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2013.07.07
紫陽花が咲く

アクセス;
 渋川 白井宿・小野池あじさい公園; JR上越線・吾妻線:渋川駅


カメラ;
 PENTAX K10D

レンズ;
 PENTAX M200mm F4.0
 PENTAX A100mm F4.0 デンタル・マクロ

 PENTAX M50mm F1.7

 PENTAX DA18−55mm F3.5−5.6 ALU

三脚;
  K10D:カメラの手ぶれ補正にて、三脚は不使用

 (画像添付時に圧縮)


<関連ページ>

 ハイキング  のんびり 行こうよ;2013.04.08 「渋川、白井城址を歩く」
 ポタリング  のんびり 行こうよ;2012.05.20 「渋川、白井宿へ(歴史探訪)」


 今年の梅雨入りは唐突な幕開けだったが、梅雨明けもまた例年とは違ったものだった。

 どうも雨が少なくて、今年は空梅雨なのだなと感じているうちに、まるで季節を追いかけるかのように「梅雨明け」が宣言された。しかもその該当日は発表の当日ではなく、わずかに遡った日付でだった。

 何といっても梅雨時は鬱陶しさが増す嫌な時期なのだが、今年はそういう訳で関東地方の梅雨はあっけなく収束してくれた。有難いことである。

 そして、「梅雨明け10日」の晴れ間を経て、いよいよ暑い夏が到来し始める。
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 梅雨の時期には例年のように頚椎の痛みに襲われる。今年も例に漏れずにその痛みはやって来た。低気圧の到来による痛み始めから、徐々に首筋の違和感が増していって、遂には盛んに痛み出す。

 最早、持病ともいえる痛みなので、対処の方法は概ね判っている。痛み始めの一週間は只ひたすら何もせずに遣り過ごすのだ。首筋や肩、それに背中のストレッチは実際に効果的なのだが、その痛み始めの時期にやってしまうとむしろ過敏に反応して、痛みが長引くようだった。

 今年もそうやって最初の痛みに耐えて、それを我慢して遣り過ごしたのだが、関東では思わぬ速さで梅雨が明けたので正直のところホッとした。いや、例年より1週間以上早い梅雨明けとともに、今年は特に雨が少なかったので、本当に助かったと思っている。

白井宿 「白井(しろい)」宿は何度も訪れているが、何時行っても気持ちの良い場所だ。



春の桜の時期は素晴らしいが、今の時期も素敵な楽しみがある。


街道の中央は水路が通っているが、その掘割の脇に植えられた紫陽花の花が、丁度、この頃咲き始めるのだ。

街並み自体に趣がある白井なのだが、紫陽花は街道の落ち着いた雰囲気に華やぎを添える。

だからこの季節は、桜にも増して、宿場の通りを散歩するには相応しいひとときといえよう。
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 こうした梅雨の時期が来ると、紫陽花の花の事が気になり始める。

 頚椎の痛みを忘れるためにも、この花を愛でるのは多いに役に立つのだった。花を見て楽しみ、それを写真に収める満足感は、一時痛みの存在自体を忘れさせてくれるからだ。そうして、ひととおり写真に撮ったあとは満足間に浸って幸福な気分になる。

 だからそうしている一連の間、暫くは持病を思い患う必要がなくなる。まあ、病は気から、とはよく言ったものだと思う。気散じや気持ちの良いと思える行為に浸る事が一番の薬であるらしい。

白井宿の街道筋

白井宿の街道筋の様子。(掘割の並木道脇)

(右の写真のジャージ姿は、本日の相棒 友人H氏)
白井宿の街道(ジャージ姿は友人H)
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 この時期ならではの、素晴らしい季節の恩恵は例年堪能しているのだが、ここ2・3年ほどはそうした余裕がなかった。

