散歩(のんびり歩こう)のインデックスページへもどる 散歩(のんびり歩こう)の ページ         Top Pageへ移動Top Pageへ移動        このページを閉じる 閉じる

2008.08.31
谷根千散歩 (谷中、根津、千駄木)

アクセス;
 谷中・根津・千駄木;JR京浜東北線―日暮里(にっぽり)駅

カメラ;
 PENTAX K10D

レンズ;
 PENTAX DA18−55mm F3.5−5.6 AL
 PENTAX FA50mm F1.4


 (画像添付時に約30%程度に圧縮)


 通称、「谷根千(や・ね・せん)」。谷中(やなか)、根津(ねづ)、千駄木(せんだぎ)という上野に近い下町の町並みを指した最近流行の呼び名だ。

 谷中(2008.03.15 「江戸の情緒(谷中、王子)」は、ご存知のように寺町で今も多くの寺院と路地が残り、江戸の街の雰囲気を伝えている。下町といっても「浅草」(2006.07.02 「浅草、ぶらり散歩」)のような繁華街ではなく、あくまでも庶民の生活の場とよべるだろう。

 そこに広がっているのは「ハレ」ではなくあくまでも「ウチ」の世界だ。

 だから、観光客も多いが、店の軸足はあくまでもこの界隈で暮らす人々に向いている。

老舗 谷中せんべい
ページTopへ移動
谷中銀座の入り口 いつも立ち寄るお茶屋さん

 私はこの町が好きで、時にふらりとやってくる。今日は有名な「浅草のサンバ・カーニバル」が本来の目的であった。毎年8月の最終土曜日に盛大にやっているが一度も行っていない。

 列車に乗っていると浦和を過ぎた辺りで雨が降ってきた。最近多い「激しい雷雨」だ。そこで、浅草に行くのを取りやめて雨の「谷根千」へ河岸を変えてみた。雨の中で多くの人ごみに入るのも大変だ、と考えたためだ。

 幸いにも谷中の入り口である「日暮里(にっぽり)駅」に着くと、小降りになっていた雨が丁度止むところだった。

 今日は、「夕焼けだんだん(2006.05.06 「谷中散歩」)」を降りて「谷中銀座」の商店街を抜けて、そのまま千駄木(せんだぎ)のほうへ回ってみることにした。

「よみせ通り」

自動販売機からも、優しさが溢れている。
住民に優しい街
ページTopへ移動
よみせ通りのお地蔵さま よみせ通りのお地蔵さま

 「よみせ通り」という商店街が谷中銀座からT字状に、千駄木から根津へと続いている。そこを往復しようと思う。


 「千駄木」も「根津」も、あまり足を伸ばしていなかったからだが、一寸した「街探検」が楽しめそうだ。

 この細い通りは、実はバス通りでコミュニティ・バスの「めぐりん号」が千駄木駅へと周回している。思い出したが、そういう意味ではこの通りは未知のものではなく、バスから眺めていたのだった。

 谷中の民族館(旧吉田屋酒店)前から乗って地下鉄の千駄木駅へ向かい、そこで降りずに戻って来たことがあった。その時は、そのまま乗り続けて、さらに上野、かっぱ橋、浅草へと回った覚えがある。

よみせ通り よみせ通りのカメラ屋さん
ページTopへ移動
「ヤマネ精肉店」のコロッケ 町のポスター(妙に説得力がある)

 さて、「よみせ通り」だ。

 この通りは「谷中銀座」よりもぐっと店の数は少ない。幾つかの店が営業を止めているし、道幅も多少あるので、「谷中銀座」より静かでゆったりとしている。

 肉屋さんを見つけた。コロッケを買ってみる。「谷中コロッケ」は名物で、「肉のサトー」や「すずき」の2店が激しく競い合っている。

 一方、この昭和5年創業の老舗店、「ヤマネ肉店」の地番は千駄木なので正確に言えば谷中コロッケではなく「千駄木コロッケ」なので、独立種となろうか。谷中を中心に考えれば、「谷中コロッケ:番外編」といったところだろうか。

 季節によってジャガイモの産地を変えていて、国産の挽肉と生たまねぎ、味付けは塩と胡椒だけで無添加、という「こだわりの素材」で仕上げられている。「すずき」などは等級の高い牛肉をメンチに使い、そのため上質のラードで揚げているが、この店の油の使い方が、むしろ私には丁度良い。

