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2012.09.16
メンテナンス・組み立て 赤城山ヒルクライム・レースへ向けて

カメラ;
 RICOH CAPLIO GX−100 24−72mm F2.5


 (画像添付時に約30%程度に圧縮)



 故郷、前橋を舞台にして去年から始まった大きなイベントがある。

 前橋は公営競輪の主催地で、修善寺や宇都宮には敵わないかも知れないが、自転車の聖地のひとつといえようか。昔から、市を揚げて競輪の運営に実に熱心で、利根川の河川敷に巨大な全天候型の競技トラックの「前橋グリーンドーム」を作ってしまった。その競輪場では選手権なども開催されて、多くのファンを集めているようだ。ギャンブルとはいえ、もともと自転車に対する人気は他の土地と比べて高いものと言えよう。

 そうした自転車を取り巻く独特の背景を持つ前橋市のお膝元、市の北方にそびえる赤城山(あかぎやま)をひたすら登るだけ、という自転車の競技会、「赤城山ヒルクライムレース」が昨年から開催された。

 その大会は選手権などの公認レースではなく、レースは純粋にアマチュアを対象にした競技会で、昨今のロード車人気の流れがこれを下支えたこともあって、そのヒルクライムレースは全国的な話題を呼んだのだった。

 山岳登攀という特殊なレースなのに、多くのヒルクライムレースと異なって市街地からスタートするという内容の物珍しさからか、開催わずか一年目にしてその知名度は全国規模で高まったのだった。


関連するページ;
のんびり行こうよ 2013.09.01 「2013 赤城山ヒルクライムに向けて」
のんびり行こうよ 2013.09.29 「2013 赤城山ヒルクライムを終えて」

のんびり行こうよ 2012.09.30 「2012 赤城山ヒルクライムを終えて」

のんびり行こうよ 2013.04.28 「2013 榛名山ヒルクライムに臨んで」
のんびり行こうよ 2013.05.19 「2013 榛名山ヒルクライムを終えて」

オリジナルのカーボンフレーム 山岳登攀に備えて、
組み上げてあった自転車に
さらに手を入れて
ブラッシュアップする。


目標とするのは、
何といっても、
「さらなる軽量化」だ。
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広大な裾野を引く赤城山 上武国道

二之宮周辺から見た
赤城山

 「赤城(あかぎ)山」 は、前橋の市街地を見下ろすようにその北方に連峰として聳えている。

 それは浅間山や筑波山のような独立峰ではなく、いくつかの山稜がより集まって成り立っている。そして、榛名山(はるな)や妙義山(みょうぎ)と並んで、上毛三山のひとつとして広く市民に親しまれた山稜である。

 巨大なカルデラ湖の「大沼(おおぬま)」を囲んで、黒檜山(くろび)、、地蔵岳、鈴が岳、荒山、鍋割山、そして長七郎岳、などが湖の周囲を取り囲んで並んでいる。特異な山容を持っている。カルデラ湖という意味では、隣に占める榛名山も同様で、そこにあふれる多彩な自然は、双璧をなすといえよう。

 その火口湖の脇には「覚満淵(かくまんぶち)(2009.05.03 「高層湿原と山麓の沢」)」と呼ばれる高層湿原も広がっていて、そこでは春先になると水芭蕉が美しく咲く。そして、山稜を満たして、自生したツツジが山を彩るのだった。

 さらに季節が進んで、紅葉の時期(2010.11.22 「嶺公園の紅葉」)になると山稜を赤く染める。それは市街地から見ても薄っすらと赤みを帯びた山並みとして現れる。改めて山に入らなくても、遠くからでもはっきりとその紅葉に染まった様子が手に取れるのだった。

姫百合駐車場の脇の沢にて 姫百合駐車場の脇の沢にて撮影した

自生するカタクリ。



早春に咲く可憐な山野草だが、
この時はもう四月の後半だったように思う。
(埼玉の小川町あたりは3月のはじめに咲く)
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練習する日々 練習に励む
(神流川CRでの一日)

 さて、大抵の前橋市民であれば、凍りつくような冬場に全面結氷した湖でのスケートや、穴を穿ってのワカサギ釣りに出かけた経験というものを持っているはずだ。

 そうでなくても、新緑のまぶしく輝く時期や、可憐なツツジが一面に鮮やかに咲く誇る時期、あるいは鮮やかな紅葉が山肌を染める時期などに、市内から手短な自然溢れるこの山へ、何度も行ったことがあるはずだ。

