東村(しんとう)の外縁や吉岡(よしおか)を経由して頂へと登っていく山なのだと思うが、どうだろう。

 榛名山への表参道といったら改めるまでもなくその2本の道筋で、箕郷(みさと)方面(高崎からの登り道)からの登りはやはり裏道になるルートであろうと思うのだ。何故かと言えば理由がある。前橋市民の印象に過ぎないのかもしれないので、何ともいえないが、それは県央の秘境といえる「倉渕(くらぶち)」の地へ向かうためのメイン・コースではあるまいか。

榛名山 04.21 榛名山ヒルクライム(ハルヒル)コース

この辺りの斜度はかなりきついものがある。

2013.04.21撮影
榛名山 04.21 榛名山ヒルクライム(ハルヒル)コース

路面は補修をしたのだろうか。

当初は「荒れた路面が原因で練習ライダーの事故が多発」と報告されていたがこの日(04.21)訪れてみると思いのほか綺麗な舗装であった。

2013.04.21撮影

 だから高崎が前橋のイベントに対抗して「榛名山ヒルクライム・レース」を銘打ったときには、大きな違和感があった。

 それは「なんで、高崎が主催するのに<榛名山>なの?」といった感覚のものだった。なぜかといえば、地元で育った感覚からすれば、そのようにアピールしはじめた高崎は大分無理をしているな、と思われたからだ。

 確かに「榛名神社」は高崎から安中へ抜ける途中の箕郷梅林あたりから登っていくのだろうが、そこはもう高崎ではなかろう、と思えるのだ。だから、<高崎 :イコール: 榛名>という等式がどうしても頭の中で成り立たない。

 すんなりと納得しきれないような無理な「こじつけ」の感じが、建てられた企画そのものに溢れている。少しはその結びつきを認めてやっても良いのだろうが、私にはどうしても今書いたような違和感が拭えないのだ。
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榛名山 04.21 榛名山ヒルクライム(ハルヒル)コース 榛名湖畔の様子


改めて確認するまでも無い雄大な榛名富士の様子。

2013.04.21撮影

 さて、「榛名神社」だが、参道が狭くて、奥に向かうには山頂へ向かって坂をぐんぐんと登る必要があった様に思う。

 神社の奥くまで進んでいったら、やがて、山稜へ向かうハイキングコースにいつの間にか道が変わっていた。相馬岳などが並ぶ山頂方面へと向かうための登山道が、そこから始まっていたのではなかったか。

 それはもう、12・3年ほどにもなるだろう。私は春の日に山の中腹にある「榛名神社」へ参詣したことがある。

 山野草の写真を撮りに榛名山頂へ行った際に、初めて訪れたその古式溢れる神社へ参拝したのだった。水澤観音のほかに榛名山中に神社があることを、その時に初めて知ったのだ。車を留めて道路から入ったところから始まる参道の坂(歩道)は、随分きつかった様に思い起こされる。ということは、参道とほぼ並ぶように続いているはずの山頂へ至る道路も、その斜度はかなりのものになるのではなかろうか。

 路面に関しても大きな違いがあろう。赤城のコースは元来が観光道路の有料道路だったものなのだが、榛名山の有料(観光)道路は渋川から伊香保への直登路であり、このレースで設定されたコースとは違う場所にある。(伊香保慣行道路は、今は赤城同様に償還されて無料化されている。)

 このレースで選定された道は観光道路ではないので道幅は大分狭いのではないだろうか。去年の夏に試走会があったが、その機会を逃してしまったので、そのあたりの詳細がわからない。だから何ともいえないが、車としても2度くらいしか走った事がないので、榛名神社から先の道のりについては記憶がまったくないのだ。

 その細いと思われるコースで、大勢が参加するレースを開催してしまって大丈夫なのだろうか、と心配している。道幅はレース中のコース取りの余裕に直結し、という事は安全にも直結する要素だからだ。安全という要素で思えば、登りよりもむしろスピードが出る下りが心配になってくる。

 勿論、赤城の大会のように集団下山となってペースカーが先導して走行スピードや車線は制限されるのだろうが、そうした基本的な実施要綱さえ、この大会でのアナウンスは不充分で、詳細な案内が開示されていない。だからレースの実施内容は、まるで判らない状況なのだ。

