ポタリング のインデックスページへもどる ポタリング の ページ      Top Pageへ移動Top Pageへ移動             このページを閉じる 閉じる

2011.10.09
利根川サイクリングロードへ輪行する

走行距離;
 1日目;利根川サイクリングロード他 51km ;走行時間 2時間45分
 2日目;桃の木川サイクリングロード 34km ;走行時間 1時間28分

カメラ;
 RICOH CAPLIO GX−100 24mm F2.4 〜 72mm F4.4
 (画像添付時に約30%程度に圧縮)

本日の自転車
 FELT F−5


 前橋への帰省は、いつも車による。

 さいたま市中央区の自宅から前橋の南部にある実家までは、一般道を走っておよそ2時間半(片道)。基本は東京から新潟まで伸びる国道17号線を使うが、大部分の道のりは旧来からの国道本線ではなく、そのバイパス道を走るかたちになる。

 「新大宮バイパス」(旧中山道、新国道、バイパス道とさいたま市では3本の17号線が並走する)から「行田バイパス」へ、そのまま道を北上して「熊谷バイパス」、そして熊谷から本庄へ向かう途中で分岐して始まる「上武バイパス」へと入ってさらに北上し、利根川に掛る長い「上武(じょうぶ)大橋」を渡り群馬県へと入るというコース。

輪行バックの積載

FELT F5を収納して輪行する
本庄駅
ページTopへ移動
 橋を渡った先の境町(伊勢崎と合併)から伊勢崎市へと抜ける道が、私が使う主なルートである。

 菖蒲町・羽生方面から太田へ抜けるというルートや、岩槻から館林へ向かう高速道(国道4号線や東北自動車道)、あるいは花園・寄居方面から藤岡や下仁田へ(国道254号線や関越自動車道)という道もあるが、先ほどの道が埼玉県の南部域から群馬へと抜ける主要な幹線道路といってよいだろう。

輪行バックの解放 輪行バックの積載

この輪行バックの底面にはパネルが付いている。

サドルとリアエンドのバック(収納袋)への収納する位置が明快な図入りで表現されている。

こうした配慮が実にありがたい。よく出来たバックだ。

底面に対して、自転車のフレームを倒立させるようにして仕舞いこむため、リアディレーラを保護するエンド金具は必須の装備品といえる。

 伊勢崎から前橋へ向かう経路は、時に応じて様々だが、前橋・古河線の旧街道に対する「伊勢崎バイパス」を使う事が多い。それで駒形まで行き、そこから高崎・駒形線(全線が2車線)を使って西善町へ向かうという道筋を進む。

 これらのバイパスの多くは片側2車線化されているが、大宮から上尾、桶川、北本、鴻巣、吹上、行田とJR高崎線と並列して北上していくため住宅地(大宮から鴻巣辺りまでは密集地といえよう)を抜ける形となり、行田までの道路は案外に混雑する。

 その先はどうかというと、「熊谷バイパス」(鉄道沿線から外れて市域の郊外を走る)などはほぼ高架化されているし、「上武バイパス」も現在は境(さかい)以北、境・伊勢崎から前橋の国道50号線への合流(二ノ宮)までは高架化が着々と進められている。こうしたインフラ整備の効果もあって、行田から先に進むと実にスムーズに走れて、ほとんど車列が詰まる事はなく、自然渋滞というような状態に巻き込まれることもない。

 このため、我が家から実家への道のりを考えた場合、距離はともかく走行時間だけで考えると、行田バイパスへの入り口の地点が丁度、その行程での中間点という事になろうか。行田から先になってようやく家並みも途絶えて、都市部から抜けて郊外へ向けてを走るということが実感できるようだ。
ページTopへ移動
< 前橋へ向かう  (交通事情、あれこれ) >

 大筋ではスムーズに流れる快適な道路、といえよう。

 ところがこれが盆暮れやゴールデンウィークの大型連休、あるいはハッピー・マンデーによる3連休などとなると、すっかり様相が変わってしまう。片道2時間半で行けたはずの行程が、先日の連休などでは4時間近く掛ってしまって、ちょっと参った。

 これでは堪らないので、ここ何回かの3連休での帰省では、渋滞している道を敢えて進むのは止めて、体力的に数倍楽な列車での移動という手段にしたのだった。

 大宮駅から前橋まで、JR高崎線の普通列車では2時間弱が必要になるのだが、それが快速列車(アーバン)を選んで乗ると、ほぼ1時間30分で着けるのだ。

 それに帰省といってもどうしても日帰りしなければならないような場合もあって、車ではなく所要時間の読める列車での移動の方が不要な神経を使わない分、精神的に消耗せずに済む。勿論、体力的にもそのほうが助かる、といえよう。

輪行バックの仕組み 輪行バックの積載
ページTopへ移動
 こうした場合には北関東への動脈となっている高崎線が重宝するが、この路線は埼玉から都内への通勤者用の在来線といった性格が色濃く、JRもその辺りをよく心得ていて頻繁に様々な列車(籠原、熊谷、高崎行きの各列車)を走らせている。

 ただし、そうした中でも、「高崎行き」はまだしも、前橋行きとなると運行数が極く少なくなってしまって、それが前橋を目的地とする人間にとってのこの路線の大きな欠点だろう。しかし、これ以外に前橋へ向かうて手立てが無く、我慢するしかないという切実な事情がある。

輪行バックの仕組み 輪行バックの積載

 たとえば、東京駅や新宿駅、池袋駅周辺から大宮経由で高速バスくらい走らせても良いのではと思えるのだが、そうした浮いた話はまるで聞いた事がない。そういえば、確か9時発だったと思うが、「さいたま新都心」の駅横からは草津温泉行きの大型観光バスが定期運行されている。このバスが、前橋や高崎で停車してくれれば実にありがたいのだが、どうだろう。いや、やはり、採算を考えると検討する余地も無しというところだろうか・・。

 そして、そもそも話題にしているこの路線は「前橋線」ではなく「高崎線」なのだから仕方が無い、ともいえるのだが・・・。

 さらに冷静に考えてみると、この列車は、その名称とは裏腹に、ほぼ埼玉県での移動(通勤)を中心に据えて運行されているものだろう。走っている各列車は上野始発と湘南新宿ライナー(小田原−前橋などとなるとほぼ関東を縦断する状態だ)の乗り入れがあるが、高崎線の管内路線の大部分(赤羽を過ぎた先から神保原までの区間)は埼玉県内を走っているのだから。
ページTopへ移動
< JR「高崎線」について  :前橋市民の立場で考えてみる >

 高崎線を使っての帰省では「高崎行き」列車での乗り継ぎや、運よく直通列車があれば、そのものズバリの「前橋行き」を使うのが順当な選択だ。

 ところがこれに「本庄」駅までを移動の中継地として視野に入れると、前橋へ向かうための時間をさらに短縮できる可能性が生まれる。いろいろと考え合わせると、本当はこの本庄駅こそが前橋南部や伊勢崎に住む者にとっての<最寄駅>といえるのではないか、と思えてくるのだ。

 前橋に住んでいたころの習慣から、本庄駅は私にとっては馴染みの深い駅といえた。本庄・大宮間は快速運転ではない普通列車でも1時間弱しか掛らない。そして前橋(実家)から本庄駅までの道路は20km程の道のりで、途中で渋滞することは滅多にないので車でせいぜい20分といったところだった記憶がある。