 自動車の保有率が高い市民にとって、前橋から山頂へのアプローチの多くはマイカーによるものだろう。公共の交通機関が未発達だったためが強いのだが、そうした状況にあっても、少し前までは前橋駅から山頂までのバスが定時に走っていた。

 中学生や高校生の頃には、その路線バスを何度も利用した記憶がある。だが、今はどうなのだろうか。前橋駅を中心点として市域を頻繁に走っていた路線バスの多くはしばらく前に廃止されてしまったように聞いた。

 ところが、練習での試走の際に、赤城山頂へと向かう県道沿いにいくつかのバスの停留所があった。改めて確認していないので定かではないが、今も赤城山へ向けての路線バスが、昔と変わらずに走っているのかもしれない。
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赤城を見れば、
これからの天気の予想が出来る。


その姿の見え具合や雲の様子で、
天候の変化を的確に読めるのだ。
雲をかぶる赤城山

 ところで、前橋で少年期を過ごした人であれば、いちどは赤城山を目指して、自転車で坂道を登った経験をもっているのではないだろうか?。

 実施のところ、かくいう私も、小学生の3年生位から、思い立ったように年に一度ほどは、この山を目指して友人を誘って登っていたように思う。山並みを日々見つめて過ごしているためか、いつしか登ってみたい気持が溢れてくるのだ。

 少年特有の好奇心でその心を一杯にして、何人かの友人らと語らって、山道に挑んだのだった。県道に沿って登るか、あるいは別のルートを選んで。しかもその山行はロードバイクなどでは勿論なく、当時の重い自転車で登ったもののだった。

 在りし少年の日には、ついに山頂まで行き着くことは出来ずじまいで、しかも大抵は県道上に聳え立つ一の鳥居をやっと潜り抜けて、そのすこし先の辺りが限界。結局、中途半端なその位置程度でいつも自転車を停めて、山頂への挑戦を断念したものだった。だけどそれは、少年の頃を彩る心ときめく大きな冒険だった。
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C−2900フレームで組む  レースへの出場を考えて、
 新たにフレームを購入して
 一から組み上げた車体だ。

 フォークとフレームの
 双方をあわせても
 僅かにその重量は
 1.3kgしかならない。

 フルカーボン製の
 扱い易く軽量な車体を
 持っている。

 あるいは自転車で坂を登るのではなく、(自前で多くの事柄を判断できるようになる中学生位になってからだろうが) 湖を見下ろすその山稜に取り付いて、気の合う仲間と登山した経験を持つ人も多かろうと思う。

 前橋市内の小学生であったならば、榛名山(榛名富士)へは必ず登ったことだろうし、また中学生になった際には、赤城山(地蔵岳)へも登ったことがあるはずだと思う。

 しかし、そうした学校行事とは別に、数人の友人と共に山を目指した記憶が皆さんにもあるのではなかろうか。

 背中におにぎりと水筒をいれた細い紐のついた薄いナイロン製の頼りないナップサックを背負って、まるで映画のひとコマのように、小さな体で山頂を目指しはしなかっただろうか。

HARPはタキザワのオリジナルブランド  前橋を代表する サイクルショップ TAKIZAWAのオリジナルフレームで
 自転車を組んだ。

 山登りスペシャル仕様!。別名、<峠の悪魔>。

 ツールなどで大活躍したマリオパンターニも青くなる という代物。

 と以前書いたのだが、残念なことにそうでは無かった。

 やっぱり・・・。
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 改めて語るまでもなく、そのように赤城山は私達にとっては深い親しみの深い山であるといえよう。前橋市民とは切っても切れない、いくつもの深い思い出を持った山、それが赤城山なのではなかろうか。

 たとえば、「からっ風(かかあ天下や雷と共に上州名物と謳われる)」と呼ばれる北西の季節風に吹きやられた冬の通学路。そうした朝のひと時、北方に裾野を広く引いた赤城の山容を見やった記憶は、今でも鮮明に思い起こされる。

 少年の頃、前日まではなんでもなかったのにある日忽然と雪をかぶった荒山や鍋割の頂を見て、その日から訪れる厳しい冬の天気を思いやった経験が、クリスマスに近い時期になると決まって思いだされるのだ。帽子や手袋はどうしたっけな、などどいった心配ごとと一緒に・・・。

 勿論、冬場の出来事だけでなく、春も夏も、そして秋も、いつでも私達の視野の北面には裾野を雄大に引いた赤城山の姿があった。

 前橋を離れて「さいたま」に暮らす今、この街で視界のなかに山並みを認めることは出来ないが、<山>といったものをイメージするときに、そこで思い出すのは前橋で接した冬の赤城山の凛とした佇まいだ。このように、私の中での<赤城山>は、ひときわ深い思い入れのある山、といえよう。


