カメラのインデックスページへもどるカメラ のページへ          Top Pageへ移動 Top Pageへ移動            このページを閉じる 閉じる

カメラ : 35mm 一眼レフ
PENTAX への想い

 先日、古いタクマーレンズをIst−Dにつけて撮影したが、考えていた以上の色がでた。

 久し振りに取り出して、古いレンズで遊んでいたら、カメラ周辺の機材に関して、まとめてみたくなって来た。改めてまとめてみる事で、長く付き合ってきたメーカーへの<ささやかなエール>になるような気がしたためだ。

 一眼レフカメラのパイオニアとして、数々の画期的な機構を開発してきた会社が株式の上場を廃止する。時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、その感慨はひとしおだ。

 大学生のときに、初めて自力で買った一眼レフカメラが、世界最小・最軽量のボディを持った<ME>だった。

 当時は「旭光学」が社名で、PENTAXはメーカーが作る光学機器のブランド名だった。プリズム部分のパネルロゴにも「PENTAX」の他に頭にASAHIの文字が小さく入っていた。その時から私とメーカーとの長い付き合いが始まって、それは30年経った今でも続いている。

ASAHI PENTAX SP-F
Asahi PENTAX SP−F (シルバー外装) 1973年 発売
ページTopへ移動
ASAHI PENTAX SP-F
Asahi PENTAX SP−F (ブラック外装) 1973年 発売

 長い付き合いが始まって以来の、所有している歴代の一眼レフカメラ(すべてPENTAX製)を、私の購入順に挙げてみると、 <ME>、<Super−A>、<SP−F>、<K2DMD>、<MX>、<Z−1>、<KM>、<Z−1P>、<MZ−3>、
<LX>、<MZ−S>、<Ist−D>、<K10D>となる。

  長くは使わずにすぐに手放してしまったので詳細ページでは紹介も記述もしてないが、<ME Super>、<SP>、
<K2>も一時期は持っていた。その3台は、どれも中古で購入したものだ。

 上に揚げた歴代ボディの内で、中古として購入したのは<ME>、<SP−F>、<K2DMD>、<MX>、<Z−1>、
<KM>だ。

 PENTAXでの発売順に直すと少し順番が入れ替わる。この順番の方がメカの変遷が分かり、技術の革新が追えるので記しておこう。

 SP−F、KM、ME、MXK2DMDSuper−ALX、Z−1、Z−1PMZ−3、MZ−S、Ist−D、K10D、の順になる。

 カメラの世界は趣味のものだ。長く愛される機器なのにそのモデルチェンジは盛んに行われている。時に今のデジタルは、携帯電話までは行かないが1・2年といった短いサイクルで新モデルが発売される。

 どんな優秀機でも驚くほど短命に終わる世界にあってもなお、ロングセラー機というものがPENTAXには存在した。<MX>は10年、<LX>は20年、それぞれ、ほんの小さな変更が加えられながら製造販売され続けていた。それは新たな数世代の新機種が登場する期間、発売終了せずに継続販売された機種だった。技術革新の激しい日本のカメラ業界にあっては、こうしたご長寿モデルの存在は非常に珍しいものだ。

 そういえば、画期をなす名機の<Super−A>と<MZ−3>も比較的長く(5年ほどだったように思う)販売されていた。

MX
ベストセラー機 フルマニュアル メカニカルカメラ  Asahi PENTAX MX (ブラック外装) 1976年発売
ページTopへ移動
 これだけの長い付き合いとなった理由は、PENTAXの誇る<普遍のKマウント>の存在が大きい、と思う。

 優れた性能のレンズ群を「資産」として使い続けられるのが、PENTAXのボディを使い続ける一つの大きな理由だろう。各大手カメラメーカが互換性の無いマウントに機構変更している現状を考えると、どの時代に販売されたレンズでも最新のカメラボディに通用する利便性が味わえるのはPENTAXユーザだけに許された特権だ。

 思い入れのある「古いレンズ」でも現行の最新型のボディと互換性があって、そのまま利用できるのだ。逆に古いボディに対しても最新のレンズが利用できる。ただし、使いまわすのは制限がある。レンズ側の古いマウント(M42)は新しいマウント(K)にアダプターで変換できるが、レンズ側の新しいマウントを古くすることはできないし、ボディ側の新しいマウントを古いマウントには変換できるが、古いマウントを新しくはできないからだ。