 だから、梅雨時の紫陽花の写真を撮るのも、実を言うと数年振りのことになる。

 2008.06.10 「紫陽花散歩 (さいたま:与野)」

 2009.05.31 「梅雨入りに咲く紫陽花 (さいたま)」
 2009.06.21 「御嶽神社の紫陽花」

 2010.06.27 「紫陽花が咲く (上尾:丸山公園)」
 2010.07.11 「小野池あじさい公園 (渋川)」

白井宿の街道中央を流れる掘割 白井宿の街道中央を流れる掘割。

白井宿の街道筋は、その中央が水路になっている。


これが暑い時期、
実に爽やかな涼をもたらしてくれる。
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 梅雨がすっかり明けて、すぐに暑い日差しが降り注ぐ季節が始まるが、その前のひととき、可憐に咲く紫陽花の様子を楽しむことにした。

 すでにさいたま辺りの紫陽花はもう終わりで、ご近所の花の状態を確認するとそれが判る。上尾の丸山公園、与野公園の横にひっそりとある「御嶽(みたけ)神社」などは、残念ながらもう花はおわってしまっている。

 となると、北向きに花が咲く場所へ行く必要がある。そこで思いたったのが渋川の「小野池あじさい公園」だった。以前はもう少し遅い時期にも出掛けているので、花の様子は大丈夫だろう。

 日常の些事を忘れて大好きな花を堪能すれば、やがてはすっかり元気を取り戻す、という事になるだろう。

紫陽花 宿場の街道筋の掘割の脇は桜並木になっている。

その桜の間に紫陽花が植えられている。
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白井宿の街道 白井宿の街道中央を流れる掘割

 堀は、宿場の入り口から始まって出口までの間、街道の中央に続いている。左右の道路の通行を別つ形になり、その中央が遊歩道といった憩いの場になっている。日本では余程の道幅の街路でないとこうした並木道はあり得ない。

 それは、名古屋や札幌の中央通りに良く現れている。余り道幅が広いので中央の公園というイメージが無いかもしれない。


 だから白井のようなコンパクトな道にあってはこうした仕様は珍しい。

 例えば台湾の台北市内の通りなど、「行政府」周辺以外の多くの通りではこうした仕様が多い。実に良い道路の考え方である。

 「小野池あじさい公園」を目的地として、出掛けてみる事にした。

 幸い、利根川CR(サイクリング・ロード)を前橋から北上すれば、その終点が渋川である。渋川駅にも程近い場所である国道「353号」線の「大正橋」の袂に出るが、しかし、そのまま道路に沿って北に向かえばすぐに国道「17号」線に交差する。そして今度はそれを北に向かって走れば、すぐに白井宿に入ることができるのだ。

 白井宿には何度も出掛けているが、今年は城址に咲く枝垂れ桜を存分に楽しんだ。

 その時の様子は<のんびり 行こうよ 2013.04.08 「渋川、白井城址を歩く」>で書いたが、それは見事なものだった。勿論、白井城址だけでなく白井宿もその際には散歩したのだが、宿場の街道筋の桜は大部分が八重桜であり、まだ咲いてはいなかったのだ。

 街道筋では火の見櫓の横手にだけ染井吉野があって、一際美しく咲いていた。丁度、その桜の横(まさに井戸の傍)で地元のおばあちゃん二人が持ち寄りでお花見をしていて、写真を撮る私に声を掛けてくださり、お茶に誘われて愉しんだのだった。

白井宿の街道 紫陽花
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白井宿の街道中央を流れる掘割 紫陽花

 白井宿の紫陽花は、多くは昔ながらの大玉の花である。

 色は概ね白か、あるいはついていても極く淡い水色である。紫陽花の可憐な花、といった時のイメージそのものもの花姿といえようか。今では、多くの種類があるので、むしろ昔ながらの西洋アジサイの大玉という方が珍しくなってしまった。

 宿場の下手から歩き始めて、紫陽花の咲く掘割の右手を歩いて、北へと向かった。すると、丁度、火の見櫓を過ぎたあたりから、丸い玉だけでなく額紫陽花が植えられ始めた場所になった。

