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2013.09.29
 「まえばし赤城山ヒルクライム大会」を終えて

カメラ;
 RICOH CAPLIO GX−100 24−72mm F2.5
 iPhone 4S

 (画像添付時に約30%程度に圧縮)



 故郷、前橋を舞台にした自転車イベント、「まえばし赤城山(あかぎやま)ヒルクライム・レース大会」は今年で3回目の開催となる。

 季節は巡り、厳しい夏の暑さをとおり抜けて、過ごしやすい初秋になった。いよいよ心待ちにした、あの赤城山でのレースがまたやってきたわけだ。


 ところで「榛名山ヒルクライム大会」が切っ掛けで知り合う事になった年若き友人がいる。何時ものようにここでは仮に彼の名前を「Aさん」としておこう。

 レースでの体験や感動を共有した私達は、その後も交わりを深めていって、赤城山への試走(のんびり 行こうよ 2013.09.01 「赤城山ヒルクライム大会に向けて」)にも2回ほどの行動を共にしていた。そしてレース本番においても、私達は前日から相談して前橋へやって来た。

 前日の申請やら準備やらを会場の前橋市立高校脇の会場(練習時に開放されていた「市民プール」の駐車場がイベント会場になっている)で行い、絹代さんと狩野選手とのトーク・ショーや、来場者もれなく参加となった抽選会など、様々なイベントへも参加して楽しんだ。勿論、地元のブランド肉である「麦豚(むぎぶた)」を利用した盛り沢山の食材も用意されていたので、会場のテントを巡って地元の旨い物もGETし、楽しい前日のイベントを満喫したのだった。

関連するページ;
のんびり行こうよ 2013.09.01 「2013 赤城山ヒルクライムに向けて」


のんびり行こうよ 2012.09.16 「2012 赤城山ヒルクライムに向けて」
のんびり行こうよ 2012.09.30 「2012 赤城山ヒルクライムを終えて」

のんびり行こうよ 2013.04.28 「2013 第一回、榛名山ヒルクライムに臨んで」
のんびり行こうよ 2013.05.19 「2013 榛名山ヒルクライムを終えて」
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前橋市街を抜けて若宮町方面へ向かう(ベイシアホール手前) 黎明の中をレース会場へ向かう。


前橋市街を抜けて若宮町方面へ向かう途上。

(ベイシアホール手前あたり)

< レースについて  「決戦の夜明け」 >

 レースの当日は、Aさんの車で集合場所からも程近い「群馬大学教育学部付属中学校(以下、地元の呼称「群大付属中」とする)」の駐車場に乗り付けて、そこから合同庁舎へ向かった。

 5時少し過ぎに泊まっていた市街中心のホテルから出発したので、駐車場に着いたのは5時15分。そして5時30分前にはその駐車場を出て、35分には会場入りが出来た。今回はだから、6時10分で締め切られる下山時の手荷物を預ける時間的な余裕も充分にあった。

 駅前通りから始まる道が国道「50号線」と交差する五叉路、今もそう呼ばれているのか知らないのだが、私が住んでいたころは「商工会議所」前の交差点と呼ばれていた場所だ。その交差点の脇に私が泊まった「さくらホテル」がある。県庁裏にあるAさんが泊まった「ホテル平安」から迎えに来てくれて私をピックアップしてくれた時は、まだ夜明け前だった。

 市街地をまるでパレードのようにして繋がって、綺麗に縦一列になって整然と走りながら会場へと向かう沢山の参加者の自転車の列と並走して、私達の乗った車は走る事になった。

 そうやって市街地内を順調に走り、市街外縁を取り巻く東部バイパスに出た。バイパス沿いにある市営テニス・コートの横の道を抜けて「桃の木川」に懸けられた小さな橋を渡った時点で夜が明けた。
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群馬大学教育学部付属中学校のグランド 薄明の
「群大付属中」のグランド。


レース当日の駐車場の様子。

時刻はレース当日の29日午前5時20分。


夜明け直後の薄明のなか、アップに余念のない人達。

多くの出走者がおのおの持参したローラーを余念なく踏んでいた。

< レースについて  「出走前の高揚」 >

 その橋の上からは夜明けを迎える赤城山の姿がシルエットで浮かび、正面に鍋割山の雄姿が見えたのだが、「これからあの山の頂上を目指して走るのだ」と思うと目にした夜明けぎわの山容が染み入ってきた。鍋割の静かな様子は、これからレースが始まるのだという感慨をひときわ深めて来る、印象深い景色だった。

 「群大付属中」のグランドがAさんに割り当てられた参加者用の臨時駐車場だった訳だが、前日の場所確認時のガランとした状態とはその雰囲気が一変していた。密度の高い緊張感が辺りを強く満たしていたからだ。入ってみると広い校庭はすでに車列で一杯に近い状態になっていて、静かだけれども篤い闘志を秘めたような確かな熱気が、私達にも充分に伝わって来た。

 夜明け際の薄明の中で、多くの人が持参してきたローラー台に乗ってアップをしている光景が眼に入って来たのだった。

 そうした圧巻ともいえる様子を眼にした私達は、「とうとう待ち望んだレースに来たのだ」という実感を改めて深くし、前日から荷室に積載しておいたそれぞれの決戦自転車を降ろし、緊張感を高めつつ出発の準備を始めたのだった。
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レース当日朝の待機

出場待機中のカーボン・フレーム、決戦車両が2台。

今回のふたりの出走車両。
黒い方がAさんのCARERAのニトロのカスタム車。


私のはリドレーのもので、白い女性用フレーム、「アステリア」を使って手組みしたもの。

「女性用フレーム」とは、ジオメトリーがベルギーの女性向けに工夫されているものだ。

そもそもベルギーの人達は対角に優れて、大柄な方が多い。
だからリドレー社が用意する男性用フレームだとXSサイズでも随分と余裕がでる。身長172cm、体重61キロの私は同年輩の人からすれば手足が長い方に入るのだが、レース用のモデルであればXXSサイズやXSサイズのフレームを選択して丁度良い。

このフレームはXXSサイズが限定で200台ほど、日本国内にも輸入されたもの。かの地の女性アスリート(レース出場者であるトップ選手達)から比べれば、数段落ちる私の体格からすれば、まさにうってつけの仕様と言えよう。

私のフレームは「Mサイズ」で、シート・チューブはCCで440mm、CTでは490mm、そしてトップ・チューブが525mm、ホリゾンタル換算で530mmとなるものである。

アステリアは最高カテゴリーの「ダモクレス」と同じコンセプト・デザインのエッジ型のチュービングと各部仕様の共通化が為されている。
30Tだけでなく構造的に24Tクラスのカーボン素材に一部のチューブ材質を落としているが、両者のフレームが持つ性質は同じ方向でピュア・レーシング向けのものになっている。
赤城山ヒルクライムレース
      2013年9月29日 開催


公式ホームページはここから



若宮4丁目交差点から「赤城県道」を直登し、山頂へ向かう。

その距離は20.8キロ、
ゴールまでに一度も降り道は出現せずに登り詰め、その高低差は1313mに及ぶ。

ただしゴール後におまけの登り4km近くが漏れなく付いてくる。

参加者は全員、湖畔まで一旦降りてそこから下山用の待機所へ向かう。
しかも、通り過ぎたゴール地点までは結構な登りになる。

そうやってゴール後も、さらに坂道を一生懸命に走らなければならなかったのだ。


なお、2012年の参加人数2930名で、完走率は99.3%という凄まじいもの。

今年、2013年の参加人数は2811名、
2793名が完走して、完走率は99.4%。

やはりこの数字は只事ではない凄い事だと思う。
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< レースの状況 ― 序盤戦 その1  「一の鳥居へ向かう」 >

 さて、それでは以下にレース出走からの細かい状況を書いておこう。


 前回同様に、スタートは皆、凄いダッシュで走り始めた。周囲の自転車の時速は25キロを越えるほどだろうか。皆が平地を走るような勢いで過ぎていく。どのライダーも信じられないようなハイ・ペースで序盤を飛ばしていく。

 私は少し落し気味で走っていたので、最初のゲートがある「一の鳥居」までの間でどんどんと後続車に追い抜かれていく。

 気持ちが逸って「皆の速いペースに追いついて行きたい」という気分が高まるが、前回のレース時で味わった、後半でバテてスタミナが枯渇して失速したという苦い経験もあって、私はペースを充分に押さえて走る事にした。

 ・・・何のことは無い。持ち前の「老人力」を発揮して「こもりがちなチカラを適度に抜けばよい」のだ、緩く走るのはさほど難しい問題ではなかった。

レース当日の待機

29日、レース当日。 午前6時30分辺りのスタート・エリアの様子。
レース当日の待機
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レース当日の待機

レースを前に幾分か、テンションが高まっている・・・。
スタート前の整列待機(エキスパート・クラス)

スタート前の待機(エキスパート・クラス)。

< レースの状況 ― 序盤戦 その2  「力を抜いて走るという事」 >

 「一の鳥居」の手間の時沢小学校前は、若宮地区から続いてきて手前まで伸びてきた細い道路と違って、区画整理が行われて車線数も増やされていて、山裾に展開するこの辺りの道路としてはかなり広くなっている。

 去年も凄い熱気で驚いてしまったのだが、ここは周辺住民の皆さんが総出して応援の列に並び、横断幕なども掲げられる非常に熱心な声援を送ってくれる地域だった。

 だから、第一関門を目前にして若干斜度が高まって苦しくなる場所なのだが、周りから集まる「温かい声援」に背中を押されて、大きな力を貰えるので有難い。ペダルのひと踏みに力が戻ってくる、ご機嫌な場所なのだった。

 レースは始まったばかりで、まだ最初の関門さえ越えていない。序盤戦なのにすでに回りの雰囲気に呑まれだしたのか、次第にペースが上がっていたようだ。Aさんと共に、参加前に2回行った赤城山での試走時のペースよりも今のペースは早めになっている。

 だから私はこの区間で、浅めにしていた呼吸をやめ、一度落ち着くために改めて深呼吸を数度してみた。そしてケイデンスの最大値を80回転までを目安にして、回してもせいぜい85回転までに調整して、全体としてピッチを少し押さえて走る事にしたのだった。

スタート前の整列待機(エキスパート・クラス) レース当日の待機;レース前の喝を入れる

全員一斉に、レース前の喝(かつ)を入れる様子。
(写っているのは男子エキスパート・クラスの皆さんの一部)
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Ridley ASTERIA(リドレー社 アステリア)