榛名湖畔の様子

特徴ある山容の相馬山が見える。

2013.04.21撮影
榛名山 04.21 榛名山ヒルクライム(ハルヒル)コース
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 高崎での開催という部分は良しとして、スタート地点やコース選定にもう少し配慮が出来なかったのだろうか、と文句を並べてみたくなる。

 スタート場所の「榛名支所」は高崎というよりも、いわばもう「磯部(いそべ;雀のお宿で有名な温泉地)」や「安中(あんなか;碓氷峠への上り口)」といった感じだ。そこはもう北関東最大の梅で有名な「秋間梅林(あきまばいりん)」のすぐ手前の場所ではなかろうか。

 市街には高崎城址などのようにスタート待機できそうに思われる場所も数箇所あるが、公共施設を伴った場所が確保できなかったのだろうか。

 前橋と違って、市街地から始まる山岳レースを目論むにはコース自体が随分と長くなってしまう。それを思えば、結果として市街を外れた不便なその場所を拠所なく選んでしまったのだろう。

 ちなみに、赤城の大会の募集枠は2千数百名で、受付開始から2日で定員に達して、あっという間に締め切られてしまった。一方の榛名のレース、参加の受付開始は1月19日だが、3月に入った後も締め切りになっていないし、延長して募集を続けた4月でも定員を割っているという。要するに人気がない訳で、これは「レースの企画に喜んで同意して参加します」といった賛同の動きがひどく鈍いためだろう。

 まるで、「♪待ち惚け」の話のようだ。株にぶつかるウサギをあてにして労せずして収穫を手に入れようとしてもそうは行かない、という好例だろう。来年、もし継続して大会が開催されるとしたら、コース選定に関しては再考すべきだろう。応募に応じる人の極端に少ないこの状況などを見ると、切実にそう思う。

榛名山 04.21 榛名山ヒルクライム(ハルヒル)コース

湖畔の周遊道路より湖を望む

20、21日は県の北部地域及び山間部はご覧のように前日からの降雪になった。

それまで連日の晴天ですっかり気を許していたが、「ツール・ド・草津」の開催日を狙いすましての雪模様。この着雪によってレースは中止となってしまった。

温泉のバスターミナルからJR吾妻線の長野原駅へとバスで戻り、そこから電車に乗ってJR「前橋大島」駅へと戻ってきたが、そこで待っていたのは嘘の様に晴れ渡った青い空だった。

私は「ツール・ド・草津」のレース出場に備えて草津温泉の湯畑に近い宿に泊まっていたが、夕方から降り始めた雪は見る間に積もり、夜半には10cm程の積雪となった。

翌日も雪は振り続けて、草津は一面の雪景色。一気に冬へと後戻りしてしまった。

中止になったレースに未練を残しつつ、輪行で前橋へと戻ってきた。
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 1月19日に、ネット上でのエントリーが開始され、3月末日がその締め切り日なのだが募集は締められずに延長された。

 僅か2日で定員枠を満たした隣の市で入念に計画された某大会と比較しては真に申し訳ないが、それが自転車乗りの正直な選択の結果なのだ、と思う。どうも、大会を開催する会場の地元でさえも、実に低調な様子なのだから、どうにもならない。

 しかも、レース内容や参加要綱などの準備に必要不可欠な書類や参加案内の類が、ゴールデンウィークに入る今となっても、手元に送付されてこないのは、いったいどうした理由からだろう。レース開催までは、あと20日ほどではないか。スタート順や集合場所での待機態勢、下山時の荷物の預け入れの有無やその受付時間、レース後の下山方法、レース・リザルトの発表時間、完走票の取得方法や引渡し場所、などレースの要綱はいまだに不明のままだ。

 主催者は責任のある対応を放棄し、集客のみ、大会実施の名声のみを手中にすればよいというつもりなのだろうか。レースに参加する者をこれほどまでにないがしろにした大会は、他にはあるまい。安全措置に関しても、何も考えていないのではないだろうか、とつい疑い深くなり、現段階では企画運営の姿勢に対して低い評価をせざるを得ない。