額紫陽花 額紫陽花
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額紫陽花 額紫陽花

 私は、どちらかと言えば、この不思議な様子の花種のほうが好きで、中央の密生した様子がいつも不思議でならない。

 まさにそれは「自然の叡智」というに相応しい。実に巧みに造作がされていて、この造詣を思い立ったのが人なのだとすると、それはまさにミケランジェロのような神の目を持った天才としか言い様が無いのではあるまいか。

 それ程に額紫陽花の花の姿は不思議で、魅惑に満ちている。

額紫陽花 白井宿の街道中央を流れる掘割の脇に咲いていた額紫陽花。

花を写し撮っていたら、地元の方が向かいの家から出てきた。そのおばあさんと少しお話をした。


今年の花は例年よりも一週間ほど早いのだという。
「ちょうど、昨日、花の周りを掃除したので綺麗になっているでしょう」と笑っていた。
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道の駅「子持」の名物アイス 道の駅「子持」の名物

次ぎの目的地がなければ、このネギを買い求め、担いで帰るところなのだが・・・。

 白井宿の街道を北に登りつめると、道の駅「子持(こもち)」が現れる。旧街道はそこまでで終わって、そこから先(北方)は国道17号線になるからだ。

 この道の駅では、手作りの美味しいお弁当が販売されていて、何度かそれを楽しんだ。「鳥五目」の炊き込みご飯だ。しかし、昼食はすでに前橋の蕎麦屋さんの「武本庵」で、ここへの出掛けに済ませている。後ろ髪を引かれるが、今日はここでは食事をしない。

 食事はしないが折角なので、人気のブルーベリー・アイスを食べて、一息入れるとしようか。
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小野池あじさい園 <小野池
  あじさい園>


尾根の北側の斜面と河岸段丘を利用して渓流に沿って造られた自然公園。

遊歩道があり、園内の中央に小さな池、そしてそこから入り口に向かって小川が流れている。

 さて、白井宿を楽しんだので、今度は少し戻って「小野池あじさい公園」へ向かう事にする。

 白井宿の街道を南に抜けて、国道「17号」線に出て、そこから渋川市街へと向かって進む。結局その国道から「阿久津」で分岐して真っ直ぐに伸びる旧道が「三国街道(みくに かいどう)」なのだが、そこを進んで市内に入り、「四つ角」の交差点で榛名方面へ向かうことになる。

 市街に入ってからは伊香保に登る道が幾筋かあるのだが、「四つ角」からの道がその中心といえるものだろう。旧市街の中心ともいえる通りは「上毛三山(じょうもうさんざん)パノラマ街道」と名前がついた県道33号線だが、休日にも関わらず道の両側に建ち並ぶほとんどの店のシャッターが下りている。歩いている人もなく、通りはいたって静かな様子だ。

 そうして街路に沿って榛名山方向へ向かって登って行くと、やがて「裏宿」で川に出合う。県道はその後、右に曲がっていって伊香保へと伸び榛名山頂まで続いていくが、道なりに進まずにその川筋を遡っていけば目的の公園へと行き着くことができる。

 あるいはまた、一旦JRの渋川駅まで出て、そこから「市役所通り」(伊香保街道)を登っていけば3キロ程で公園の入り口になる。

 いずれにしても、公園へ行くためにはどちらの経路でも、同程度の斜度を持った坂道を登る必要がある。
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小野池あじさい園 額紫陽花

 渋川駅から伊香保に向かう道の途中にあって、市街地の少しはずれ、といった位置にその公園はある。川筋に沿ったおねの北斜面が紫陽花が植えられた舞台となっている。

 すでに15時を廻っているが、幾組かの客がそぞろ歩いて紫陽花の花を楽しんでいた。丁度、6月15日から7月7日までがこの公園での「あじさいまつり」であり、その期間は夜間にライト・アップがされるという事で遊歩道上に沿って多くの提灯が吊るされていた。