 このため出張の多かった若い頃、「いざ、上野へ!」といった場合には必ず本庄駅を利用して出掛けたのだった。それは、今書いたとおり駐車してから駅への移動時間を含めても、最長90分(特急の「あかぎ」号を利用すればさらに短縮できる)で上野に出られるからだ。

輪行バックの大きさ このオーストリッチ社のものが使いよい。


後輪を外さない、などをうたい文句にした他社製品もあるが、あれはいただけない。
必要以上に袋が頑丈で、かさ張るし、なにより重いので、袋だけでひと荷物になってしまう。
しかも思いのほか、移動が楽ではなく、だいいち車内に持ち込むには大きすぎる。そもそも、自分が楽をして他者の迷惑を顧みない、という製品コンセプトがどうかと思う。


しなやかで丈夫なナイロン製で、コンパクトに収納できる。
ほぼ500mlのペット・ボトルと同じくらいの大きさだ。620mlのサイクルボトルと同じ大きさなので、ボトルゲージに収納できる。

このメーカーからは、さらに色々とバリエーションモデルが発売されているが、 私が使っている製品の仕様などは「エンド金具」(リアエンドとディレイラー用の保護具)までセットされている。
だから、保護具として購入しなければいけないのは、残すところリア・スプロケット用のカバーのみ、という行き届いた設定がされている。

先期からは、更にコンパクトな「ウルトラライト」という製品が発売された。それだと収納状態がもう250mlの缶コーヒー(デミタス・サイズ)ほどしかない。
ページTopへ移動
 さて、大宮から前橋への「下り列車」での行程を考えた時、本庄からさらに先へ向かって丁寧に列車で北上してしまうと、本庄駅から前橋駅までは最短で35分、平均すると50分程度が必要になる。

 本庄駅から高崎駅まではコンスタントに20分で済むが、高崎駅での両毛線乗り継ぎや待ち合わせでの時間調整(10分以上の停車など)などがあると、1時間近くが掛ってしまう場合もあるのだ。


 そうした事などが念頭にあって、今回の帰省では高崎駅や前橋駅、あるいは新しく開設された実家直近の前橋大島駅ではなく、思い切って本庄駅で降りることにした、という訳だ。

おばあちゃんの飴玉 本庄駅で自転車を組み立てていたら、
傍にいた おばあちゃんが話しかけてきた。

昔、自転車屋さんを営んでいたという。

いつの間にか、妹さんに買ってもらったというステッキの自慢話から身の上話になった・・・。
大分前に独り身になってしまい、妹さんに度々厄介になるのだというが、最近は数ヶ月に一度、友達2人と一緒に東京へ出掛けるのだという。
私の母と同じ年だそうで、次は皆で巣鴨へ行くのだ、と嬉しそうに話していた。

自転車を組み立て、輪行袋を仕舞い終ると、餞別に 「これ、舐めな」と渡してくれた。

母を見舞う私への、励ましの意味で呉れたものと思われる。

その飴玉は、しょうがの味で、口の中で、ほのかな辛味が広がった・・・。
ページTopへ移動
 先に書いたとおり、前橋に住んでいた若い頃、出張の際には良くこのルートを利用したものだ。

 なぜかと言えば、前橋駅は県庁所在地の中心駅にもかかわらず、JR「両毛(りょうもう)線」というローカル線しか通っていないからだ。

坂東大橋 本庄と伊勢崎の境界(埼玉と群馬の県境)
利根川に掛る
「坂東大橋」

以前はトラス組みの古い橋梁だったが、知らぬ間につり橋の形状へとリニューアルされていた。

 以下は、余談になるが・・・。

 群馬(上野:かみつけの国)と栃木(下野:しもつけの国)、上・下の両方の国名の表記は古くは上毛野国、下毛野国、と書いた。ここから、群馬を地域として呼ぶ場合に「上毛(じょうもう)」と表すことが多い。

 たとえば、県内の赤城山、榛名山、妙義山を「上毛三山(じょうもうさんざん)」と呼ぶが、それなどが顕著な用例だろう。浅間山や武尊(ほたか)山などの方が県内の山麓としてはよほど標高が高いので、地域を表す、というよりももっぱら文化圏的な意味をこめた表現で使うのかもしれない。

 御巣鷹山での日航機事故(JAL123便の墜落遭難事故)を題材にした「クライマーズ・ハイ」の舞台となった新聞社、小説では「北関東新聞」であったが、群馬県の地方紙(前橋本社)である「上毛新聞」がそのモデルだ。

 その二つの「毛野国」を結ぶ路線なので、「両毛線(りょうもうせん)」。

 群馬県の高崎駅と栃木県の小山駅間を平均4両編成で走っている。(ラッシュ時などは5・6両に編成が増設される。)
ページTopへ移動
< では、という事で「輪行」を試みる >

 さて、今回。

 輪行を試みる、ということで、さいたま新都心駅のコンコースで自転車から前後の車輪を外して束ね、輪行用の大きな収納袋に入れて、丁度やって来た高崎線の列車に乗り込んだ。

 自転車は、生身の状態のままでは列車には積み込めないが、こうして畳みこんで袋に入った状態になっていれば列車への手荷物(持ち込み)として乗り込めるのだ。JRの規定枠としては特に別料金は掛らないので、乗車する人が負担する通常の運賃のみで済む。

 ただし、それは袋詰めの状態である事が前提なので、輪行バックと呼ぶ畳んでしまえる丈夫で大きな袋が列車移動での必須用具となるのだった。

坂東大橋から「利根川」を見る 坂東大橋から見る
利根川

高崎、玉村側望む

 当然ながら、運び入れる事(持ち込み)が出来るからといって無頓着に大きな袋を乗せる訳にはいかない。

 車内での犬連れの人達の傍若無人振りは最近気になるものだが、我々が同じ無頓着をしてしまったら、今後は自転車を運び入れる事が出来なくなってしまうだろう。


 当たり前だが「マナーとしての配慮」は必須のものだ。近頃はすっかり忘れ去られた感があるので少し寂しいが、社会生活を営む以上は必要不可欠な「道徳律」ではなかろうか。

 複数人で乗車する際は一か所で固まらずにドア位置や車両を分散する事、ラッシュ時は避ける事、通路やデッキを塞がない事、などは自転車乗り(先人達)が自ら守り、我々が育ててきた仲間内での当たり前の決まりごとである。これを守れなかったら、最早、自転車乗りとは言えまい。

 先の犬連れの人達ではないが、そういう輩と同じになってしまっては、どこか大切な部分が壊れてしまったのだと言わざるを得ないし、だとしたらペダルを漕ぐ資格も無かろう、と思うのだ。
ページTopへ移動
< 輪行 「利根川サイクリングロード」を走って前橋へ向かう >

 列車で移動し、駅のロータリー横で自転車の組み立てを行った。「組み立て」といっても、外してあった車輪をまたはめて、車軸をフレームに締め込むだけなので、作業は至って簡単なものだ。

 ところで、こうした分解収納時は、コンパクトに畳み込むためにペダルの位置などでだいぶ神経を使う。リアのスプロケットでフレームを傷つけてしまう事やディレイラーの保護をおざなりにして曲げてしまうなどといった起きやすい障害が伴うからだ。

