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2009.10.04
秋の入り口(コスモス)

アクセス;
 さいたま市; JR埼京線:北与野

カメラ;
 PENTAX K10D

レンズ;
 PENTAX DFA100mm F2.8 MACRO
 PENTAX DA50−200m F4−5.6 ED
 PENTAX P120mm F2.8
 PENTAX M50mm F4 MACRO

三脚;
  K10D:カメラの手ぶれ補正にて、三脚は不使用

 (画像添付時に圧縮)


 コスモスの花期になると、その年の花を追いかけて過ごす事ももう終わりになる。

 秋の入り口は、大切な好きな季節なのだけれど、油断するとすぐに枯れたり散ってしまうので気をつけなければいけない。春の待ち遠しさの気分には叶うものではないが、そうは言ってもやはり心躍る 秋は極めていい季節だと思う。
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 今年追いかけた花は
  写真     2009.02.21 「ウメ;雨水に咲く梅(大宮)」
  低山散歩  2009.04.30 「スミレ;裏高尾-日影沢を登る(高尾山)」
  旅行     2009.05.03 「サクラ;赤城大洞(地元では大沼:おおぬま と呼ぶが・・)周辺 (前橋)」
  ハイキング 2009.03.17 「カタクリ;武蔵野の小京都(小川町)」
  写真     2009.05.03 「ミズバショウ;水芭蕉(ミズバショウ)を追って(前橋)」
  写真     2009.05.10 「バラ;薔薇が咲いた(与野)」
  写真     2009.06.21 「あじさい;御嶽神社の紫陽花(与野)」

 去年の花は
  2008.09.23 「秋の入り口を追いかけて(彼岸花)」
  2008.09.15 「秋の入り口(コスモスを探して)」
  2008.09.27 「秋晴れの薔薇」

 秋風が吹く。春ほどの明るさはないが穏やかな一陣の風だ。

 その風を受けてコスモスの花が揺れる。走っているから吹く風はあまり感じないが、目に留まる花の様子で風が見える。川岸にあるベンチに腰を降ろしてぼんやりと葦原を眺めて休む。葦原とは反対側に広がる稲田ではもう刈り入れが済んで、点々と切り株を残して地面に広がる柔らかな土を見せている。

 通ってきた小道を覆う桜の葉はまだ色着いてはいないが、周りには何枚もの葉が散っている。そして散らずに枝に残った気の早い何葉かは、もう紅く染まり始めている。

 こうして何を想う訳でもなく辺りを眺め、のんびりと休んでいると、ふと現実が遠ざかっていくような気がする。

 その感じはほんの一瞬で儚く消えてしまう。

 遠い昔、秋の頃の運動会を前にした些細な出来事が心にふっと浮かぶ。そのときの感じだけが、まるでそこで起きたことでもあるかの様に鮮明に蘇るが、直ぐにまた消えてしまう。幾許も無くふと我に返ると、川筋から遠く元気な音楽がかすかに伝わって来る。注意すると聞覚えのある曲で、察するに遠くにある小学校で運動会が開かれていたようだ。

コスモス(鴨川べり)
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 コスモスの花が思わぬところに咲いていた。しかもそれは、道脇で数輪とか、花壇にひと群れとか、と言う程度ではない。

 このあたりの稲田はもう刈り入れていて乾燥した土色の地面を見せている。その様子が黄土色(イエローオーカー)になっているわけで、遠方の林の緑や家並みを別にすれば、あたり一面がそういう風だ。が、忽然と現れた花畑は遠目にも多彩な色で満ちていて、その一画だけが光っているような印象を得た。

コスモス(鴨川べり) コスモス(鴨川べり)

 およそ一反(約990u:田んぼ一枚分)が4区画分ほども続いてあろうか。この規模のも田んぼが道を挟んだ2箇所にある。休耕田?とも考えたが、祭りの案内(町内会での「コスモス祭り」)の看板が出ていたので、これはほぼ毎年同じ状態で咲いている催しということになろう。

 いつもの川岸でのポタリングの最中そんな光景に出会ったのが去年のこと(2008.10.13 「コスモスを追いかけて」)だった。

 今年も咲いているに違いないと考えて、自転車で出会ったその場所に再び出掛けてみた。去年と違って「祭り」を案内する看板は、そこには出ていなかったが、辺り一面に広がる可憐な花は今年も綺麗に咲いていた。

 「可憐」という表現が間に合わないほどの盛況な咲きようだ。途方も無いスケールで、しかもどちらかと言うと密集した状態で咲いている花々の様子が圧巻で、「小さな秋」というような感じではなかった。
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コスモス(鴨川べり)

 生命観に溢れて咲いている花の持つ圧力に圧倒されてしまって、ひとつひとつの花が持つ「儚さ」を感じる余裕がなくなってしまうが、写真を撮ろうとする場合には数輪を見つめるので、やはりいつもこの花に対して感じる、あの雰囲気が戻ってくる。

 遠景が山並みや樹林などだと、主役になる対象から少し引いた写真が撮れるのだろうが、ここの周辺は宅地造成が進んでいてなかなか思い通りには行かない。川岸の自然な様子は年を追うごとに少なくなっていくが、むしろそうした空間の中にあることを思えばこの広大な花畑だけが異質なのかも知れない。だからこそ、秋の陽を受けて一面に輝く様が印象深くなる。

 畑の長辺に平行に幾筋もの畝が切られ、それに沿って植えられているので、花達は大層計画して植えられたものという事になる。だから、それは極めつけの「人工的な景色」のはずなのだが、多彩な色を輝かせて微風に揺れる一面に広がる花々の様子からは、かけがえの無い懐の深い自然が滲んでくる。

 揺れるコスモスを写す。こうして今年もまた、体いっぱいに初秋を感じとることができたようだ。
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コスモス(鴨川べり)

 花が綺麗で、それをゆっくりと楽しみたい。だから乗ってきた自転車から一旦降りて、しばらく歩くことにする。

 毎年、しかも何度も撮るがなかなか思うとおりの写真にならない。コスモスの見た目の可憐さがうまく表現できないのだ。長く伸びた茎が幾本も入って、どうしても煩くなってしまう。
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コスモス(鴨川べり) コスモス(鴨川べり)

 静かに風に揺れるあの感じ、花の周りの空気が滲むような色。言葉でさえも表現が難しい。

 心に染みる花の様子、そこから響いてくるもの。そこはかとなく心を漂うなにかの想い。そうしたものが写真で表現できたら、どれほど良いだろう。

 長年写真を撮っていても、想い描く写真を思ったとおりに撮ることは難しい。 だからなのか、私はまた来年も花を追いかける。
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