 大会開催案内の目玉、特色として掲載された謳い文句として、「会場へのアクセスの容易さ」がWebの専用ページ上に公表されている。以下にそれを「特徴」の部分からその内容を抜粋してみよう。

 ・高崎ICより車で34分の至近距離からレースが始まるアクセスの良さが書かれている。
  ページ上では「高崎インターから会場まで車で34分」と書かれ、
  「上関越自動車道からのアクセス抜群。首都圏、関東、北陸からラクラク来場。」と掲載されている。
 ・高崎駅からの送迎バスが準備されるので、輪行での参加者も不安は不要と書かれている。
  ページ上では「輪行でも安心。高崎駅からシャトルバス運行。」と書かれ、
  「クルマを持ってなくてもラクラク会場入り。」と掲載されている。

 では一体、レース参加のマイカー来場者は、乗って来た車をどこに停めれば良いのか。
 集合場所の榛名体育館のグランド? 一体、どこへ行けば良いのだろうか、さっぱり判らない。

 また、高崎駅に参加者による輪行の自転車が殺到した場合、それを収容するだけのキャパシティのバス台数が確保されているのか、どうか。
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榛名山 04.21 榛名山ヒルクライム(ハルヒル)コース 榛名湖のビジターセンターを回りこんで、
西側から見た榛名富士の様子。

榛名富士の右に見えるのが、
説話に登場する「ひともっこ山」だ。

2013.04.21撮影

 根本の問題として、自転車自体をシャトルバス内に収容できるのか、という疑問がある。いまはバスライドなどの企画があって、乗車定員分のサイクルホルダーを下部に備えた車両で、目的地へ送迎されるサイクリング行も企画されているので、そうした積載に余裕のある車両が存在するが、高崎での輪行可能なシャトルバスとは一体どんな形式なのだろう。

 長距離運行の大型バスであれば客室下の荷室が使えるが、先日開催された「草津ヒルクライム」での事だ。JR「長野原口」駅と草津温泉バスターミナルの間で運行されるJR路線バス(山岳運行の大型バス)では4台積んで荷室のひとつが一杯になった。これ以上の積載希望者が乗る場合、横倒しにした自転車の輪行袋上に他者の自転車を重ねて積み上げる措置に対して、その是非の承諾を尋ねられた。勿論、袋での収納なので、箱を重ねるような訳には行かない。いったん積み上げてから、荷室の奥へと力で押し混む必要がある。だから突起物は引っかかり、金属部分はこすれる結果となる。袋に収納されているとはいえ、下も上もいずれの車両も傷が付く事は避けられないし、ディレイラーなどの損傷の可能性もある。草津温泉のバスターミナルからJR吾妻線の長野原口まではおよそ10kmで20分ほどの運行である。座席はゆったりとしたリクライニング装置付きのシートで高速道路で運行される大型観光バスであったが、そのバスでさえ荷室は2部屋であった。だから普通に積めば、8台の自転車で一杯になってしまうはずだ。

 いや、そもそもバスの乗車位置や会場からの帰路の便の有無が案内されていないので乗り込む準備ができないのだが、大会の公式Webページ上で掲載されたレース開催の「特徴」の美辞麗句を鵜呑みにして、輪行で高崎駅へ向かった場合、積載が不能、ましてや雨天などで会場への移動が不能となった場合、参加自体が主催者の不手際でできないことになる。その際には一体どう処置されるのかなどを明確にすべきではないだろうか。

 定員には満たなかったとはいえ、5000名もの募集枠で人間を集める企画を立てておいて、8台程度しか自転車が収容できないシャトルバスが数台しか用意していません、という事ではまるでお話しにならないではないか。主催者は一体何台の収容を想定(準備)して「用意があるから輪行でも大丈夫」と太鼓判を押して言い張っているのか、はっきりさせていただきたいものだ。
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榛名山 04.21 榛名山ヒルクライム(ハルヒル)コース  ; 登る榛名のロープウェイ」
(上毛カルタより)


榛名富士の斜面に
カルタに登場するロープウェイが見える。

2013.04.21撮影

 この大会「榛名山ヒルクライム In 高崎」は、謳い文句ばかりが立派に主張されて、大会の開催要項の一切が深い霧の彼方にある。

 輪行可能という事はWeb上に明記されていて、制限などの表記は一切ない。もし、それが先着順であるとか、バスの用意ができずに措置が中止ということであれば、最早、その掲載は悪意に満ちた誇大広告でありJAROに提訴したくなるような事柄だ。いや、それ以上に高崎市による詐欺行為となる可能性がある。