 収納後、袋を抱え込んでの移動量は大したものではないが、それでも改札口からホームへは自転車の入った袋を脇に抱えて運びつつ動かなければならない。収納の際にしっかりフレームとタイヤ、タイヤとハンドル、タイヤとサドルの3点をバンドで止めて置かないと袋の中で束ねたフレームと前後の車輪が崩壊してしまう。

 こうしたアクシデントから身を守り、さらにほかの乗客へ怪我をさせる危険が無いように突起物や歯車系の扱いに気をかけて、安全に収納しておかなければいけない。

坂東大橋(伊勢崎側) 利根川サイクリングロード
ページTopへ移動
 私が使っているオーストリッチの収納袋(ロード220)は、タイヤ用の仕切りが両サイドのパネルにあって、その部分がポケット状になっている。

 タイヤのほぼ半分がポケットに入るので、先の3点結束は出来ない。一面、楽な仕組みではあるが、サドル部分とホイールとを束ねられない仕様になっているのでフレームとの固定とタイヤ同士でのとじ込みの工夫が必要になる。

 このため、収納にはいつも気を使う。しかも、この収納の状態がまずくてフレームに傷をつけてしまう事が起こりやすいのだった。

 まあ、そうはいっても3回ほども列車で輪行をしてみれば、こうした配慮や手際は自然に身に付くものだといえよう。

 自転車だけでの移動から比べ、さらに列車を利用するという事で移動時間そのものを短縮できるし、何より中年の枯れ始めた体力を温存できる最大のメリットがある。

 こうした「輪行」の利用・活用で、<遠征>が思いのほか手軽に運ぶ結果となるのだ。

利根川サイクリングロード 利根川
サイクリングロード
ページTopへ移動
< 「利根川サイクリングロード」の実走 >

 さて、今回のコースだが、本庄駅から前橋南部にある私の実家までの走行距離はほぼ20Km。

 その大部分は利根川サイクリングロードを走る事ができる。前に紹介した「桃の木川サイクリングロード」の入り口として利用した駒形では、周辺の道々で「利根川CR」への順路が案内されていて、例えば高崎・駒形線などでは交差点ごとに案内標識が立っている状況だ。

 利根川CRをコースとして進むのだが、高駒線に掛る「南部大橋」のところまでを走らずに「五料(ごりょう)橋」を少し過ぎた「宮子(みやこ)」辺りから、真っ直ぐに北上して近道をしようと思っている。先に紹介した若き日の出張の際の経路を進むわけだ。


 本庄駅から利根川を目指し、伊勢崎との境界となる長い「坂東大橋(ばんどうおおはし)」を渡る。「坂東」はほぼ関東と同義だろうが、「坂東太郎」というのが利根川の呼び名として通ったものだ。

 利根川の流域は長大で、温泉で名高い「水上(みなかみ)」の奥地を源流域として流れ始め、関東平野を北から東へと流れていく大河だ。その流域規模は日本最大級の河川といえ、最終的には銚子へ流れて太平洋へ注ぐ。

利根川サイクリングロード(上武大学の先) 群馬の南部地域、高崎、玉村、伊勢崎、そして前橋を幾本もの川筋が通っている。

このため、河川敷や川の土手を利用した自転車専用道路が随所に整備されている。
ページTopへ移動
 さて、その長大な利根川。渋川市(金井)から行田市(須加)までの川土手に沿って「利根川サイクリングロード」が整備されている。

 自転車道路の長さは実に67.7kmに及ぶ。

 その先は江戸川サイクリングロードや荒川サイクリングロードへと乗り継げる。江戸川は利根川から分岐して東京を縦に割って流れ始める河川だから、そのまま川に沿って進めば江戸川CRへ乗り入れられるようだ。

 しかし、コース同士自体は直結していないため、それらに接続するためには自転車専用道路ではなく一般道を抜ける必要がある。荒川CR(実は「自転車専用道路」ではなく緊急時輸送道路で、大災害の発生時に首都への物資を輸送するための広域道)にしても江戸川CR(こちらは自転車専用道路)にしても、一旦どちらかに乗り入れれば東京湾まで走れるという事になる。

 これを制覇すれば素晴らしいロングライディングになるが、果してこの距離を一日で走れるものかどうか。

利根川サイクリングロード(上武大学横) 利根川サイクリングロード(五料橋)
ページTopへ移動
 利根川は水力発電だけではなく首都圏の水瓶としての性格も持っていて、上流には多くのダムがある。

 利根川の最上流域を「奥利根(おくとね)」と呼ぶ。奈良俣(ならまた)、八木沢、須田貝(すだがい)、藤原と目を見張るほどの巨大なダムが重層的に続く。

 水上(みなかみ)辺りの利根川は激流といってもいい流れで、国体のカヌースラローム(カヤック)競技の会場として有名な瀬(照葉峡・諏訪峡)がある。岩肌を洗いながら沼田へと流れてきて尾瀬方面から流れる片品川と合流し、さらに渋川で吾妻(あがつま)川と合流して川幅を広げる。ちなみに吾妻川は、吾妻渓谷に予定された開発の是非を問われてる「八ッ場(やんば)ダム」で揉めている利根川の有力な支流だ。草津に出かけた方なら、この美しい渓谷に沿って走った事があるだろう。

 前橋の南部辺りから次第に川幅を広めて高崎(玉村)で烏川と合流し、一層川幅を広くする。だから伊勢崎辺りまで来るとかなりの川幅となる。前橋に掛かる橋はそれほどの長さではないが、伊勢崎から利根川を渡る橋はどれも大きくて長いものだ。

利根川サイクリングロード(五料橋) 利根川に掛かる
「五料橋」
ページTopへ移動
 実走の様子を紹介しておこう。

 「坂東大橋」を渡って本庄から伊勢崎に入り、土手の上に作られた専用道路を進む。

 橋の近くにはゴルフコースがあったが、その先の河川敷(土手の内側)は積極的には利用されていないようだ。荒川の様なスーパー堤防というか2段の堤防ではないので、コース上から川までの距離が近く、土手から川面を見る事が出来る。利根川の流れは速いのだろうが、土手上から光る川筋を見ると、川幅があるためか静かにゆったりと流れているように見える。

 上武大学のグランドを右手に見ながら暫く進むと、やがて「五料橋(ごりょうはし)」が現れる。本庄駅からは5・6キロといった距離だろうか。その橋を渡って玉村方面へ向かっても良いがちょっと遠くなるので、そのまま川に沿って進む事にした。

利根川サイクリングロード(宮子) 利根川サイクリングロード(宮子)


五料(ごりょう)橋から宮子(みやこ)側の河川敷にあった小さな飛行場

農薬散布の基地だろうか?
ページTopへ移動
 走っていて横を見たら、小さな飛行場が河川敷の土手にある事に気が付いた。初めて気付いたのだが、以前からあったのだろうか。丁度、小型の飛行機が駐機していたが、飛び立つぶまで見ているわけには行かないので、そのままそこを離れた。「宮子(みやこ)」に入ったようで、行く先に葡萄畑の広がりが見えてきた来た。そのあたりで利根川の川筋から離れることにした。