 美味しいコロッケだった。谷中の2店のものは大振りで確かに「旨い」のだが、メンチではなくコロッケとして考えると多少油がきつい気がする。この店のコロッケにはコクがあるが、あっさりしている。その辺りの加減が絶妙だと思う。

 メンチが130円なので、両方で丁度百円玉が2枚で済む。よく考えられている。

 食後だったのでやめて置いたが、今度は是非メンチも試してみよう。

谷根千の街並み こちらは花屋さではない
ページTopへ移動
街路の木 緑化された路地

 そのまま、商店街の端まで行ってみる。

 谷中は寺町なので花屋さんが多いが、この通りにも何軒かの花屋さんがある。わずか数百メートルの間で、こう何店もあってそれぞれの店が「商売」になるのだろうか。少し心配になってしまうが、春と秋の彼岸に谷中の墓地へと訪れる人々の需要で採算を撮っているのだろうか?。

 この界隈の人たちの生活には「植物」が欠かせないので、普段から他の町より多くの花が売れるのかも知れない。

 商店街の脇は、細く続く路地だ。どの家でも家の前の路上に植木を置いている。盆栽ではなく観葉植物の大きな鉢植えであるから、路上全体が緑で溢れている。

 そのため、細い路地がさらに狭くなる。

 ヒートアイランド対策で屋上の緑化が叫ばれ、都心では実際に緑化されて効果が出ているが、何のことは無い、代々住み続けている庶民が暮らす下町ではとっくにそんな事は実践していた。こちらはビルの屋上ではなく、町全体の路地に隙間無く、という規模だ。統一意志や条例など不要な、江戸から続く過ごし方なのだろう。

 古くは朝顔や紫陽花など、花の咲く、愛でる植物であったのではなかろうか。

家の木
ページTopへ移動
こうした整備された緑のほうが珍しい

 路地を覗くと、おじいさんが少年にキャッチボールを教えていた。

 キャッチボールする人は最近余り見かけない。子供の頃は実に多くの人たちがやっていたと思う。親子であったり、友達同士であったり、ちょっとした空間があれば路上だろうと空き地だろうと遊んでいたように思う。

 おじいさんがやさしく、時に厳しく、孫であろう少年に「投げ方のコツ」を教えている。こうした体験は、心に残ると思う。私も、この年になってもいまだに父親としたキャッチボールを覚えている。

 ケビン・コスナーの映画で「フィールド・オブ・ドリームス」という秀作があるが、その中で主人公が父親とのキャッチボールを語るシーンがあり、主人公の想いが違和感無く伝わった、強く共感したエピソードがあった。

 あの少年は素直に育って、元気なおじいさん(そのころには元気が無くなっているかも知れないが)を大切にするいい青年になっていくに違いない。

路地でキャッチボールをする 多くの路地はこんな具合だ
ページTopへ移動
水槽があるが、家の外である 所狭し

 さて、今度はこの通りを戻って「根津(ねづ)」へと向かってみよう。

 こちらは上野に近い「鴎外ホテル」の前の道を通ったくらい(先に書いた「めぐりんバス」)で、全く歩いたことが無い。

 遠い昔、バイト先の親父さんに連れられて「串揚げ」屋さんでご馳走になった時くらいだ。はるかな昔なのでよくは思い出せないが、あれは、神社の向こう側であり、湯島に近かったと思う。

 根津の家並みも谷中に負けず古い町並みが残っている。

 狭い路地が多いので家が建て替えられないというのが、この辺りに古い家並みが残っている正確な事情だ。谷中は寺院がある分、空が開けるが、こちらは町屋ばかりなので、本当にびっしりと密集して家が建っている。
ページTopへ移動
雨上がりの街並みが清々しい

 歩いていると、学生の頃住んでいた「駒込(こまごめ)」の町を思い出す。

 私が居たのは本郷寄りではなく山手線の外側、名町奉行の遠山金四郎が眠る広い墓地や染井吉野の桜発祥の地で有名な「染井(そめい)」や滝野川(上中里)に近い「霜降(しもふり)銀座」のすぐ裏の辺りだったから、まるっきりの下町風情であり、屋敷街ではない。