「Ridley ASTERIA」<

リドレー社のアステリア フレームで手組して作り上げた自転車を試走した際に撮影したもの。

踏み出しやバランスなどがしっくり来て、私自身も随分と調子が良かったので、レースはこの車体で出場する事に決めたのだった。
登頂練習にて (ソロ)

前橋赤城山の登り口にある「畜産試験場」前の十字路から横に入ったことろ。


ここは第2関門が設けられるポイントで、スタートからは5.6キロの地点、標高差は約241m。その海抜は361m。


右前方に鍋割山を望む。

ハンドルの先に霧に霞む鍋割が見える。


(2013.07.20 撮影)

< レースの状況 ― 前半戦  「旧料金所までの走りかた」 >

 序盤の第一関門を快調に過ぎて、心拍数も前半部分の「畜産試験場」までの区間では最大心拍数170拍/分の90%以上に上がらないように注意して整えて、「旧料金所跡(赤城山観光案内所跡)」までの区間でも95%までに押さえて走った。

 そこまでセーブして走る理由は、中盤に待ち構える「姫百合駐車場」までは出来るだけ体力を温存してペースを保ち、その先の「一杯清水のバス停」へ向かう後半のコースで前足を残すために、充分な余力を温存しなければいけないと考えたからだ。

 そうした戦略上のセーブにはさらに経験上の「理由」があって、雰囲気に完全に呑まれたままで3番ゲートの「旧料金所跡」までを走ってしまい、後半に完全にバテてしまった2012年の反省をしたためだった。その経験と試走時の状況から私は今回、「前半は抑え気味に走るべし」という戦略を立てたのだった。

 今回のレースでの区間タイムであるが、スタートから「一の鳥居(赤城大鳥居 第一関門;距離3.3Km 海抜244m)」までの区間タイムが12分、そこから「畜産試験場(第二関門;距離5.6Km 海抜361m)」までの区間が10分、そしてそこから「旧料金所(赤城山観光案内所跡 第三関門 距離8.9Km 海抜545m)」までが14分だった。


 料金所跡はスタートから約9kmの距離にあって、そこから本格的な山頂への長い登り坂が始まるという、山稜境界の場所だ。

 観光道路だった赤城山有料道路の起点跡で、そこにレースの区間ゲートが設けられる。

 先にも書いたが、序盤から続くそこまでの前半戦で充分に足を残しておいて、続く中盤戦の「姫百合駐車場」までの、果てしなく長く続くと思われてくるあの直線の坂道と、さらにその後の急坂に備える必要がある。しかし余りペースを落としていると、全体のタイムに影響してしまうだろう。そのあたりの加減が、全体を見ての調整を要するので、実に難しいところだ。

 だから、前半部分のケイデンスは平均で80回転、心拍数は87%から95%に保って走った訳だ。補水もしつつ一定のペースを作っていくが、スタートから36分で旧料金所跡に設けられた第3ゲートを後ろ髪を引かれながら通り過ぎて、左に曲がって橋を渡り、さらに右に大きく曲がって進む。

 いよいよ一番苦手な「小野里工業」所有の黒松林の横の長く続く坂道へやって来て、コースはレースの中盤戦へと入っていくのだった。
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車検証ステッカー 去年の車検証はレース後に、前橋周辺のサイクリング・ロードでそれを貼ったフレームを良く見かけた。

車検自体は行われなかったが、今年のものも同様に、多くの自転車に貼られて目にすることだろう。


去年の総合順位は1906番。
2時間0分46秒でゴールを切った。


今年のタイムは1時間57分29秒。

姫百合での5分を越える休憩時間をそこから抜けば、
まずまずの進歩が現れたタイムと言えよう。

< コースのライン取り ― 通行の状態 >

 エキスパート・クラスがスタートを切って走行を開始する7時少し前から、スタートからゴールまでのレース・コースとなる道路の通行は完全に封鎖されている。だからそのお陰で、私達出場者は普段出来ないコース取りが出来る。旧料金所までの区間は交互通行の上下線の両車線を存分に使う事が出来るのであった。

 ご存知のようにスタート地点の市街地から「畜産試験場」までの間は多くの民家が建ち並んでいる。その辺りは前橋市街にとっては直近の郊外となる区域。だから手近な住宅地として人気が高く、多くの分譲地が造成されて発展しつつある地域である。その中央を貫けて前橋市街へ直結する通路が、レースが行われている「赤城県道」なのだった。

 そうした周辺市民の主要な生活道路を塞ぎ、道の通行だけでなく、あらゆる交差点のそれぞれに係員が立って道路の横断までを含めたすべての通行を遮断しているのだった。

 その規制と住民理解による協力の上に乗って私達はレースを楽しんでいるのだが、そんな迷惑にも関わらず、沿道の住民の方々は総出に近い状態でコース脇の沿道を埋めて盛んな声援を送ってくれる。

 年に一度の日曜日、朝の6時半から11時半までの間だけの事とはいえ、主催者側の配慮と周辺住民の皆さんの深い協力によって、レースが安全に運営されているのは本当に有難い事といえるだろう。

 私達はその恩恵によって、コース取りを考えながら普段はそうはできない相互通行の上下2車線を存分に使ってレースを走る事が出来るのだった。
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参加賞

今回のレース参加賞は、チューブが提供された。


TAKIZAWAオリジナル製。低価格・高品質で本当に助かるPB製品の「BIKE GEAR」のロード用スタンダード・チューブだった。
ちなみに製品シリーズは3つのカテゴリーで展開されている。

これは練習用のものでゴム厚があって耐パンク性能は高いが、いかんせん重量が嵩んで105gもある。

私が使っているのは、残りの2種類。
練習・普段用のMICHELINのPRO3タイヤでは「ウルトラライト」、これだと僅かに67gになる。さらに、この日の決戦用PRO4や榛名決戦でのCONTINENTALアタック・フォースでは「フライライト」の52gのものにした。


重さも特筆できるのだが、驚きなのはやはりその価格ではなかろうか。

一番軽いフライライトでも、ミシュランのブチル並みの価格で手に入る。嬉しい限りのものだ。

< レースでの制限規定に関して ― 足きり >

 この赤城山ヒルクライム・レース大会ではゲート通過に関する「足きり」がある。

 それは各ゲートに対して設定された通過制限時間によって行われるものだ。一見すると参加する側には酷な制限の様に映るが、市街地をも舞台にしての、限られた制約のなかでレースを運営するための有効な規制措置であろう。

 設定された関門通過の制限時間を越えた場合は、その地点でレース終了となって運び上げの大型バスと自転車を運ぶためのトラックが来るのを待つことになる。最終終了時刻も間近くなってからやって来る、それらにピックアップされてゴール地点の先にある山頂の下山点(集合場所)へ向かうことになる。

 そうした「足切り」だけでなく、参加者の意思による不慮の棄権も含めて、このレースでは終了までの自由下山もまた禁止(制限)されているのだった。

 そうした足きり規制が行われるゴールまでのゲート(区間関門)は全部で5箇所ある。しかしそれは関門であると共に出走者のための救護所でもある。補水点だけでなく、修理道具も用意される。

 こうした規制があるために、参加者は不意のアクシデント発生として想定される「パンク」や「足攣り」などへの対応を含めて、それら全ての関門での通過時間を考えた上で、戦略を立てて走らないとないといけない。

 各ゲートにはテントが張られていて、マラソン競技同様の給水所+救護所になっている訳だが、今回は去年と違って「旧料金所跡」から先のそれぞれの関門が給水ポイント(手前2ヶ所は救護所のみの設定)になっている。

 去年立てた作戦は、鳥居前のゲートと畜産試験場のゲートのふたつはそのまま素通りして3番目の旧料金所跡のゲートに寄って一息入れる、というものだったが、変更された今年は、最初の給水ポイントを「姫百合駐車場」に置いて臨んだ。
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小野里工業の黒松林 小野里工業の社有林のポイント。

旧料金所跡と姫百合駐車場との中間あたり。

「旧料金所跡(赤城山観光案内所跡)」は、
レースの第三関門。

スタート地点からの距離8.9Km、
そして海抜(標高)は545m。


(2013.07.20 撮影)

< レースの状況 ― 中盤戦  「旧料金所跡あたりでの走り」 >

 「旧料金所跡(赤城山観光案内所跡)」は海抜545mで、そこから「姫百合駐車場」までの区間はコース上では最大長となる区間であり、その区間距離は6.2キロに及ぶ。そしてその間の標高差は470m程もあって、登りとしては緩やかな前半部分とは異なって、いよいよ少し厳しい登攀状態が出てくる。

 料金所跡の先にある橋の脇に記された表示板のポイントがレース開始から10キロの地点。コースの半分を過ぎて疲れも出始めて来る場所であり、しかも視界の先には真っ直ぐに伸びた坂道がずっと続いているので、テンションを維持するのが難しい区間となる。

 だから、この区間をいかに効率よく走るかが勝負を決定する事になろう。

 夏場の試走の際にはバテてしまってこの区間(旧料金所跡から姫百合駐車場までの6キロ強の500m近い登り坂)だけで50分近い時間が掛かった。しかも先に連なる九十九折の坂道へとそのまま休む事無く、継続して登り続けるという気力がすっかり萎えてしまった。やっとの思いで辿り付いた「姫百合駐車場」で一旦休憩を入れる必要が出てしまったのだった。

 さらに思い出てみれば2012年のレースではこの区間を35分で走ったのだが、その先の展開ではひどい影響が出たのだった。要するに、私はこの区間が酷く苦手なのだった。

 だから今回はある作戦を立ててみた。そうした経験を貴重な教訓として「今回は区間の走行時間を45分間をリミットとし、無難な線と思われる<40分切り>を目安とし、それを目標に設定して走る」ことにしたのだった。
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姫百合駐車場

気温が高かったので、この日の練習走行はここまでで終わりにした。
登頂練習にて (ソロ)

赤城外輪山である「鍋割山(なべわりやま)」とその横に並ぶ「荒山(ああらやま)」」の登山口にある「姫百合駐車場」。


ここは第4関門が設けられるポイント。

スタートからは距離15.1km、
標高は1017mとなる地点。

旧料金所跡との標高差は約472mに及ぶ。


(2013.07.20 撮影)

< 中盤戦での重要な「橋頭堡」 >

 ところで、「旧料金所跡」からさらに標高で200m程を登った12km過ぎの地点、「小野里工業」の社有林の看板のあるあたり、のことだ。

 ここは2012年の際、参加前の練習時にどうにもキツクて登るのを断念したポイントだった。

 その後、今年の練習でも足が攣り、しかも心拍数が上がったためか吐き気までしてきて、実際に嘔吐してしまったのでそこで走行を止めたという因縁の深い場所。私としては、コース中に現れる「魔の領域」といえた。