 葡萄畑の一つを抜けたところで実家の横を流れる「宮川用水」と思われる水路を見つけたので、この水路に沿って北上する事にした。葡萄畑の広がる一角を抜けると、その先に金色に輝く田園が視界一杯に広がった。更に進んで、駒形の横手を走り、北関東自動車道の高架をくぐって進んだ。

 「東善(ひがしぜん)」の住宅地を抜けて、高崎・駒形線に出た。もうひと漕ぎで実家に着く、という地点だ。サイクルメータを見ると、本庄駅からは18Km、あと2キロの道のりを残すのみだ。

利根川サイクリングロード(前橋 南部) もう、来週あたりは刈り入れとなるのだろうか。
田植えもそうが、稲刈りの時もにぎやかで良い。

米の収穫時期の畦は、どことなく華やぎを感じる。

ここは、前橋の南部だが、見渡す限り一面の田園が広がる。

遠く霞が掛かっているので山並みが見えないが、
本来なら、地平線の向こう側(北方)に忽然と、
赤城山が長い優美な裾野を引いて横たわっているはずだ。
ページTopへ移動
< 前橋から赤堀(あかぼり)を往復する >

 実家で荷物を降ろして、一休みし、そのまま赤堀へ向かった。

 母親を見舞うためだ。実家から赤堀までの往復はメータ値で31km。この日は都合、51kmを走った計算になる。

 赤堀は最近になって伊勢崎市に合併したため伊勢崎の郊外となったが、前橋から桐生へ向かう途中にある古くからの集落だった。上泉(かみいずみ)、大胡(おおご)、新里(にいさと)、粕川など赤城南麓に続く町がある。それぞれが前橋市や桐生市に合併したわけだが、その南にある赤堀は市制は布かれていないが暫くは独立した行政だった。そのため、町としての規模がある。古い城跡がいくつか残る、基本的には豊富に流れる河川を中心に広がった、田園地帯の長閑な土地柄だ。

利根川サイクリングロード(前橋 南部) 前橋南部に広がる
田園地帯

 そうした集落を縫って縦に流れる清流のひとつ、「桂川」のほとりにある介護施設に母は世話になっている。今年の5月の入所であった。そのため当初は頻繁に赤堀へ行ったが、少し落ち着いたお盆過ぎからは月に1度、この施設を訪問している。

 本庄駅に着いたのが、11時30分。自転車を組みつけてそこから前橋へ移動して1時間弱、前橋から赤堀までが登り道で(思いのほかきつくて)やはり1時間。施設からの帰りは結局16時近くになった。

 赤堀からは、山際(赤城の南麓を掠める)の前橋・今井線を走って戻ることにした。
ページTopへ移動
頭を垂れる稲穂 稔るほど
頭を垂れる 稲穂かな

 「今井線(赤堀から前橋を結ぶ地方道)」は伊勢崎の北方にある「産泰神社(さんたいじんじゃ)」の横手を抜ける道だ。前橋にある赤城神社の「一の鳥居」の脇を通るのだが、山麓ではないが、いわば山際に沿って走る街道だ。

 「さんたい さん」は我が家の子供が七五三のお宮参りをしたところだ。由緒ある神社で、厩橋(前橋)城主の酒井雅楽頭(うたのかみ;幕府老中・大老)が造営したと伝承される古い社殿が残っている。

 酒井氏は重忠、忠世、忠行と続く、幕府の実力者だ。2代藩主、忠世の娘は真田信之(幸村の兄:沼田城主>上田城主>松代城主)の長男の信吉(のぶよし:沼田城主)の正室となっている。

 古式を留める優美で重厚な社殿があって、ずいぶんと遠くからもお参りに来る人たちが絶えない。造営(再建)が忠世の治世とすると、1613年頃の造営となるが、あるいは重忠が那波城主(後に伊勢崎藩へ併合)としてこの辺りを納めていた頃のものかもしれない。
ページTopへ移動
穀倉地帯(前橋東部) 地平に遠く、黒くみえる部分が町並みだ。

駒形、東善、山王と過ぎれば、その家並みの少し先が実家のある町になる。

 久しぶりに神社へお参りしたかったが、日が落ちてしまっては面倒なので、そのまま走り抜けることにした。

 「大室(おおむろ)」の辺りまで来たときに、ふと、千福食堂(2011.09.24 桃の木川(広瀬川)サイクリングロード)が思い浮かんだ。多分、空腹がきつかったのだろう・・・。そういえば、さいたま新都心で買ったおにぎりを一つ食べたきりであった。前回食堂を訪れた時にメニューをみて、ラーメンがいやに安かった記憶があり、それが思い出された。

 自然にそのまま交差点を南下していて、気が付くと私は、食堂へ向かっていたのだった。
ページTopへ移動
千福食堂のラーメン <千福食堂のラーメン>

「中華そば」
更に以前なら「支那そば」と呼んだ、
正統派の<東京ラーメン>が出てきた。


シナチク、チャーシュー、ホウレン草、
刻みネギ、ナルト、という定番のトッピング。

この店では、ラーメンとはかくあるべしという
大切な「黄金率」がしっかりと守られていた。

 注文して、運ばれてきたラーメンを見て、思わず微笑んでしまった。それがあまりにも予想した通りの展開だったからだ。

 テーブルに置かれたのは、何の変哲も無い「東京ラーメン」。子供の頃、祖母が「支那そば」と呼んでいたモノがそこにあった。中学生の頃、プール帰りに友人と食べた、あの味と同じだった。醤油ベースで極くあっさりと仕立てられ、メンマ数切れとナルト一枚、それにホウレン草のお浸しが一つまみ、輪切りに刻んだ長ネギ少々、そしてチャーシューというもの。

 まさに、小遣いをやっとの思いでねだって獲得した数十年前のご馳走がそこにあった。(確か当時は300円位だったが、考えてみると、今のこの店の値段とあまり変わらない。)
ページTopへ移動
 「荒砥(あらと)」地区と呼ぶ場所で、冬場は赤城(あかぎ)山から吹きおろす「赤城おろし」の直撃を受ける。そんな平坦な田園地帯の中にある店だが、多分この地区では一番大きな店かもしれない。そこを地盤とする友人S によれば、地域では有名な店なのだという。

 と前回紹介した店だ。

 休日は近所の母さん連中が動員されて繁盛する店を手伝っているようだ。今日も前回同様に、何人かのおばさん連中、いやすでに「おばあさん」と呼んでも良いかもしれない手伝いの人達がいた。少し遅い時間なので、「かかあ天下」を地でいく農家を支える逞しい「おっかさん」3人が一列に並んで美味しそうなカレーうどんを食べていた。この店は客が空くと「まかない飯」を店のテーブルで並んで食べる風習のようだ。

 少し前(今ほど機械化が進む前)は、田んぼの畦道にお茶のヤカンを据えて、傍らに並んで腰をおろして、大きな笑い声を交じえながら農作業の合間に食事をする様子がよく見られた。テーブルに並んで腰掛けている小母さんたちの底抜けに明るい様子を見ていると、そうした農作業での様子が自然に浮かんでくる。この前は五人の小母さんが並んでいたので、一層そうした感じがしたものだ。