  最古マウントレンズ : 新マウントボディ  ; M42マウントアダプターで適合
  旧マウントレンズ   : 新マウントボディ  ; すべて適合
  新マウントレンズ   : 旧マウントボディ  ; 絞り環の有無により適合(絞り環なしの場合は解放固定)
                      ただし「Kマウント」群、ES(SP−Fの次機種)以降のボディのみ

 しかし冷静に考えてみると、カメラボディはずっと特定のモデルを利用しているわけではなく、レンズもまた同じ。気に入った世代の物を順次買い換えている。

 正確に言うと少し違っている。旧世代のボディもレンズも手放すことの方が少なく、それは買い替えではなく、「順次買い増している」かたちになっている。

K2DMD
名機 AEカメラ  Asahi PENTAX K2 DMD (ブラック外装) 1975年発売
ページTopへ移動
 そして、ボディの新たな機構を支えるためのレンズ群も、それぞれの世代ごとに買い込んでしまっている。

 だからストックの中には、同じ焦点距離のレンズがいくつか重複している。その中には、レンズの構成がまったく同じものさえあるのだ。(標準と望遠系に多い。)

 最新機構が利用できないだけで、K系(K、KA、KAF、KAFU)のマウントであればすべてのレンズはすべてのボディに装着が可能だ。レンズの光学的な構成が同じなら、ちょっとの不自由を我慢してそのまま利用できるのだから、重複は少し無駄となる。ただ弁解すれば、最近になってからカタログにレンズの構成図表が載るようになったが、古い時代は「X群X枚」としか構成は発表されていなかったという点がある。だから、新たに発売されたものが従来と同じレンズかどうかは、その昔、実はユーザには判らないという事情があった。


 さて、もう一度冷静になってみれば、ファインダーを覗く目は右目一つしかなく、カメラを持てる手は左右の二本しかないのだから、そんなに複数のカメラを持っていても仕方が無いだろう。私の場合、一眼レフは一度に2台以上(+コンパクト一台の三台セット)持ち出すことは無いのだから。

 しかも、一眼レフのボディに付けられるレンズはその名の通り「ひとつ」なのだ。当たり前だが、一度に複数のレンズは装着できない。一通りの焦点距離があれば、それらを組としたセット一式だけでよい。こうした状況は、ものに執着しすぎているせいで、私の悪い部分といえよう。沢山の物を扱っているつもりでいて、逆に<物>に縛られている。

 いや、そうではない。悪い部分は棚に上げるとしても、それは写真を余り撮らない人の感想だろう。少なからず「写真を通して何かを表現したい」と思っている人なら、手元にカメラが一台だけという状況はないだろう。必ず、数世代、あるいは同一世代の複数台を持っているに違いない。

 でも、改めてレンズやボディの数々を前にして、自分の越し方を振り返って考えてみれば、それは言い訳に過ぎないだろう。やはり、ただの道楽か・・・。

Super−A
マルチモードカメラ PENTAX Supper A 1983年発売
古いレンズカタログ
ページTopへ移動
 奈良の興福寺にある国宝「阿修羅像」のように三つの顔と三組の手があれば、すさまじい写真が撮れることだろうと思う。

 少なからぬ思い入れを持って写真を撮っている人々は、ひょっとすると「阿修羅のごとく」なのかも知れない。

   ところで、
   加藤治子さん、八千草薫さん、いしだあゆみさん、吹雪ジュンさん、が出ていたNHKドラマ、
   向田邦子さん原作の名作「阿修羅のごとく」は凄かったですな・・・。
   79年放送で、佐分利信さんの存在感ある戦中世代の父親役、渋い演技が光っていた。
   − 放送当時、年少だった私は「大人の世界の凄まじさ」というものを青年の入り口の頃に教わりました。−
   2011.01追記:つい先日、知った事なのだが、この秀作を演出したのはNHK時代の「和田勉(わだ べん)」さんだという。和田さんに関しては敏腕の名ディレクターであるという知識が無かった。恥ずかしい事に、私にはバラエティに出演するようになってからの「ガハハおじさん」としてしか認識が無かった。
             私たちは非常に惜しい逸材を失ってしまった。 深く頭を垂れて、合掌するのみだ。