 その後の、Aさんと共に行った今年の試走(「それぞれのペースで走りましょう」という事前合意で走ったもの)では、その拠点を過ぎて先の「姫百合駐車場」まで無事に行き着けはしたのだが、やはり疲れてしまってそこで10分以上も休憩せざるを得なかった。

 だから本番のレースにおいては、「旧料金所跡で休まずに、さらに登り続けて姫百合まで、体力を温存しつつもペースを保つ」という作戦が必要になった。


 駐車場までの区間では途中に3ヶ所ほどのキツイ登りが現れる。「第1番カーブ」に採番された旧料金所跡を過ぎた先の区域で始めて現れる9%越えの左カーブを伴った坂、姫百合手前にある蕎麦屋さん「箕嶺(みりょう)」前のチェーン脱着場手前の坂、そしてその後に現れる左カーブでの坂、がそれだ。

 こういうイヤな場所でバテる事無く足を温存しつつ、厳しい坂を登るための方策を私は立ててみた。


< 中盤戦での戦略 >

 苦手な「立ち漕ぎ」をマスターするために、今年はペダリング・スキルの強化に取り組んだのだった。私は車の走ることの少ない「嶺(みね)公園」内の坂道を利用して立ち漕ぎの練習を何度か繰り返して、どうにか疲れずに低速で立ち漕ぎをするコツを身に着けたのだった。

 「嶺公園」は丁度、畜産試験場と同じ位の海抜にあって、鍋割山からの峰筋に展開する大きな公園だ。畜産試験場側の峰筋は真っ直ぐに広がって若宮町まで緩やかに続いているが、公園のある場所は谷をひとつ隔てた別の峰筋(尾根)の側面に当るため、広い裾野とは違う複雑な傾斜の様子を持っている。

 公園までの坂道である片貝から芳賀団地へいたる道筋はなだらかに展開しているし、そこから小坂子(こざかし)へ抜ける道筋も、レース・コースの畜産試験場までのアプローチに近い斜度感覚である。しかし、そこから上部になると様子が少し変わって、鍋割山からの大きな尾根の東側に展開するのは、小さな谷や峰を伴った、起伏に富んだ複雑な地形であった。そうした幾つかの峰と谷に跨る広大な土地に、「嶺公園」が設けられていた。

 公園は広い領域を持っていて幾つかのゾーンに分けられているが、それぞれの箇所に駐車場が用意されている。都市公園と違って山稜にある自然公園なので、園内の移動は車によることが多いのだ。だから公園内の舗装路は広く、しかも通行量が少ないから安全で、自転車でも安心して走る事が出来るのだった。しかもその道は幾つかの峰筋を結んでいので、谷側から尾根へ向かって豊富な斜度の坂道が展開していて、まさに最適な環境を提供してくれているのだった。


 毎号購読している月刊雑誌の「ファンライド」誌の特集記事や、ツール・ド・フランスの解説者でお馴染みの「エキップ浅田」代表の浅田監督のノウハウ・ビデオがお手本だった。浅田監督は自身のチームを持っていて盛んに活動している方だが、ツールをはじめ各地のレースで連戦している数名の選手を育成している事で勇名だ。わけても、(日本)ナショナル・チャンピオンでもある「新城幸也(あらしろ ゆきや)」選手などの育ての親なのだった。つまり、並ぶ者なき名監督、と言えようか。ご自身も若い頃はフランスを中心にヨーロッパ各地をプロ・ライダーとして転戦していた実績を誇っている人だった。

 結局のところ、本やビデオが手本であって、だから直接マン・ツー・マンで先達から指導を受けたわけではなかった。つまり私の「立ち漕ぎ」の技術は、まるで我流のものであった。
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姫百合駐車場の手前のオアシス

姫百合駐車場の手前のオアシス 「高原やきとうもろこし」屋さん

本来ここは観光スポットで、「焼きとうもろこし」屋さんであり、農産物の直売所なのだが、自転車乗りが盛んに立ち寄るスポット。

有難い事に、渓流から清水を汲み上げてくれている。衛生上その水は呑めないものだが、それを利用して火照った体をクール・ダウンできる。

冷えた麦茶が美味しくて、無料のサービスに何回かお代わりしつつ、利用させて頂いている。

まさに、長い区間距離を登る自転車乗りの取って、得難いオアシスなのであった。


(2013.07.20 撮影)

< レースの状況 ― 中盤の戦略ポイント その1  「姫百合駐車場へ向かう」 >

 浅田監督の説明するノウハウを飲み込んで、嶺公園での練習で身につけた「疲れない立ち漕ぎ」法によって、先にキツいと書いた3箇所の急登でも足を貯めて通過することが出来た。その結果、区間タイムも40分を僅かに回るという好結果になった。

 今年の練習時の散々な状況や身体状態からすればまずは上出来の部類といえる結果であろう。だから次に控えるレース後半部(九十九折に重なる坂道)に備えて、思い切って稼いだ5分を費やすことにした。

 「姫百合駐車場(第四関門;距離15.1km 標高1017m)」から先のコースについて言えば、ゴールまでの標高差は400mほどで距離は6km弱を残すのみとなる。数字だけを見れば残りは僅かなものだ。しかし、その残った区間は、今までにも増してさらにキツい行程として残っている。

 この地点からゴールまでの間では50個ほどのカーブを順次通過して行って、赤城外輪山の南側(前橋側)にある鍋割山の斜面を巻いて進み、今度は北西側の斜面(カルデラの中央部にある大沼方向へ向かって)を登り詰める。そうやって高度を増していきながら、重なる坂道を一心不乱に登らなければならないのだ。

 坂の状態はさらにキツさを増してきたが、私は予めの作戦を守ってペースを調整した。胸を大きく拡げて深呼吸をして息を整えたり、ギヤを一段重くして疲れない(休む)立ち漕ぎを適度に入れるなどして、籠りがちな力をうまく抜いてなんとか心拍数を下げ、心拍の最大率が95%を越えないようにそれ以下に留めて走ったのだった。

 去年はこの区間で大分頑張って多くのライダーを抜いたものが、そのがむしゃらなペダリングのせいか、最後のスパートで思う力が出せなくなって失速してしまった。

 だからその反省点に立って、今年はそうはしなかった。「一杯清水のバス停(第五関門;距離18.7km 標高1308m)」の最終ゲートから先のコースに残る、ラスト(ゴール前)2キロの区間を思い、そのスパートに備えて余力を確保するために、今年はセーブをして走ったのだった。

 そういう訳でこの区間での踏ん張りはさほどの者ではなかった。今年は僅かに20名ほどを抜いたに過ぎなかった。
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姫百合駐車場の手前のオアシス
姫百合駐車場手前のオアシス(勝手に命名)にて。

「高原やきとうもろこし」屋さんの駐車場に設けられた、休息のためのテント下で撮影。

用意されているサービスも嬉しいが、こうした日陰の確保も有難い心遣いだ。

(2013.07.20 撮影)

< レースの状況 ― 中盤の戦略ポイント その2  「姫百合駐車場にて」 >

 最終関門である「一杯清水のバス停」へ向けて重なる坂をこなしてペースを上げつつ進み、さらに「ゴール(距離20.8km 標高1433m)」前の2キロ地点からラスト・スパートを始める余力までをも回復するために、心拍を一旦は80%以下に下げて息を入れる必要があった。

 それに今回のレースでは、旧料金所跡を過ぎて1キロほど進んだ地点あたりから右足のふくらはぎが細かい痙攣を始めていて、このまま走ると足が完全に攣ってしまう心配がでてきた。

 そこで目標として設定した区間走行時間から稼いだ分の5分間を、自分の踏ん張りへの報酬として払い出し、思い切ってここで充分な休憩を採って、心拍の回復を図る事にしたのだった。

 コースを外れて「姫百合駐車場」に入って自転車から降り、左右の足や上体のストレッチを行なった。救護テントに豊富に用意された給水を受け、さらにトイレにも行って休憩をとったのだった。ベンチに腰を下ろしてジャージのバック・ポケットに入れておいた頼みの綱のエナジー・ジェルを吸い、一緒に入れて準備しておいたパワー・バーを頬張って、この後のスパートに必要な糖分をチャージしたのだった。

 感覚的には随分とゆっくりしていたような気がしたが、駐車場にいたのは5分を越えるに過ぎない僅かな時間と思われた。結局、改めて自転車を漕ぎ出したのは、休み始めてから7分ほども経った後だったようだ。
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練習のご褒美、ブルーベリー 練習のご褒美は、
赤城産ブルーベリー


旧料金所の下手に建つ
直売所のもの。


おばちゃんが凄い量で
オマケをしてくれた。


大好物なので嬉しい限り。

< レースの状況 ― 「終盤戦に向けて」 >

 さて、「姫百合駐車場」はスタートから15kmほど、山稜を登った地点。

 赤城外輪山として特徴のある山容を持った「鍋割(なべわり)山; 標高1332m」や、その東横に円錐形に広がる「荒山(あらやま); 標高1571m」への登山口の拠点でもあるこの駐車場は、春先から初夏にかけては随分と混雑する。鍋割山名物のツツジが斜面を彩る頃には、早い時刻から駐車場は満車になってしまうのだった。

 そういったハイ・シーズンの入り口より、さらに一足早い5月のはじめ頃には、趣味の山野草撮影でよくこの場所へ来たものだ。駐車場の手前には渓流(砂防ダムが造られている)があって、その土手にスミレやカタクリの山野草が美しく咲くからだった。

 勿論、新緑に萌える鍋割の斜面も鮮やかに輝いていて、その風光は実に素晴らしい様を見せてくれる。私のような山野草愛好者にとっては、ひときわ大切な場所だといえようか。趣味の世界での素晴らしい撮影場所を提供してくれるのが、自然に間近に設けられたこの駐車場なのだった。


 しかし、そうした穏やかな環境であったはずの場所が、レースにおいては一転して過酷なフィールドとなってくる。21キロの長い道のりを持つレース展開上の<戦略的な中間点>であって、遂にこの地点から本格的な登攀が始まるスタート・ポイントとなる場所だった。実際の距離上の中間地点はもっと手前、「旧料金所跡」のすこし先の直登箇所(小野里工業社有林の看板あたり)になるのだろうが。

 ここは九十九折れの厳しい坂道が始まる起点であり、その標高は丁度1000m程度となる重要拠点なのだった。

 気温はスタート地点の地上温度よりも標高分の気温差を引いた状態で、およそ6度程は低い環境になってくる。無風状態だし私の走行自体が低速なので、実際のところは「風の心配」はまるで無くて、寒いという事はない。けれども、ジャージは汗で完全に濡れているため、停車しているとその汗が起す「気化作用」によって体感温度は思いのほか低くなってくるようだ。