 口いっぱいにおにぎりを頬張って畦道を明るく賑わせているかのように、一列に店の入り口に向かって座り、一様に屈託ない笑顔を浮かべて食事を楽しんでいる。その様子は少し滑稽味があるが、客が来れば直ぐに動けるようにという目論見が当初はあったからなのだろう。

 しかし今では皆さん、お年を召されて、堂々とすっかり根を下ろしているといえようか。どの人をとっても、少しの事では動く気配が無い様子だった・・・。

千福食堂の「焼きまんじゅう」 千福食堂の「焼きまんじゅう」

たれを着けた後に更に焼く。
この<焦がし>加減が独特で、これが無ければ始まらない。
焦げ具合の出来不出来は、その店の腕前を物語る目安のひとつだろう。

 しかし、この店はそもそも、入り口を入った客がテーブル席に掛けても小母さん達はやって来ないのだった。

 奥の調理場との境にカウンターがあって、客はそこまで行って自分から注文をする必要がある。お茶も注文台の横にディスペンサーがあって、セルフサービスになっている。私などは、そうした店の「しきたり」など知らないものだから、最初は戸惑った。いや、面食らったといっていい。前回一緒に行った友人Sにしたって、席に腰を落ち着けて暫くしてから、あっそうかと言いながらお茶をとりに行ったほどなのだ。

 多くは常連なのだと思うが、客は皆、平然とした様子でそのルール(店の鉄の掟?)を守っている。どちらかというとドライブイン(サービスエリアの定食コーナー)に近い感覚で、まあ、サービスという点では一歩引いている感じだ。やはり、いわゆる田舎の食堂なのであった。(不愉快といった感じは無く、決して悪い意味ではないので、誤解なきよう。)


 熱心にカレーうどんを食べるおばさん達を横目に、一人奮闘している店の娘さん(40代といったところか)に「焼きまんじゅう」を焼いてもらった。

 前回のかつ丼と違ってラーメンは普通のボリュームだったので、充分にその場で食べることも可能だったが、家に戻った際に食べようと思い、お土産用にお願いした。人のいない実家に戻る寂しさから、何かしら戻る際の楽しみのようなものを作っておこう、と考えたためだ。

 それを一人で食べるのが味気なければ、たとえば、翌日集まってくる友人達に振舞っても良いのだから・・・。
ページTopへ移動
< 友人のロード車デビューを祝う >

 さて、翌日のお話。

 随分恰幅が良くなった友人KUが自転車を譲ってほしいという。複数台持っているのなら、「メタボ対策で痩せたいと願っている古い友人のために、ひと肌脱いでは呉れまいか」という話が今回の発端だ。

 中学生の頃の彼は飛びぬけて体格が良くて運動神経も抜群だった。

 野球部の中心的な存在で、他のスポーツも何でも出来た。私たちは「巨人の星」の世代だが、だからアニメに出てくるオズマが実際にいれば、彼の様ではあるまいか、と思った事もしばしばだった。今では私と身長が変わらないので、骨格が違うとはいえ同程度の体重でも問題はあるまい。しかし、今の彼の体重は驚くほどだし、随分突き出てしまったお腹などには目を見張る。

桃の木川サイクリングロード 桃の木川
サイクリングロード


中学時代の同級生達
得難い幼馴染み達だ

 いや、本当はさらにその前、皆で集まった折に私が自転車で遠乗りをする話をしたのがきっかけだった様に思う。何が良い点なのか、と聞かれて、改めて自転車の良さについてを語ったのだった。

 普段では判らない「風を感じ」、「季節を感じる」。さらにそれだけでなく「季節の移ろい」を感じてそれを身近なものとして実感する事が出来る。自転車に乗れば、誰もがそうした自然のあり様を受け止められる、その点が素晴しいのだ、と。
ページTopへ移動
 オヤジ達で結成した自転車会。その名も「自転車s」。

 ロードデビューを飾る友人のお祝いの集まりとともに、実は今日はその発足の日なのだった。

 前回書いたように、帰省した折に友人Sとは何度か自転車で走っていた。その繋がりを母体として、この際みんなを引き込もう、という事になった。集会のたびに熱く自転車の話をしたことが、同調する仲間を増やす結果となったわけだ。

 勿論、今回の集いは、ロード車でデビューしようとしている友人KUへの自転車の引渡しと、ロード車での乗車のイロハを伝授するのが目的だ。

 そのレクチャーの一環(実地研修)としてポタリングをする、という主眼があった。であれば、この際、折角だから他の仲間も招集しよう、というノリから私が<檄文>を回したのだった。

 元々ロード自転車にずっと乗っているWや、最近クロスバイクの中古を買ってスポーツ車を持っているK、それにいつものSなども集まって、当日のメンバーは5名という盛況な状態になった。中学の同級生だからみな年齢は一緒で、だから一様に御年51歳となった訳だが、そうした外見上からもオヤジ然とした中年が、日曜の朝からいそいそと満面に笑みを浮かべて集まった、ということだ。

 傍目には一種不気味な光景なのだろうが、取り組みの方向が、実にその、なんとも<健康>そのものではないか。

桃の木川サイクリングロード 広瀬川(桃の木川サイクリングロード)

せっかくなので、ロード車デビューを前にした友人への講義内容を紹介しよう。


・簡単な整備教室:

 タイヤの付け外し方(クイックリリースの締め方と、プレート羽根の位置)
 キャリパーブレーキの留め金について
 タイヤ空気圧の調整(フレンチバルブの操作)、英式空気入れ用のアダプターの使い方
 ライト及びフリッカーランプについて
 サドル高の調整
 リアディレイラーの仕組み


・乗り方教室

 歩行者の保護
 変則ギヤ(シフター)の操作方法
 ブレーキングについて


・乗り方教室(応用・実践編)

 カッコいい信号待ちでの立ち方
 通っぽい乗り方と降り方
 コケないためのコーナリングでの足位置と加重の方法
ページTopへ移動
私の愛車(FELT F5) FELT F5

さらに、応用・展開編として、

・用具について

 ヘルメットの被り方、その際のサングラスの付け方
 オヤジライダーの必需品 裾留めベルトの使い方
 サイクルジャージ、レーシングパンツの効用
 サイクル・グローブの有効性

 といった諸々の内容を一通り講習したのだが、後半はちょっとダレ気味になってしまった。しかし、熱心に吸収してもらっていることは、その顔つきから判断できた。

 すっかり中年となった私達の普段の乏しい集中力で望んだものとしては、上出来の部類だったろう。
ページTopへ移動
友人Kの愛車 友人KUの愛車

引渡し式及び贈呈式をおえて、無事友人KUの所有となったGTR−4

 こうして、デビュー戦に挑む友人KUへのロード車への入門教室を実施したわけだが、一部、途中は友人Sとの”ウンチク”大会に走りそうになって、脱線しつつも方向修正を行なったりして、本当に愉しいひと時を過ごした。

 そしてもう気持ちの上では充分に走る準備も整ったので、やんわりと実地トレーニングに行こう、という事になった。


 こうして我が仲間達は、その結束をより確かなものに強化するため、いよいよ「桃の木川サイクルングコース」へ乗り出した、というわけだ。

 去年の七夕に前橋で集まって以来、ほぼ2ヶ月に1度の集いを重ねてきた。それは、私達の出た中学に近い居酒屋が主な舞台となってのものだが、2次会は落ち着いた割烹店へ行ってしんみりと話をする、というのが何時ものコースだった。そうした集まりを積み重ねて、お互いの心を判り合い、その生き様に共鳴してきた訳(手放しの同調ではなくて、時に手痛い批判を浴びる事もある)だが、これでまた、新たな一歩を踏み出した、という事になるだろう。
ページTopへ移動
友人Sの愛車