 さて、新機能のボディ発売に合わせて広角・望遠と主要レンズをセットで新規に揃えてしまうという状態をもう一度考えてみよう。システムとしてセットで切り替えているのであれば、世代や機能の変わり目で、まったく別のメーカーのものに乗り換えたっていいはずだ。

 新たな機構が盛り込まれた新世代モデルになったら、どうせボディもレンズも揃えるのだから、いっそ互換性なぞ気にせず、たとえばそのタイミングでNIKONなりに買い換えても同じことではないか。

 ところが、そうはしないのだ。 我ながら、マニアという性向は不思議なものだ。

LX
20年に及ぶロングセラー、プロ仕様の耐久性
PENTAX LX 1980年発売
LX
ページTopへ移動
Z−1P
信頼高いお気に入り  PENTAX Z−1P 1990年

 世界トップクラスの信頼性高い4WDを独自路線で生産しているSUBARUの車と所有者の関係のように、一度オーナーとなると、それ以外のメーカーへの魅力(または製品への興味)は消えてしまう。

 数世代のモデルに渡って、そのメーカーの製品一筋という状態になってしまうようだ。そういう何ともいえない魅力が、PENTAXというメーカーの送り出す製品には秘められている。

 使ってみた上での満足感、納得感とでも言ったらよいだろうか。削ぎ落としていってもうこれで十分、他の物は不要であり満ち足りた世界を味わえます、ということ。いわば禅的な「吾唯足知」の境地だろうか。
ページTopへ移動
MZ−3
ダイアル操作回帰が人気を呼んだPENTAX MZ−3 1997年発売

 私の性格による部分も大きいとは思うが、青年期からの30年近い歳月を、このメーカーとともに歩いている。

 今回の企業統合が吸収合併である以上は統ある馴染み深い社名が消えてなくなってしまうのも仕方がないが、なんとしてもそのカラーは失わずにいて欲しいと思う。

・・・熱心な一ユーザの、切なる願いだ。

MZ−S
マグネシウム外装のハイエンド機  PENTAX MZ−S 2003年発売
ページTopへ移動
 さて、最近では「銀塩ボディ」だけではなく、デジタル一眼も利用している。

 メーカーが満を持して発売した初期モデルのデジタル一眼を購入した時は、かなり思い切った記憶がある。ところが、そんな思い入れでも購入した年は僅か4回程しか撮影しなかった。自分の写真への取り組みは、まだまだ「銀塩フィルム」での撮影が中心だった。それが2005年も近くなると、中心はデジタル機へとシフトしてしまった。春の山野草の撮影と秋の紅葉撮影などはリバーサルで撮っていて、信頼性の高いお気に入りの<Z−1P>を利用していたが、それも2005年の後半には出番が無くなった。

 なんと言ってもデジタルでの撮影コストが物を言ったのだ。フィルムの現像とファイリング、テストプリント(サービスサイズから2Lサイズ)、それから仕上げの指定プリント(ワイド四つ切)、そのファイリングや額装までの一連の手当てには、結構なコストが掛かる。

 また別の要因としては、フィルム自体からコニカが事業を撤退してしまった事も大きい。

 コストのインパクトもあるが、そのことが一番の理由だと思う。今後もフィルムの利用機会は激減したままであろう。さらにラボが減れば、それが加速しよう。

Ist−D
銀塩ボディの部品も利用している初代デジタル  PENTAX Ist−D 2003年発売
ページTopへ移動
 撮った写真をパソコンのディスプレイ上に表示して観る場合、「2L」や「ワイド四切り」などのプリント(印画紙)よりもよほど拡大した状態になる。

 表示するディスプレイ側も大型化がすすみ、画像も先鋭化されている。だから表示したときの鮮鋭感や解像能力が問われてくる。以前にも増して低ノイズで高い再現性が要求され、高画質化しなければユーザが離れていってしまう。

 基礎技術そのものを改変しなければ開発競争で先んじられない状況が訪れている。ユーザはありがたく技術革新がもたらす恩恵に預かり、高機能な製品を豊富な選択肢から選べるので幸福この上ない。求められる要求を実現しなければならないメーカーにとっては、実に多難な時代の到来といえよう。

K10−D

画像解像度10M 手振れ補正つきのハイエンド機 PENTAX K10−D 2006年発売
ページTopへ移動