 手前の長く続く直線の坂で萎えてしまった気力も、充分に採った休憩によってリフレッシュ出来て、すっかり元の充実した状態を取り戻せたようだ。

 それに文字通りのクーリング・ダウン効果によって心拍も落ち着いて来て、最大心拍数の80%程の数値にまで落とすことができたのだった。
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2013年版のLEDライト;公式グッズ 大会前日の車検はなく、
前日はレース出場受付とレース前の各種のイベントが行われた。


食べ物関連だけでなく、即売のテントもかなりの数で会場に出ていた。

去年、同じようにグリーン・ドームの前日イベント会場で買ったオフィシャル・グッズのLEDライトだったが、今年も同じく記念グッズを扱う店が会場に出店されていた。

キー・ホルダーになっていて、意外に明るくて便利なもの。


今年は去年のものとは少し気分を変えて、外装色を青にしてみた。

< レースの状況 ― 終盤戦 その1  「九十九折れの厳しい坂道から一杯清水のバス停へ」 >

 いよいよ、ゴールまでは残り6キロ弱で、その間の高低差は420mほどを残すだけとなった。その間にあるのが、あとひとつ残ったゲートである。ゴール2キロ手前にある「一杯清水のバス停」がそれだ。

 当然の事だが私達レースの出場者達には為さねばならない課題があった。すっかり疲れてしまった体に尚も鞭打って進んで行かなければならないのだ。

 そして最終ゲートに向かう前に現れる手強い幾つもの坂道を乗り越えて、念願のゴール地点に向かって力強く進まなければならない。

 次のゲートは最終関門であり、「姫百合駐車場」からは3.6キロほど先の地点にある。その「一杯清水のバス停」の標高はさらに300m程登った場所になる。2012年のレースでは「姫百合駐車場」を過ぎたあたりからバテ始めてしまい、そこから「一杯清水のバス停」に設けられた最終ゲートまで登るのに、区間距離は僅か3キロ程にも拘らず40分近く掛かってしまったのだった。


 そして今年も姫百合駐車場の先の坂で、私のグループ(成年男子Dクラス)より35分前にスタートした男子エキスパート・クラスの人達が颯爽と対向車線を下山して来た。

 2012年のレース時を振り返れば、このあたりで私は力が尽きていて、もう完全にオール・アウトに近い状況だった。しかし今回は去年の様相とは違っていて、まだ余裕があった。休憩とエネルギー補給という先の自分への嬉しいご褒美を反映していたからだろう。

 げんきんなもので、自分の頑張りへの「ご褒美効果」は大きなものだったようだ。この区間でも珍しく、ペダルが凄く軽く回るのだった。心拍数も直ぐに90%に戻って一旦は上がりはしたもの、それでも幸いにも何とか様々に手を施して95%を越える事が無い状態でキープする事ができた。

2013年版の下山バック 去年より一回り大きくなった下山用手荷物バック


前日の受付時に貰えるもの。

去年よりも一回り大きく、ちょっと大き過ぎないか、と思えるもの。
ここまで大きいと扱いに困ってしまう。

これに荷物を詰めたら、もう担いで自転車に乗るのはちょっと無理。


「祝 赤城山登頂成功」と踊っていた去年の文字に変わって、
「流した汗が 今日の歓喜に!」
のエール・メッセージに変更されていた。


ガッツ・ポーズを決めた大会公式イラストが力強くゴールにいて、疲れた私達を迎えてくれる。
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大盛況の前日イベント:麦豚なので、ちょっと高め

大盛況の前日イベントにて

上州名物で売り出し中の「麦豚(むぎぶた)」はブランド肉で、お値段が高めになるのは致し方ない。
大盛況の前日イベント:麦豚を使った焼きトン

原価が高いので、ブース内の単価もどうしてもご覧の価格設定になってくる。さいたま新都心での催し物で出店される商品の値段よりも、少し高い価格になってしまっている。

味はもう折り紙つきで、どれも大変美味しかった。

< レースの状況 ― 終盤戦 その2  「一杯清水のバス停」 >

 現れる坂道の通し番号に目を遣りながら、次々にそれをクリアして行く。そして「一杯清水のバス停」に設けられた給水場を通り過ごして、そこでようやく新たな息を入れてラスト・スパートを掛けたのだった。

 ラスト2キロのポイントを過ぎた先の左カーブを回ると、いままでの九十九折りのコースで途切れていた声援が頭上から伝わって来た。

 ゴール前のギャラリーは今回も大勢いて、去年同様その人達が盛んに声援を送ってくれたのだが、その手前で大きく勇気付けられる大声での声援を幾組かの応援者から送ってもらえた。

 1番目は残り2キロのポイントに陣取った数名のグループで、「ラスト2キロ!」と、あたりに響く大声での力強い声援をくれた。そして2番目はソロの応援者で残り800mあたりのカーブに陣取っていた人。榛名山ヒルクライムのときと同じようなゴール直前の絶妙なスパートのタイミングとなる場所であり、その際と同じような体形をした赤いジャージの男性からのものだった。

 去年は46秒オーバーで2時間の大台を切ることが出来なかったが、このペースで増速を続けられれば、2時間以内の目標が叶えられそうだった。私は彼らからの大きな声援を受けて力を取り戻せて、ケイデンスを上げてスパートしながらそう思っていた。

大盛況の前日イベント

大盛況の前日イベントにて

かねてから気になっていた「T−1グランプリ」の覇者がブースとして出店していた。

各店舗自慢の一品を押し出した色々の出店ブースがあって、どこもみな一様に美味しそうだったが、やはりここを試してみることにした。
T−1のガイドブック

T−1グランプリ(今年は4回目)の覇者。

T−1のガイドブック 「Gurumet map」 4Pより。
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T−1グランプリの覇者:「山海酒屋」の豚カリー < 本日の旨い物  レース前日編 >

前橋を舞台に行われる人気イベント、T−1グランプリ」の今年の勝者。

「山海酒屋」の豚カリー(600円)をゲット。

まるで、ビーフシチューのように肉が柔らかかったので、驚いてしまった。


美味しかった豚肉は、もちろん前橋名物のブランド肉である「麦豚(むぎぶた)」を使ったもの。

これは私の中では久々のクリーン・ヒットだった。実に美味しく頂きました。

< レースの状況 ― 終盤戦 その3  「ゴールに向けて」 >

 それにしても、最後の姫百合駐車場の先から始まる約5キロの登りに関してだが、夏場の2回に渡った試走では「姫百合駐車場」から山頂ゴールまでの区間は「姫百合駐車場」での10分以上の休憩の後を受けて登ったためもあってか、「一杯清水のバス停」で休むこと無くそのまま継続して走れたのだが、その区間タイムはトータルで45分程になった。

 当初考えたような懸命になっての「修練」はとうとう本番までに出来なかったのだが、そうした状態の日々にあってもLSDトレーニング(長距離・低負荷走行トレーニング)や立ち漕ぎの練習などは飽きずに続けたのだが、それが功を奏したのかもしれなかった。

 だから自分の力を信じて、残りの距離でのトータルを40分間に詰める、つまり一杯清水のバス停までの3キロ弱が20分間を切る様に、と思いつつ回転を上げてペダルを盛んに廻したのだった。

ゴール直前の様子 < 本日の雄姿 >
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チームUKYOのエース、狩野選手とサイクル・ライフ・ナビゲータの絹代さん

チームUKYOのエース、「狩野(かのう)」選手と
雑誌やイベントMCで人気のサイクル・ライフ・ナビゲータ「絹代(きぬよ)」さん。
チームUKYOのエース、狩野選手とサイクル・ライフ・ナビゲータの絹代さん

チームUKYOの星。
前橋出身の狩野選手(赤城山大会にもオープンで参加)

< レース後に待ち構えている大きな試練 >

 ゴール後には、さらにカルデラ中央へと続く道を3キロ程降って、レース開始時に預けておいたバック(スタッフ・ザック)を湖畔地点で引き取って、そこからまた500mほどを登って下山待機地点へ再集合する必要がある。

 バックには、下山に備えた長袖ウェアや着替えを用意してあった。それにザックの中には、登頂のご褒美として若干のものも入れてあった。


 コースの下り道ではかなりの体温を奪われるので下山には防寒具が必須で、私は薄手の防風ジャケットや長手袋、冬季用のアーム・ウォーマやレッグ・ウォーマなどのを入れておいた。それに栄養ゼリーとパワー・ジェル、さらに前日の地物の物産テントで買っておいた「どら焼き(旅がらす本舗の栗味もの)」なども入れてある。何故かと言えば、手荷物受取場所となっている湖畔点から、降りてきた0.5キロほどを再度登って「下山待機場所」へ行き、そこからさらに3キロ程の道を戻って、つまりはまた登ってゴール地点へと向かわなければならないからだ。

 限界状態でゴールを切って、それこそオール・アウト状態に近い具合のままで居たら、下山する前提としてオマケで無条件について来るゴール地点までの登り道が走れなくなってしまう心配がある。
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我らがショップ「TAKIZAWA」のブース

我らがショップ「TAKIZAWA」のブース。
レース前の最終チェックで必需品が現場で確保できる。実に頼りになる存在だ。

まあ、ここ国領からなら若宮町のお店までは直ぐで、もう目と鼻の先の距離なのだが・・・。
前日イベントを終えて

イベント会場横の駐車場にて

< レースでの下山について その1  「下山時の服装」 >

 下山用手荷物の引渡し場所となっている湖畔の駐車場は我々のために貸し切り状態になっている。

 そこで銘々がレース・タイムの計測チップを返却して、さらに並び置かれたバックを引き取る仕組みであった。


 山頂の気温は下界から都合8度近く低いものになるし、規制されつつ坂を集団で降るのでゆっくりした速度にはなるが、そうは言っても最高で時速40キロほどの車速になろう。

 だからいくら集団になって規制されつつユックリと山を降りるといっても、下山では容赦なく体温が奪われていく。そのために予め寒さに対応したウェアを用意しておかないと、逃げ手のない下山に際して大変なことになる訳だ。

 冬季を意識した完全装備をザックに詰めようとも思ったが、当日のホテルから会場への走行を考慮して、今回の下半身用の身支度はクオータ丈のパッド無しのサイクル・パンツとレッグ・ウォーマといった軽量装備にしておいた。赤城山では榛名山の大会とは違って山頂でのイベントは一切無く、単に「下山を待機する僅かの間そこに留まるだけ」なので長い冬用のレーシング・パンツは不要と考えたからだ。