 ここら辺りと同じように、小さな家が狭い路地に建て込んでいた。狭い地域に家を詰められるだけ詰めたような下町の風情が残る街だった。時に思いがけない場所に出たり、迷って歩き回ったら、アパートのすぐ近くだったり、それは迷路のような町だった。

 この根津も、同じにおいがする。本郷に近いが山の手ではなく、街並みや人の様子は下町だ。夜歩いていたとしたら間違いなく迷っているだろう。直線の街割りではなく、微妙に路地が曲がっている。そうした道は、遠い昔は川や水路だったのかも知れない。
ページTopへ移動
名代、芋甚(いもじん) 小倉最中アイス

 古着屋、古道具屋さんがある。古くからの煎餅屋さんがある。

 「藍染通り」という少し広い通りには「芋甚(いもじん)」という老舗の甘味どころがあるので寄ってみよう。お手軽にこの店の味を楽しめるものがある。「小倉最中(おぐらもなか)」がそれだ。昭和初期に二代目のご主人が考案し、それ以来同じ製法で作ってる。店に入らなくても店頭で買って、食べ歩くことができる。他に「バニラ味」もあるが、こちらの方が本命の商品らしい。

 「おぐら」の方を試してみることにした。激しい雨が止んで日差しが強くなってきたため、アイスを食べ歩くのも悪くない。


 そこからまた暫く歩いて「三浦坂」を過ぎて路地を通りぬけると、大きな通りの「言問(こととい)通り」に出る。谷中霊園とは反対に行けば地下鉄の根津駅であり、そこを過ぎれば土器が出土した弥生坂がある「弥生町」になる。「弥生(やよい)時代」の名称の元になった土地なのでそちらにも行ってみたいが、今日は止めにして、坂を少し上ってみよう。

 言問通り沿いは歩道の上がアーケードになっている部分もあって商店街が続いている。

 有名な豆腐店がある。豆腐の小売もしていて、小売の場合の料金は決して高くは無いが、会席風の料理は一寸値が張る。暑い日には冷たい豆腐が美味しそうだ。いつかは寄って、食べてみたいと思う。

豆腐店 参考までに「お品書き」を
ページTopへ移動
煎餅が並ぶ 煎餅が並ぶ

 是非寄りたくなるような洒落た店(お酒が飲めて料理が楽しめる)がある。カウンターの内側が厨房になっていて、バーテン風の人ではなく、気概のありそうなシェフがいる、最近流行の店だ。レストランと呼ぶのか、カフェなのか、あるいはビストロであるのか、呼び名が判然としない、あの類の小粋な店だ。

 だから、この街では昼も夜も楽しめそうだ。ランチもやっていて心惹かれたが、そこに座った自分を考えるとあまり似合いそうも無いので、後ろ髪をひかれつつも素通りし、「谷中」の街へと戻ることにした。

美しい庭 ちょっとしたギャラリーであった
ページTopへ移動
ヒーローが登場する 郵便ポストを監視する、懐かしいヒーローに出会った。

大好きなデビル・マンだ。


これは工事中のビルだったか東京タワーの上だったかで、
黄昏に染まる空を眺めて腕を組み、物思いにふけるところではないだろうか。

よく観察すると郵便物を入れるのに、ちょっと難がありそうだ。

 この界隈の名前がついたすこし大きな通り沿いには、工夫を凝らしたギャラリーが点在するが、通りの名前が無い路地裏や石垣の階段を登った上などにも、寄ってみたくなるような幾つかのギャラリーがある。また、普通の家でも工夫を凝らしているので、歩いていて楽しめる。

 結局、「根津」での食べ歩きは、僅かに名物の「小倉最中アイス」を食べただけだった。

路地にあった小さなギャラリー 古い町並みも残っている
ページTopへ移動
古い町並みも残っている

 戻る途中で、ガレージ・セールをやっている店を見つけた。小さな雑貨屋さんなのだが、本当にガレージ前に商品を並べて売っていたのが可笑しかった。

 店で扱っている品物はほんの少しであるが、皆、オーナーが気に入った小物であるらしく、小奇麗に飾られている。

老舗、丁子屋(江戸染めの手ぬぐいが買える) ガレージ・セール

 和紙で作るランプのセットと桜の花びらが散っている和染めのハンカチ(濱模様と描いてある)を買った。それに、子供向けの日記用スタンプ、これは5mm四方くらいでシャチハタスタイルであり、様々なイベント・アイコンになっているので三個ほど。