 ズブの素人と謗られても仕方か無いような主催者の開催姿勢には唖然とするばかりだが、そうした主催側を信じてしまった自分を、今では私はかなり恥じている。
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 こういって文句を並べている私自身には、実のところ深夜放送を聞き入っていた遠い昔に根付いてしまった「高崎への思い」が根底にあるからに違いなく、そうした意味では前橋贔屓の思いもある。だから高崎主催の大会に批判的なスタンスでいるのは、これは自分でもどうにも仕方がないことに思える。

 とはいえ、そうは言っても私は受付初日にエントリーを行い、その日の午後には大会参加料を払い込んでいる。大会開催に関しては物申したい部分が沢山あるが、それとは別に大会を応援したい切なる気持があるのも確かなのだ。

 なんといっても、榛名はやはり故郷の沢山の思い出を持った、私にとって大切な山だと思う。そして、その山を舞台に、始めての全国規模での大会が開かれる。 (のんびり行こうよ 2013.05.19 「榛名山ヒルクライムを終えて」にてレース参加の事を書いている。)


 実家の庭からは赤城の裾野を広げた雄大な姿も見えるが、その左側には、いくつかの頂きを鋭く重ねて聳えている、いつも青い色に染まった榛名の雄姿も望まれるのだった。

 赤城山と肩を並べて榛名山もまた、同じような確かな手応えを持って、いつでもそこに静かに立っているのだ。その山の頂きへは改めて一度、登っておかなければならないだろう。

榛名山 04.21 榛名山ヒルクライム(ハルヒル)コース 旧榛東村からみた榛名山

登りはヒルクライムのコース確認のために、高崎を過ぎて「里見(さとみ)」から登った。

けれど、帰路は一般的な水澤観音への参詣道を通って下った。

展望が開けているので、こちらの道のほうが気持が良いのはいうまでも無い。

2013.04.21撮影
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<2013.05.07 追記  案内書の在り様>

 ゴールデンウィークの後半、4日になって漸く公式の案内状が実行委員会から送付されて私の手元に届いた。

 定型封筒だけだったので、最初はあっけに取られたが、内容はA4の見開き両面の2枚(4ページという事)で記載された大会の案内が3つ折りされていて、別途A4両面のシャトルバスの運行表が入っていた。それに誓約書を兼ねたゼッケン・駐車券引き換え用紙。

 案内の資料は「厚ければ良い」という事ではないが、そのあまりのそっけない内容物に唖然としてしまった。

 例えば、「赤城ヒルクライム(前橋)」申し込みで、主催者から送付された内容は、参加案内のA4で12ページ、カラー刷りで判り安くガイドされたものが入っていて、アンケート用紙や整列場所案内やゼッケン引換券やチラシなどが同封されていた。

 前日車検の際だったように思うが、公式パンフレット(80ページの製本されたもの)が別途引き渡された。そのパンフレットは協賛各社のコマーシャルが多くのページで掲載されてはいるが、エントリーした選手全員のゼッケン番号と氏名と所属クラブ名、それに都道府県別の参加者比較や種目(エントリー内容や年齢別クラス)の申し込み数の一覧などの統計資料が掲載されているし、さらに、レーススケジュールのタイムテーブルや開催要項、正式な挨拶文なども始めに掲載されているものだった。

 先日の「ツール・ド・草津」はレース前日からの降雪によってレースは中止(10cmも積もってしまったため)になってしまったが、その送付された開催・参加案内でも赤城と同様にパンフレット状になっていた。

 榛名だけが、A4見開き両面の印刷。ようはA3の黒一色の両面プリント物を半分に折っただけという代物だった。

 公式パンフレットには大会開催の正式な挨拶やその趣旨や開催意義について触れられる事と思うが、レース参加者の状況などの資料なども是非掲載しておいて欲しいものだ。


 「榛名山ヒルクライムIn 高崎」の実行委員会から送付された参加案内は、開催者側からの告知内容に終始していた。

 そして長く待たされた期待(レース開催19日の2週間前になってから初めて案内された)は裏切られて、参加者にとって必要な情報がなにも記載されていないという困ったものだった。コースに関する地図や斜度、足きり関門のタイムテーブル表、前日や当日のイベント案内(前日の会場内容やスタート、ゴールエリアの案内図など)も無く、参加者の行動ガイド表(必要な行動の時間と場所がテーブル表記されているもの)も付いていない。

