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2007.03.31
与野 霧敷川の桜

アクセス;
 JR京浜東北線―大宮駅、与野駅 または 埼京線―北与野駅、与野本町駅

カメラ;
 PENTAX Ist−D

レンズ;
 PENTAX DA18−55mm F3.5−5.6 AL
 PENTAX DA50−200mm F4−5.6 ED
 TAMRON SP90mm F2.8 マクロ

 PENTAX M200mm F4.0
 PENTAX P120mm F2.8
 PENTAX A50mm F2.0

  (画像添付時に約30%程度に圧縮)


 霧敷川(2006.06.10)のページで以前紹介したが、旧与野の「霧敷(きりしき)川」の岸辺では桜と菜の花との競演が楽しめる。

 菜の花は桜よりも早く咲き始めて、桜が散ってしまった後も、もうしばらくは咲いている。以前紹介した時には「菜の花」の様子だけだったが、今の時期、余りにも見事な満開の桜なので、ちょっと撮影してみた。そういうわけで、今回はその見事な桜の様子を紹介しようと思う。


<以下は、クリックするとスライドショーを表示>
なお、画像の読み込みに多少の時間が掛かる。写真切り替えの際は、読み込みがすべて終わった後とするよう、ご注意頂きたい。

2007.03.31;上尾 丸山公園の桜 スライドショー
2007.04.01;与野 霧敷川の桜 スライドショー

霧敷川

富士見橋周辺(去年の様子)与野、霧敷川。富士見橋からの眺め
富士見橋周(左と同じ景色なのだが・・・

年度末!に行われた護岸工事なのだか、
ひどくやりっぱなしだ)
霧敷川の様子
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 以前書いたと思うが、この川は大きな鯉や亀、鴨や白サギ、そして「散歩する中高年 ― それは主に私」などなど、さまざまな生き物が生活の主要な場としている。

 実は先日、散歩の折にこの川で「カワセミ」をみた。その鳥は鮮やかな青い体で、特徴ある鋭いくちばしがあり、からだの中心にオレンジ色の帯が縦に走っていた。

 そのときは橋の上から「もうじき、桜が咲き始めるな」と、咲いている様子を思い浮かべてぼんやりと川を眺めていた。だから別段、何かを探そうとしている訳ではなかった。漫然と川面を視野に入れてたというところだろうか。何気なく橋下の川面を見やったときも、初めは存在にすら気づかなかった。

 しばらく見ているうちに、川の木杭の上にいる青い鳥に気づき、それがどうやらカワセミだと認識された。

 暫時気づかず、突如としていつもと違っている様子が鮮明に浮かび上がる、そう、今評判の<アハ体験>だ。確かにそれは私の老人力が付き始めた脳にとって、実にリアルな刺激だった。

川べりの桜

日を追うごとに、咲き誇る、咲き誇る。
霧敷川の様子
霧敷川の様子
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 気づいてから「カワセミ!」と思うまでは、実はほんの一瞬で、私はその驚きに「あっ」と小声をあげてしまった。その声がかの鳥に聞こえてしまったらしく、こちらを振り向き、橋の上の私と視線を合わせた。とっさに携帯電話で写真を撮ろうと思い、まごついている内に飛び去ってしまった。しかも、笑いながら・・・ (「笑いながら」はウソです)

 次の日曜日に、今度はカメラに望遠レンズを準備して出掛けた。といっても目撃した現場は家からは徒歩で10分ほどのところなのだが、残念ながら見つけることは出来なかった。次の週は、しかし、水面ぎりぎりを真っ直ぐに滑空する小さな影を見た。

 生活排水が流れ込み濁った水の流れるこの川に、果たして清流(渓流)の主役が登場するのだろうか?。家人に話すと、それは私の思い違いで、青い鳥は「多分、ヒヨドリ」だろうといっている。<ヒヨドリ>とは明らかに違うのだが、私も、そう言われると見間違いだったような気がしてくる。

 「まさかカワセミがいるはずがないな」と、かの鳥の生活環境を含めたイメージと重ねると、自分で確かに見たものだが、はなはだ心もとなくなってくるのだった。私の中のカワセミのイメージでは、彼岸花−曼珠沙華(まんじゅしゃげ)で有名な日高あたりの「高麗(こま)川」の渓流、澄んだ水の流れる川岸で水面を、低く流れる矢ように真っ直ぐに滑空する優雅な姿が浮かんで来る。