 ランプは寝る際に良いと思って買ったが、10時間以上の連続利用はいけませんよ、と注意された。どうやら、加熱するらしい。

和染めのハンカチ 和紙のランプ
ページTopへ移動
緑化にいそしむ 台湾の街でも目にした花

 谷中にもどって、いつも寄るお茶屋さんの「金吉園」を覗く。この店は日本茶の様々な茶葉はもちろんだが、気の利いた茶器類が美しく飾られていて、小売されている。

 ブナの間伐材で作った箸を奥多摩の仏果山(ぶっかさん)(2008.04.20 「穀雨の丹沢を行く(厚木)」)で見つけたが、それと同じものが売られていた。折角なので小振りなビア・マグ(細長い一口サイズのもの)と一緒に買うことにしたが、他にも気になる磁器が置かれていた。歩き始めに見かけて気になっていたので帰りにも寄ったのだが、やはり気にかかる。一度店を出たのだが、又戻って、結局買うことにした。

「初音の森」は災害非難広場である

のどが渇いたので、途中で休憩してペットボトルの水を買った。

やたらに美味しくて、乾いた体に滲みてくる水だ、と思った。
ボトルに小さく書かれた採水地をみて驚いた。

それは、わが故郷「前橋(まえばし)」の水だった。
どおりで、染み入る、はずだ。
採水地「前橋」の水
ページTopへ移動
路地を満たす緑 購入した蕎麦の器

 蕎麦用の薬味の小皿と蕎麦猪口、それに汁徳利が気になって迷ったのだった。同じ意匠の陶器で三つのセットに出来る。

 それに、台湾の烏龍茶用の茶杯、こちらは昔風の染付けの磁器のもので、絵付けの違うものを二種類。

 五名ほどの店員さんがいて応対してくれるが、冷やかしの客でも冷茶の振る舞いがあったりして、気持ちよく買い物が出来る。年配の客には、年配の店員さんが応対するようだが、隙が無く嫌味なところがないのが、実によい。

早速試してみる 越生土産のそば
越生(おごせ)で買った乾麺。

折角なので、これを茹でて早速、買ってきた器で食べてみた。

(「粉引き」の蕎麦皿は別の店で購入したもの)
ページTopへ移動
驟雨で滝となる「夕焼けだんだん」

 店を出て、「だんだん」を登り始めたら、凄まじい勢いでまた雨が降ってきた。

 店にいる時に、店員さんが中から空模様を見て店先に置かれた縁台とビア・マグの並べられたワゴンを片付けだした。さすがに地元の人だ。「”すずき”の上の空が真っ暗だ。これは一雨来るかもしれない」と呟いて、店の奥からこコロッケやメンチで有名な「すずき」の屋根越しに見える狭い空を見ただけで判断したのだった。

 それを聞いて、竹細工などの他の店へは寄らずに駅へ戻ることにしたが、駄目だった。

 階段下にもどって、すぐそばのまだ開けていない居酒屋の日よけシートの下に逃げ込んだが、瞬く間に眼前の「だんだん」の階段を滝のような雨水が流れ出した。足元の横にある店の雨どいからも、奔流が流れ出す。それは、まるでガソリンスタンドの洗車機の中に入ったような凄まじさで、局地的な集中豪雨であった。
ページTopへ移動
老舗、中野屋 しらすの佃煮

 30分ほど雨宿りをして、雨脚がいくらか緩やかになったので、そこを出た。

 傘で降雨は防げるが、風があって横殴りに吹き付けてくる。階段の流れは奔流のままで、そこを登った後も駅まではゆるい登り坂なので、どんどん雨水が集まりつつ流れてきて、まるで小川の中を歩いているようだ。

 駅まではごく僅かな距離なのだが、また少し激しくなってきたので、もう一度雨宿りする事にした。

 「谷中せんべい」の前にある「中野屋」さんの軒先を借りる。江戸の味を伝える由緒ある佃煮屋さんだ。正統派の濃い目の煮付けで、江戸の味が楽しめる。
ページTopへ移動
店先の様子

