散歩(のんびり歩こう)のインデックスページへもどる 散歩(のんびり歩こう)の ページ       Top Pageへ移動Top Pageへ移動         このページを閉じる 閉じる 

2009.01.02/03
与野 七福神めぐり

アクセス;
 さいたま市中央区

カメラ;
 PENTAX K10D

レンズ;
 PENTAX M35mm F2.0
 PENTAX M50mm F1.7
 PENTAX M100 F4.0 マクロ

三脚;
  K10D:カメラの手ぶれ補正にて、三脚は不使用

 (画像添付時に約70%程度に圧縮)


 さて、新しい年が始まった。

 また一つ、歳を取ったが、世に言う「つまらない中年」にならない様にしたいものだと思う。小粋な親爺でありたいと願っている。

与野:七福神めぐり 一山神社
ページTopへ移動
 さすがに師走は忙しかった。土曜・日曜返上で仕事を続け、そのまま年末・年始へ突入したのだった。年が明けた2日になって、やっと気分転換の長めの散歩に出ることができた。

 去年も巡ったのだが、今年も「与野 七福神」を回って新しい年の縁起を担ごうという目論みだ。今年はぜひ、去年末のような状態にならぬよう、神仏の加護を願って止まない。苦しいときの神頼みなのだが、まさしくその状況であって、振り返ると本当に苦しい日々だった。過去形で書いたが、実は収束したわけではない。まだ忙しさは当分続く気配がある。そんな状態でも、せめて土曜・日曜くらいは休息したいと、幾つかの神様へお願いした。いや、実際にお願いしたのは家族の無病息災なのだが・・・。

 今年の正月は温かい日が続いている。風が多少吹いているがそれとて大した強さではなく、比較すれば穏やかなものだ。故郷前橋では、この時期、名物の「空っ風(からっかぜ)」が吹き抜けて、その凶暴さは風上に向かって漕ぐ自転車が、強風のために止まるほどだ。

 今年は仕事で明けたため、年末は勿論年始にも帰省は出来なかったが、年始に高崎から前橋、伊勢崎、太田と駆け抜けて行われる恒例の「ニュー・イヤー駅伝(企業対抗戦)」を少し見たら、コースの背景に穏やかそうな青空が広がっていて、間近にくっきりと榛名山(はるなさん)や雄大な赤城山(あかぎやま)が写っていた。

 家人と子供は、伊勢崎にある家人の実家へ28日から帰省しているが、穏やかな新年を迎えただろうか。

一山神社 一山神社の境内
ページTopへ移動
 一山神社(七福神では「恵比寿神」)は、与野の旧街道筋である本町通り沿いにあり、道路からは少し奥まった場所に本殿がある。細長い参道を入って社殿があり、その参道とその周りの僅かな幅だけが境内となっている。だから、民家の間を抜けてお参りするような形になる。

 扇状に広がる氷川神社の様子が気に入っているが、一山神社の奥まった細長い状態も赴きがある。明治時代の創建(勧進)によって比較的新しく作られたものなので、社域が狭いのは仕方があるまい。

 修験道の色合いを残す、火渡りの行事があるが、それが行われるのは冬至だからつい先日おこなわれたということになる。だから、次に火祭りを観られるのはまだまだ大分先のことになる。

参拝者が続く 境内の柚子
ページTopへ移動
田の畦に咲くホトケノザ

 2日は年末に買って元旦の午前中にメンテナンスした35mmF2のレンズを付けてテスト撮りを兼ねて少し歩いたが、それに続いて50mmを携えて3日にも散歩をした。

 悲しいことに結局大晦日までに引き続いて元旦の午後から夜、そして2日の夕方から夜までと仕事をしたので、さらに休息のご褒美があるようご利益を高める必要があった。物日(ハレの日)にこうなってしまうのは、日頃の行いのせいだが、そもそもが、信心が足りない。


 つかの間の息抜きになる今日の散歩で、氷川神社へ向かう途中の田の畦に小さく輝く色を見つけた。

 早春を彩る、お気に入りの野草、「ホトケノザ」だ。ルビー色の小さな花をつけて咲く。

 南に向いた畦の陽だまりにぽつんと咲いていた。早春の花なのだが、こんな時期にもう咲いているとは、ちょっと驚いた。例年、もう少し後に咲いてたように思うが、今年はやはり気候穏やかであり、気温も例年に比べると大分温かいのだろうか。

氷川神社 氷川神社
ページTopへ移動
 さて、与野の氷川神社に関しては、季節ごとに何回か書いている。

 2007.01.07 「七草粥(与野)」
 2008.01.04 「与野 七福神(与野)めぐり」
 2008.12.03 「ご近所の紅葉」

 などで、他にも夏に行なわれる「与野 夜祭り(2008.07.20 「与野、夜祭り」) 」などでも紹介している。それは、私がこの神社を気にいっているために違いないが、この界隈で自然が溢れ、生活の要になっている場所であるためだ。