 どうせなら、お花見の際の安手なセルロイド製の提灯ではなく、雪洞や灯篭のようなものでライト・アップして頂けると有難いのだが・・。吊るされたプラスチック製の提灯からは、どうも上野公園などでのドンチャン騒ぎが思い浮かんで来て仕方が無い。

 道に沿って一列に植えられた紫陽花が壁のように咲き揃っていて、私達は幸いな事に辛うじて「旬」と呼べる時期に来られたようだ。

小径に咲く紫陽花
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紫陽花 額紫陽花

 この公園の良いところは、紫陽花の種類の多彩さといえよう。8000余株に渡る、実に多くの種類が多くの色で丁寧に栽培されている。

 斜面の上部は植林帯であり、丁度、程よい日陰を作り出している。このために、直射日光にさらされる事なく、ここの花は実に瑞々しい。先の白井の花が元気だったのは水際に植えられていたからで、これが乾燥した普通の街路脇などでは、こうは行くまい。


 公園の最上部は大きな池で、天保年間(1830年からの14年間)に土地の名主「小野沢平左衛門(おのざわ へいざえもん)」が周辺農民を説いて灌漑のための貯水池を造ったものだ。

 幕末の天保期といえば 水戸藩主「徳川斉昭(とくがわ なりあき)」が藩政の改革を開始し、大阪町奉行所の与力「大塩平八郎(おおしお へいはちろう)」による騒乱が起きた幕末の激動期の端緒となった時期である。

 名主の平左衛門はその際に藩の郷方や幕府へも働きかけたのだろうが、結局彼ら公(おおやけ)の権威を頼らずに郷衆(農民達)の力でこうした大事業を行った。幕末の民衆の意識の変化という胎動は、江戸から遥かに離れたこんな地方にあっても活発化の兆しを秘めて、広く始まっていたのに違いない。


 その大きな池は今も満々と水を湛えていて、灌漑に利用されているのだろう。水源地であるから、保水を計るために池の周囲は深い木々に覆われている。本来の水源からの流路とは別にそこから水が落とされて、園内の小さな滝を伴った池となり、さらに遊歩道の脇を流れる小川として設えられている。

 公園の敷地自体は「入沢の堤」と呼ばれる河岸段丘上にあるといっても良くて、縦貫する通路のすぐ北側を「平沢(ひらさわ))川」が流れているが、川面は公園の地面(の水準面)からみると随分と下位になる。公園の花々が川流の恩恵を受ける事は難しかろう。だから、園内に人工的に作られた小川が紫陽花の生育に功を奏するというわけだ。

紫陽花
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額紫陽花 紫陽花の小径

 利根川CR(サイクリングロード)の終点の「大正橋」から白井宿までは2キロ強といったところだろうか。

 その白井からこの公園までは5・6キロほどになるだろう。渋川駅から伊香保へ向かう街道筋(「市役所通り」沿い)にこの公園があるが、駅からの道はずっと坂道になる。

 前橋から渋川までの経路が比較的に平坦であるのは、利根川の流路にほぼ沿っているからだ。白井にしても利根川と吾妻川の合流点の河岸段丘上に展開しているが、サイクリング・ロードからそこまでの傾斜はごく僅かなものといえる。

 しかし、この公園は水澤(伊香保)方面の山筋から流れ来る尾根筋にあって、駅からは随分と登らなければならない。6・7%ほどの斜路を3キロばかり登る事になろうか。


 今日の相棒はいつもの友人Hであるが、最近はこの程度の坂では苦情を呈しないようになってきた。訓練の賜物といえようか。しかし、彼との自転車行は基本をポタリングとしているので、常に坂を攻める分けには行かない。こうした甘めの坂を少しずつ加えていっている私の目論見は彼にはまだ判っていない様だが、今日の紫陽花は彼も気に入ったらしい。何故なら、前橋在住の彼にすれば紫陽花はもう終わったものと思っていたからだった。