 あとで調べたら、この店の鰻の佃煮「焼きうなぎの大和煮」は美食家と言われる俳優の中尾彬氏のお気に入りだそうだ。江戸前の味である「しらす」や「あさり」などが、名物だ。

 しらすどんぶりや、深川には味噌で煮込んだ「あさりめし」があり、貝柱のかき揚げ(小貝の天麩羅)やアナゴの天麩羅など、どれも季節感の溢れる庶民の味であるが、そうした江戸前の人気素材を佃煮として保存し、長く楽しもうというものだある。

 私は、「お茶漬けこんぶ」と「葉とうがらし」の二つを買って、断って店先を写真に撮らせてもらった。

 店先の棚は何段かあり、そこには九谷や伊万里焼きのような大皿が置かれていて、それに佃煮が盛って売られている。100g単位(だいたい300円)で買うことが出来るが、100gだとビニールの小袋に取り分けて用意されているので、すぐに渡して貰える。

 店の佇まいは古びていて黒く光る立派な柱が見えたりして町屋の造りが残っている。勝手な想いだが、できれば改装などしないで欲しいと願う。人気店の自慢の味なので、売り上げは上々というところだろうが、そのためには、谷中に行ったら必ずお土産に買うようにして、応援しなければならない。
ページTopへ移動
お茶漬け用こんぶを試す

<江戸前の味 佃煮(つくだに) について>

 「つくだ煮」は元々、江戸の埋立地である佃島(つくだじま)でつくられた物だ。

 隅田川の河口界隈には佃島(つくだじま)、越中島(えっちゅうじま)、向島(むこうじま)、霊岸島(れいがんじま)、石川島(いしかわじま)など多くの<島>が地名に残っている土地がある。「もんじゃ焼き」で有名な月島(つきしま)などは明治になってからの埋め立てなのだが、これらは、八重洲、豊洲、浅草、深川などから埋め立てて地続きにした土地だった。

 1582年に起こった「本能寺の変」の際に、出水のため渡川出来ずに足止めされていた徳川家康(とくがわ いえやす)の逃避行を助けたのが、摂津の国の佃村の庄屋、森孫右衛門を筆頭とする漁民達だった。手持ちの多くの魚船の提供だけでなく、不漁のときの保存食としていた「小魚煮」をも提供して、家康主従の危急を救った。

 彼らの手助けや伊賀越えでの服部一党の活躍がなければ、家康主従は明智光秀(あけち みつひで)に討たれていた可能性が強く、その後の歴史は変わっていたかもしれない。

 1590年の家康の関東下向時には早くも漁民達を江戸の町へ移住させた。その後1645年には彼らが中心となって周辺を埋め立てて築島し、幕府の保護により漁業権などでも優遇されて彼らはその地に永住した。品川の漁師たちと比べると、数段すすんだ漁法を持っていたらしい。江戸前の魚たちは、彼らによってもたらされた。彼らはその後、「住吉大社」の勧進や、八重洲側を埋め立てて「築地(つきじ)」をつくり本願寺の構築などでも力を振るったと伝えられている。

 幕府開府後間もなくのころからか、地続きとなってからかは判らないが、彼らの「小魚煮」を江戸の商人が「佃煮(つくだに)」という名前で売り出して全国に広まったものらしい。

 「浅草のり」などと同じく、潮の香りのする江戸の食べ物だ。日持ちがして、しかも濃い口の味であり、いくらでもご飯が食べられる。「佃煮」は独身の労働者の多い江戸のまちに打ってつけの、手ごろで画期的な惣菜だった。
ページTopへ移動
 中野屋さんの佃煮「葉とうがらし」を買ったのには訳がある。

 日光駅前に老舗があり、この店の「葉とうがらし」がとても美味しい。しかし、この店の製品は「佃煮」ではなく「たまり漬け」だ。さいたま市で暮らすようになってからは日光へあまり行っていない。久しぶりにあの味を楽しもうと買ってみた。

 こちらは、白飯といっても茶碗盛りにではなくではなく、「おにぎり」に入れてもらうことにしよう。

 ちなみに「昆布」はお茶漬け用だが、多少味が濃いがそのままでもいける。お茶漬けでもそのまま乗せてもどちらでも、美味しくご飯が頂ける。

驟雨 中野屋の隣にある和菓子屋さんの土産
ページTopへ移動