 開催者側からの通知(という親身なものではなく、単なる告知)一覧といった内容で、いたって不親切な内容なのだ。唯一、下山時の荷物ガイド表がB5一枚に印刷されて入っていたが、ヒルクライム参加者であれば当然の知識で準備しているものなので不要と行っても良い案内書だ。

 参加エントリーの締め切りはたしか3月末ではなかったか。参加者が少なく随分延長されて4月に入ったとはいえ、それでも締め切りからは一月近い時間が経過している。正式な通知としての案内送付までの期間がかくも長きに渡り、そして2週間前になってやっと届いた案内書が「間に合わせで印刷しておきました」といった雰囲気が溢れているのは、いったいどうした事だろう。

 ここまで官僚的というか、いわば事務的に処理されているとすると、レース当日のコース上の安全管理やレース運用の姿勢に関しても少し不安になってきてしまう。


 06.09 追記訂正、補足

 不安に思ったレースの安全管理や運用だが、これはボランティアの皆さんの並々ならぬ尽力によって見事に達成されていた。下山路の確保を含めてコース封鎖のあり方も工夫があった。

 レース詳細の告知・情報伝達で感じられた遅延や不足、あるいは不明瞭さと言った内容は、レース当日のスタート後の運営では一切感じられなかった。スタートを切ってからレース終了まで、下山を開始してから榛名体育館まで戻ってくるまで、いずれも行き届いた充分な配慮があって、安全面は徹底されていた。この部分については高く評価されよう。

 案内書の記載状態から不安に思った部分があったが、レース前日に配布された「公式パンフレット」も期待通りのものだった。ただし、レース参加者の一覧が県までの記載だったのは残念に思う。赤城では市町村まで記載されていたし、赤城や草津では所属クラブ名もあったからだ。
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<2013.05.08 追記 その1 情報発信のあり方>

 ところで、懸念していたレース当日の高崎駅からのシャトルバスの内容だが、届いた案内で少し判ったので書いておこう。

 シャトルバスは6台が高崎駅東口を4時に出発し、さらに6台が準備されていて4時30分に同じく高崎駅東口を出発する。つまり高崎駅に用意されたバスは12台。バスの乗車定員が40名とすると、500名程がそのシャトル便を利用できるという事だ。自動車での来場者は事前に委員会事務局に駐車場の利用を申請しているので、用意されたバスの収容力で自動車以外の参加者の移動は大丈夫という事のようだ。事務局では応援者の乗車分のマージンも、きっととった上で準備している事だろう。

 懸念の残りのもう一点である「輪行参加での自転車の輸送」についてだが、自転車を積むトラックを用意した、とA4二つ折りの両面案内書にざっくりと記載されていた。短いのでその内容を以下に抜粋してみよう。

 「輪行でお越しの方などは、トラックにて自転車を運搬します。(大会前日と当日)いずれも無料ですのでご利用ください。高崎駅東口出口に、案内所を開設しますので、乗車の際は係員にお申し出ください。」と書かれている。

 公式Webページでの「特徴 ここがすごいぞ!!ハルヒル」とされた部分ページに掲示された大会の目玉、8つの特徴の6番目「輪行でも安心。高崎駅からシャトルバス運行」に関しての案内が上記の内容だ。

 断っておくが、これですべてである。自転車積載上の注意点やオーナーに対する承諾事項、積み下ろしの場所や用意されたトラックの台数や収容できる想定数、引渡しや引き取りの時間などは一切書かれていない。


 06.09 追記訂正、補足

 案内書としては実に不充分な内容であり、どの処置に関しても明細・詳細が判らないものだった。

 しかしながら、Web上に開設された公式ページには、レース当日の4日前辺りから連日情報が公開された。少し遅すぎるタイミングではあったが、高崎へ移動する前日(レースの2日前)まではネットでの参照が出来たので、かろうじて情報は得られた結果であった。