 湖畔の手荷物交換所の脇手に用意されたテントで裸になって着替えを済ませ、待ち合わせを相談しておいたAさんとは「計測チップ」の回収エリア近くで合流した。Aさんとは年齢層が違うのでスタートは別のグループだったけれど、「長い下山は一緒にしよう」とスタート前に取り決めておいたためだ。
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快速で有名な、キクミミモーターズさんが居た。

「写真、撮らせてください」の声掛けに、
すかさず見事に微妙なポーズを決めてくれた。

手にしている「ネギ」はもうお馴染みの物。背中のサコッシュからすっと取り出した。

< レースでの下山について その2  「集団下山」 >

 下山はペースカーが規制しての集団下山になっている。私達が山を降りたのは10時45分位であり、最後から3番目あたりと思われる下山グループだった。(一回の下山集団の人数は200名ほど)

 2012年の際は旧料金所跡まで快調に降りて、今度はそこから整列して一列になって降りたのだが、今回の大会では畜産試験場まで快適に降りることが出来た。最高速で40kmを少し越える程度といった快適なスピードだった。


 集団下山していると、前回同様に「姫百合駐車場」までの間でまだ登って来る人達がいた。駐車場の手前で追い上げバスと自転車積載用の大型トラックにすれ違ったのだが、前回とは異なって2台のバスにはそれぞれ5・6名のジャージ姿の人が乗っていた。

 レース中も右の路肩に退避してレースを断念したのかと思われる人が何人か佇んでいたが、パンクや体調不良などによるのだろう。しかしそれでも、今回レースで公表された完走率は99.4%(2012年は99.3%)で、参加者のほぼ全員がコースを完走したようだ。

 今回の大会では「下山コース」が変更になっていた。

 案内書にもその変更が謳われていたが、「畜産試験場」のゲートから先の下山路を県道4号線から変えた、という事だった。

 試験場前の十字路、その交差点の部分で左折し、県道4号線(赤城県道)を東西に横切る「風ライン」に入って嶺(みね)・大胡(おおご)方面(赤城山の東側の山腹方向)へ向かい、試験場の敷地のすぐ先のあたりで右に折れて南下する。そこから農道のような間道へ入って、その細い道に沿って山を降ることになった。

 変更箇所で一旦停止し整列停車する、という手筈は今回は踏まなかった。そのまま信号の無い場所で道を横切って、一列になってその細い道へ入って進み、そのまま集団下山を続けたのだった。
 下山してくると旧料金所跡から下の区間ではすでに道路封鎖が解かれて、一般車両が走っていた。

 そこでは去年、一列になった自転車列による大渋滞が発生してしまい、結局そのポイントから体の脇をビュンビュンと車が通り過ぎるような危険な環境下で下山し、表彰式の行われる会場である合同庁舎周辺域まで、1時間半にも渡ってヒヤヒヤしながら馬鹿げた時間を費やす結果となった。昼をまわってからやっと目的の庁舎までとたどり着いたのだった。
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さくらホテルの居室

今回は実家を拠点にはしないで、
市街中心部のある「さくらホテル」へ宿泊した。


ホテルを使うのにはおよそ3つの目的があった。

レース当日の移動に関わるリスクを減らす事。前日にリラックスして翌日のレースに向けて集中を高める事。
そして、平静にしてコンディションを整える事。

ご覧のように部屋も広く、快適な宿泊が楽しめた。
さくらホテルの位置

< レースでの下山について その3  「変更された下山路」 >

 今回は前回発生した大渋滞などを反省して教訓としたための改善措置が採られた。県道を逸れて安全性の高い県道脇の農道を一列になって走行する事に変わったのだという。

 しかし、折角のその措置も期待にはほど遠いものと思われ、効果となると実に薄かったように思える。


 「上武国道」の架橋下を通り過ぎた先では、結局、東西に走る市道を越えるための信号待ちでひどい渋滞となって、僅かな距離(2キロ弱ほど)に過ぎないのに徒歩より数倍の時間が掛かる結果となってしまったからだ。しかも、極めて細い農道とはいえ車の通行は制限されていなかったので、何台もの軽自動車や大きなワンボックス車が脇を通り過ぎていった。

 トータルで4キロ近い距離に登ると思われる登り道を含む山頂湖畔での移動開始から、畜産試験場までは18キロ以上に渡る。その長い区間の走行時間が姫百合駐車場での整列停止時間を含めておよそ30分程、そしてそこから脇道に逸れてスタート地点の「合同庁舎」までの6キロ余りの所要時間がなんと1時間を越えてしまった。

 ちなみに、2012年は旧料金所から庁舎までの下山路での所要時間が1時間半も掛かってしまったが、今年の迂回措置をもってしても、やはりそれに近い状態となってしまったのだった。


 私達が着替えを済ませて下山待機場所に整列を開始したのが10時半前であり、スタート地点へ帰って庁舎の駐車場に自転車を停めたのが12時を回っていた。つまり、回避道路として設定された脇道に入りはしたが「時間短縮効果」はすこし薄くて、今回も下山には1時間半以上の時間が掛かる結果となったのだった。

 まあ、畜産試験場から先を県道で降るよりも数倍安全な通路ではあったが、ならば東へではなく、西に向かって「風ライン」を行ってから、赤城白川の岸辺に沿った道をおりたほうが数段安全だったろう。時沢小学校の横手まで出てから、そこで県道を横切って東側の農道へ出ればよかろうと思う。しかしそのコースも、今度は県道を渡らなければならなくなるので、やはり信号待ちは発生してしまうものだが・・・。
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< レースでの下山について  おまけ  「下山時に得た収穫」 >

 変更にも関わらず効果が薄くて、思いのほか下山の時間が掛かってしまって良い局面のない状況だったが、実は下山時の小さな収穫があった。

 前後して走っていたAさんが言った印象的な一言だ。赤城県道の裏手の農道を行くうちに、小さな集落に入った際の事だった。

 道脇へと何ともいえない甘い香りが流れて来た。私は香りには比較的敏感なので、直ぐにそれが金木犀の香りだと気がついた。

 前を走っていたAさんが「金木犀の香りがしますね」とその時言ったのだった。ポタリングで幼馴染みの友人やワンゲル仲間と頻繁に同行するが、花の香りを話題にする友人は少ない。最初に少し驚いた後、特徴ある甘い香りに包まれながら、耳に届いたその言葉になんだか私はとても幸せな気分になった。

美しい前橋駅前の夜景 10階の私の部屋の窓から見た景色

JR両毛線の前橋駅前通りからの様子。

先に広がる一面のネオンの風景は素敵なものだ。

< 思い遣りのこころ >

 今回のレースでは、ハルヒル参加での出会いを切っ掛けにして知り合った横浜在住のAさんを誘い、私の暮らすさいたままで迂回してもらってピックアップ(彼のバンにお互いの自転車を積載)されて共に前橋へ向かって来た。

 2012年大会の際、「前橋グリーン・ドーム」で行われたような前日車検は今回は無く、さらに前日のイベントもドーム会場だったものが私立前橋高校横の市民プール駐車場(スタート地点のイベント会場に統一)に変わって行われた。

 申込み書類(誓約書)の受け渡し場所なので、この前日イベント会場へもAさんと共に行動して、一緒にやってきたのだった。

 私は実家ではなく前橋市街の中心にあったシティ・ホテルへ予約して当日の移動リスクを減らし、会場でおろしてもらってから自走してホテルへ向かおうと考えていた。たが、それを知ったAさんが「それじゃ自転車は(Aさんの)バンに積んだままにしておいて、翌朝はホテルまで迎えに行くようにしますよ」と気安く提案をしてくれたのだった。

 本当に有難い限りの、実に嬉しい提案であった。


 聞いてみるとAさんの確保した駐車場は下沖町の「群大付属中学校 校庭」であり、スタート会場には至極近い位置にあった。

 そこから合同庁舎までの移動という事になれば、最短距離(1.5キロほど)での自転車走行で済んでしまう事になる。


 つまりホテル宿泊で自転車の安全を確保するために輪行バックへ収納し、部屋へ持込む労力が不要となるし、翌朝もホテルを出て車輪をつけて輪行バックを畳み、それからさらに会場へと移動するという一連の労力が要らない事になってくる。
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完走 証明書

下山後スタート地点へ集団移動し、記録証の即日交付を受ける。

成年男子Dクラス(50代)の私の記録は、1時間57分29秒。
(前回は2時間0分47秒)。

成年男子Bクラス出場のAさんの記録は1時間41分と言っていた。

2回に分けて行ったいずれの試走時も私達は2時間を切れなかったので、お互いに本番では充分な健闘をした、といえよう。
完走証名書

 ちなみに5月の「ハルヒル」での高崎宿泊時の「ホテル ナガイ」での事。環状バイパス沿いにあるそのホテルは完全なビジネス・ホテルなのだが、別の一部屋である通常客室を私の自転車収納用だけのために確保し、提供してくれたのだった。

 そんな大判振舞いは今回のホテルでは勿論期待できない。輪行袋への不毛な収納も、翌朝の組み立ても、ホテルから会場までの移動も一切が不要となるのなら楽だし、これほど嬉しい事はなかろう。

 私が予約したホテルは、30年ほども前に出来たホテルで元は「東急イン」であったものだった。今は「さくらホテル」と名称を変えてはいるが、経営の立ち位置から言えばビジネスホテルではない。現在の格式は判らないが、分類や営業姿勢はシティ・ホテルのものである。

 前橋にありながら「都会のホテルを気取った風がある」とも言われていて、だから顧客対応としてはさほど親身なものを期待する事は難しいように思われた。残念な事に「じゃらん」などの予約サイトでの利用客による評判記事(いわゆる「口コミ」)を見ても、そういった気になる意見が多くあるのだった。

 しかし、「前評判は当てにはならず」という感想になって、心配は杞憂に過ぎないもので済んでくれた。

 部屋は広くて充分なスペースがあって清潔で、清掃が行き届いていた。夜中に階下(あるいは階上?)のドアが頻繁に何度も大きな音で開け閉めされ続けて、遂には目が覚めてしまったが、それはホテルのせいではない。利用客側のマナー問題に遭遇したわけで運が悪かったのだが、これは仕方があるまいと思う。

 テレビの映像が汚かったのですぐに消してしまったが、10階の部屋から見た前橋駅前の夜景が美しくて、そちらを飽かず眺めていた。レース前夜に落ち着くにはいい部屋で、実に快適なひと晩を過ごせたのだった。
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< 本日の旨い物  レース当日編 >