 だから、赤城山を舞台に大規模な自転車レースが開催されたと知ったとき、実に心引かれる思いがした。

 翌年の開催には是非とも自分もエントリーし、そしてあの赤城山を登ろうではないか、そう深く思ったのだった。
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車検証 前日の車検での検査合格証。

大会の公式HPのテーマイラストと同じものだ。



赤城山ヒルクライムレース  2012年9月30日 開催

公式ホームページはここから

 前橋の市街の中心地から程近い若宮町の交差点をスタートしてから赤城大沼の手前に設けられた山頂ゴール地点までの、その距離は僅かに20Kmにしか過ぎない。

 市民ロードレースとして考えれば、タイム・トライヤルで使われる程度の浅い距離だ。しかし、スタートしてから登りつめる、その高低差はおよそ1300mに及ぶという、手強いコース設定なのだ。参加するからには、この機会に今度こそこのコースを無事に走りきって、いまだ到達したことの無い赤城山頂へ是非にも行こうではないか、と思った。

 そうは望んだが、一方では深い懸念もあった。たとえば普段から自転車のレースに出ていれば、あるいはヒルクライムレースといったものに慣れていれば、何でもない無いことなのだろうが、レース自体が初参加となる私にとっては、そのコーススペックは眼のくらむような内容のものだったからだ。

 果たしてきちんと登ることはできるのか、また、無事に規定の時間内にゴールを切れるのか、と切なる不安を感じたのだった。
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レース対策として補水は重要 ジェット式の優れもの

通常のライディング時も勿論なのだが、
レース中には、さらに補水に気を使う。 

飲みやすい、ジェット式のノズルを持った、お勧めのボトル。

 まずは、何を置いても「坂道を登り続ける」という部分から、レースに向けたトレーニングを始めなければならない。

 そしてレースの開催日にあわせて、体のポテンシャルを上げていく必要があろう。

 なにせ基礎スキーに明け暮れた日々(30代前後のいち時期、私は年間25日以上もスキー場に籠っていた)から遠ざかってから久しく、その後に没頭したスイミング(マスターズ参加の一歩手前)も、とうにやめてしまった。競技参加を主体としたまっとうなスポーツの世界、そしてそのためのトレーニングの世界から、今の私はすっかり離れてしまっている。果たして今の状態から初めて、何とかなるのだろうかと不安が兆す。

 無事に山頂まで走りきるための練習を、一心に積まなければとてもその坂道を克服して、しかも規定時間でゴールすることは出来なかろう、と思うのだった。
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レース対策;心拍計
ポラール社のハートレート・モニター
乗車中のパフォーマンスを知るには、
その時点のスピードやペダル回転数は勿論、
さらに出来れば心拍数をモニターして、
自分がどのような状態にあるかを正確に知る必要がある。

コースの状態(状況変化)を知っていて、
さらに自分がどういった状態かを知れば、
多くの困難は克服できる。


孫子の兵法に曰く、
「敵を知り、己を知れば、百戦して、また危うからず」と。


距離、速度、時間は勿論だが、ペダル回転と心拍数が表示される。しかも現在値だけでなく、最大値と平均値までも。

 ヒルクライム・レースというそこにあるすべてが、私にとっては未知数であった。

 まず、「ヒルクライム・レース」を乗り切るにはどの程度の身体ポテンシャルを要求するものなのか、それを獲得するためのアプローチとはどんな内容を持っているのか。また、レースに参加するには何をしておかなければならないのか。そうしたすべての事柄がみな、手探りの状態なのだった。

 だから、その時の私はズブの素人であり、そうして湧いてきた様々な疑問符の付いた事を一つ一つ丹念に調べ始めなければならない状況に置かれていた。

 装備は? 服装は? 補給は? そうした一切を一体どうすれば良いのか。 さらには、体力は? 練習方法は?。

 一体どのように高めていって、積み上げていけばよいのだろうか。そうした体調管理や体質育成といった基礎部分からの知識の習得が、まずは課題となった。何を置いても必要となる<基礎スキルの習得>をしなければならない。そう「坂道を登り続けるための練習」を始めようではないか。
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レース対策;心拍計 ポラール社の
ハートレート・モニター