 鳥居から続く参道脇にはけやきの巨木が何本かあって、この神社の様相を特徴付けている。奥まった場所になる拝殿の周りはちょっとした森になっていて、桜やクヌギやけやきなどの木々が鬱蒼と茂っていて雰囲気がいい。

境内の大ケヤキ 早春の花、蝋梅(ロウバイ)
ページTopへ移動
お囃子連 荷台にお囃子連を満載した小型トラックが通った。

どこかで、お神楽でもやったのだろうか。

 与野の街で「七福神めぐり」を考えた場合、私の家から巡ろうとするコース取りだと、やはり氷川神社が起点になるだろう。

 一般的には「与野本町駅」を起点として「北与野駅」へと巡るのが順当なコースらしく、氷川神社に向かって大勢の人が歩いてくる。だから私は、その人混みとは逆行する形となる。歩道が無く路側帯の白線がおまけ程度に路面にプリントされている「本町通り」の細い通りを歩くのは大変だ。  年始には車の数が少ないから危ないことはないが、普段の状態ではこの通りは車数も多くちょっと危険であろう。

蝋梅(ロウバイ) 街道沿いに残る蔵
ページTopへ移動
 与野の本町通りは、与野夜祭り(2008.07.20 「与野、夜祭り」)が行われる通りだ。

 歴史の古い旧街道であり、町もこの街道の両側から開けたので、道の両脇には幾つかの蔵が残っていて街道筋の面影を今に伝えている。商家や民家などの古い建物はすべて無くなっているが、いくつか残る蔵の様子で、往時のこの通りの賑やかさと町の繁栄が偲ばれる。

街道沿いに残る蔵 街道沿いに残る蔵
ページTopへ移動
マンリョウの実 商家の格子

 与野の本町通りを、道脇の蔵などを眺めながらそのまま行くと、やがて塔が見えてくる。二重の塔がある「円乗院」だ。この塔は川越にある喜多院の塔とまるで同じ形で、きっとどこかの有名寺院の塔をモチーフにした近代的な建築(量産的な)の標準形なのだと思う。

 円乗院も与野七福神の一つであり、「大黒天(だいこくてん)」となっている。

 その裏にある与野公園には、「寿老人(じゅろうじん)」になる天祖神社がある。私には、この天祖神社よりもむしろその裏の池にある弁天(べんてん)様のほうがご利益がありそうに思える。「銭洗い弁天」で、手持ちのお金を洗い清めるとお金が増えるという、きわめて現世的な願いが叶えられる祠がある。
ページTopへ移動
天祖神社 銭洗い弁天

 去年の「七福神めぐり」でも書いたが、この弁天様には伝説がある。

 与野の旧街道は「鎌倉街道」であり、源氏を勝利に導いた歴戦の英雄の「畠山重忠」(はたけやま しげただ)が、出陣の際にここで戦勝の願いを込めてその剣を洗ったと伝えられている。重忠はその数々の華々しい戦歴によって、鎌倉御家人として有名な人だ。

 その輝かしい戦歴からすれば、霊験はあらたかに違いなかろうと信じて、いつも私は手持ちの小銭すべてを取り出して洗っている。ところが、今回は笊にお金を入れる際に跳ねて100円玉が池に落ちてしまった。ためらう事無く袖をまくって池に沈んだ硬貨を拾ったが、改めて考えればその行為はどうだったろうか。池の中には意図的に投げ込まれた何枚ものお金が沈んでいたのであった。傍目を考えれば、冷や汗ものではないか。

 あれ、まてよ、去年も取り落としはしなかっただろうか・・・。

銭洗い弁天 銭洗い弁天
ページTopへ移動
池にいる鴨 ちょいと一休み
拾ったご利益、たちまち増えた100円玉

 拾ったご利益があり、たちまちのうちに100玉が増えた。さすがに銭洗い弁天さまだ。私は、新たなご利益を期待して増えた100円玉を持って戻り、また洗うことにした。

 いや、まあ休憩に買った焼き蕎麦のお釣りがすべて100円玉で渡されただけなのだが・・・。新年そうそう、お恥ずかしい話だった。
ページTopへ移動
 そのまま、与野公園の「バラ園」(2007.05.13 「咲き誇る薔薇」)へ向かってみた。

 天祖神社や銭洗い弁天は公園の北側の一角にある。その南側には森や広場や富士山を模した丘を挟んで有名な「ばら園」が広がっている。底へ行ってみると広い敷地の中で冬薔薇が幾株か咲いていた。

 園内をひと回りして帰る事にした。

 公園の出口近くの植え込みに山茶花(さざんか)が美しく咲いていた。アスレチック広場と薔薇園の間の歩道の境界として道沿いに何本も植えられている。

 わたしは、小声で「さざんか、さざんか、咲いた道♪」と歌ってみた。

山茶花 山茶花
ページTopへ移動