頑張った自分へのご褒美は、上州名物を奢ってしまおう。
前橋に本店があって多くのチェーン店を展開している「登利平(とりへい)」のお弁当。


ところで、「<ソースかつ>は前橋が発祥地」という説がある。
ご存知だろうか。

「ソースかつ」は亡き母の得意だったもので、私には思い出深い料理のひとつだ。

私にとっては「すいとん」に並ぶ、極めつけの「ソウル・フード」である。勿論、子供の頃からの大好物であった。
登利平(とりへい)のお弁当

< 温かい思い遣りに包まれて >

 前橋駅前通りと国道「50号線」の交差点、「商工会議所前」と言われた五叉路の横手が宿泊したホテルの所在であった。

 そこから国領(こくりょう)に建つ前橋市の合同庁舎まで向かうには、まず駅前通りを真っ直ぐに進む。すると直ぐに桐生まで繋がる私鉄ローカル路線の上毛電鉄線「中央前橋」駅の前にでる。その交差点で左折して、あとはそのまま進んでいけばよい。

 さほどの距離にはならないが、安全を確保する必要から部屋に置くために輪行袋に収納した自転車を出発時に組み立てて、それから夜明け前後の時刻の暗い時間の中を縫う必要があるし、さらには混みあうであろう市街中心域を走らなければいけない。

 実家のある西善町が基点となると、市の中心地点の前橋駅前までさらに10キロ近くを余分に走る必要がある。それから考えれば、確保したホテルの所在地は、実家に比べればはるかに楽な場所であり、そこからなら上記のリスクは伴うが、比較的には安全な移動距離といえるだろう。しかし、やはりパンクの発生や事故に遭うなどの多くのリスクを伴ってくるだろう。

 だから、なるべく会場までの移動距離を縮めてリスクの駒数を減らそうという理由から、あえて実家を拠点とはせずに市内中心街のホテルを予約したのであった。しかし、さらにAさんからの有難い申し出は、もう一段踏み込んでいる。レース前のリスクを大きく軽減してくれるものだった。

 その申し出に私は感謝し、遠慮なく有難く受ける事にした。
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赤城山ヒルクライム大会のレース・ガイド

大会開催に関しての感想は、極めて整然とスケジュールが進行して、不安な部分は全く無かった。

前日から始まった大会イベントに関しても、「スケジュール案内」が会場入り口に大きく掲示されて、実に明瞭になされていた。


ところで、「大会開会式」はスタート及びレース前集合地点で行われたので、参加者の全員がくまなく参加できた。これはもう赤城山ヒルクライム大会での<恒例>の事項となっている、と言えよう。

私達のような競技者だけでなく、レース観戦のギャラリー、散歩中のご近所の人達や、(一般道の路上で整理に当っていた人達は無理だったが)会場に居た運営スタッフの皆さんまでを含めて、そうした全員が参加できたのだ。

赤城大会でのこうした配慮が素晴らしいと思う。

出走者は無論のこと、出走しない人々に関しても参加者となり得る。去年のような千名に及ぶボランティアの人達などは、汗を流して貴重な労力を費やして参加者と一緒になって大会を作り上げた人であり、ひとつの好例と言えよう。散歩の途中で「開会式」や「スタート」に出くわして足を止めた人達も、会場や沿道に集まって下さった盛大な人数に登る応援者の方々もまた、大会の確かな参加者となったのだ、と思う。出走者が全員参加のかたちで行われた「開会式」。そして各カテゴリーごとに順次出走となる「スタート」式から始まったこのレース。今述べたようにレースを取り巻く人々の一体感は、非常に高いものだったと思うのだ。
レースの時間割(足きり)

< レース前の充実 >

 前日のイベントも存分に満喫下が、レースは無事に完走できた。しかも下山でのアクシデントも無く無事に会場へと戻る事が出来た。そして、さいたまから前橋への往復も問題なく、本当に有意義に過ごせた2日間だった。

 これは、榛名で知り合ったAさんの温かい配慮のお陰によるところが多かろうと思う。その配慮の恩恵が随分と大きかったから、このように気分良く過ごせたのだろう、と考えている。

 しかも良く考えてみれば、その気分はレース前日から当日に掛けての2日間だけでの事ではなかった。赤城山でのレース前、丁度都合がついたために実現した2回の試走をも含んでの事だった。

 試走時には当日移動ではなく前橋での前泊を行ったのだが、これは土曜日の晩にさいたまを経由して貰って、私の前橋にある実家へ泊まる、という行程だった。だから、2回行った赤城への試走では、どちらも余裕を持って朝から走り始める事が出来たのだった。

 Aさんのバンに積載して運んだ自転車をそのままにして、西善の実家に泊まった翌朝には、遠来からの練習者向けに解放されていた市民プールの駐車場(合同庁舎のエリアであり、レース・イベントの会場)へと移動し、そこから赤城山への登頂を始めるというものだった。

 だから7月中旬の14日と9月初頭の1日に行なった2回の試走では、本番同様に合同庁舎前から出発して若宮町の交差点へと向かい、本番さながらに計測を始めて赤城県道を登り始め、本番でのゴール地点である山頂の観光案内所を目指せたのだった。

下山コース変更の案内 コロトン 2013年バージョン。

去年のものは、ボディがピンクの方。

コロトン 2013バージョン
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携帯用のチェーンツール チェーン用の補修ツール。

緊急時に備えた携帯用のもの。

これはTOPEAK社のものだが、バー・グリップが付いて、さらにチェーン保持用の針金状のコネクター・ツールが付属する別バージョンがある。

その形式の製品は実に便利で気に入っていた。ドリンク・ホルダー収納型のツール・ボックスに入れて常時携帯していたが、悲しいかな、自転車と共に盗難されてしまった。

< 練習時のアクシデントを回避する >

 一人で走っていると気持ちの中にどこかしらの逃げ道があった。苦しさが増すとともに「今日はもうこれ以上続けずに、ここまでで止めていいや」という安易な気持ちが湧き出してくるのだ。


 赤城のレース・コースでいえば12キロ過ぎのポイントである「姫百合駐車場」手前の「小野里工業」の黒松林、さらにそのポイントを克服して通り過ぎた後の姫百合駐車場。そしてその先の低速車両用の登攀区分が用意されたあたりのカーブ過ぎの地点など・・・。

 そうした苦しさ満点の幾つかの場所で、「今日はもうここまでにしよう」と山頂までの登攀をやめて、「まだ、大会までには日が残っているのだから」と安直に練習を切り上げてしまった。そうしたことが何度も重なって、とうとう私は山頂へ到達するまでには走れずに居たのだった。
 
 要するに、坂道の辛さに気持ちが折れてしまったり、厳しい坂道が眼前に続いている様に呑まれてしまって、すっかり登頂を諦めて練習を継続せずに、そこで止めてしまうのだ。そういう状態が重なって、ひとりでの練習ではどうしても安易な方向に傾いてしまった。

 それに一人での練習はアクシデント発生時に救助を期待できないから、そもそもいくらかの危険を伴って来るものだし、だから力を出し切らずにセーブしてしまったりもするようだった。

 こうした事から考えれば、出来れば運動強度の高い部類に分けられる「ヒルクライム練習」においては、最低でもペアを組んで練習に望むべきだろう。


 実際にAさんと共にした最初の試走での下山時において、その事件は起こったのだった。休憩場所として目指した「道の駅 ふじみ」(前橋合併前はこのあたりの赤城南面の山麓地帯は「富士見村」であった)の駐車場に入る際に私のチェーンが切れるというアクシデントに見舞われたのだ。

 私がもし単独走であったならば、そこですっかり立ち往生するところだった。畜産試験場のあたりから自転車を降りて、何とか解決を図らなければいけないような状況だったのだ。

 でも丁度、Aさんが持っていた携帯ツールに「チェーン切り」が着いていたために、私はその事でおおいに助けられた。そのツールのお陰で切れたチェーン部分のコマをひとつ外して、その場でチェーンを繋ぐ補修が出来たからだ。


 いくらそうした補修の技術があっても、対象箇所に応じた専用工具が無ければどうにもならなかった。とてもでは無いが、ツール無しでは5分程度で現状復帰することは、まったく出来ない相談なのだ。

 それに練習の強度が高いと如実に心拍数が上がるので、吐き気やめまいや足攣りなどの身体変化が発生しやすいようだ。そんな際にペアであれば、たとえ登頂のペースが違うことからそれぞれが個別に走っていたとしても、アクシデントの発生時には迅速かつ密接に連絡がとれるはずだから、お互いに救助に向かう事が出来るはずだ。
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自分へのご褒美 その1 自分へのご褒美 その1  「果実ゼリー」

会場で販売されていたゼリーをお土産にした。


これは「梅酒」だが、「チェリー」もあった。
チェリーには、さらにタピオカのような杏仁豆腐のような白い四角のものも入っていて、なんだかフルーツポンチのような感じだ。

持ち帰って、どちらも冷やして食べたが、思った程には甘さがキツくなくて雰囲気が深かった。

店の名や商品名が判らなくなってしまったので、残念ながらまた購入する手立てが無い。
どちらの商品も共に堪らなく美味しく頂けたので、なおさらブースを写真に撮らなかったことが悔やまれる。

< 練習走行でのリスクと反省 >

 実は別の友人との試走時に私はあるアクシデントに見舞われて、夏のはじめに酷い思いをしたのだった。

 お互いのペースでという話はなく「一緒に走ろう」という事で出掛けて走り始め、先行する友人を追って足が攣リ始めたのがその出来事の発端だった。

 それは、一緒に走る事に気を取られてしまった結果、発生したこと。自分のペース配分のまずさや健康管理の不徹底がそもそもの(そして唯一の)原因で起こった出来事だった。

 丁度、暑くなりはじめの時期でもあったので、私に起こったのは軽い「熱中症」の症状であったのだろう、と今では思っている。それは上がった心拍数が自転車を降りて息を入れても、一向に下がらなかったことから始まった。

 やがてめまいがしはじめて、それが続いて、遂には後頭部を締め付けるような頭痛までが始まった。

 そこで私は道端に続く用水路の脇へ退避して、松林の日陰に入って脱げる部分の衣服を脱いで体を外気にさらして放熱したのだが、いっこうにヒート・アップした状態が収まる様子はなかった。足や腕や頭にボトルの水をかけて冷やしてもみたが、その効果はなかなか現れてこない。

 最初は盛大に流れていた汗がしばらくすると引いていって、やがて今度は軽い寒気がし始めた。頭痛はさらに酷くなってきて、気分が悪くなっても来て、3回ほど嘔吐してしまったのだった。