こちらは先のモデルの下位品
ファイリング(複数記録)が
取れない。

2台の車体に設置したので、
片方は低価格のものにした。


 さて、自転車用の計測器、いわゆるサイクルメータやさらにサイクルコンピュータはいくつかのメーカから様々なものが用意されている。

 一番簡単なものは、スピードメータだ。速度、距離、時間が計測できる。しかし、これだと平均値や最大値は計測・記録できても負荷度合いは判らない。

 そこで、一歩進めてペダル回転数を計れるようにした物がある。ケイデンス計、というものだ。現在値と平均及び最大のペダルの回転数を計測し、それで運動強度などを判断する訳だ。平地の走行の場合、80回転から90回転を目標にペダルを漕ぐのである。
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レース対策;心拍計

ハートレート・モニター用のケイデンス・センサー
(右の写真はスピードセンサー)
レース対策;心拍計

 坂道を登る場合には、70回転の前後を目標に設定するべし!と言うのだが、やってみるとこの状態、坂で保って走るのは実に苦しいのだった。

 平地での高回転化はすぐに習得できたが、坂に関してその70回転をキープし続けるのは難しく、レース間際の時期までの練習でようやく65回転から70回転の手前あたりを保てるようになった。

 そして、計測器にはさらに心拍計が付いたものがある。「ワイヤレス式の心拍センサー」を胸につけて、運動中に変化し続ける心拍を常時拾って計測器(表示器)へと信号を飛ばすものだ。

 「ハートレートモニター」と呼ばれる機種だ。最大心拍数を年齢から求めて、それを基準として適正な心拍数での負荷を管理する、という手法で利用する。負荷度合いは心拍の増大となって現れるので、その数値を常時計測することで漠然とした感覚だけでの認識ではなく運動中の状態判断が科学的にできることになる。最大心拍の75%程度から次第に積み上げていく。
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レース対策;タイヤ 自転車は、このレースへの参加も視野に入れて
先に購入していたHARPのフルカーボン車を
さらに手当てすることにした。

HARPは、前橋にあるスポーツ自転車の老舗、
TAKIZAWAのオリジナル・ブランドだ。
(どのパーツもこなれた価格で大助かり。)

まずは回転系から見直す戦略。


回転部分を軽量化すると、その効果が絶大という。

漫然とパーツを軽量化しても、仕方が無いではないか。

 もともと、100km程度の長距離走行や3・4時間長時間の乗車では、なんら問題が無くこなせるので、自転車に対する基礎的な体力としては不安はない。そうした面ではほぼ大丈夫なのだろうが、しかし坂道を長い時間を掛けて登り続けるという経験は、最近の私には無かった。

 <山坂を走る>といったら、中学生の頃に自転車で登った高崎の観音山と榛名山麓の温泉地の伊香保まで程度の経験だったし、30代の頃に基礎スキーのトレーニングで始めたマウンテンバイクでも、日光の霧降高原の往復や鬼怒川温泉の周回、あるいは観光の一環で諏訪湖を回る程度だった。

レース対策;タイヤ周りの軽量化


まずは、ホイールを変更する。
これはSHIMANOのアルテグラホイール。

軽量で、2WAYに対応する。
(チューブを用いたクリンチャータイヤと
チューブレスの双方のタイヤに適合する。)


扁平スポークを使った、ラージハブの軽量モデル。

思ったとおり、転がりの感覚が実に軽やかなもの。
2WAYフィットのアルテグラホイール
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 また、ハードな山坂の経験知といえば、せいぜいが八ヶ岳周辺の別荘地を中止として小海リエックや横岳へのアプローチまでを登った程度だった。そんな日々の中で、山坂に挑んで無事に山頂まで行き着いたのは、別荘地から上り始めて那須高原の頂部にある「沼っ原湿原」へいった経験だけなのだ。

 思えば私は、ここ十数年、長い坂道を走ってはいないのだった。だから当然の事ながら、この状態でのヒルクライム・レースへの参加は「実に無謀な企てである」といえるものだった。

2WAYフィットのアルテグラホイール 2WAYフィットのアルテグラホイール

リアホイールのリム形状はフロントと異なって独自のもの。
だからこのホイールのリム、ラジアル組かタンジェント組かのスポーク数の違いだけでなく、リムを構成するウォール形状自体が前後でそれぞれ異なっている。

リアはスプロケットが付く分、リムは完全な台形状ではなく、片側にオフセットされている。
さらに、ハブの左右も上の前ハブの均等な径の状態ではない。後輪は車軸に対してカセットスプロケットの厚み分を考えたハブとなっている。だからスポークの位置が左右均等ではなくなり、ハブからリムへのスポークの傾斜角度も左右で異なってくる。このほいーるでは工夫があって、その角度差を補うためにスプロケット側のほうが反対側よりも大きな径となっている。
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レース対策;タイヤ周りの軽量化 レース専用タイヤ(コンチネンタル社 アタック&フォース)