 思わぬ花の盛況振りに、私も友人Hも、ともに笑みがこぼれてしまったのはいうまでも無い。ゆっくりと園内を廻って、花の饗宴を愉しむことにしよう。

紫陽花の小径
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額紫陽花 光るシダ

 先に紹介したとおり公園の上部は貯水池になっているが、灌漑用として下流域の田園を潤したこの池も耕作地面積の減少が続いていて、その大役を終えて往時の水量は必要とされていない。そこで渋川市では改めて池周辺を整備し、水量も半減させて安全策をとっている。

 私達が見る目には、江戸幕末の先人達の汗の結晶は多くの豊かな水を湛えて映る。しかし、それは往時の水量の半分にしか過ぎないものだったのだ。

 江戸期の農民の夢を担ったその貯水池は、150年後の今の世では、市民憩いの釣り場として開放されている。この日も、数人の釣り客が竿を垂れていた。

 南側や西側は榛名山から延びた峰の北向きの斜面が小高く立っている。そこは密生した植林帯となっているが、東側は広い土手になっている。そして、池の岸辺ともいえる土手上には散策する人の休憩のために用意された東屋がある。

 東屋といっても屋根つきのベンチと水道があるばかりだが、こうした日陰の水道がこの季節には何より有難い。早速、顔を洗い、手を洗いして、汗を流した。さっぱりした気分になって足元を見たら、水道のある支柱は岩で作られたものだった。

 浅間山(あさまやま)の噴火によってもたらされた溶岩のような様子で、そこには多くのコケが生えていた。そのコケの間に、シダが出ていて、水を受けて光っている。

 こうした様子が私には堪らない。シダの表情というか、健気な様子に思えてきてしまうのだ。思わす何枚かのシャッターを切って、そのシダを写真に収めていた。

 東屋で一息いれて、今度は、貯水池の北側に下っていって、畑状に植えられたアジサイを楽しむ事にした。

紫陽花 ヤマアジサイ
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ヤエムラサキ ヤエムラサキ

という品種の紫陽花。


 「ヤエムラサキ」は、近年になって開発された品種だ。八重咲きの小ぶりな花弁が数個、一様に咲くその様子は実に愛らしい。

 八重咲きと書いてしまったが、正確には八重咲きではなく、対の花弁が順次重なっている。いったいどうすればこうした不思議な花弁が構成できるのだろうか。

 まるで、手芸の細工物を見るようではないか。実に人為的な造詣で、基本パターンがまずあって、それを重ねていって、ついには仕上げとする。まるで、和服の紋紙(もんがみ)を切る際に描く伝統的な抽象模様のようで、デザイン画のような見事な均一性を持っている。
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ヤエムラサキ ヤエムラサキ

 しかし、人為的、あるいは作為的といっても、この花姿を前にすれば、誰しもそうした感触は消え去ってしまうだろう。

 それは、この花には観る人を惹き付ける「確かなチカラ」があるという事からくる感覚なのだろうか。最初の印象で鮮烈に焼きついてしまうというか、花そのものは小さいし、その様子もむしろ儚さを秘めているのに、きわめて印象深い味わいに溢れていると思うのだ。

 そっと傍らに置いて、何時までも飾っておきたくなるような、類ない愛くるしさを持っているように思うのだ。この花の姿を一言で言い表すとしたら、「可憐さ」だろうか。そうした純粋で健気な雰囲気を持った花と表現するのが一番しっくりと来るだろうか。
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紫陽花 紫陽花の小径

 さて、「青い色」というが、その青も紫陽花の花々を目の前にすると実に多彩であることを思い知らされる。同じ青色でもこのように幾つもの異なった特性と鮮やかさ、そうした多様な種類を見せている。

 一際深い瑠璃色の花もあれば、紫に移りそうな淡い色もあり、また緑を交えた色もある。ただ淡い青もあるし、水色や白味がかったものもある。一眼レフによる写真撮影だからこそ、その色を切取れるが、これがスケッチだとすると大分混色に苦労する事だろう。