 そのあたりの状態に陥った私は「いよいよ、まずいぞ」と思って、そこに横たわってそのまま暫く休むことにした。そうした状態と取り組んでいる1時間の間にボトルを使い果たして空になってしまい、私は途方にくれ始めた。足が震えていて力が入らずに下山することも出来ず、休んで回復を待つ以外にどうする事も出来ない状態に陥っていた。

 一緒だった友人へアクシデント発生を伝えようと最初の足攣りの際に連絡をとった。しかし、携帯の通信キャリアの関係からか彼とはいっこうに通話がとれず、携帯でのメールを送信しても返信が無くて、いよいよ切羽詰った状況になった。

 事の発端から2時間近く後になってから、彼とはやっと連絡がついたのだが、その際の友人は山頂まで登り詰めていた訳ではなかった。話を聞いてみると私が逃げ込んだ林の日陰の位置から僅か3・4キロ程先の「姫百合駐車場」にずっといたのだという。

 彼が着いた際にすでに駐車場に居た同じく山を登って休憩していた自転車乗りの人と、お互いのビンテージ自転車の話をしていて、さらに下山してきた人も交えて古い自転車の話に興じていたという事だった。

 僅かな距離にも拘らずいつまでも姿を現さない私の身に「何かのアクシデントが起こったのでは」と想像することも無く、言葉は悪いが「何らの心配」も芽生えずに長いおしゃべりに興じていられたのは何故なのだろうか・・・。
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< 練習走行でのリスクと反省  距離を置くということ >

 この歳になると生活の中で色々なリスクを考えるものだが、このときの出来事を経験してから、私は大きく関係の保ち方ということを考えてしまった。

 何という事は無い、悪いのは完全に自分自身であって、その友人には何の落ち度も無い。彼の態度を私が責めるという筋合いのものでは無いし、それでは無邪気な彼が気の毒であろう。

 そうした事は、頭では判っているのだが、どうしても私の中のイヤな部分が働きだしてしまう。彼への不審の思いを止められないのだ。


 たとえば取り立てて言うまでも無いような些細な事柄なのだが、こんな事がある。

 普段から友人Hと共に熱心に、安価で購入できるし体にも負担が掛からずに運動のポテンシャルも高く保もてるのだと高機能繊維を使ったウェア類を勧めた際にも現れていた。そうやってHと共にお互いの使用感や感想といった「生の情報」を交えて盛んに推奨するスポーツ用に考えられた高機能ウェア。しかし彼にはそれが通じずに一向にそうした衣類を着る気になっては貰えない。自転車に乗って長距離を走るというのに、何時もジーンズにポロシャツ姿のままでやって来る。

 好みのものだから口を挟む類の事柄ではないが、それはカジュアルな装いであって、そもそも運動へ備えた姿勢を体現したものではなかろう。トレーニング・ジム内でそんな間抜けな服装をしている者をついぞ見かけないのと同じことであった。

 たとえば低山への山行(トレッキングではなくハイキングのカテゴリー)であっても、もし参加者が同じ格好で望んだならば、その服装だけで私達ワンゲル仲間はすぐにその人に対して下山を促すだろう。そういう類の、ピントのずれた、まずい装いの代表格の内容なのだ。

 服装は運動性を左右する。だから疲労の度合いが変わってくるし、それは最終的には安全面に関わってくるという事を意味する。

 安全面といえば、ロード乗りにとっては最低限の必需品であるヘルメットでもエピソードがある。やはりHと共にどんなに熱心にその必要性を説得して始めて3年以上が過ぎるのだが、最低限の必須装備にも関わらず何時まで経ってもまるで用意する気配は彼にない。

 サイクリング・ロードを走る対面者とは挨拶を交わすが、友人Hは服装でそれを選択している。ヘルメットを被っていない自転車とすれ違っても、彼は自分からの挨拶を送らない。「挨拶という礼儀」が返礼として返ってきたためしが無いから、というのがその理由だった。服装的にも、その返礼の有無の判定(つまりマナー感覚の有り無し)はつくらしく、彼の判断は大筋では何時も当っているという事だった。そう言われて改めて注意してみると、まさにその言葉のとおりであった。

 つまりその運転者の「自転車への取り組みの姿勢」そのものが、服装や装備に如実に現れてくるようなのだった。

 そうした頑なともいえる友人の姿勢に対して様々な説得を私達のような旧友が何度も繰り返して、さまざまな助言を続けて来たのは、私達の指摘や助言の意味合いがいつかは彼に理解されるだろう、という前提に基づいてのものだった。

 でも、最近になって、私はもはやそれを諦める事にした。アドバイスする側だって大変な労力を要するからだ。常時、「暖簾に腕押し」で一切聞き入れてもらえない事を、必死に言い募る事ほど、悲しく不毛な努力はあるまい。そしてとうとう私はその事にある種の虚しさを感じてしまい、彼への助言の一切を止める事にしたのだった。


 ひとつには彼との間にある、お互いの感覚的なもののズレ具合についてに思い当ったからであった。

 彼の性格がどうかとか、私はここでそういった事が言いたいのではない。彼は意固地の性向を持ってはいても、概ねは、いたってイイ奴なのだ。

 だから私は一層、彼のそうした姿勢が残念でならないのだ。そしてさらには、今のように心が働いてしまう私自身にも淡い嫌悪を感じてしまう。そのためか、一層、そうした事柄がモヤモヤとした形で強く心に引っかかってくる。


 そして今となって私が考えついた結論は、彼の中の感性寄りの部分には私とは相容れないものがあるのかもしれない、という事だった。いや、そのような結論に到った細部の理由は、実は明確ではなく、決定的なものがなんであるのかは良く判らない。

 最近になって何となく彼の行動のあり方に、多くの時には小さなものが芽生えたに過ぎないのだが、しかしある時には大きな違和感を感じてしまうのだった。そして、そういう違和感を伴った言動(出来事)が多くなって来たのだった。

 そこで私は、改めて幾つかの出来事を振り返り、その細部を思い出してみた。幾つかの出来事において確かに現れて来た彼の自分本位の性向に思い至って、やがてすこし、彼のそうした部分に興ざめする想いが沸いてしまったのだった。

 だからレース本番を前にして、悲しい事だが、その旧友とは少し距離を置いたのだった。


 折角、1年間楽しみにしていた赤城山を舞台にしたレースである。私はその思い入れのあるレースを心から楽しみたかったのだ。

 この歳になるとしみじみとそう思わずにはいられない。大切な経験を共有するのなら、同じ価値観を持つ、似た方向を向いている人と一緒の方がイイではないか、と・・・。

自分へのご褒美 その2 自分へのご褒美 その2  「旅がらす」

こちらは上州銘菓としてお土産物のスタンダード。そして人気の上位を占めるだろうと思われる一品。

「旅がらす」は、上州無宿の渡世人、国定忠治(くにさだ ちゅうじ)をモチーフにしたと思われる「道中刀」のイラストでパッケージがデザインされている。

中にサンドされたのはホワイト・クリームで、ベタッとした物ではない丁寧にホイップされた感覚が残っていて口当たりが良く、ほのかに甘くて美味しいもの。

外のパリッとした感じと中の柔らかい食感が独特の味わいをもたらす。
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 ヒルクライム練習の際の経験をきっかけにして芽生えたのは、様々なリスクに対する対処姿勢の重要さ、つまりは必ず発生するアクシデントに対する最低限の備えをすべきだ、という事だった。

 不可抗力によって発生を避けられない事象に対してでも、私達には常に備えておくべき防御姿勢があり、予防姿勢といったものがあるはずだ。しかし残念ながら何事にも素人なので、米海兵隊みたいに「備えよ、常に!」をモットーにする処までかっこよくは行かないが・・・。


 そうした姿勢で備えを固めて事に臨むのが、私達の年代にとっての共通の課題だろうと思うが、どうだろう。

 親としてなら子の養育を、企業人としてなら組織を支えてその要となることを、さらには地域社会への貢献を心がける事を、など。私達には果たすべき社会的なそれぞれの立ち位置が、誰にも共通にある。そういった様々な社会的責任を持たなければならないのが、私達の世代だろう。

 言い換えれば、責任を持ってそれぞれの責務達成を目指していく姿勢が当然あるはずだ、と私は思っている。それは、凛とした「けじめの姿」と言い換えてもいいだろう。

 その上で今書いたような取り組みを妨げないためには、生活で心掛けなければいけない取るべき配慮が沢山あろうと思う。

 そうした諸々を端的に表現して「自己実現への準備」と言い換えても良いかも知れない。江戸時代の武士層が持ち合わせていて、それに接した江戸庶民が見習って、その在り方を共有したもの。そうした、責任感をもった「姿勢」や高潔な「生活態度」が今の私達にとっても必須なのでは、と思うのだが、どうだろう。

 そういった当たり前の社会的な部分、つまり他者を思いやって迷惑をかけない心配り、が大切だ。それを為す根幹となるものが「発生が想定されるリスクに対する防御能力」や「リスク自体を想定する想像力」というもので、それらを身に着ける努力を惜しんではいけないだろう。そして、そうしたものは私達のような自転車乗りにとっても、実に大切なものなのではなかろうか。


 社会生活を送る上で必要となるはずの、大切なある部分の能力。「同情心」や「思い遣り」といった心の働きは、私が生活の中でもっとも大切にしたい部分である。

 しかし時に人は、利己的な部分がそれらを大きく上回ってしまう場合があるようだ。「他人のことをほんの少し想ってみる」という極く小さな配慮や、「こうして振舞ってくれれば嬉しい」というような他者が期待するはずの、あるべき心の動きが極めて薄くなってしまう瞬間があったとしたら悲しいことではあるまいか。


 多少は違っていても大まかに言えば同じ方向にあると想っていたお互いの持つ価値観、それが共有し得るものと長い間に渡って思い込んでいたものが、実のところは淡い幻想にしか過ぎないものであって、実際には大きく違っているとしたら、いったい人はどのように向き合っていけばよいのだろう・・・。


 さてこの話題はレースからはまったくの余談、ここらで閑話休題としよう。
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< レースで得た報酬 ― レース時や練習走行で感じたアツい絆 >

 レースの最中、沿道を埋めた応援の人達の中には去年同様に揃いの衣装(法被姿)に身を固めた郷土芸能の和太鼓を叩く人達もいた。

 畜産試験場前の十字路に差し掛かると、その音が勇ましく響き渡ってきたのだった。走り行くどの選手の心にも等しく、正調「八木節(やぎぶし)」の渋い歌声と、勇ましい太鼓の音色が響いているに違いない。