ホイール交換と共に、タイヤもいっその事、取替えてしまおう。


ドイツ、コンチネンタル社のレース専用タイヤ。

グランプリ アタックとフォースのペアセット。

前輪と後輪、それぞれに最適化された専用タイヤである。
特性は勿論、パターンも違うし、幅もそれぞれで異なっている。

ちなみに幅について触れておくと、前は22C,後ろは24Cに設定されている。

 50歳の節目を過ぎて、漠然と「この先いつまで走れるのか」などと思うのだが、そうした思いもあって、今年の目標として<赤城山ヒルクライム・レース>を選んでエントリーしたのだった。

 受付開始からわずか2日目で、もう2000人の公開枠(ネット先着順)は一杯になってしまったという。素晴しい人気が出ている。私の場合は、土曜日の受付初日にネットを通じて無事にエントリー出来て、幸運にも出場が決定したのだった。

 このレースのコースには幾つかの関門がある。私などは練習が足りずに、それを通過する制限時間枠に間に合わずあえなく失格となる公算大なのだが、せめてエントリーフィーの6000円分の走りは楽しみたい。(いや、世知辛い話で、恐縮の極み・・・。)

 そして出走するからには、「旧料金所」辺りまでは制限枠の1時間以内で登りたい、と思った。

 そのためには、良かれと考えたことは何でもやってみようと思った。ハートレート・トレーニングなどもその一環だし、ローラー台を購入してインターバルを行ったのもそうした取り組みのひとつだ。だから、パーツに関しても積極的に見直して、回転系を中心に手当てを行ったのだった。
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レース専用タイヤ(アタック;前輪用) アタックのタイヤパターン

前輪用と後輪用で、それぞれ別のパターンと特性を持っている。

前輪は食いつきが良く軽量化されていて 幅は22C
後輪は安定したトラクションのもので、その幅は24C

レース専用タイヤでハンドメイドの製品だ。

 フレームを購入した自転車屋さんのタキザワ(前橋にある全国的にも有名な自転車屋さん)だが、そこの若女将は昨年の女子50代のレコードを持っている。1時間32分が去年の記録で、50代女子の一位に入賞している素敵な人だ。


 トップクラスはそうした時間で駆け上るのだが、しかし悲しいかな、素人はそういう訳には行かない。

 だからレースに申し込んで以来、練習として毎週続けていることがある。週に最低40kmは乗っていて、その中でなるべく山坂を登る様にし始めたのだ。

 赤城中腹の大胡(おおご)や嶺(みね)や畜産試験所までの往復を、何度も繰り返して坂道への経験を積み、ペダルの回転数やサドルへのポジションの調整などを特訓した。(2012.04.22 「大胡、滝窪から嶺公園」) その集大成として5月中旬に友人T、Hの3人で赤城山麓にある聖地、赤城神社までの往復52km。

 6月には友人S、Hとの3人で榛名の中腹の箕輪城跡(2012.05.27 「箕郷(みさと)、箕輪城址へ」)まで登って50km少し。このコースは赤城ではなく榛名(はるな)山の中腹だった。さらにその翌週は「前橋・今井線」を中心に赤堀(あかぼり)を周回して、その距離43km。

という具合で、毎週コンスタントに走ったのだった。

 9月30日のイベントに向けて<精進>を始めていたのだが、しかしながらその時まで登りのきつい赤城県道の直登は畜産試験所までで、その先は未経験。さらに医者である友人Hの語るところでは、50代は医学的には初老に分類される、とのことだし・・・。

 湧き起こる不安は、私の中で強まるばかりであった。

レース専用タイヤ(フォース;後輪用)

後輪用としてデザインされたタイヤ <FORCE>
フォースのタイヤ・パターン
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TAKIZAWAオリジナルのチューブ サイクルショップのオリジナルチューブ

途轍もない軽量モデル。

通常は100gをすこし切る程度。
一般の軽量モデルで80gくらい。


でも、この製品なら、なんと47g!