 いや、苦労して再現できれば良いが、そもそも私程度の水彩の腕前では、とてものことに自然の多彩さを表現できないだろう。ましてや紫陽花の持つ色を透明水彩絵の具を用いて再現しようと思うと、もう気が遠くなってしまう。

紫陽花の小径 紫陽花の小径
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木立ちを背にして 木立ちを背にして

 ところで、園内の遊歩道を歩いていくと、ときとしてスポットライトのように日光が淡く差し込んでいる場所がある。それは歩く時間帯にもよるのだろうが、幸いにも早朝や夕方に近い斜陽(斜光)となる時間帯だと、そうした有難い恩恵に授かれる。

 こうした木漏れ日の場所に丁度花があると、そこがまさに自然の用意してくれたステージと化すのだ。

 花の姿が斜めの柔らかい光を受けて浮き上がって、一際美しい様子を見せてくれる。こうした光の技の前には、ただただ恐れ入って何枚もシャッターを切ってしまう。


 丁度、スポットライトの当る場所の北側は、一列の玉のような紫陽花(西洋アジサイだろう)が咲いていて、その数メートル下に渓流が流れていた。

 平沢川はその後、市街地へと流れ進むが、すぐに生活排水が注がれて川の水は汚れてしまう。この公園の脇辺りでは、素晴らしい渓流の様子を見せてくれているのに、本当にあっという間の、僅かな距離ですっかり汚濁してしまうのだった。残念な事に公園の先では、もう、何の変哲も無いただの用水路を流れる濁った川に変わってしまう。だから公園内を散策する私達は、今のうちにこの清い流れを愉しむ必要があるようだ。

渓流脇で咲く紫陽花 渓流の恵み
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<本日のオマケのひとこま>

 じつに、この場所では本来の渓流である「平沢川」の水が清々しい。それがあまりに透明で冷たかったので、少しお邪魔させて頂いた。

 靴を脱いで足を入れると、心地よい冷たさで、すぐに暑さが消え去った。元々、北向きの公園なので日暮れ近くであれば随分涼しいのだが、これは堪らなかった。

 20分ほども、のんびりと川面を見詰めて休憩をしただろうか。このお陰ですっかり元気が戻ってきたようだ。

 帰路のサイクリング・ロード途上の吉岡にある日帰り温泉施設には、サイクリングロード上からアクセスが出来る。そこには休憩も出来る広場と売店があって、私と友人Hは、CRコースの途上にあっていつも気になっていたその施設に寄ってみた。最初は捕水とトイレ休憩としか考えていなかったが、寄ってみると売店や広場があったのには驚いた。そこで、ちょっとした軽食を仕入れようと思ったのだが、さらに思わぬ嬉しい設備を発見してしまった。

 敷地続きの温泉施設の前には「足湯」が用意されていたのだった。当然、温泉施設の宣伝を兼ねたものなのだろうが、売店の来客者もそこを自由に利用者できる。ウッドデッキによる気持ちの良いテラス状の形態で、その木部に腰を下ろしてゆったりと心地よいお湯に足を漬けていられる。先ほどの「小野池あじさい園」横の平沢川の渓流での足入れに気をよくした私達は、勿論、その足湯にも浸かって、心地よいひと時を楽しんだのだった。夕暮れの迫る18時という時間帯での足湯は、ことのほか快適な経験だった。

 夏の日の夕暮れ時は、季節の中でも大好きなひとときなのだが、この日の日暮れは本当に良かった。サイクリング・ロード上を走る自転車はもうなかったが、静かな利根川の岸辺や川に掛かる新しい橋をお湯に馴染みながらのんびりと眺めた。

渓流でイイ気分 美しい渓流
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ブルーベリーが一杯 <本日の旨い物  道の駅「子持」のアイスクリーム>

ソフトクリームは数種類が選択できるが、なんといっても一番はこのブルーベリー・ソフトだろう。

クリームの間に散りばめられた黒い粒はブルーベリーの種であろうか。
これがなんともいえないコクを出している。

甘酸っぱくて、実に爽やかな味で、後を引く逸品だ。
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