友人S(上)と友人W(右)の愛車。

こうしてみると、
クロモリフレーム(クローム・モリブデン鋼製)もまた、
秀麗で素晴しい。

前橋の自転車店タキザワのオリジナル「HARB」、と
往年の名車 FUJIの「オリンピック」
友人Wの愛車

< 「桃の木川サイクリングロード」を走る >


 さて本日のコース内容をおさらいすると、

・実地走行
 西善町より、小屋原、駒形を経由して「桃の木川サイクリングロード」(2011.09.24 「桃の木川サイクリングロードをポタリングする )を走り、若宮町(北代田だろうか)の<ホワイト餃子>まで

 というもの。

 同上コースの往復で、実走した走行距離は33.7キロだった。

 集団走行での注意点や、そこで必要となるハンドサインの意味について、あるいは変速機はこまめに切り替えましょう(回転数を保つ事が大切)など、実践的な内容について、休憩するごとに少しづつ伝えていった。
ページTopへ移動
 まあ、初ロードでのデビュー記念、そして「自転車会」の初回集会としては、上出来だったのでは、と思っている。

 さらに、これは実は想定外の出来事だったが、友人Wによる緊急に追加されたいくつかの楽しい実践講座があった。

 ・逆ウイリーパフォーマンス(最悪の失敗事例)
 ・チェーンを敢えて外す方法
 ・帰り際にコケルる方法

 といった特別講義が力強く伝授されたのだった。 実に、なんというか、心強いかぎりではないか。

トレーンを組む 桃の木川サイクリングコース

 私達の集団のスキルはというと、まったくの初心者と、数回しか乗っていない者、ブランクを空けて暫く振りに乗る者、などによる混成部隊だ。だから思い切り走るという訳には行かない。

 このため、5キロ毎に休憩を入れながら、馬鹿話に笑いころげつつ、桃の木川を眺めながら「のんびりと、走ろう」というのが、今回の取り組みの屋台骨だった。

 こうして、初秋の静かな川面に沿って走る爽快感を皆で味わった訳だが、それは私にとっても久し振りの晴れやかな気持ちを伴ったものだった。
ページTopへ移動
 荒川や多摩川や江戸川など専用のサイクリングロードとして整備された場所は、みな大きな河で、川岸(河川敷)を走るコースから川面を見ることが出来ない。ところがこの桃の木川のコースでは道の横は直ぐに岸辺の土手で、そこに立てば川底の石が透けてみえる川が目の前にあるのだった。滔々と流れる清流を直ぐ目の前にしてのポタリングは、走る私達に格別の気分をもたらしてくれた。

 コスモスやサルビアがコース沿いに咲き、澄んだ流れに釣り人が静かに竿を差す・・・。

 そんな秋口ならではの光景が楽しめて、充実した時間の流れを感じる事が出来たのだった。

 自転車を漕いで自然を感じるその楽しさ、も格別なものなのだが、頻繁にとった休憩での古い友達との会話があって、充足感や愉しさといったものが更に深くなったのだと思っている。

トレーンを抜けて逃げを打つ(先行) 桃の木川サイクリングコース

 私の愛車、GT社のGTR−シリーズ4(2009.11.15 いざ、ロードへ(自転車に乗ってU))だが、各部の状態をチェックして、様々なパーツを付属した状態で友人KUへ譲ったのだった。(諭吉さん4人ほどでだが、恐縮した彼は野口博士を3名ほど追加してくれた。)

 GTR−4の走行距離は1500km程なので、その自転車は、状態からすればまだ全くの「新品」といえようか。彼にとっては、決して悪い買い物ではなかった、と信じている。
ページTopへ移動
引き渡した内容はというと・・

 ・シマノ社の105キャリパーブレーキとULTEGRA(アルテグラ)のブレーキ・シューのセット。(メンテナンス・交換:ブレーキ(2009.12.12)
 ・付け替えたステム。(メンテナンス・交換:ステム(2009.12.18)
 ・FSA社のショートリーチ・ハンドル。(メンテナンス・交換:ハンドル(2010.08.21)
 ・後付けのビンディングペダルとセンタースタンド。(メンテナンス・交換:ペダル(2009.11.20)
 ・さらにエアポンプとボトルゲージとボトル。
 ・LEDライトの類(フロントランプとリアのフリッカーランプ)。
 ・サドルバックとスペアチューブ、パンク修理とレンチの一式。

 そしてスペシャルプレゼントとして消費カロリー表示機能つきのサイクルメータ。これは新たに購入して、この日に備えて自転車へと装着しておいた一品だ。


 それにお古で申し訳なかったが、ヘルメットとグローブも渡した。

 さらに未開封のレーシング・ジャージとレーシング・パンツ(ともに秋冬もの)もプレゼントした。盛りだくさんの内容で、だから何かを新たに買う必要が無い状態。

 これで、友人KUは、心置きなく「メタボ対策」に取り組めるはずだ。

トレーンを抜けて逃げを打つ(先行) 川面をそよぐ、柔らかな秋風を感じながら走る。

平均車速は21から23kmほど。

軽く汗を流す、といった負荷度合い。
のんびりムードが溢れて、
まさに「初秋のポタリング」といった状態だ。



なんと、心地がよいのだろう。

 ただし、ロードデビューを祝ってプレゼントした、体にフィットするサイクルウェアを着るのは、だいぶ出てしまった彼のお腹が少し引っ込んだ後でないと難しいようだ。だから、ひょっとすると、この冬を通り越して春過ぎになってしまうかもしれない・・・。

 新しいウェアを着て、精悍なロード車に跨って颯爽と走る。多分それが命題の「スリム化」への大きな目標になるはだ。ダイエットの励ましとしてはかなり有効な手立てだ、と思ったのだ。

 ・・・だって、折角のウェアが目の前にあるのにそれを着られないのでは、誰しも少し悲しいではないか。ウェアを着こなすと言う目に見える目標に向かって、俄然、奮起してくれるに違いないと思っている。
ページTopへ移動
桃の木川サイクリングコース 桃の木川
サイクリングコース

 今回の催しに際して、以前からたびたび一緒に走っている友人Sも差し入れを用意してくれていた。友人KUのためのサングラス、それにサイクルウェアではなく普通のパンツで乗車する際の、裾を括って留めるための反射素材のバンド。

 さらにこの日集まる仲間たち全員へ向けての差入。

 彼の奥さんが、自宅でなった栗の実を使って「炊き込みご飯」を作って、それを小さめに結んだ「おにぎり」にしてくれたのだった。

 秋の味覚と雰囲気がいっぱいの炊き込みご飯の味は格別で、「手塩に掛ける」とはまさにこの事なのだろうが、その温かい心遣いが気持ちよく伝わってきた。
ページTopへ移動
桃の木川サイクリングコース 差し入れのおにぎり