 赤城を登れれば何かを変えられるような気がして勢い込んで申し込んでしまったが、「完走すること」それ自体が実に怪しい状態なのだ。

 そうした訳で、暫くは頻繁に帰省して、休日のほとんどは赤城周辺を積極的に走る事で費やした。畜産試験所から上、旧料金所跡までは何度も走ってみたし、その先の姫百合駐車場までも行ってみた。そうやって坂道の訓練に明け暮れたのだった。

 練習にあわせて、パーツの見直しも着々と進めた。まずは回転系のパーツから。

 ホイールを交換したが、どうせならと、そこからタイヤとチューブも交換したのだった。チューブは、本当に軽量なものだし、タイヤも実に軽量だし、路面への食いつきが実に良い感じだ。
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既存のプーリー 既存のプーリー


SHIMANOの105のリアディレイラーについてるもの。

これをセラミックベアリングのものに交換する。


回転部での抵抗の軽減は、やはり効果が大きいはずだ。

 そして、リアディレイラーのプーリー。

 ジャッキーホイールと呼ばれるものだが、これも回転系のパーツなので、ちょっと研究した。どうやら、セラミックベアリングのものがすこぶるイイらしい。

 「BBB」はオランダのパーツメーカだが、そこでSHIMANO10速用のセラミックベアリングが用意されている。他社製品と比べるて低価格で、検討の余地が大きい。結局、これもやがて交換となった。

BBBのセラミックベアリング製品 既存を分解してみると・・
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BBB製はどうか 交換しましょ♪

 そして先日、赤城山ヒルクライムが無事に終了した。

 若宮4丁目交差点から「赤城県道」を直登し、山頂へ向かう。 その距離は20.8キロ、高低差は1383m。ただしゴール後におまけの登り4kmあり。(湖畔まで一旦降りて、そこから下山用の待機所へ向かう道)

 なお、当日の参加人数2930名で、完走率は99.3%という凄まじいものだった。
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最初のペダル ペダルはレーシング用のSPD−SLクリート仕様のもの。
これだと踏み込みだけでなく、「引き足」が使える。

回すペダリングを意識する場合に、実に有利になる。

SDPペダルと比べると、クリートの密着度合いが大きい。

 パーツを変え、練習に励むうちにタイムは順調に縮んでいった。

 当初の目標の「完走」、二次目標の「3時間キリ」、は練習を重ねていく事で目処が立った。だから当初は無理と思われた完走が出来るだろうと想定できたし、さらに山頂までは登っていなかったが、練習での斜度をベースに考えると時間の想定も出来るようになった。そうして順次、目標とするところを更新することが出来たのだった。

 そして、そこから目標が変わり、最終目標は「2時間10分台でゴールする事」となった。

 一応はそうして立てた目標は本番でかろうじて上回れた訳が、その戦績から比べるとまだまだ練習の積み上げ不足ではあった。そうはいっても、終盤の練習や追い込みは実に凄まじい状態の日々だった。

交換後のペダル

交換後のペダル(PD-5700 軽量 ”105ペダル”)
交換後のペダル
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レース出場用の軽量レーシングシューズ レーシングシューズはSPD−SLペダル用の
ビンディングシューズ。

出場用に軽量シューズへ変更。
(普段はdhbのものを利用)

せっかくだから、足元も固めよう、と考えたのだった。

 レースに合わせて赤城山麓を激走してトレーニングし、9月は前橋・さいたま間の89Kmを4往復して長距離走を行って、筋肉の持久力を高め、心拍の嵩上げをした。赤城で想定されるレース走行時間に備えて鍛え上げたのだった。

 その行動中では一部、雷を避けて迂回して100Kmを越えて走ったこともあったが、平均すれば5時間30分程の連続走行を繰り返したのだった。

レース出場用の軽量レーシングシューズ レース出場用の軽量レーシングシューズ
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レース出場用の軽量レーシングシューズ レース出場用の軽量レーシングシューズ

 トレーニングを重ねて、体重を練習開始時の64.7Kg(7月の時点)から60.2Kgまでしっかり絞った。

 しかし、もうそこが限界だったらしく、頑張ってみてもそれ以上には軽く出来ない。


 そこで、兼ねてより小まめに進めていたパーツ交換をさらに加速させて、更なるパフォーマンスアップを図ることにした。もう残されたのは、その禁断の領域だけなのだ。そして、見事にパーツ交換が功を奏して、約600g以上の軽量化ができた。

 そうやって初老と呼ばれ始めたオヤジとしては、いっぱいいっぱいの状態で必死となって、レースに臨んだのだった。

トレーニング;赤城南麓(畜産試験所横) 畜産試験所の横手

奥に見えるのは、
鍋割(なべわり)
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>利根川CR 妻沼のグライダー場(熊谷市)