 私より先のスタートだったAさんの中でもきっと、この大きな響きは自転車乗りの闘志を沸かせる働きをしたのではなかろうか。響いてきた歌声や太鼓は、こだまの様に走る人々の中に入って、そこで確かなものを響かせたに違いないのだ。

 まるで陣太鼓のように連打されて、あたりを勇ましい雰囲気に満たしていた太鼓連の励ましに背中を押されながら、私はそんな事を考えながら走っていた。

 レース前半なのでまだ心にも充分に余裕があって、それで私は応援を受けてそんな事を考えたのかもしれない。去年同じ音色を聞きながらその前を走る、一人で参加した私が感じたのは、その音色が新たな勇気と諦めない力を湧かせてくれるものだ、ということだった。

 沿道から送られる力のこもった励ましや老若男女を問わない多くの声援が、心の中の「走り抜こう」という気持ちを盛んにしてくれる。私たち自転車乗りの気合をさらに高めて、そして大きく鼓舞してくれたようだ。

 「ハルヒル」で受けた多くの声援に感激していたAさんは、その際とは又違った感動をここで味わっているかもしれないな、と走りながら私は想像したのだった。

 そう思いながら私自身も、沿道からの篤い応援によって大きな勇気を貰っていた。場所によっては本当に周囲を満たして沿道に溢れていた人達の、心を込めた素晴らしい励ましのお陰で、落ちることの無い一定のペース(ケイデンスは85回転程度)を保って旧料金所跡まで走ることができたのだった。

自分へのご褒美 その3

自分へのご褒美 その3 「どら焼き」

季節限定販売の「マロン」味は、何ともまろやかで良かった。

イベント会場に出展していたブースのもので、レース当日は9時頃の開店という事で前日に「マロン」と「小倉」を1個づつ買い、翌朝のレース開始前に食べた。

昔は「どら焼き」は嫌いなもので、滅多に食べた事がなかったが、ロード自転車で出掛けた休憩の際にはコンビニでよく買って食べる様になった。


餡子の糖分とそのカロリーが頭の切れを蘇らせてくれる。朝からポタリングに出賭けた日の15時前後は、もう道が旨く選べないほどに判断力が失われた状態になるが、これを食べれば即座に思考力が回復して来る。
自分へのご褒美 その3

これは、余りに美味しかったので、レース後に実家の近くにある専売所を訪れた。店の中を探したが陳列店や台には置かれておらず、一回りしてレジ前のショーケースで再会したもの。何のことはない、最初から訪ねればよかったのだが、そこでお土産として改めて買ったものになる。

店員の女性は気さくな方で、レースでの「どら焼き」の話をすると、「マロン」が今の時期の限定品であることを教えてくれたのだった。それに「旅がらす」をおまけで入れてくれた。それが嬉しかったので、追加で「どら焼き」を買ったら、又さらに一枚着けてくれたのだった。レジ前には、台湾に買い付けて直輸入したという烏龍茶、「梨山」の高山茶だったので併せてそれも購入した。

< 2012年大会と今年の違い >

 ところで今年のレースでは2012年開催時の大会とは大きく異なった点があった。

 会場内や駐車場内での誘導・整理、会場への通路(一般道)での道案内や交通規制などを含めたボランティアが募集されずに今大会は開催されたという。そこかしこを満たして機敏に働いていた多くの人達、どこでも率先して働いていた黄色のスタッフ・ジャンパー姿の人達の姿が無いことに、少し驚いた。

 沿道の観客とはまた別に、前回は辻には必ずボランティアの人達が立っていて、交通を監視して通行を規制しつつも走り過ぎる私達を大きく励ましてくれたのだった。大きな笑顔であったり、時に声をあげたりしながら、レース開催中の彼らは私達競技参加者へ向けて大きな励ましをくれたのだった。それに下山時にも「お疲れ様」や「気をつけて」「また、どうぞ」などの温かい声掛けをしてくれた。

 前大会で味わった、その温かさの印象は極めて深いものだった。

 「旧料金所跡」から先の、山頂へ向かって登って行く道路上にも多くのボランティアの人達が立っていたものだ。コーナ部分では必ず安全監視のために崖側に立錐してくれていたので、私達は安心してレースに没頭できたのだった。しかし、今年はそうしたレース・ボランティアの募集は無かったのだという。
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地元のハムも美味 自分へのご褒美 その4  「あらびきソーセージ」

高崎ハムは地元の老舗といってもよいだろう。

「しんしん」のパック入りの漬物同様に、前橋での朝食の食卓を飾る定番品であろう。

子供の頃から慣れ親しんだ、文句の付けようがないもので、優れた「普段使いの味」といえる。

特に、この「あらびき」は美味しいと思う。

< 賛同者の不在 >

 私達の最大の賛同者でもあり力強い応援者でもある多くの人達が、ボランティア・スタッフという形で赤城山のレースに参加し、大会イベントを一緒に仕上げていくという感動が去年はあった。

 しかし、そのアット・ホームな雰囲気を醸し出す多くの人達の姿が今年はまったく無かったので、非常に残念に感じている。


 運営や統制上での問題があって、主催者側はボランティアの公募を見合わせたのだろうが、それは実に惜しいことではあるまいか。来年は是非とも復活を願いたい。私はそれを期待して止まない。

 大会ボランティアへの参加動機としては、災害に見舞われた際の支援や命に関わるような事故の救援ではない部分。非常事態でもなんでもないのに金銭での対価とは無縁の、無償の労力を提供してくれる数多くの人達がいる。

 レース開催を無条件に賛同してくれる1000名に及ぶ篤い人達が、去年の「まえばし 赤城山ヒルクライム大会」を成功に導き、大きく下支えしたということは確かな事実である。しかし、そうした奉仕はいつも期待できるわけではなく、世知辛い世の中のためか、そもそもがレースなどと言う個人的な競技会のために無償の奉仕を行ってくれること自体が稀有の事柄だろう。

 本当に素晴らしい事ではないだろうか。「大会の開催意義を支持してくれる力強い存在、賛同の証として無償で労力を提供して惜しまない多勢の人達がいる」という、確かな手応えが去年の「赤城山ヒルクライム大会」にはあったのだ。千名近い人数という信じられないほどの大勢の人々が長時間に渡って無償で一肌脱いでくれる自転車の大会は、そうそうあるものではないと私は思うが、どうだろう。

 繰り返しの愚痴になって申し訳ないことだが、今回の大会においてボランティア募集をしなかったのは何とも残念な事柄であった。


 ところで、応援を受けると言う意味ではレース前にも多くの応援を私は貰っていて、そうした練習時からじわっと沁み込んでやまない様々な<チカラ>を私は得ていた。

 練習の際にすれ違う多くのサイクリストから送られたハンド・サインや会釈、今年もそうした無言での多くの交歓があった。対向車線から大きく声を送ってくれた下山中の人も、去年同様に多かった。
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ゴール直前の様子

 そしてその応援は自転車乗りからのものだけに留まっての事ではなかった。姫百合駐車場手前右手にある「高原やきとうもろこし」屋さんは、横の渓流から清水を汲み上げて自由に使わせてくれもするし、無料で冷えた麦茶を提供してくれてもいる。

 実際の話、私はこの焼きとうもろこし屋さんの「もてなし」にどれだけ助けられたか知れない。

 火照った体を冷やすのに、顔、腕、足、さらに頭を、どんどん汲み上げられて流れている清水の冷たい水で、存分にバシャバシャと洗えるのがどれほど爽快だったことだろう。

 本来その売店はちょっとした地物農産物の販売所なのだ。だから赤城山を訪れたついでに買い物をしてくれる、マイカーでの観光客を相手に商売をしているのだろうが・・・。

 私達自転車乗りが立ち寄って日陰を造るために用意された傘状のテント下のベンチで休憩しても、嫌な素振りも見せないし、時に店を離れてわざわざベンチのところまで来て、売り物の焼きとうもろこし(味見用に小分けしたもの)を振舞ってくれるのだった。


 また旧料金所からの降り道にあるブルー・ベリーの即売所のおばあちゃんなどはジャージ姿で立ち寄った私を見て、買ったパックの半分近い量のブルー・ベリーを両手ですくい上げて「はい、おまけ」といって持ち帰り用のポリ袋に入れてくれた。

 要するに、地域を上げてのおもてなし。商売屋さんまでもが実に温かく、赤城山を走る私達をレース前から熱心に応援してくれていたのだ。

姫百合駐車場の手前のオアシス 姫百合駐車場の手前にある販売所
「高原やきとうもろこし」屋さんの「おもてなし」

渓流を流れる「清水」を汲み上げて、利用させてもらえる。

坂を登ってきた自転車乗りにとっては、何より有難い贈り物に違いない。

これで汗を流して、気分をリフレッシュでき、共にクールダウンも助けてくれる。


私達が気兼ねなくこの振る舞いを受けられるような、お店の温かい配慮のお陰でまた頑張れた。
この先に続くキツいカーブに挑んで走る気持ちを取り戻せるのだった。

< 「大会」を作り上げるということ >

 赤城大会の人気は衰える事無く、今年のネット申し込みにもその人気は確かな数字として現れていた。

 なにせ、一般エントリー分の先着「三千名の募集枠」へのネット応募(出場申請)が受付開始時刻から僅か50数分間で定員の人数枠が満員となって、即座に募集が締め切られるという状況が発生したのだった。エントリー・システム始まって以来ではと思えるような、信じられないような大盛況だったのだ。こんな集中は前代未聞のことで、「まえばし 赤城山ヒルクライム大会」の大人気振りを如実に示す出来事なのではなかろうか。

 そうした人気の半分は赤城山のコース・プロフィールが持つ「競技的な魅力」によるのだろうが、残る魅力の半分は別の部分にあるだろう。先に紹介した山頂へ向かう赤城県道の沿道にあるお店の例など、地域の人達が施して下さる温かい支援やレース時に沿道から寄せられる実に多くの声援によるものが、ライダーに指示され、レース意義として評価されての成果ではなかろうか。

 そして沿道の声援に関してレースの風景を振り返ってみれば、畜産試験場から上部のコース部分を担っていたのが公募されたボランティアの人達によってであり、彼らの存在が大きいものだったと思うのだ。

 私には山中に立錐する、その大勢の賛同者の人数の大きさを目にするだけでも篤い想いが湧き上がる。走る身にじっくりと浸透して止まない実に大きな力が、そこから与えられた思いがしているからだ。

 私は、あの山頂まで居並ぶスタッフ・ジャンパーを眼にして、去年はそう思って「絆」という漢字を思い出したのだった。
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