川べりの桜

霧敷川の様子
Pentax DA50-200 F4-5.6 ED
               200mm 1/90  f6.7

与野氷川神社


氷川神社のスミレ
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 さて、「霧敷川」とは異なる話題になるが、桜の花が気になったので、ちょっと足を伸ばしていつもの上尾の「丸山公園」へ行ってみた。      (丸山公園の様子は、(2006.12.17; 「紅葉(上尾 丸山公園)」))に紹介している。

 訪れたのは午前中だというのに、「桜まつり」と称して、入り口近くにある満開の桜並木は早くも人でいっぱいだった。そこは人混みで混雑していてまるで落ち着きがない状態だった。だから喧騒から少し離れて、いつも楽しんでいるフィールドアスレチックの置かれた広場へ行った。広場脇の森に咲く桜を楽しむためだ。

 森の中の桜の木の近くには野蒜(のびる)が伸びていて、自然観察館で学んだ直後なのだろう、何人かの少女が嬉々としながら抜いていた。でも多くは途中でちぎれてしまい、地下の膨らんだ根までは上手く抜けぬらしい。

 「野蒜」なら少年の頃に良く抜いたので、少女達が去ったあと、彼女達が抜き損ねた分を含めて抜いてみた。水で晒して手持ちの塩(ハーブ入りの長年愛用の逸品、「クレイジーソルト」)を振って食べてみると、懐かしいきりっとした辛味が口に広がった。味噌の持ち合わせがあれば言うことは無いのだが、塩でも充分だ。口に含みカリっとかんでみると、ああ、こんな味だったな、と懐かしさが湧いてきた。

 根の部分だけにして、ラーメンにいれて美味しく食べた。ねぎのようでかなりいける味であった。その味は、おつまみでよく口にするエシャーレットに似ている。後で調べてみると、野蒜は葉の部分もすべて食べられるらしく、葉の部分は「にら」のような味がするらしい。

2007.03.31;上尾 丸山公園の桜
 スライドショー

上尾丸山公園
美味しかった「のびる」
丸山公園で摘んだ、野蒜(ノビル)
いつもコッヘルで作るラーメンに入れて食べた
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 「霧敷(きりしき)川」は、我が家から徒歩で数分ほどの所に流れているのだが、家から国道17号バイパスを挟んだ向こう側に行くと「鴨川(かもがわ)」という少し大きな川がある。

 こちらは霧敷とは比較にならない川幅を持つ立派な河川だ。そこは川幅だけでなく、流域にはさまざまな施設が整備されていて、川とそれを取り巻く自然を利用してやろう、という積極的な姿勢がうかがえる。旧与野市あたりでは、やはり以前(2006.09.24; 「彼岸花の様子、水辺の里」)に紹介した「水辺の里」や「風の公園」、その周辺にある野鳥観察用のウッドデッキやトーチカ(テレビドラマ ―コンバット世代ならお分かりか・・)、などが川沿いに展開されている。

 流域は遊歩道が整備されていて、川沿いのかなりの距離を自然観察しながら歩くことが出来る仕掛けが施されている。

 これから紹介する「三橋総合公園(運動公園が中心)」も、この鴨川べりに作られた公園だ。

 この公園には、野球場やテニスコート、体育館、温水プール、フィールドアスレチック、などが整備されている。それらの施設と川べりとの間に水門と調整池があり、池の周辺には大きな芦原がある。芦原の外周には、木組みのデッキ状の遊歩道が巡らされている。実はこの葦原の深部は立ち入り禁止区域となっていて、そこに二箇所の<カワセミ営巣地>があり、行政の手で保護されているのだった。

 しかしこの保護区域は大きな問題を抱えている。池を占拠している「ヘラ鮒釣りの親父達」が池の周囲だけでは飽き足らず好き勝手に保護地域の葦原に入っている点だ。

 木道を越えて葦原の中まで自転車で乗り付けるし、池に木組みの桟橋のような釣り用の橋頭堡(もちろん自分専用)は整備するしで、保護地域なんて少しも気にしていない。余りの傍若無人振りが目に余って注意すれば、「何の権利でお前が言うのか」などと感情的に対応する。

 最低限のルールも守れず、公共の義務も果そうとしない人間に「権利」などを語って欲しくはない。「非難されるべき行為」をしているのは注意する人間ではなく自分達の側だろう。平たく言えば「悪いのはあなたでしょ」という事なのだが、不思議なことにそんな簡単な事柄が焼きが回ったあの利己的な世代には通用しないらしい。

上尾丸山公園の桜

丸山公園の池は、周囲に遊歩道がめぐらされ ゆっくりと散歩することができる。
(スケッチでは変えて表現したが、実際の水は土色に濁っている)