利根川CRのコース図

前橋の南部大橋や福島橋からコースに、
または本庄の利根大橋からも幾度か、入った。

そして、行田やその先の羽生まで、快適に走れる。
利根川CR

 軽量化を目指して、新たにレース参戦に備えて調達したパーツ類を、ここで改めて一覧にしてみよう。

パーツ種類 メーカー 型番 重量 (g)
ホイール SHIMANO WS-6700 1651(セット)
クリンチャータイヤ CONTINANTAL ATTACK and FORECE  380 (セット)
チューブ TAKIZAWA Ultra Light   57
ハンドル DEDA RHM-02 6061アルミショートリーチ  295
ステム TAKIZAWA BIKE GEAR 7050アルミ 90mm   98
スプロケット SIHMANO Tiagra CS-4800 10S 12-30T  − (NA)
ジャッキーホイール BBB セラミックベアリング  − (NA)
シート SELLA ITALLIA SL Team  160
ペダル SHIMANO PD-5700  322
シューズ SHIMANO カーボンソール SH-R190  −


という内容だ。
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利根川CR

眺望の開けた利根川CRを走っていて雷雨になると、
もうどこにも逃げる場所が無い。

何度か怖い思いをした。
利根川CR 利根大堰

 交換したパーツの類について、ここで改めて紹介してみよう。

 ホイールをSHIMANOのWS−20からアルテグラ(6700)のグレードへ。

 新規に購入しそれに変更して、1650g(通常のホイールは2kgをほんのすこし切る程度でさらにリムテープの重さが加わる)へと持っていった。なんといっても、回転系の軽量化は、その効果も絶大であり、コスト投入のメリットがすこぶる高いからだ。

 そしてホイール付属のクイックリリースを軽量なスキュワーへと交換し、さらにタイヤをコンチネンタルのグランプリ4000Sからアタック・フォース380g (前後の合計重量で通常は420gを越えるだろうか)へ交換した。

 それだけでは足りないな、と考えてもうひとつ踏み込んでみた。中に入ったチューブも手当てしたのだ。チューブを改めて超軽量46g(1本当り。通常は100g程)のものに入れ替えたのだ。
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SELLA ITALLIA の SL Teamへ サドルは回転部品ではないが、
案外に重いものだ。

そこで、軽量シートを物色してみると、
なんと、半分以上も軽く出来る。


これはポイントが高い。
なんとしても、抑えておかないと・・。

 また、サドルはセライタリアのSL(軽量モデル)に交換し、山坂に備えて体重移動が楽なデザインのものにした。

 登攀中のカーブでは斜度が微妙に変わってくるので、ポジションを前後に移動させるためだ。さらにレースの前半や後半では太ももの筋肉の使用部位を積極的に変えるためもあった。

 たとえば、レースのコースはずっと斜度があるので、通常の位置に腰をつければ太ももの「後ろ側」の筋肉を主に使うことになる。これで、レース後半の高い負荷が始まるまで、筋力を温存できる。
コース後半部分で始まるきつい斜度のつづれ折りの斜面では、前側にポジションを取る。そうすれば太ももの「前側の筋肉」を主に使うことになる。

 コーナーを通り抜ける際の微妙な位置調整もあるが、座面への定位置を変えて、効率よく筋力を分散させるという戦略だ。だから、積極的な体重移動を助けるようなデザインのサドルが良い。それに、ペダルの回しやすさも考慮の大きなポイントだ。

 そうした理由で選択したのがこのモデル。

 しかもその重量は僅かに160gというもの。ちなみに通常のサドルは300g程の重さになる。だからこの交換によって、この部分に関しては従来の状態から約半分への軽量化を達成したのだった。

SELLA ITALLIA の SL Teamへ 太もも(足の付け根)に干渉し辛い形状に仕上がっている。

完全に座り込む状態ではなく、レース中は爪先立ちのような状態なのだが、座面の当りが気に入った状態のほうがい。

このサドルは、長距離を乗っても、オシリへのあたりの感触が変わらなかった。

シートの弾性が柔らかすぎず、またしなり過ぎない。
私にとっては、ちょうど良い硬さを持っているもの。
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ポラールハートレートモニター
軽量化ではないが、実に有効だったパーツ。