 自動車での来場ではないのでパソコンを持っていくわけには行かない。ホテルのロビーにパソコンが無ければ、あとはiPhoneの小さな画面でアクセスする事になる。レース前日にも日程表などが掲載されたが、もう数日早いと助かった感が強い。
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<2013.05.08 追記 その2 輪行での参加について>

 こんな事もあろうかと考えて、私の実家は前橋南部の高崎インターからも程近い場所で会場への移動も可能なのだが、前日のホテルを高崎市内に確保しておいた。

 JR両毛線の「高崎問屋町」駅に近い、高崎環状道路にあるビジネスホテルを予約しているのだ。そこからなら、レース会場の集合場所までは約10キロ弱(だと思っている)のごく短い距離で済む。下山荷物の引渡しリミットが6時なので、5時にホテルを出ようと考えている。

 主催者側が用意してくれた高崎駅東口のシャトルバスの出発時間が4時と4時30分。自転車を積み込みのトラックへ渡すことも考えると、3時30分から4時までには高崎駅東口で積み込み態勢を整えて待機していなければならない。

 しかし、「JR両毛線」の高崎方面の始発は5時19分の桐生始発の列車であり、その列車だと伊勢崎発は5時34分で、前橋発は5時48分になる。前橋始発の快速を使えば少し早くて、5時44分発で高崎駅へ着くのは5時58分。つまり、たとえ前泊して準備していても、高崎駅へ自走できなければシャトルバスは利用できない。

 そもそも3時30分に自転車を預けられる様に駅東口に待機するためには、駅周辺の宿を用意していてさえ、何かと制約が高かろう。なにせ、3時には宿からチェックアウトしなければならないことになるからだ。

 残された手段としては、レース前日に何とかして受付会場の「榛名体育館」に自転車で漕ぎ着けてそこに自転車を預ける、という方法がある。

 レース前日(車検はなく受付のみ、ただしレース受付は前日のみで当日受付はなし)であるが、受付会場の榛名体育館と高崎駅東口間は30分に一本の発着タイミングでシャトルバスが用意されている。休日の山へ向かう駅始発の路線バスなどと違って、一回に一台のみで複数台は出発しないがないが、シャトル便が運行されると同封されていたA4両面刷りの「バス時刻表」に書かれている。

 なんとしてでも前日に自転車で受付会場に乗り付けて、その自転車を会場に預け、帰りをシャトル利用として高崎まで戻ってくれば、レース当日はわが身と装備品(下山用や保水・補給用などの品)のみを4時30分までに高崎駅東口へ運べばよい、という事になる。 預けた自転車の引き取りにどれだけの時間と労力を要するかは判らないが・・・。(なぜなら、レース整列集合場所は受付が行われシャトルが到着する榛名体育館ではない可能性が強いからだ。)


 いずれにしろ、事実上、公共交通機関を利用しての当日高崎駅着による輪行では、レースへの参加は不可能だ。

 また、先に書いたように自転車を旨く前日に預けられても、高崎駅から出るシャトルへ乗るために高崎以外の土地からアクセスしようとした場合も出発時間をクリアできないために、駄目である。

 高崎駅は大宮駅と同様にJR東日本路線の基幹駅のひとつだが、上越新幹線も長野新幹線も上下線とも高崎着が6時過ぎだし、両毛線や高崎線(高崎線や湘南新宿ライナー線)や八高線、吾妻線や上越線や信越本線などといった在来線も新幹線と同様だ。また高崎駅には公共交通機関として路線バスや高速バス路線も何社か乗り入れているが、何れも時間が合わない。


 つまりは、高崎駅からのシャトル便は用意されるが、駅への移動手段は各自が何とか工夫しなければならない。


 06.09 追記訂正、補足

 結局、様々を考えた末にシャトルバスを利用するのは諦めて、自転車で集合場所に指定される「榛名体育館」まで下山荷物を背負って自走する事にした。ホテルからの距離は12キロになる。

 しかし自走も結局はしない状態になった。ある出会いがあったのだ。そのことは>「榛名山ヒルクライムを終えて」で触れている。
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<2013.05.08 追記 その3  スタートまでの待機 (集合時刻と場所)>