自宅での生り物だという栗が甘くて絶品だった。
いや、勿論、美味しかったのは季節感いっぱいの栗の実だけではない。


周りの景色もであるし、和やかな雰囲気もそれを倍加させた。
さらには、炊き込みご飯の向こう側に見える友人Sの奥さんの志。

こうしたものが重なって、
ぎゅっと、一握りにされた味、といえようか。
一口食べる度に、こうしたものが広がって沁みて来た。

 ホワイト餃子で皆のお腹は満ちているのだろうが、それがまるで気にならず、すんなりと食べる事が出来た。

 お世辞やお愛想ではなく、こころから美味しいと思ったという事は、食べた皆の笑顔や口々に漏らした驚嘆の声がそれを物語っていた。

 そして、お腹だけではなく、今度は私たちの心が、その優しさや思いやりで満ちてきたのだった。


 川筋のサイクリングロードでは、市営テニスコードの裏(若宮や三俣)のあたりで、少し広いスペースが取られている。コスモスが植えられた場所もあって、和やかな雰囲気が広がる。そうした一画で、古い友人と流した汗を拭きつつ笑顔で休憩した。

 しかも、そうした雰囲気の中で、この温かい差入れを味わえたのだから、これはもう<素晴らしい>の一語に尽きよう。


 ふわりと川面を流れてきた秋風が汗を浮かべた肌身に心地よい。川や花、吹く穏やかな風や甘い栗の味覚など、様々な「小さい秋」に囲まれた。そんな初秋の愉しみを、私たちは心から堪能したのだった。
ページTopへ移動
桃の木川サイクリングコース トレーンを組む

 サイクリングロードを走り終わって、また私の実家に戻ってきた。

 そして、改めて、彼にロード車についてやその走行感はどうかなど、今日の感想を聞いてみた。

 友人KUは真顔になって、今回の経験で私が以前話していた意味が実感として感じ取れた、といってくれた。本当に「風を感じた」し、季節をいまだかつて無いほど身近に感じる事ができた、と。

 そこで出会った爽快感は今までにない新鮮なもので、新しい体験だった。それは自分にとってはひとつの驚きだった、という・・・。

 私は、その言葉を聞いて、ひどく嬉しくなった。彼のためを考えて色々と準備した甲斐があったし、自転車を薦めて良かった、と思った。としみじみとした気分になっただけでなく、何故か少し誇らしくもあった。こうした思惑であれば、自転車を投げ出す事はまずなかろう。多分、春先には私のプレゼントしたジャージを問題無く着られる事だろう、と喜ばしくなったのだった。

 友達冥利につきるな、と温かい心で満たされた有意義な一日になった。

 そして私は、これでまた、しばらくは元気でいられるに違いない、と思ったのだった。
ページTopへ移動
< 本日の旨い物   ホワイト餃子 前橋店 >

 「桃の木川サイクリングロード」のコースを走っていると、若宮や北代田あたりで、赤城県道を横切る事になる。その地点から30m程市街地側(東武バイパス側)へ向かったところにホワイト餃子の店舗がある。

 2階建てだが、上の階は営業には利用していないようだ。宴会場の設えなのかも知れないが詳しくは判らない。店内はそれほど広い訳ではない。カウンター席が6席程と、10名程も座れる大きなテーブル席、そして4名程の小テーブル席が4セット。やはり前橋にある店(都内での営業店なら駐車場は不要で、その分店舗を広く採るだろう)で、専用駐車場は店舗を挟んで2箇所にある。3台用と広い方(桃の木川側)が8台ほどだろうか。

 桃の木川CRを走る自転車乗りにとって、店のロケーションは抜群で、ポタリングの休憩にぴったりだろう。あるいはこの場所は、赤城のヒルクライマー達の帰路上でもある。

 ダイエットが目標で自転車に乗っている場合、食べ過ぎてしまう危険をはらんでいるので、店では特に注意が必要だ。何といっても熱々の餃子が美味しいし、この店のモノは後を引くのだから・・。

 しかも、嬉しい事にご飯やキムチ等も置いてある。だから、満腹になるまで食べたくなってしまう。

 運動後(あるいは運動中)の旺盛な食欲の状態であったり、餃子好きであったりした場合には、充分な決意を持って店に入り、迫り来る誘惑を思い切って断ち切る必要がある。

ホワイト餃子(前橋店) ホワイト餃子(前橋店)

店はちょうど昼時で、非常に混雑していた。

前橋で行列になるのは珍しいと思う。

20分ほど順番を待って、
ようやく入ることが出来た。
ページTopへ移動
 数あるチェーン加盟店の中でも前橋店は古株。老舗に入るが、最近はすっかりご無沙汰していた。

 それが、去年ふと立ち寄ったら、もういけない。数ヶ月に一度、無性にここの餃子が食べたくなってしまうのだった。

 しかし、そこは高校生の頃、学校帰りによく立ち寄った、馴染み深い店なのだった。私の家は前橋の南部にあって、もうすぐ伊勢崎や玉村になるという前橋の南の果てといってもいいような場所(今の実家の位置だが)だ。高校は新設校で私達はその一期生だったが、市街地ではなく新しく南部(郊外)に作られたので、私の家からは自転車で8分程で済む距離だった。ホワイト餃子があった若宮町の辺りは、そろそろ赤城山への登り始めといった場所で、もう少し行けば利根川を渡って渋川に入るといった地域。南部域から見れば北の果てに近い。学校を起点と考えると、ここまでは軽く10kmを越えるだろう。帰宅する事を思えばものすごい遠回りになるが、それをものともせずに前橋の街を大回りしてまで寄った店だ。しかも、度々。

 それだけ、その頃の私の食欲(前橋では「食い意地が張る」などという)が爆発していたのだろう。ただし当時の店舗は今の赤城県道沿いの場所ではなく、もう少し県民会館の横手へ入った街中の、若宮町の中心方向にあった。16時前後のあいまいな時間帯だったと思うが、沢山の高校生で店はいつも一杯になっていた記憶がある。今もこの店は、若い旺盛な食欲を満たしているに違いないが・・・。


 冷凍の状態で、お土産としての持ち帰りが可能だ。勿論宅配便での発送もお願い出来たはずだ。独特の餃子なので、店では親切に焼き方の手順が書かれた写真説明入りのシートを付けてくれる。

 (焼き)餃子 一人前(10個)  400円、 スープ餃子  味噌味(他にコンソメ味あり) 350円

ホワイト餃子(前橋店) ホワイト餃子(前橋店)
ページTopへ移動
 「満州餃子」というのが一番近い感覚だろうか。厚い皮に包まれているので、独特の食感がある。薄い皮の餃子が好きな人は、このモチっとした食感に閉口するに違いないが、私はどちらも大丈夫。

 始めは、ゴルフボールのようなその形状に面食らう。

 新宿の、以前の勤め先の近くに「老辺(らおぺん)餃子館」という老舗があった。そこの餃子などは、噛むと中から汁が溢れて堪らない美味しさだったが、あの小籠包(しょうろんぽう)のような上海系の薄い皮とは対極のものだろう。


 ところで、前橋店のテーブルには「おろしニンニク」が置かれている。友人Wによれば、餃子の皮を少し切ってそれを包みの中に入れると、実にウマいのだという。

 そうか、とばかり、早速試してみた。

 本当は大量に入れるのだ、という事だが、後が怖い。だから、中に入れる「おろしニンニク」はほんのひとすくい程度にしておいた。食べてみたら、これはイケるではないか。勿論、彼に勧められて始めてやってみたのだが、いや、それは実に旨いものだった。