ポラールのハートレートモニター。
計測データの記録も保存できる優れもの。


今回、一番のヒットパーツ。
大収穫だったように思う。

なにせ、これで練習すれば、その走りが変わる、という逸品。

 ぺダル はSHIMANOの105(SPD−SLペダル)へ付け替えて、325g(左右セット)。これも、パーツとして通常品は重いものだ。

 といったような内容で、検討を重ねてパーツを交換し、投資できるものには持てる資力を惜しみつつ(本当は惜しみなく、と行きたかったのだが・・)全て注ぎ込んだ訳だ。


 しかし、残念ながら結果はパッとせず、先に書いたような成績を挙げるのが、せいぜいのところとなったのだった。けれど、もし、パーツへの投資を惜しんだら、一体どんなにひどい状況になっていたろうか、と思うと正直ぞっとする。

ポラールハートレートモニター モニターの様子
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CO2ボンベ

ポンプをCO2ボンベへ まあ、パンクはしないだろうが・・
チェーンキャッチャー

チェーンキャッチャー設置。まあ、脱輪はしないだろうが・・

 細かい部分で言うと、インフレータを即時性の期待できるCO2ボンベへ変えた。手押しのポンプよりも軽いし、もしも利用するといった際の時間的なロスが省けるからだ。それに下山時の路面ショックでのアクシデントを考えて、チェーン・キャッチャーも取り付けた。

 チェーン・キャッチャーの設置などは軽量化の路線とはちょっと違うのだが、レース初参加の私にとっての保険。いわばリスクへの対応措置という事だ。
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< レースに向けての取り組み >

 スタート地点である上細井交差点から「一の鳥居」までの区間、最初の練習では25分も掛かり、しかもぎりぎりの状態で息苦しさは凄まじく、あわや吐きそうになってそこで断念した。堪らずに鳥居の近所にある友人宅へ避難。

 その後1ヶ月間の練習で、その区間の走行タイムを18分台へ短縮した。

 何度か挑んだのだが、それ以上、区間タイムを縮めるのは困難なようので、パーツ交換へ踏み切った。ホイールを変える事で、さらに16分への短縮に成功した。

 そこから、成果を確実なものにして、科学的な練習とするために新たな機材を購入した。昨今、有効な手段といわれる「心拍数トレーニング」を取り入れたのだ。

 走る際には「心拍モニター計」を着けて、それで心拍数の変化を管理する。大きくは最大心拍数の70%程度の負荷で、一定時間を費やして負荷対応能力を上げるという内容だ。そしてインターバルとして、そうした中程度の低負荷率を保った中で、80%を越える程度の高負荷を掛けて、さらに練習する。

軽量ステム

超軽量、ロード専用ステム
ストップランプ

重くはなるが、下りが怖い私にとっての必需品。ブレーキに連動してランプが付いて、後続に注意を促す。
加速していく恐怖で頻繁にブレーキをにぎってしまうのだ・・。
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 インターバル・トレーニングという手法は、たとえば10分おきに2分の高回転のペダリングを行う、などといった内容で行うが、坂道の走行で、負荷を掛けていくことも有効だ。坂を走る際に示される最大心拍数の変化を見つめながら、まずはデータを集める。どの程度の苦しさ(ペダルの回転数や速度)で、心拍がどう変化するのか。その変化が、平地と山坂ではどうなるのか、などを研究したのだった。どうやら、私の心拍数は高く、通常よりも高負荷で良い様だ、という事も飲み込めてきたし、どの程度の負荷率で登ると力を維持できるのか、また、どの程度の負荷になるとアウトなのか、が徐々に判ってきた。ようするに、心拍計によって適切な負荷率を保って走るすべを身につけることが出来たのだ。

 そのようにしてデータを集めつつ「嶺(みね)」や「大胡(おおご)」といった赤城の中腹部の坂で特訓を重ねた。そしてレースの直前では、上細井・鳥居間を14分で問題なく走るまでに到達したのだった。

 最初の試走で記録をとった際の25分から、11分もの区間タイム短縮に漕ぎ着けた訳だ。やはり練習を積めばその努力は裏切られず、見事な結果が付いてくるという事を確信したのだった。

 コース上、旧料金所からの登りがきついので、対処としてさらに後ろのギヤを変更した。ローを25Tから27Tのものへ変更したのだ。そして最後はパーツとしてはダウン・グレードになるが、さらにスプロケットをティアグラのものへ変えて30Tへ。(Tはギヤ歯の数)フロントはコンパクト・クランクなのでそのインナーは34T。こうなると、インナー・ローの状態でほぼ1・1のギヤ比をとれる。


 こうして考えうる多くの手段を尽くして機械的な手当てをし、筋力や心肺などの肉体的な機能はひととおりの研鑽を積んで赤城山でのレースに臨んだのだった。
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