 交通の便が悪い「ツール・ド・草津」のスタート時刻は開催者側の意図(山での集合に無理の無い時刻であり、また宿泊者が無理なく宿の朝食を採れる時間設定)があって10時とされているのだろう。

 また、「赤城ヒルクライム」のスタート会場は前橋駅から4キロ弱の市街地にあり、レースのスタート時刻は7時二設定されている。下山荷物を預けるリミットが6時10分までなので、最悪はスタート開始の1時間前の6時までに会場に着けばよい。

 一方、高崎の選手集合は5時30分で待機場所の榛名体育館となっている。榛名体育館(高崎駅からは直線距離で13キロほどだろうか)から大森神社まで移動して7時にスタートするのだという。スタート時刻は「赤城」と変わらないが、「榛名」の場合はスタート開始の1時間30分前に集合しなければならない。

 移動した後のスタート地点となっている大森神社周辺には、充分な待機場所があるのだろうか。

 例えば、高崎でのトイレの用意などはどうなっているのだろう。申告タイム別に分散指定されるという集合場所での事も心配だし、なによりスタート地点になっている移動先の「大森神社」というのが実に不安ではないか。

 集合からスタートまで1時間30分もの待機時間があって、その大部分を神社のあたりで過ごすのか、と思うと私などはぞっとしてしまってならない。山の登り口の街道沿いにある小さな神社に、充分な数の清潔なトイレ施設を期待する事などは、当然望むべくもないだろう。

 しかも正確に言うと「7時スタート」ではなく、申告タイム別にグループ化された選手達は7時から順次スタートするわけだから、私などは随分とスタート開始の7時から待つかたちになろう。

 走力を想定した申告タイム順のスタートという事は、エキスパートクラスのタイムならいざ知らず、通常レベルの想定完走タイムとすると多分に年齢層も近いのでは、と私は考えている。その待ち時間にトイレに行こうとする人は私のみであるはずが無く、もしご同輩の中年層がひと括りという話になるのなら、緊張して頻尿化することも充分にあり得よう。利用者及び利用回数の、延べ利用数はかなりの数に登るのではあるまいか。

 神社の施設はNGで、仮設トイレも不充分であったら、眼も当てられないではないか。


 例えば、赤城のスタートとなった前橋合同庁舎ビルはレース時に開放されていて6階建ての各フロアに広いトイレがあり利用できたし、スタート前の整列集合場所となったビル周囲の駐車場にも仮設トイレが充分な数で用意されていた。私は緊張してスタート前に何度もトイレに行ったのだが、この手当てのお陰で長蛇の列に並ぶイライラも味わう事なく、貧弱な仮設トイレでいやな気分を味合わう事も無く過ごせた。

 色刷りの10ページ越えの詳細資料(しかも、気配りの行き届いた判り易いもの)を送ってくれ、とは言うまい。しかし、A4黒一色の4ページのみの資料であり、しかもテーブル表現や図解やイラストや噴き出しなどの判り易い表現はされてはいなかった。

 工夫無く、項目別に箇条書きされた内容が送られてきた高崎の大会でも、せめて会場設営などのレース準備だけは周到に願いたいものだ、と私は切実に願ってやまない。


 06.09 追記訂正、補足

 スタート地点は「大森神社前」と記されていたので、てっきり神社の境内や駐車場をイメージしていたが、それは私の思い違いだった。なんの事はない、下室田の交差点の手前(榛名側ではなく高崎寄り)の橋上がそのポイントだった。国道406号線の車線封鎖を行っているが、その路上に整列してスタートという内容だった。

 そして、スタート地点周辺は商店街の街路でもあって多くの応援者が隙間無くいたのだが、その待機場所の更に手前の空き地に仮設のトイレが準備されていた。

 「大森神社」前は神社やその境内を示すのではなく、どうやら交差点の名称らしい。現地に一度しか視察に行っていないのでその事が判らなかった。案内書の記載には「交差点」や「xx橋の路上」などの字句が無く、そこからは読み取れなかったのだった。

 この集合場所に関する追記での不安材料、集合時間は兎も角、場所のキャパシティに関する内容は私の杞憂に過ぎないものだった。
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