 誰もが、守られた自然を享受する権利があり、それを次世代に伝える義務がある、という単純な市民道徳や明快な規範が、なぜ彼らには理解できないのだろうか。

 十把一絡げにはできないが、どこでも非常識で我儘なのは「年金族」と呼ばれる世代の一部のオッサン達(団塊の世代の人たちもかなり近い状況)だ。

 「何故ですか?」と問いかけずには居られない。野山で整備された木道(当然、そこを外れる大人は居ない)を存分に外れて傍若無人に闊歩していたり、花壇など立ち入りを制限する柵内に平然と立ち入って我が物顔で写真を撮っているのも、大抵は同じ世代の人達だ。

 余談だが、この世代に対しては、私は身勝手を絵に描いたやつ、伊達老人という大きな偏見を抱いている。伊達(だて)と書いたのは粋や洒脱といった事ではない。外見や肉体だけが老人のなりで、精神的にはきわめて幼稚で、社会規範(「見識」や「徳」とでも言おうか)の欠片も持っていない。努力の結果として「老人力」を身につけた「粋さ」は微塵も無く、ただの老人、悪い表現をすれば精神的に皺がよって判断力を失ってしまったただの「おいぼれ」ではないか。

 書き連ねているうちにしだいに腹が煮えてくる。かの世代の人がすべてという事はないが、平然と市民ルールを無視して省みない愚かな人達が余りにも多すぎる。彼らの行為を目の当たりにすると、美しくある必要はないが醜く年を取るのは嫌だな、と思う。


 私が霧敷川で見た、あるいは「見た!」と思っているカワセミは、この営巣地から巣立ってやって来たのかも知れない。私の住むあたりでは鴨川と霧敷川は一寸離れているが、中浦和あたりまで行った下流では秋ヶ瀬に向かい、そこで二つの川は繋がっているのだから。
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2007.04.01;与野 霧敷川・鴨川の桜
 スライドショー

与野 霧敷川
携帯で中国茶を楽しむ
携帯で中国茶を楽しむための「蓋椀」のセット
急須になる蓋付きの椀と茶海、茶杯

 翌日は、エイプリルフール。

 天気も良くなったので、もう一度写真を撮りに「霧敷川(きりしきがわ)」へ行ってみた。

 さらに、何ヶ月振りかで洗車をしに出かけて、コイン洗車場に近い「三橋総合公園」へ寄ってミニ・ピクニックだ。お昼を食べ、散歩し、お茶を愉しんだ。

 大きく枝を張り出した見事な桜の枝の下に腰をおろして、お湯を沸かし、台湾の中国茶を淹れた。先日購入した白磁の蓋椀(がいわん:ふた付きのカップで急須と同じ使い方をする)のセットの出動だ。 蓋付きの椀でお茶を淹れ、約一分ほどで茶海(ちゃかい:蓋の無い注ぎ口の付いた容器)にあけてお茶の抽出を停める。茶海で均一にしたお茶を小さな杯に注いで楽しむ。この容量だと5gほどの茶葉―乾燥して小さく固まっている;その様子は少し団子虫に似ている―で何回か抽出して愉しめる。
 
 Webで何回か茶道具を注文したひいきの店(萬里工芸) で最近購入したが、これなら携帯に便利で野山でちょっとリッチなお茶が手軽に楽しめる。心利いたこの店は、さすがプロで、私の何回かの茶道具の注文から、数多い中国茶から<青茶>を選んでサービスしてくれた。注文品とともにさりげなく良質の金萱茶―凍頂烏龍茶のような種類―が同封されていた。オーダーに対するお礼のメールを別にもらっているのに、さらにサービスで茶葉が付けられていた。ありがたく頂戴したが、しかし、いつも狙ったようにセール品を買っている身としては少し恐縮してしまった。


 のんびりと暖かい日差しを浴びて、かすかな風にはらはらと散る桜花を楽しみながら、優雅に香りの高い芳醇なお茶を飲む。

 久しぶりにゆったりとした時間を過ごし「のんびり 行こうよ」を実践したのだった。
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鴨川べり

三橋運動公園と鴨川の間の貯水池周辺の芦原
子供は水路の魚を観察中だ。
三橋運動公園の貯水池の遊歩道
鴨川側から貯水池の芦原越しに
運動公園を望む。

桜が並木となって土手に広がる

運動公園の土手

鴨川べりから運動公園を望む

三橋運動公園の貯水池の葦原と遊歩道
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