そして、ボディの新たな機構を支えるためのレンズ群も、それぞれの世代ごとに買い込んでしまっている。
だからストックの中には、同じ焦点距離のレンズがいくつか重複している。その中には、レンズの構成がまったく同じものさえあるのだ。(標準と望遠系に多い。)
最新機構が利用できないだけで、K系(K、KA、KAF、KAFU)のマウントであればすべてのレンズはすべてのボディに装着が可能だ。レンズの光学的な構成が同じなら、ちょっとの不自由を我慢してそのまま利用できるのだから、重複は少し無駄となる。ただ弁解すれば、最近になってからカタログにレンズの構成図表が載るようになったが、古い時代は「X群X枚」としか構成は発表されていなかったという点がある。だから、新たに発売されたものが従来と同じレンズかどうかは、その昔、実はユーザには判らないという事情があった。
さて、もう一度冷静になってみれば、ファインダーを覗く目は右目一つしかなく、カメラを持てる手は左右の二本しかないのだから、そんなに複数のカメラを持っていても仕方が無いだろう。私の場合、一眼レフは一度に2台以上(+コンパクト一台の三台セット)持ち出すことは無いのだから。
しかも、一眼レフのボディに付けられるレンズはその名の通り「ひとつ」なのだ。当たり前だが、一度に複数のレンズは装着できない。一通りの焦点距離があれば、それらを組としたセット一式だけでよい。こうした状況は、ものに執着しすぎているせいで、私の悪い部分といえよう。沢山の物を扱っているつもりでいて、逆に<物>に縛られている。
いや、そうではない。悪い部分は棚に上げるとしても、それは写真を余り撮らない人の感想だろう。少なからず「写真を通して何かを表現したい」と思っている人なら、手元にカメラが一台だけという状況はないだろう。必ず、数世代、あるいは同一世代の複数台を持っているに違いない。
でも、改めてレンズやボディの数々を前にして、自分の越し方を振り返って考えてみれば、それは言い訳に過ぎないだろう。やはり、ただの道楽か・・・。
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