ホワイト餃子(前橋店) ホワイト餃子(前橋店)
ニンニクを封入してメンテナンスを施すホワイト餃子(前橋店)
ページTopへ移動
< 前橋での移動  都会へ出る不便さについて >

 高崎から前橋までの「両毛線(りょうもうせん)」は複線だが、その先(私は足利までしか乗った事が無いが・・)は単線になってしまったと思う。

 このため前橋以東から高崎駅へ向かって行く場合、上越・北陸・長野の各新幹線や在来の特急便への連絡が悪く、まして前橋から上野への直通運転の列車本数などとなると、それは驚くほど少なくなって、思わぬ不便さを余儀なくされてしまうのだった。

 さらに言えば、当時から20年以上が経過しているが、今も両毛線の状況は同じで、駅舎(駒形、前橋大島、前橋)は今風に変わったものの基本の運営は一日のごとくで、何かが便利に変わったわけではない。あえて当時との違いを言えば、前橋始発での湘南新宿ライナーが走り始めた、という事くらいだろうか。

 列車の状況のみならず、前橋駅周辺は車を止める充分な場所が無い、という問題も抱えている。(駅の南側は再開発が盛んなので、今はある程度、改善されたかもしれない)

 のんびりと進む路線バスは実家から駅まで、30分程も掛ろうか・・・。だから、普段から車を移動の足とする群馬県人の感覚からすると、それならいっそ直接車で駅まで乗りつけよう、という事になる。

 それなのに前橋駅へ向かってしまってはどうにもならない、だから、別の最寄り駅へ向かう必要があるわけで、実家の所在地から考えると、(今では前橋大島駅という新駅が近くに登場したが)当時は高崎駅か駒形駅へ向かおう、という事になるのだった。

サイクリングロードの入り口 桃の木川CRの入り口

GTR−4を手に、
「軽〜い!」と喜ぶ
友人KU

走る前なので、
まだ、皆元気が良い

 駒形駅横の駐車場は台数が少なくて、早い時間に一杯になってしまう。そこで周辺の駐車場が豊富な高崎駅へ、という事になるが実家から高崎まで向かうには利根川に掛った大きな橋を越えなければならず、このため朝夕の時間帯などは道路が常に混雑する状況なのだった。

 事故渋滞など最悪の場合を考えて、4・50分ほどを見込まなければならない事になる。

 そこで<我らが本庄駅>が登場するわけだ。

 本庄では、駅前に大きな駐車場がいくつかあって、それらが同時に満車になる事はまずないので、車で行っても駐車場を探す必要が無い。朝のラッシュ時の道路も利根川に掛る坂東大橋がネックとはなるが、前橋・高崎間のようなひどい渋滞とはならないので、充分に時間が読めるのだった。
ページTopへ移動
< 本庄駅を利用する「輪行」について >

 列車で、大宮から本庄への移動の利便性は先に書いたとおりだ。

 だが、そこが起点(中継点)となると本庄駅からの移動の<足>が必要となる。

 通常であれば、バス路線での移動を思い浮かべるだろう。都内(都バス)は公共運営なので特別だろうが、埼玉や三浦半島などでは、民営のバス会社(あるいは鉄道会社)にも拘らず縦横に結んだ多くの路線が走っている。

 それに引き換えて、自家用車の保有率が高い (言い換えれば、それは公共機関が未熟で不便の度合いがひどく強いという事の証明になるだが)北関東地方のバス路線はどんどん縮小されているのが昨今のご時世だ。以前は頻繁にあった前橋・伊勢崎間のバス路線。毎時何本かが運行されていた記憶があるが、今となっては移動手段として期待できない状況のようで、朝・夕の数本の運行に変わってしまったようだ。

 片道利用の決死隊ではあるまいし、そうした運行状態に合わせてばかりはいられない。外出してから数時間の用件などの場合だって往々にしてあるのだ。バスだけが頼りの綱のお年寄りなどに、帰りの手段をどう手当しろというのだろう・・・。未確認だが伊勢崎・本庄間の路線バスもまた、同様の凄まじい状況だろうと思われる。

 とすると、当然ながら、どうやって本庄駅から前橋へ向かおうか、という切実な問題に直面する。

 しかしここでは、「タクシー利用」は選択肢には入らない。時間短縮を目的に考えた場合、20キロ分のタクシー料金(たとえば東京駅から浦和駅までの乗車)を支払うくらい財布に余裕があるのなら、そもそも初めから新幹線を利用した方が、よほど賢明な選択といえるからだ。

 さて、それではどうしよう・・・。そこで思いついた方法が「輪行(りんこう)」だった。

 「輪行(自転車を分解して列車で移動する)」という作戦を採って、スパッと駅から移動してしまえば、少ない運行本数でのバス待ちの時間を気にする必要などまるでないではないか、と思い至ったのだ。

 思わぬエースの登場に気を良くして、考えれば考えるほどそれが痛快な手立てに思われてきた。何かと思い悩む必要が無くなるその選択がどんなものか、改めて、試してみようと思ったのだった。
ページTopへ移動
若き日の私 若き日の私


新人を卒業した一時期、
日々、出張のような生活だった。

会社案内のパンフレットの中で、
社内の特色ある各業務を紹介したコーナーだったと思う。

「私の仕事」的な内容の文とともに掲載された際の
似顔絵の原稿。

総務部にねだって、頂いておいたもの。
(四半世紀も前の、出張先を闊歩するわたし)

< 本庄駅 の 思い出 >

 当時の私は、全国に散らばる都市ガス会社の料金調定システムなどを担当していたため、前橋から全国各地へ直接出張したのだった。それは、勤務先の会社が東毛地区の桐生市にあって、列車での移動を考えた場合はすこぶる不便な土地だったためだ。

 だから自宅からの直行が主になった。

 群馬(伊勢崎、藤岡、伊香保)、栃木(小山、佐野、足利、栃木、鹿沼)、
 埼玉(東松山、坂戸、飯能、入間、日高、秩父、川越、上福岡、春日部、鷲宮)、
 神奈川(厚木)、東京(青梅、昭島)、長野(上田、諏訪、長野)
 の各地へは、多くは自分の車を使っての出張だった。

 一方、新潟(新発田、村上、新津、五泉などの各都市)などが目的地の場合は高崎駅へ向かい、千葉(柏、野田、流山)などの場合は大宮駅へ向かった。

 それより遠方の地域、静岡(伊豆半島の小田原や熱海)、名古屋(津島、江南)、岐阜(犬山)、三重(伊賀上野、名張、亀山)、大阪(河内長野)、本州を離れて福岡(福岡、直方)、佐賀(鳥栖、唐津)など、の遠隔の地へは新幹線や飛行機(羽田)を使うため、群馬からの移動の起点となる上野へ早く出る必要があった。

・・思えばもう、それは遠い彼方の出来事で、四半世紀も昔の話になってしまった。


 今なら、さらに高速な本庄・早稲田駅からの「新幹線」という奥の手が使える。特急への乗り継ぎなどではなくて、急ぐ人たちは最初からそちらに向かうのだろう、と思う。
ページTopへ移動